新自由主義単語

シンジユウシュギ
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新自由主義英:Neoliberalism)とは、思想・信条の一類である。

市場原理主義英:Market fundamentalism)と批判者に呼ばれることがある。
 

概要

辞書に記載されている定義

新自由主義について辞書に記載されている定義は次の通りとなっている。

政府規制を緩和・撤して民間自由な活に任せ成長を促そうとする経済政策。

-知恵蔵(朝日新聞出版)より引用-

 

政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由経済活動を妨げると批判市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡るとする。ネオリベラリズム

-デジタル大辞小学館)より引用-

 

性質その1 小さな政府

新自由主義者は政府の権弱体化させるのを好み、小さな政府を理想とする。政府経済への介入を底的に嫌い、市場原理(market principle)や競争原理(competition principle)に委ねれば上手くいく、と説する。

新自由主義者は、政府による雇用創出・労働規制に反対し、「政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由経済活動を妨げる」と批判する。三公社五現業のような官営事業を否定し、そうした官営事業を片っ端から民営化しようとする。

また新自由主義者は、政府による地方支援を敵視し、「ロクな産業もない土地にお金を注ぎ込んで人をり付かせるのは駄で非効率的だ」と猛反発する傾向がある。政府による地方支援を大々的に行う政策を確定させたのは1972年から1974年まで首相を務めて1980年代中盤まで日本政治において支配的地位を維持した田中角栄であるので、新自由主義者は田中角栄底的に敵視する傾向がある[1]

新自由主義者の言うとおりにして政府による地方支援をとりやめると、地方に人口空白地域が生まれることになり、犯罪拠を隠滅しやすい土地が増えることになり、犯罪を行いやすい状態になり、治安が急に悪化する。ゆえに、良好な治安を維持するためには、田中角栄の言うとおりに地方お金を注ぎ込んで地方に人をり付かせて人口空白地域を作らないようにして犯罪の発生を抑え込む必要がある。

また新自由主義者は、政府による社会保障年金給付も敵視し、老人に手厚い支援をすることを敵視する傾向があり、「ロクな生産もない老人にお金を注ぎ込んで人をり付かせるのは駄で非効率的だ」と猛反発する傾向がある。政府による社会保障年金給付を大々的に行う政策を確定させたのは田中角栄であるので[2]、新自由主義者は田中角栄底的に敵視する傾向がある。

新自由主義者の言うとおりにして政府による老人支援をとりやめると、老人は病気になりやすく医療器具への需要を作り出す存在なので、医療器具への需要が急に減ることになり、製造業の技術が向上する流れを断ち切ることになる。医療器具の中には生産するのが非常に難しいものが多いので[3]、医療器具への需要を増やせばそれに関連する製造業の技術が向上するし、医療器具への需要を減らせばそれに関連する製造業の技術が停滞する。ゆえに、製造業の技術の向上をすためには、田中角栄の言うとおりに老人にお金を注ぎ込んで医療器具への需要を増やす必要がある。

新自由主義者の一部は「政府の権を強くすると全体主義になる。戦前戦中の軍国主義日本ナチス・ドイツソ連北朝鮮毛沢東時代の中国のようになる」というふうに全体主義への恐怖心を煽りつつ自らのを述べることがある。

新自由主義者は、敵である田中角栄に対しても「日本社会主義を定着させた」と非難する傾向がある。

新自由主義者の一部は、官僚をいて民間企業を褒め称えることに熱心である。そういう姿は民尊官卑と評される。

身を切る」と称して公務員の給料を引き下げる緊縮財政を支持する傾向にある[4]公務員の給料を引き下げることで優秀な人材が民間企業へ流れるようになり、官庁の士気と実が低下する。また、公務員の給料を引き下げることで、労働市場において政府地方公共団体と労働者を奪い合っている民間企業が「労働者の給料を引き下げても政府地方公共団体に労働者を奪われない」と安心するようになり、労働者への給料を引き下げるようになり、世の中全体の賃下げが進む。

新自由主義者は「革」という好ましいイメージが付着した言葉を使って自らの支持する政策のイメージを向上させる傾向がある。緊縮財政のことを構造革とか行政革とか財政革とか「身を切る革」と呼ぶ。

新自由主義者は、公務員の給料を引き下げるだけでなく、官庁や地方公共団体の人員を削減してマンパワー(人手)を削減することも好む。そうした状態を「小さくてスリムで賢い政府」などと賞賛する。

新自由主義者がするとおりに政府の人員を極限まで減らし、「一切の駄がない小さな政府」にすると、コロナ禍のような有事に対する対応が急に低下する。「時の駄は有事の余裕」という格言が示すように、駄をそぎ落とした状態の政府は有事に対してとても脆弱になる。

新自由主義者は、有事が全く発生せず時が永遠に続くことを大前提として緊縮財政小さな政府を構想していて、一種の平和ボケというべき考え方をしている。こうした新自由主義者の姿は、新・ とか新・平和主義 と表現することができる。

新自由主義が導権を握るでは政府の予算が減らされて政府人手不足になる。そのため政府ボランティア頼みとなり、民間人をタダ働きさせることが恒例となる。政府高官が「皆さんの協がないと○×というイベントが成功しません」と宣言し、民間人の「自分たちが協しないと○×というイベントが失敗してしまう。もし○×というイベント失敗したらそれは自分たちのせいである」という責任感や罪悪感を刺し、民間人の労務を無料で享受し[5]やりがい搾取exitを行っていく。

政府のそういう姿を見て、ブラック企業の経営者が「々も政府真似をしよう」と考えるようになり、従業員に向かって「君たちのサービス残業がないと会社が倒産します」と宣言し、従業員の「自分たちがサービス残業しないと会社が倒産してしまう。もし会社が倒産したらそれは自分たちのせいである」という責任感や罪悪感を刺し、従業員の労務を無料で享受し、やりがい搾取を行っていく。

新自由主義のでは政府が率先垂範してブラック企業に手本を示すので、内のブラック企業が大いに勇気づけられて勢いよく躍動する。このため新自由主義は新・ブラック企業 と表現することができる。


新自由主義者は「官から民へ」「民間でできることは民間に」という合言葉を好み[6]政府が手がける官営事業をことごとく民営化することを好む。税引後当期純利益の追求を第一としない官営事業団体から、税引後当期純利益の追求を第一とする民営企業に変貌させようとする。日本には三公社五現業という官営事業があったが、新自由主義が盛んな時代になってそれらの官営事業が次々と民営化されていった。

新自由主義者は「政府というものは民間企業と同じような存在であり、利益追求をしなければならない」という信条を持っている。このため「官営事業は不採算部門そのものであり、政府の利益を食いつぶしていて、赤字垂れ流しの状態なので[7]、官営事業を削減するのが当然のことだ」とする。ちなみに、そうしたに対して「政府というものは民間企業と全く異なる存在であり、利益追求をするのではなく追求をすることを義務づけられている。官営事業は益の拡散装置である」という反論が寄せられることがある。

政府企業と全く異なる存在である」ということを決して認めようとせず、「政府は一種の民間企業であり、利益追求黒字化をさねばならない」として政府企業同一視し、政府に対して民間企業の感覚を持つことや民間企業と同じ行動をすることをひたすら要する新自由主義者の姿は、新・企業 と表現することができる。

官営事業の中には低技労働者を大量に雇用して安定した待遇を与える部門があり、低技労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しにくいようにしている。つまり官営事業には「世の中の労働待遇を維持する益装置」「労働待遇向上装置」「賃上げ装置」「労働規制装置」「民間ブラック企業の出現を抑制する装置」「民間ブラック企業を漂する装置」という一面がある。官営事業を民営化することで、低技労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しやすいようになり、雇用情勢の悪化、つまり賃下げと長時間労働の蔓延が進んでいく。

新自由主義者の言うとおりにして官営事業を減らして低技労働者の雇用を減らすと、企業の経営者が低技労働者に向かって「君のような低技労働者を雇ってあげる企業は、が社の他には数えるほどしか存在しない」と威圧的に接することができるようになり、労働者に無理難題を押しつけやすくなり、パワハラパワーハラスメント)を楽しむことができるようになる。

政府が官営事業をして労働者に直接的に賃を支払うと、その官営事業が立地する地方において「官営事業よりも賃を多めにしないと官営事業に人が流れてしまう」と考える民間企業が増えて、民間企業労働者の賃が官営事業労働者の給与準付近まで上昇する流れになる。

新自由主義者の言う「民間でできることは民間に」という標のとおりにして、政府が官営事業を止して民間企業に事業を委託しつつ民間企業に対して一切干渉しない状況にすると、民間企業がピンハネ(中間搾取・中抜き)に励むようになり、5次下請けとか8次下請けといった多重請負[8]の状況に発展する。労働者を極めて低い賃で働かせるブラック企業が非常に安い額で仕事を請け負った時点でやっと多重請負が止まる。ブラック企業が暗躍する社会になり、世の中の民間企業労働者の賃が下がっていく。

政府が官営事業をして労働者を終身雇用すると、その官営事業が立地する地方において「官営事業のように終身雇用を約束しないと官営事業に人が流れてしまう」と考える民間企業が増えて、民間企業において終身雇用が増えていく。

政府が官営事業を止して労働者を終身雇用することをとりやめると、「終身雇用を約束しなくても官営事業に人が流れない」と考える民間企業が増えて、民間企業において終身雇用が減っていく[9]


官営事業団体の長所というのは、世の中の労働者に給料の確実性・安定性を与えるところである。官営事業団体に雇われた労働者が安定した生活を送るようになり、官営事業団体と労働者を奪い合っている民間企業が「々も労働者の待遇を安定させよう。さもないと官営事業団体に労働者をすべて奪われてしまう」と考えるようになる。

官営事業団体の短所というのは、民間企業べて較的にコスト意識・効率化意識が低く、進取の精較的に薄く、サービス較的に低いところである。

一方で民間企業の長所と短所は官営事業と全く逆となる。民間企業の長所は官営事業にべて較的にコスト意識・効率化意識が高く、進取の精較的に濃く、サービス較的に高いところである。民間企業の短所は「人件費を削減して税引後当期純利益と利益剰余を作り出そう」という欲が強く、労働者の待遇を悪化させたがる癖があるところである。
 

官営事業団体と民間企業の違いを表にまとめると次のようになる。
 

民間企業 官営事業団体
長所 コスト意識・効率化意識が高く、進取の精が濃く、サービスが高い 労働待遇向上装置・賃上げ装置・労働規制装置である。労働市場で労働者を奪い合っている民間企業に「労働者の待遇を向上させないと官営事業に労働者を奪われてしまう」と考えさせ、民間企業の労働者待遇の向上に貢献する
短所 労働者の待遇を悪化させて人件費を削減し、税引後当期純利益や利益剰余を稼ごうとする傾向がある コスト意識・効率化意識が低く、進取の精が薄く、サービスが低い

 
新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがある。つまり「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余を積み上げて、への配当を安定的に行って株式市場における価を上昇させて、株式市場での資調達を順調に行って自己資本率を高める企業」を理想視するところがある。

そういう企業を創出するための最も手っ取りい方法は、世の中の賃下げを進めることである。企業にとって人件費こそが巨額の費用であり、税引後当期純利益を引き下げる大きな要因となっているからである。

世の中の賃下げに対して障となるのは官営事業である。このため新自由主義者は官営事業を敵視し、「官営事業はコスト意識・効率化意識が低く、進取の精が薄く、サービスが足りない」などと表現して官営事業の短所だけに人々の意識が向くように誘導し、「官営事業は民間企業に勤める労働者の待遇を向上させる益装置であり、労働待遇向上装置であり、賃上げ装置であり、労働規制装置である」という官営事業の長所に人々の意識が向かないように努め、ひたすら官営事業を削減しようとする。
 

性質その2 夜警国家

新自由主義者は小さな政府を理想視しており、政府に対して厳しい態度で臨む。しかし、新自由主義者の中にも例外があり、自衛隊海上保安庁刑務所警察消防といった治安部門に対して特別に優しい態度になる者がいる。小さな政府を志向しつつ治安部門を特別に優遇することを国家 という。

自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士は、法律によって労働三権[10]のすべてが否定され、労働組合を結成できず[11]、上な労働強化の要をしてきても反抗せずに従う存在である。政府地方公共団体に直接雇用されて安定した給与を得ているが、世の中の労働組合運動に参加することができず、労働弱化や賃上げの気運を世の中に広めることができない。

自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士は政府地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているので、その部分は新自由主義者にとって気に入らない。しかし自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士は労働組合を作らないので、その部分は新自由主義者にとって歓迎できる。

ちなみに、新自由主義者が最も理想とする労働者は「給料の不安定性・不確実性に悩まされていて、なおかつ労働組合に参加しない労働者」である。Amazonのように従業員の労働組合結成を妨する民間企業というものが存在するが[12]、そういう民間企業に勤める労働者が該当する。給料の不安定性・不確実性に悩まされているという部分が新自由主義者にとって素晴らしいことだし、労働組合活動をしないという部分も新自由主義者にとって大歓迎である。

他方で、「自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士以外の公務員」や官営事業団体構成員は、労働三権のうち団結権と団体交渉権を認められていて[13]労働組合を結成することができ、上な労働強化の要をしてきたら労働組合を通じて反抗する存在である。かつての郵便局員や国鉄職員が代表例である。政府地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれており、そしてなおかつ労働組合の活動をすることができるので、世の中の労働組合活動の先頭に立つことが多く、労働弱化と賃上げの気運を世の中に広める可性が極めて高い。新自由主義者にとって「理想から最もかけ離れた労働者」であり、新自由主義者にとって永遠の敵であり、不の敵である。

以上のことを表にまとめると次のようになる。
 

給料の不安定性・不確実性に悩まされていて、なおかつ労働組合に参加しない労働者 政府地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているが、労働組合に参加しない労働者 政府地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれていて、なおかつ労働組合に参加する労働者
代表例 2020年12月以前のGAFA米国巨大IT企業4社)の従業員 自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防 かつての郵便局員、国鉄職員
内における労働組合運動に対して 関せず」「自分には関係ない」という態度をとる 積極的に参加し、導していく
新自由主義者にとって 理想の労働者 半分理想、半分気に入らない 永遠の敵、不の敵

 
新自由主義者にとって、内の労働組合の活発化を抑え込むことは最大の課題である。国家を採用して治安部門の雇用を増やすことは内の労働組合の活発化に直結しないので、新自由主義者にとって許容範囲内の政策である。

先述のように、自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士というのは新自由主義者にとって「半分理想、半分気に入らない」という存在であるが、反・新自由主義者にとっても「半分理想、半分気に入らない」という存在である。

自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士は政府地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているので、世の中の民間企業に「が社も従業員に給料の安定性・確実性を保障しよう。そうしないと労働者が自衛隊海上保安庁刑務所警察消防に流出する」と考えさせる存在であり、その部分は反・新自由主義者にとって好ましい。しかし自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士は労働組合を結成できず、世の中の労働組合活動に参加できない存在であり、その部分は反・新自由主義者にとって好ましくない。
  

性質その3 貴族政治

新自由主義の信奉者は緊縮財政の信奉者であり、「身を切る革」と称して公務員の給料を削減することを好むが、それと同時に国会議員地方議員の給料(議員歳費)を削減することも好む。

議員歳費を減らすことで、非・富裕層議員にとって政治活動をすることが難しくなっていく。議員歳費が少なくなるので、お金を払って地元民と交流を深めて民意を吸い上げることをとりやめるようになる。知名度を稼ぐためテレビ番組やラジオ番組に出ようとしてみたり、知名度を稼ぐためtwitterなどのSNSで人を引くような言動をすることに熱中したりして、自分の姿を発信することに精を出すようになるが、民衆からの民意を受信することを怠るようになる。非・富裕層議員たちの間で、「議員とは芸能人のようなものである」といった解釈が広がり、民意を重視する民主主義デモクラシー)の気運が薄れていき、民意を無視する貴族政治アリストクラシー)の気運が濃くなっていく。

一方、事業で大成功を収めたビジネスパーソンから政治家に転身した成金議員[14]や、先代からの資産を大量に相続した世襲議員[15]のような富裕層議員は、議員歳費を減らされても簡単に政治活動を行うことができる。

議員歳費をゼロにすると、非・富裕層議員が政治活動を行えなくなる。選挙に立補して当選しても議員歳費をもらえず極貧の生活に転落することが予測できるので、非・富裕層から選挙に立補することをも行わなくなる。非・富裕層の被選挙権を実質的に制限して富裕層の被選挙権のみを実質的に認める制限選挙になり、典的な貴族政治アリストクラシー)になる。

新自由主義者の望むように議員歳費を削ると、成金議員や世襲議員のような富裕層議員ばかりになる。このため新自由主義は新・貴族 と表現することができる。


ちなみに、非・富裕層議員の長所は、気軽にを掛けてもらいやすく、民意を吸収するが高い点である。「人に対してを掛けることを遠慮し、庶民に対して遠慮せずにを掛ける」というのが人間に広く共通する性質である。

非・富裕層議員の短所は、チヤホヤされた経験が較的に少ないので外交の大舞台にやや向かない点である。外交とは相手を王侯貴族であるかのように歓待しつつ相手の心を動かしていくゲームであり、チヤホヤされた経験が少ない者が外交の大舞台に出ると接待で舞い上がってしまって心を大きく動かされてしまう危険がある。

一方、富裕層議員の長所は全く逆で、チヤホヤされた経験が較的に多く、多少の歓待にも動じないところがあり、外交の大舞台に強いところである。

富裕層議員の短所は、気軽にを掛けてもらいにくく、民意を吸収するが低い点である。

以上のことを表にまとめると次のようになる。
 

富裕層議員 非・富裕層議員
長所 チヤホヤされた経験が較的に多く、多少の歓待にも動じないところがあり、外交の大舞台に強い 気軽にを掛けてもらいやすく、民意を吸収しやすい
短所 気軽にを掛けてもらいにくく、民意を吸収しにくい チヤホヤされた経験が較的に少なく、歓待されたら舞い上がる危険があり、外交の大舞台にやや向かない
新自由主義のにおける存在感 議員歳費を減らされても気で生き残り、存在感を増す 議員歳費を減らされて、困窮に耐えられずに消滅する
制限選挙における存在感 存在感を増す 消滅する

 
新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがある。つまり「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余を積み上げて、への配当を安定的に行って株式市場における価を上昇させて、株式市場での資調達を順調に行って自己資本率を高める企業」を理想視するところがある。

そういう企業を創出するための最も手っ取りい方法は、世の中の賃下げを進めることである。企業にとって人件費こそが巨額の費用であり、税引後当期純利益を引き下げる大きな要因となっているからである。

世の中の賃下げに対して障となるのは「世の中の賃上げの流れを作ってほしい」という民意であり、「世の中の賃上げの流れを作ってほしい」という民意を吸収してくる議員である。このため、新自由主義は民意を敵視する傾向があり、民意を吸収する非・富裕層議員を敵視する傾向がある。

新自由主義の支持者は貴族政治を好み、議員歳費の支給を嫌い、制限選挙を好み、普通選挙を嫌い、「エリートの判断」を好み、民意を嫌うという傾向がある。「制限選挙だったころのAは栄えていたが、普通選挙を取り入れて民衆の意見を取り入れるようになってから没落していった」などとるのがおなじみの姿である[16]

とにかく新自由主義者は民意を嫌っており、「大衆は愚かで馬鹿なので、大衆の言うことなど聞くべきではない」と断言して、民意を軽視する潮を作り出そうとする傾向がある。

そして新自由主義者は、民意を吸収する政治に対して「衆愚政治であり、ポピュリズムであり、大衆迎合である」というレッテル貼りをし、民意を吸収する政治家に対して「あのようなポピュリスト政治家を台頭させると、政府の財政が破綻するかハイパーインフレになるかのどちらかになり、経済が荒し、1990年代初頭のソ連のようになる」という極論を浴びせて攻め潰しにかかる。そして「民意を吸収する政治家の言うことは、まことに甘い誘惑であるが、身を滅ぼすものである。決してそういう危険な誘惑に負けてはいけない」と言う傾向がある。
   

性質その4 自助論

新自由主義を信奉する人の中には、自助論を熱心に説いて回る人が見られる。

新自由主義者の一部は、「自助の精を持つ人が多いと19世紀の英国のように繁栄する。自助の精を持つ人が少ないと1970年代英国のように没落する」と論じて、自助の精が繁栄の要因であるかのように扱う。そういう姿は新・自助 といっていいほどで、とにかく自助というものを重視する傾向がある。

新自由主義者の一部は、賃下げによって貧困に苦しむ人たちに対して「自助をするべきだ。他人を当てにするな。助(政府支援)はいものと思え」と発言する傾向がある。

新自由主義者の一部は、低技労働者が賃下げに苦しむことに対して、自己責任という言葉を使いつつ「をせず己の技を磨かないからだ」と放言する傾向にある。

新自由主義者の一部は、「人はもが自助をするべきだ」と人々に自助を義務付けようとしたり、「人ならでも自助ができるはずだ」と人々に自助の可性を摘したりする。そういう言動を繰り返すことで、自らに課せられた「人を助ける義務」をできるかぎり縮小し、自らに課せられた「他人を助けるために時間とお金と労を負担する債務」をできる限り縮小しようとする。

新自由主義者の一部は、不幸退廃に苦しむ人々を見たらをそむけ、見なかったことにして、幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持しようとする。そうすることで「人助けすべきという義務感」を削減し、己を助ける自助に集中しようとする[17]。こうした姿は新・現実逃避 と表現することができる。

新自由主義者の一部は、「他人の援助を必要とする劣った人」を無視したり軽蔑したりしつつ、「他人の援助を必要としない優れた人」を交際相手にしたり尊敬したりして、「他人の援助を必要としない優れた人」同士で群れようとする。そうすることで「他人の援助を必要とする劣った人」のことを全に忘却して、自分の心に残っている「人助けすべきという義務感」を削減して、己を助ける自助に全精を集中しようとする。つまり、優れた人と劣った人の2階級に分化する階級社会本質的に好む傾向がある[18]。こうした姿は新・階級 ということができる。

自助というのは自分を助けるということであり、それは裏返すと「他人を助けず見捨てて見殺しにする」ということに直結する。新自由主義は、人を見捨てて見殺しにする性質を持つ自助という行為を重視する思想であるから、新・見殺しと表現することも可である。

自助という概念には「自立」「自尊」「品位」といったかしい正のイメージが付着しているが、「利己義」「エゴイズム」「自分本位」といった腹黒い負のイメージも付着している。自助論を唱えつつ苦しむ他者を放置する人の姿は利己義・エゴイズムという表現が当てはまる。新自由主義はそういう自助を重視する思想であるから、新・利己義(ネオ・エゴイズム)と言うことができる。


新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがあり、「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余を増やしてへ安定的に配当を払い、株式市場で資を順調に調達して自己資本率を高める企業」を理想視するところがある。そして、企業にとって人件費こそが税引後当期純利益を下げる大きな要因となっているというのが事実である。ゆえに新自由主義者は世の中の賃下げを進めることを志向している。

世の中の賃下げに対して障となるのは「困っている人を見捨てずに助けるべきであり、そのために賃上げするべきだ」という気運である。新自由主義者はこうした「賃上げして人助けしよう」という気運を敵視しており、「賃下げして人を見捨てよう」という気運が世の中に広まることを願っている。

このため新自由主義者は自助論を宣伝して回る。そして「人はいくらでも自助ができるのだから、賃上げして人助けする必要がなく、賃下げして人を見捨ててもよい」という結論を導こうとする。


自助論を熱心に支持すると、次第に「支援」「援助」「補助」に対して否定的な感情を抱くようになる。逆に言うと、「支援」「援助」「補助」に対して否定的な感情を抱く性格の持ちは、自助論にどっぷりハマる可性が高い。

かに助けてもらえるという既得権益」を享受する人に対する嫉妬心が深い人は、自助論に飲み込まれる可性が高い。

学生の学費に対して「人が学校で学んで卒業すると、その人だけが年収が増えるなどの利益を独占する。ゆえに学生のみに学費を負担させるべきだ」という考えを「個人限定の受益者負担義」という。自助論の支持者はこうした考えを大いに好む。

学生の学費に対して「人が学校で学んで卒業すると、その人だけが年収が増えるなどの利益を独占するわけではなく、周辺の人々や政府も利益を受ける。ゆえに学生のみに学費を負担させるのではなく、政府給付金を支払うべきだ」という考えを「個人に限定しない受益者負担義」という。自助論の支持者はこうした考えを決定的に嫌い、猛憤怒する傾向がある。
 

性質その5 労働強化

新自由主義は労働者に対する労働強化を好む思想であり、労働者に払う給料を一定にしたままで労働者に対して高品質・大量の労働を要することを好む思想である。新自由主義者が労働者に対して「もっと意識を高く持って高品質の労働をしろ。さもないと際競争で敗北してしまうぞ」と上から目線で労働強化するのは見慣れたである。

新自由主義者は「労働強化の」を擬人化したような存在である。新自由主義者が歩くところは労働強化のしく吹き荒れる。ゆえに新自由主義は新・労働強化 と表現することができる。

新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがあり、「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余を増やしてへ安定的に配当を払い、株式市場で資を順調に調達して自己資本率を高める企業」を理想視するところがある。そして、企業にとって人件費こそが税引後当期純利益を下げる大きな要因となっているというのが事実である。ゆえに新自由主義者は世の中の賃下げを進めることを志向している。

従業員に同一の賃を払いつつ高品質・大量の労働を強いることは従業員の時間あたり給料を削減することになり、実質的な賃下げとなる。労働者に対してひたすら労働強化することは新自由主義者にとってまさしく最大の願望である。

ちなみに、反・新自由主義者や労働組合は労働弱化を好み、「労働者に払う給料を一定にしたまま労働者に低品質で少量の労働を要するのが望ましい」と経営者に要するのがいつもの姿である。そうした労働弱化が実質的な賃上げになるからである。このため新自由主義者は労働組合底的に嫌う。


新自由主義者は、労働強化をするために、人々の労働意欲を刺する傾向がある。

新自由主義者は、所得税累進課税弱体化させ[19]、労働意欲を刺し、内の生産・供給を強めるのが大好きである。人々の労働意欲を刺すること、つまりインセンティブ(刺)を与えることを優先する傾向があり、「労働意欲至上」といった観がある。

また新自由主義者は、相続税贈与税弱体化させることも好む[20]。新自由主義が盛んなでは相続税贈与税税になったも多い。そうなると世の中の父親母親が「子どもに多くのお金相続させるため、一杯働いて高額所得を得よう」と考えるようになり、世の中の父親母親の労働意欲が強に刺される[21]

また新自由主義者には、終身雇用・年功序列の賃体系を否定して成果義・義の賃体系を導入し、労働意欲を刺しようとする傾向もある。

「才を発揮すればするほどガッガッポと稼げるのある社会を作り上げる」「才を発揮する人にを見せる」といったふうにという綺麗な言葉を織り交ぜてりかけ、人々の銭欲を強に刺する。

新自由主義者の一部は、「所得税累進課税や年功序列の給与体系によって、頑った人が痛めつけられている」とか「った人が報われていない現状を変えて、頑った人が報われる社会を作ろう」とか「頑る人が足を引っられている現状を変えて、頑る人が足を引っられない社会を作ろう」という言い回しを非常に好む。いずれのスローガンも、「自分は頑っている」と信じている人の被害者意識を強く刺するものであり、わりと扇情的な言い回しである。このような扇情的な言い回しをして人々を感情的にさせ、人々が感情の赴くままに所得税累進課税や年功序列の給与体系を弱体化させていくように誘導する。


また新自由主義者は、労働強化をするために、「労働意欲を抑制する人」を否定する傾向もある。

新自由主義者は「ほどほど」「適度」「理のない範囲で」という言い回しをして労働意欲を抑制する人を非常に嫌い、そうした言葉を発する人に対して「衰退する、ダメになる、発展途上国に追い抜かれる、先進国から脱落する」といった警告をする。そして「とことん」「底」「どこまでも頑る」という言い回しを非常に好む。

新自由主義者は勤勉を深く愛し怠惰しく憎むので、労働意欲を抑制する人に対して「怠け者」というレッテル貼りをして論戦で優位を得ようとする傾向がある。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、本質的に「怠惰」を必要とする生物なのだが、論戦に臨む新自由主義者はそのことを都合良く忘れて「自分は勤勉であり全く怠惰ではない」という態度で振る舞う。


新自由主義者が好む労働強化には副作用がある。余暇の減少による消費・需要の減少や、仕事中毒ワーカホリック)と長時間労働の蔓延によるメンヘラ過労死の増加といったものである。

労働強化が繰り返されることで労働者の余暇が減少する。そうなると、労働者の消費意欲が減退したり、非婚化と少子化が進んだり、人口が減少したり、需要が減ってデフレになったりする。新自由主義が広まるとデフレになるという傾向がある。

労働強化が繰り返されることで労働者の労働意欲が過剰に刺される。そうなると多くの人が「仕事すればするほど、お金かる」と思いこむようになり、「休暇を取っている場合ではない、いた時間をすべて仕事に注ぎ込もう」という仕事中毒ワーカホリック)の心理状態となり、長時間労働が増えていく。そうなると人々が労働の過酷さに耐えられなくなり、メンヘラに苦しむ人や過労死する人が増加する。

新自由主義に心酔する企業経営者は労働強化を好むのだが、労働強化を続けるうちに全感・万感に満ちあふれるようになっていく。「意志さえあれば何事も実現できる」と本気で信じ込みつつ、従業員に向かって「不可能はない」「できないとはいわせない」とパワハラ気味に接して労働強化する。そうすると会社全体が「労働意欲の肥大化」というような状況になり、従業員が疲れ果て、従業員の精が与えられ、従業員がメンヘラ過労死に近づいていくことになる

新自由主義者は労働強化の副作用を意識することを苦手としており、「労働しすぎたら疲労が蓄積して体や精が壊れてしまう」と考えることを苦手としている[22]

覚醒剤を使用すると疲労が解消し、どれだけ労働強化しても疲労を感じなくなる[23]。労働強化の副作用を意識することが苦手な新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。


労働強化の副作用摘されたときに新自由主義者が頼りにするのは、「人が生まれつき持っている本」というものである。

新自由主義者に対して「新自由主義者の言うとおりに所得税累進課税弱体化と労働規制の緩和を実行して労働強化すると、仕事中毒ワーカホリック)と長時間労働が増え、過労死メンヘラが増えてしまう。労働者の生命と健康を守るために所得税累進課税と労働規制が必要である」と抗議すると、新自由主義者の多くは「人には生存というものが先的に備わっている。人というものは過労死メンヘラになる前に生存が自動的に発動し、労働量を自動的に引き下げて、自己の生命と健康セーブ(保持)するはずである」と反論する。

このように新自由主義者は「人には本があるはずだから労働規制など必要ないのだ」という態度を取りがちで、人の本に対して過大な期待をする傾向がある。そのため新自由主義のことを新・本 と呼ぶことが可である。

企業の労働強化に従った結果としてメンヘラになったり過労死したりする労働者を見かけたとき、反・新自由主義者と新自由主義者は全く正反対の判断をする。

反・新自由主義者は「企業が欲って労働強化をしすぎたから労働者が耐えきれずにメンヘラになったり過労死したりしたのだ」と判断し、企業の非を認め、さらには政府監督が行き届いていないことを問題視する。そして「労働基準監督署への予算を増額すべき」と判断する。

一方で新自由主義者は「政府経済に対する介入をしすぎたから、労働者が飼い慣らされて、労働者の生存弱体化して、労働者の『メンヘラになったり過労死したりすることを回避する』が衰えたのだ」と判断し、企業の非を認めず、むしろ政府の非を摘し、労働基準監督署への予算を削ることを要する。

新自由主義者は何が起こっても「そうか、なるほど政府がすべて悪い、政府への予算を削れ」と一本調子に判断する傾向がある。そうした姿は新・一本調子 と称することができる。

以上のことをまとめると次のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
労働者がメンヘラになったり過労死したりするのはなぜか 政府経済に対する介入をしすぎたことにより、労働者が飼い慣らされ、労働者の生存弱体化し、労働者の「メンヘラになったり過労死したりすることを回避する」が衰えたため 企業が欲って労働者への労働強化を行いすぎたため
労働者がメンヘラになったり過労死したりするとき、悪いのは 政府が全て悪い 企業が悪い。労働規制を掛けず野放しにした政府にも一部の責任がある
労働者がメンヘラになったり過労死したりするのを防ぐにはどうしたらいいか 政府への予算を削り、労働基準監督署への予算を削り、労働者を政府の支配から解放し、労働者の生存回復させる 政府への予算を増やし、労働基準監督署への予算を増やし、企業が過度の労働強化をしないように労働規制を強化する

 

性質その6 消費税の増税

新自由主義者は長時間労働に明け暮れて余暇をほとんど持たない労働者を理想の存在とし[24]、短時間労働に恵まれて余暇を十分に持つ労働者を底的に嫌う。

新自由主義者は「今度の休日友人家族と一緒に○×というお店に行って買い物を楽しむ」のようなフヌケたことをいう労働者を非常に嫌っており、そのような戯れ言(ざれごと)を労働者が言い出さないようにするために様々な工夫をする。

新自由主義者は「長時間労働をしないと日本際競争から脱落する!日本が貧しくなる!」と脅す手段を好んで用いる。この手段は多大な労を必要としないので頻繁に実行することができる。しかし、ただの脅しなので効果は今ひとつである。

新自由主義者は消費税を増税するという手段も好む。この手段は多大な労を費やして国会で立法しなければならないという短所があるが、効果が抜群であるという長所がある。

消費税を増税して買い物に対して巨額の罰が発生するようにすれば、多くの人が消費を嫌がるようになり、倹約・節約志向になり、買い物を楽しみにしなくなる。消費税10110万円の物品を購入すると領収書に「物品100万円 消費税10万円」と記載されるのだが、こういう数字を見る消費者は「消費・需要は悪いことである」という思想を持つようになり、倹約好みの性格に変貌していく。

そうなると「どうせ余暇をもらっても楽しく買い物できないのだから余暇など要らない」という考えが労働者たちの裏によぎるようになり、労働者たちが余暇を欲しがらなくなり、労働者たちが長時間労働を々諾々(いいだくだく)と受け入れるようになる。消費税によって労働者の性格を「勤勉」で慢強くて長時間労働に耐えられるものに改造することができる。消費税を増税すると次第に長時間労働を基調とする社会になり、新自由主義者にとって理想の楽園になる。

科医は睡眠できない患者に睡眠導入剤を投し、患者が睡眠できるようにする。それと同じように、新自由主義者は長時間労働を嫌がる労働者に「長時間労働導入剤」として消費税を投し、労働者が長時間労働を好むようにする。

軍隊において新米兵士が「家族友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた上官は「あの新米兵士は里心(さとごころ)が抜けていないので、キツい訓練で矯正してやろう」と考え、過酷な訓練を課す。それと同じように、国家において労働者が「家族友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた新自由主義者は「あの労働者は里心が抜けていないので、キツい消費税で矯正してやろう」と考え、消費税を増税する。

日本受験生が「友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた両は「長時間勉強をしないと受験競争から脱落する!有名企業に就職できず貧しくなる!」と脅して説教し、さらには長時間の勉強に向かわせるため「お小遣いを与えず出費を許可しない」といった懲罰を課す。それと同じように、国家において労働者が「友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた新自由主義者は「長時間労働をしないと日本際競争から脱落する!日本が貧しくなる!」と脅して説教し、さらには長時間の労働に向かわせるため出費に罰を与える消費税を増税する。

新自由主義者が好する消費税によって、国家の労働者のすべてが受験生と同じような存在になり、一億総受験生といった様相を呈するようになる。消費税を増税する為政者は「受験生」「お受験パパ」「お受験ママ」「教育パパ」「教育ママ」になったかのような気分にひたることができる。

巨大外食企業は、少年少女に自社の商品を販売して、若いうちから美味しい味に慣れしませて、少年少女が一生を通じて自社の商品を購入し続けることをしている。巨大外食企業は「少年少女を快楽漬け戦略」を好んでおり[25]、彼らの手にかかると、右も左も分からない少年少女が「巨大外食企業の商品を食べ続ける機械」に変貌していく。それと同じように新自由主義者は、少年少女重い消費税を課して、若いうちから「消費は悪いことだ」という価値観に慣れしませて、少年少女が一生を通じて消費を嫌がりつつ労働ばかりするように誘導することをしている。新自由主義者は「少年少女を労働漬け戦略」を好んでおり、彼らの手にかかると、右も左も分からない少年少女が「労働し続ける機械」に変貌していく。

新自由主義者は「慢して長時間労働の痛みに耐える労働者」を心からする傾向にある[26]。このため新自由主義のことを新・ とか新・ と表現できる。

新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがあり、「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余を増やしてへ安定的に配当を払い、株式市場で資を順調に調達して自己資本率を高める企業」を理想視するところがある。そして、企業にとって人件費こそが税引後当期純利益を下げる大きな要因となっているというのが事実である。ゆえに新自由主義者は世の中の賃下げを進めることを志向している。従業員に同一の賃を払いつつ長時間労働を強いることは従業員の時間あたり給料を削減することになり、実質的な賃下げとなる。「慢して長時間労働の痛みに耐える労働者」を愛して賞賛し、そうした労働者を作り出すのは新自由主義者の務めというものである。

新自由主義者というと「政府規制税金を最小限にして自由経済活動を促進しよう」と言って法人税所得税相続税贈与税を減税するように訴えるのがいつもの姿であるが、消費税に対しては妙におとなしくなってあまり抵抗しないことが多い。新自由主義が盛んなでは消費税が増税されていくという傾向が見られる。このため新自由主義のことを新・消費税 と表現することができる。

消費税を増税して労働者の「消費と余暇を楽しむ自由」を抑制するのが新自由主義である。英国小説家ジョージ・オーウェルの『1984年 』という作品では戦争企画する平和省」「拡散する真理省」「拷問する情省」というものが登場するが、「消費と余暇を楽しむ自由を抑制する新自由主義」というのはそれらと類似した存在である。

消費というのは、消費者が生産者に情報提供する行為であり、消費者が生産者を教導・教育する行為である。消費者がお金を払ってより良い製品を購入することで、生産者は製品の良し悪しを理解することができる。消費者が生産者に対して「この部分が良くてあの部分はダメだ」と誉めたり叱ったりすることで生産者は製品をさらに理解することができる。

生産者というものは、生産することばかりに気を取られて製品の良し悪しに気づかないことが、しばしばある。このため消費者からの情報提供があると大きな助けとなる。

消費税を増税することで内の消費が減少し、消費者から生産者へ情報が流れる現が減っていき、生産者が消費者から良質な情報を受け取れなくなり、生産者の技術が停滞する。技術の停滞をもたらす消費税好する新自由主義者の姿は、新・停滞 と呼ぶことができる。
 

性質その7 成果主義・能力主義

新自由主義の信奉者は、成果義や義を導入した給与体系を支持する傾向がある。成果義や義を導入した給与体系をごく簡単に表現すると、「優秀で成果を出している人を賃上げして、無能で成果を出していない人を賃下げする制度」となる。

劣った人ほど自己評価が高く、「自分は優秀でが高いのでいくらでも成果を出すことができる」と思い込む傾向がある[27]。このため劣った人は、新自由主義者が「成果義・義を導入して優秀で成果を出している人を賃上げする」とると「自分が賃上げされる」と信じ込んで大喜びする傾向があり、新自由主義者の口に乗る傾向がある。

優秀な人ほど自己評価が低く、「自分は劣っていてまだ努が必要な存在であり、さしたる成果を出していない」と思い込む傾向がある[28]。優秀な人は「自分は優秀で成果を出している」と言い出さない傾向があり、あまり熱心に賃上げを要しない傾向がある。そして優秀な人を雇用している経営者は、優秀な人の謙虚な心理を利用する傾向があり、優秀な人に対して欠点を摘して反省させ、優秀な人が賃上げを要しないように釘を刺し、賃上げしないで済むように仕向ける傾向がある。このため成果義や義によって優秀な人が賃上げされるとは限らない。

成果義や義を導入して「優秀で成果を出している人を賃上げして、無能で成果を出していない人を賃下げする制度」を導入すると、優秀で成果を出している人の賃がさほど伸びず、無能で成果を出していない人の賃がはっきりと下落し、全体として賃下げが進む。優秀で失敗を全く犯さない人に対しては「自分は優秀でないかもしれない」という謙虚な心を利用して賃上げを抑制し、無能で失敗をポロポロと犯す人に対しては失敗したことをいて賃下げする。

新自由主義者は「人は認知バイアスを抱えておらず、正確に自己評価することができる」と固く信じ込んでおり、「人は認知バイアスを抱えていて、正確に自己評価することができない」という内容のダニング=クルーガー効果をきっぱりと否定しつつ「優秀な人は自分の優秀さをしっかり認識して賃上げを要する」とする傾向がある[29]

新自由主義者のには、人が「ダニング=クルーガー効果に悩まされず正確な判断を行うロボットのような存在」に見えている。こうした新自由主義者の姿は新・ロボット とでも評価することができる。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「無能になる時間」を大量に必要とする生物であり、本質的に「無能」な存在である。そのため無能で成果を出していない人を賃下げする制度を導入してしまえば、どのような人に対しても賃下げの圧を強く加えることができる。

人間本質的に『無能』な存在であるという現実」と、「成果義や義を導入した給与体系」という、2つの強武器を利用して賃下げに励む新自由主義者の姿は、新・賃下げ と表現することができる。

新自由主義の支持者が好む成果義や義を採用すると、企業の人事部(総務部)や経営者が「この従業員は無能である」と認定するだけで従業員の給料を下げることができるようになる。従業員の成果やを評価する人事部・経営者の権が非常に強くなり、従業員のもが人事部・経営者の顔色をうかがう社になり、従業員が萎縮するようになり、自由な社からほど遠い状態になる。

新自由主義の信奉者というと、「全体主義では自由が封殺される。そんなことが起こってはならず、自由を守り抜かねばならない。そのために政府の権を最小限にするべきだ」といったことを唱え、自由を尊重して権を制限することを高らかにする。

口先ではそのようなことをいうのだが、実際の新自由主義者は従業員の自由を制限して経営者の権を増大させる成果義・義を好む。そうした姿は新・権 とか新・不自由 と表現することができる。

成果義や義の対極に位置する給与体系というと年功序列である。新自由主義の支持者は年功序列の長所を一切認めず、年功序列を底的に批判する傾向がある。

年功序列の長所を1つだけ挙げると、経営者の恣意的な賃下げを防止できるところである。経営者が「こいつは気に入らないので『成果を挙げていない』と認定して賃下げしてやれ」と行動することができなくなる。


そもそも成果義や義というものは、「労働者に支払う賃」を決める方法に関する思想である。その「労働者に支払われる賃」というものには2通りの定義を与えることができる。

1つは「労働者から提供された労働に支払われる対価」という定義であり、新自由主義者が好む定義である。労働を商品として扱い、賃を商品価格と見なすので、商業的な感覚が色濃い定義である。労働という商品の良し悪しによって賃が変わるという考え方であり、成果義・義を生み出す定義である。

もう1つは「『労働者から時間と生命を奪い取る』という加行為を懲罰して抑制するための罰」という定義であり、労働組合の参加者や反・新自由主義者が好む定義である。商業的な思想ではなく、社会の維持を優先する思想であり、成果義・義の思想を生み出さない思想である。
 

性質その8 年金の削減

加齢によって成果を出せなくなったりを喪失したりした老人に対して政府お金を給付する制度を年金という。年金は年功序列の極致のような制度であり、成果義・義とは正反対に位置する制度である。

新自由主義に染まって成果義・義に心酔する人は老人に対する年金制度を嫌い、「既得権益者の老人が若者を痛めつけている」などと老人に対する憎悪を煽る論説をしたり、あるいは「現行の年金制度は制度疲労を起こしていて将来の破綻が考えられるので今すぐに革すべきだ」などと不安を煽る論説をしたりして、老人に対する年金支給額を減らそうとする傾向がある。

新自由主義者は老人への支援を重視する政治を嫌っており、そうした政治シルバー民主主義シルバーデモクラシー)と呼び、「シルバー民主主義を否定するべきだ」としく訴え、「若者投票率を上げつつ『老人を憎悪する若者』が増えればシルバー民主主義を打破できる」と考え、若者選挙投票へ行くことを勧めつつ「老人が若者を痛めつけている」というヘイトスピーチに近い言動をすることがある。

年金は、人々に課する保険料を財にしたり、政府日銀法第4条を堅持して日本銀行に対して「政府経済政策の基本方針に整合的な融政策をとる義務」を課しつつ年金特例国債を発行して長期金融市場に売却することで得られる資を財にしたりして支給する。新自由主義者は小さな政府の支持者なので、政府日銀法第4条を堅持しつつ年金特例国債を発行して長期金融市場で資を獲得する方法を決定的に嫌う傾向があり、そうした提案に対して猛に反対する傾向がある。

新自由主義者は成果義・義に憧れを抱いており、そので、成果を出せなかったりが低かったりして生産が低い人を切り捨てようとする傾向が強く、一種の優生思想を志向するところがある。「生産が低い老人や障者を支援することは労駄であるからそういうことをする必要はい」と言ってみたり、「生産が低い老人や障者の要を拒否すべきだ」と言ってみたり、「生産が低い老人や障者から参政権を取り上げて制限選挙を導入しろ」と言ってみたりする。

そして新自由主義者は、生産が低い老人や障者に対する医療費を底的に削減することをしがちである。「生産が低い老人や障者に対して資と人員を配置するのは駄であって効率的でないので、老人や障者を世話する産業を縮小してれさせ、もっと効率的に富を生み出す産業へ資と人員を移動すべきだ」などとする。

新自由主義のそういうに対して、「医療器具の加工は非常に難しい[30]。老人に対する医療費を拡大することで医療器具の加工という困難な作業に挑む企業が増え、内の産業の技術を向上させることができる。老人に対する医療費は一種の産業振費である」という反論が寄せられることがある。

需要の中にも様々なものがあるが、医療器具に対する需要というのは産業を振する効果が非常に強い。医者などの医療関係者や患者の家族が「できるだけ良い医療器具を作ってくれ。さもないと患者が死んでしまう!」といった具合に気迫る表情で高品質の製品を要するからである。そんなに発破を掛けられた医療品メーカーなどの製造業者は大いにり切ることになり、技術を向上させる可性が高い[31]

新自由主義者の言うとおりに医療費を削減すると、難しい医療器具の加工に挑戦する企業が減り、製造業の技術準が停滞する。このため新自由主義は新・停滞 と表現することができる。

新自由主義者は老人に対する年金や医療費を削減したがる傾向がある。「老人は生産が低く社会GDPへの貢献を行っていないので、さっさと逝去してくれたら良い」とか「老人は穀潰し(ごくつぶし)であり、姥捨て山[32]に放置して口減らしして、社会の人件費(コスト)を削減した方が良い」という思想が言動の節々からにじみ出てくる傾向がある。

それに対して反・新自由主義者は老人に対する年金や医療費を重視する。「老人が逝去せずに踏んると、老人に対する医療器具を大量かつ高品質に作ることになり、医療器具を作る製造業を鍛え上げる効果が生まれ、製造業の技術準を押し上げる効果が生まれる」とか「老人は病気になりやすい存在で、病気になることで『作るのが難しい医療器具』に対する需要を作り出す存在であり、製造業が難しい加工に挑戦するきっかけを作り出す存在であり、製造業の技術準をグイグイ押し上げるモーターでありエンジンであるので、簡単に逝去してもらったら困る」という思想を持つ傾向がある。

新自由主義者は老人に対する年金や医療費を敵視する人が多く、「老人に対する年金や医療費が多くて老人に対する社会保障が充実しているから、『子供を作らなくても老後は安泰だ』と考える人が増えて非婚化・少子化が進む」と論じ、さらには「非婚化・少子化を抑制したいのなら、老人に対する年金や医療費を底的に削り、または『将来に財政破綻が起こって老人に対する年金や医療費が底的に削られる』という言論を発信し、『子供を作らないと老後になって悲惨なに遭う』と皆に思わせた方がいい」と論ずることがある。

これに対して反・新自由主義者は老人に対する年金や医療費を重視する人が多く、「老人に対する年金や医療費を大きい準に維持することを宣言して『老後は安泰だ』と考える人を増やし、人々が老後への不安に備えてお金を貯め込む貯蓄をしないで済むようにして、人々に『消費に対する勇気』や『大な消費をすることが予想される結婚・子育てに突き進む勇気』を与えて、非婚化・少子化を解消すべきだ」と論ずることがある。

老人に対する年金や医療費に対して、新自由主義者と反・新自由主義者は決定的と言っていいほど対立している。そのことを表にまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
老人をどう思うか 生産が低く、社会の人件費を食い潰すだけの穀潰し(ごくつぶし)である 難しい医療器具を作る企業を鍛え上げる存在であり、製造業の技術準を押し上げる装置である
老人への年金・医療費をどうすべきか 底的に削減すべきである。老人は逝去してもらった方が良い 老人が簡単に逝去してしまったら、難しい医療器具の製造に挑む企業が減り、製造業の技術準が停滞してしまうので、そうならないように老人への年金・医療費を十分に増やす
非婚化・少子化の原因は何か 老人への年金・医療費が増えたことである。それらが増えると『子供を作らなくても老後は安泰だ』と考える人が増える 「将来に財政破綻が起こって老人への年金・医療費が削られる」とって回る人々である。それらが増えると「配偶者や子供を作ると貯蓄が減り、老後は悲惨になってしまう」と考える人が増えて、非婚化や少子化が進む
非婚化・少子化を抑制するには何をすべきか 老人への年金・医療費を減らしたり、あるいは「将来に財政破綻が起こって老人への年金・医療費が削られる」と人々に予感させる言動をしたりして、「子供を作らないと老後は悲惨だ」と考える人を増やす 「将来に財政破綻が起こって老人への年金・医療費が削られる」と人々に予感させる言動に対して反論し、そうした言動を駆逐する。それらが増えると「配偶者や子供を作って貯蓄が減っても老後は安泰である」と考える人が増え、結婚や子作りに突き進んで消費を増やして貯蓄を減らす勇気を持つ人が増える

 

性質その9 解雇規制の緩和

成果を出せていないとかを持っていないと認定した社員に対して賃下げするだけでなく簡単に解雇できるようにすることは、「解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」と言う。

解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」も、経営者の権を劇的に増強して、従業員の自由一気に制限し、専制君のようなワンマン社長を増やす政策である。すべての従業員は経営者の機嫌を取ることを最優先に考えるようになり、仕事に対する集中を減らしていく。

解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」の対極に位置する雇用体系というと終身雇用である。新自由主義の支持者は終身雇用の長所を一切認めず、終身雇用を底的に批判する傾向がある。

終身雇用の長所を1つだけ挙げると、従業員の給料の不確実性を減らして消費意欲を活発化させる点である。

成果義・義の賃体系で賃が急落するリスクが増えたり、「解雇規制の緩和」や「労働市場の流動化」といった雇用体制で解雇されるリスクが増えたりして、将来の給料の不確実性が増大した労働者は、給料の不確実性に備えるため貯蓄に励むようになり、消費を嫌がるようになり、結婚・子作りを避けるようになる[33]。そういう労働者が増えると世の中の需要が減っていき、デフレになっていく。

成果義・義の賃体系を否定して賃が急落するリスクが減ったり、「解雇規制の緩和」や「労働市場の流動化」といった雇用体制を否定して解雇されるリスクが減ったりして、将来の給料の不確実性が減少した労働者は、給料の不確実性に備えるための貯蓄に励む必要性が薄れ、消費をする勇気を持つようになり、結婚・子作りに突き進むようになる。そういう労働者が増えると世の中の需要が増えていき、デフレから脱却するようになっていく。

新自由主義者が成果義・義の給与体系を導入しようとしたり解雇規制を緩和しようとしたりするとき、常にしく抵抗するのが労働組合労組 ろうそ ろうくみ)である。新自由主義者にとって労働組合というのはの上のたんこぶのように邪魔な存在なので、労働組合を苛批判する新自由主義者が多い。

新自由主義者は、労働組合批判するときに扇情的な表現を使う傾向がある。「労働組合は正社員の既得権益なので打破すべきだ」と言って人々の既得権益に対する嫉妬心・攻撃心を刺してみたり、「労働組合は『働かざる者食うべからず』の格言に反する存在で、生産よりも多くの消費をしようとする怠け者の溜まり場であり、高望みをしようとするワガママな人たちの集団である」と道徳論を振りかざして人々の怠け者に対する軽蔑心を刺してみたり、「労働組合に従うと日本際競争が落ち、日本発展途上国に転落する」と人々の転落に対する恐怖心を刺してみたりと、人々の感情を巧みに刺する。

また新自由主義者は、「労働組合を結成して労働組合の助けを得て労働するのは自立しておらず、依存心が強く、寄生しており、スネかじりであり、甘ったれである」とか「労働組合を結成せず労働組合の助けを得ずに労働するのは自立しており、依存心が少なく、自活しており、自分の足で立ち上がっており、自分に厳しくて立である」と表現し、人々の「自立している人と思われたい」という名誉欲に訴えかけ、人々の「甘ったれへの軽蔑心」を刺することもある。

また新自由主義者は、「労働組合を結成して1つの企業にしがみつくのは格好悪い生き方で、みっともない生き方で、往生際が悪い生き方で、見苦しい生き方で、ダサい生き方である」とか「労働組合を結成せず他の企業転職するのは格好いい生き方で、体裁がよい生き方で、いさぎよい生き方で、見ていてすがすがしい気分になる生き方で、イケている生き方である」と表現し、人々の美意識や人々の「格好いい人と思われたい」という名誉欲に訴えかけ、人々の「ダサい生き方をする人への軽蔑心」を刺することもある。

また新自由主義者は、「労働組合を結成するのは時代の流れに合っておらず、時流に乗ることができておらず、古い時代の感覚に凝り固まっており、時代遅れであり、新しい時代に対応できていない」とか「労働組合を結成せず一人で生きるのは時代の流れに合っており、時流に乗っており、古い時代の感覚からしっかり脱却しており、最先端の生き方であり、新しい時代に対応できている」と表現し、人々の「時流に乗っている優秀な人と思われたい」という名誉欲に訴えかけ、人々の「時代遅れの生き方をする人への軽蔑心」を刺することもある。

また新自由主義者は、「労働組合の参加者は極左で、革マル派中核派とつながりがある過運動であり、反日で、中国韓国とつながりがある卑劣売国奴であり、日本の名誉と尊厳を傷つけて日本を破壊している」と表現し、人々の愛国心に訴えかけ、人々の「国家の敵に対する憎悪心」を刺することもある。

労働組合を攻め立てるときの新自由主義者は、多な表現を駆使して人々の感情をとても上手に刺する。このため新自由主義を新・感情 と表現することも可である。

労働組合を攻め立てるときの新自由主義者は、聞く人の性格や遇によって表現を変えていく。から自立したいという願望が強い傾向のある10代の若者には「労働組合は自立心が少ない甘ったれの集まり」と言い、体裁ばかり考える傾向がある10代~20代若者には「労働組合はダサい」と言い、組織の中で出世競争に明け暮れている傾向がある30代~40代には「労働組合の言うことを聞くと日本際競争から脱落する」と言い、時代遅れと言われると傷つく傾向がある50代~60代には「労働組合は時代遅れ」と言い、ネットにかじりついて政治論争に明け暮れる人には「労働組合は極左・反日」と言い、経済的な苦に陥って嫉妬心が増幅している人には「労働組合は既得権益」と言い、怠け者を説教するのが好きな人には「労働組合は怠け者の溜まり場」と言う、といった調子である。

新自由主義と労働組合と油のように相性が悪いので、新自由主義が勃する時代では労働組合弱体化し、新自由主義が抑制される時代では労働組合が強化する、という関係性がある[34]

解雇規制を緩和すると、業績不振に陥った企業が人件費を一気に削減して倒産を簡単に回避するようになる。つまり、企業が人件費を「気に対応する調整弁」として使うようになる。

新自由主義者の言うとおりに解雇規制を緩和して、それから不気になると、企業がしっかり生き残って従業員が路頭に迷うことになり、まさしく滅私奉を絵に描いたような社会になる。このため新自由主義は新・滅私奉 と呼ぶことができる。

新自由主義の信奉者というと、「戦前軍国主義日本では自由が封殺され、滅私奉が強制され、『おのために命を捨てて奉せよ』という社会になった。そんなことを繰り返してはならず、政府の権を制限して小さな政府を実現せねばならない」と熱心にするのが常である。

表向きはそのようなことをいうのだが、実際の新自由主義者は「企業栄えて従業員滅ぶ」の滅私奉を非常に好み、「企業のために『解雇されずに済む権利』を捨てて奉せよ」という社会を理想とし、解雇規制をひたすら緩和しようとする。

「一将功成りて万枯る」ということわざがあり、1人の将軍に手柄をもたせるため数万の兵士が犠牲になる、という戦争現実を捉えた表現である(資料exit)。新自由主義者の言うとおりに解雇規制を緩和して、それから不気になると、「企業生き残りて万枯る」といった社会になる。このため新自由主義のことを新・万 とでも表現することができる。


新自由主義の信奉者は「解雇規制と終身雇用の維持のため低賃になる」という見解を持つことを好む。その見解に従って「賃上げのために解雇規制を緩和して終身雇用を止しよう」とするのがいつもの姿である[35]

一方、反・新自由主義の信奉者は、「解雇規制を緩和して終身雇用を否定して労働の流動化を促進するという手法で労働組合弱体化させたことで、成果義・義の給与体系が導入されて低賃になった」とする。

新自由主義者は「解雇規制と終身雇用が賃下げを生む」と考え、反・新自由主義者は「解雇規制の緩和と終身雇用の否定が労働組合弱体化を生み、そして賃下げを生む」と考える。両者は、賃下げの原因を分析することにおいて、明らかに正反対の考え方をしている。

両者の違いを明らかにするため表にすると、以下のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
賃下げの原因は何か 解雇規制と終身雇用 解雇規制を緩和して終身雇用を崩壊させるという方法で労働組合弱体化させたこと
賃上げするにはなにをしたらいいか 解雇規制を緩和して、終身雇用を崩壊させる 解雇規制を強化して、終身雇用を維持させて、労働組合の活動を活発化させる

 

いつの時代もパワハラをする悪徳上が存在する。しかし、反・新自由主義が導権を握る時代と新自由主義が導権を握る時代とではパワハラへの対抗手段が大きく異なってくる。

反・新自由主義の時代では、パワハラを受けた従業員が軽々しく転職せず、労働組合を結成してパワハラに対抗する。このため転職旋する企業があまりからず、商売あがったりになる。上パワハラをすると労働組合からの突き上げを受けるので「自分はパワハラという悪いことをした。パワハラを止めよう」と思うようになる。パワハラを矯正して教育する機が強い社会になる。

新自由主義の時代では、労働組合を結成するという発想が従業員の間に浮かばず、パワハラを受けた従業員がさっさと転職する。このため転職旋する企業かり、商売繁盛となる。上パワハラをすると従業員が職場を去っていくのだが、そういう状況でも上は「従業員が去っていくのは従業員に根性というがないからだ」とか「自分はパワハラなどしていないし、悪いことをしていない」と考えがちで、パワハラをする癖が直らない。パワハラを矯正して教育する機が弱い社会になる。

新自由主義者は「上パワハラに悩んでいるのなら、労働組合など頼りにせず、転職旋する企業を頼りにして、転職してしまえばいい。規制緩和して転職旋する企業を多く存在させることが職場のパワハラを防ぐための最大の対策だ」とることが多い。しかし労働者が上パワハラを苦にして転職してしまうと、転職先での評価が「上の要に応えられない無能」「人間関係を構築できない無能」といったものになるので、転職することに対する心理的抵抗が発生する。

新自由主義による「労働組合弱体化」と「成果義・義」で、労働者は上パワハラを回避するのが難しくなり、パワハラが盛んな世の中になる。このため新自由主義を新・パワハラ と呼ぶことができる。

以上のことをまとめると次のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
パワハラを受けたときに頼るもの 転職旋する企業 労働組合
転職旋する企業」の経営状況 パワハラを受けたらさっさと転職する人が多いので、顧客が次々とやってきて商売繁盛になる パワハラを受けても軽々しく転職しない人が多いので、顧客がやってこず、からない
パワハラへの教育効果 「従業員が退職するのは従業員に根性というがないからであり、自分は全く悪くない」と考えがちで、パワハラが直らない 「従業員が労働組合を通じて抗議してくる。自分は悪いことをしたのかもしれない」と考えがちで、パワハラが直りやすい
従業員の労働環境 パワハラを苦に転職すると転職先での評価が下がることが予想できるので、転職せずパワハラを受け続けることを選びがちで、過酷な労働環境になる パワハラが少なくなりがちで、快適な労働環境になる

 
新自由主義に従って解雇規制を緩和すると、「ひたすら労働強化して従業員を酷使し、過酷な労働の結果として従業員が『疲れ果てた抜け殻』になったら従業員を解雇する」という企業経営が可になる。良心のタガが外れた企業経営者が増え[36]、人から効率的に労働を絞り取る企業経営の手法が世の中に広がっていく。

反・新自由主義がするように解雇規制を強化すると、従業員が『疲れ果てた抜け殻』になっても企業は従業員を解雇できなくなる。このため企業経営者の間で「労働強化して従業員を酷使して従業員が『疲れ果てた抜け殻』になってしまったら、その従業員を解雇できず、企業経営にとって重い負担となる。ゆえに従業員の酷使をやめよう。従業員が抜け殻になってしまうことを避けよう」という判断が広まり、人から効率的に労働を絞り取る企業経営の手法が世の中から減っていく。

以上のことをまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
解雇規制をどうするか 解雇規制の緩和 解雇規制の強化
従業員に対する労働強化を繰り返して従業員を『疲れ果てた抜け殻』に変化させるような企業への処遇 抜け殻になった従業員を解雇するのを容認する。重い負担を課さず、罰を与えない。 抜け殻になった従業員を雇用させ続ける。重い負担を課し、罰を与える。
企業経営者の良心のタガがどうなるか 外れやすい 締まりやすい

 

性質その10 給料の不確実性・不安定性

新自由主義者は労働者の給料の確実性・安定性を嫌い、労働者の給料の不確実性・不安定性をする。「給料の確実性に恵まれている人は労働意欲を減らす傾向にあり、ダラダラ怠けて社会全体の生産性を落とす要因になる。給料の不確実性がある人は労働意欲を増やす傾向にあり、シャカリキになって努をして社会全体の生産性を増やす原因になる」といった言い回しをする。

その上で、三公社五現業のような官営事業を民営化して、公務員を減らして給料の確実性に恵まれた人を減らし、競争に明け暮れる民間人を増やして給料の不確実性に直面する人を増やそうとする。あるいは成果義・義を導入して労働者の給料が減する可性を高めて労働者の給料の不確実性を増やそうとする。または解雇規制を緩和して解雇の可性を高めて労働者の給料の不確実性を増やそうとする。

新自由主義が広まった社会では労働者の給料の確実性・安定性が損なわれるので、労働者が銀行からお金を借りることが非常に難しくなる。銀行は、所属する組織から長期にわたって安定した給料を確実に受け取る者に対して融資する傾向があり、収入が途絶える危険性がある者に対して融資しない傾向がある[37]

ちなみに銀行がそうした態度を取るのにも一定の理由がある。収入が途絶える危険性がある者に対して融資して、債務者が返済不可能になると、「債権不良債権化」「債権の焦げ付き」「債権の貸し倒れ」ということになる。不良債権を多く抱える銀行が出ると機関が連鎖的に経営不調に陥り、恐るべき大不況になる[38]

そのため新自由主義が広まった社会において、労働者は現時点での収入をえた消費・需要をすることが難しくなり、「働かざる者食うべからず」の格言から生する「現時点での収入をえた消費・需要をするのは悪である」という価値観に沿った生活を強いられることになり、消費・需要を活発に行うことが難しくなっていく。

また、先述のように、給料の不確実性が増大した人は、将来に備えて貯蓄に励むようになり、消費を怖がるようになり、結婚・子作りに踏み切れなくなり、少子化・人口減少の波に飲み込まれることになる。

「給料の不確実性こそが社会の生産を高めて富を生むのだ」という信条を持って給料の不確実性を強く肯定しつつ、給料の不確実性の欠点を決して問題視しようとしない新自由主義者の姿は、新・不確実性 と呼ぶことができる。

新自由主義に中になる者は、「人というのは、どれだけ給料の不確実性が増しても、本に従って必ず消費行動を起こすし、本に従って結婚や子作りをする」と楽観的に確信する傾向があり、そのため労働者の給料の不確実性を増やす政策を気で支持する傾向がある。人の本に対して楽観的な期待をする新自由主義者の姿は、新・本 と表現できる。

新自由主義者の一部は「火事場の馬鹿力」「窮噛む[39]」「禽困覆[40]」などの格言を好み、「人というのは追い詰められると凄いを発揮する。人の生存は強大である」という思想を持つ傾向がある。

そして、そうした思想が「労働者を窮地に追い込めば追い込むほど、労働者の生存を刺することができ、労働者から凄いを引き出すことができ、生産を高めることができる。労働者を窮地に追い込むことはとても良いことだ」という発想に変化していき、労働者から給料の確実性・安定性を没収して労働者の給料の不確実性を高める政策を強く支持するようになる。こうした新自由主義者のサディスティックな姿は新・加虐義(ネオサディズムとか新・追い込み と呼ぶことができる。

言い換えると、新自由主義者の一部は「人には強大な本が備わっており、極めて確実で安定したを備えている。人には『本の安定性・確実性』があるので、人から『給料の安定性・確実性』を取り上げても全く問題にならない」と考える傾向にある。

「『本の安定性・確実性』が存在するから『給料の安定性・確実性』を軽視すべき」とするのが新自由主義で、「『本の安定性・確実性』など存在しないから『給料の安定性・確実性』を重視すべき」とするのが反・新自由主義である。

戦争が起こると、元気な若者生存など関係しにあっさりと死んでいく。戦争を経験して元気な若者があっさり死ぬ姿を撃すると、「『本の安定性・確実性』など存在しない」という思想に傾倒するようになり、反・新自由主義に傾倒することになる。

平和が長く続いて、元気な若者生存など関係しにあっさりと死んでいく姿を撃したことがない人が増えると、「『本の安定性・確実性』が存在する」と信じ込むことが流行し、新自由主義が世の中に次第に広まっていく。この点でも、新自由主義は新・平和主義 と表現することができる。

とにかく新自由主義者は「人には強大な生命生存が備わっている」と固く信じ込む傾向がある。さらにいうと新自由主義者は「この世には健康で頑丈で生命に満ちあふれた人だけが存在し、病気や怪といったハンディキャップに悩まされる人など存在しない」と思い込んでいる節が見られる[41]。そうした信念から「人が生きていくにあたって政府支援など一切必要ない」と言ってみたり、「労働者から給料の安定性・確実性を没収しても全く問題がない」と言ってみたり、「人は貧乏になっても十分に生きていける」と言ってみたりする。こうした姿は新・現実逃避 とでも表現すべきである。

覚醒剤を使用するとスーパーマンになったかのような感覚になり、「自分には強大なが備わっている」と信じ込むようになる[42]。「人には強大な生命生存が備わっている」と固く信じ込む新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。

人は給料の確実性・安定性に恵まれるとホッと一安心し、気持ちがくつろぐ。それが強くなるとのんびり・おっとりした人格になっていく。新自由主義者の一部は、給料の確実性・安定性に恵まれて安心して気持ちをくつろがせてのんびり・おっとりした人格を持つようになった労働者を撃すると「気に入らない」という態度を示し、「自分は必死になって働いているのに、あの連中はのんびりしている」と論じ、不満の感情をしく示すことがある。

そして、のんびり・おっとりした人格を持つようになった労働者が的職場に勤めているのなら「緊縮財政を導入してあの職場の終身雇用を破壊してり詰めた緊感を作り出せ」と言い、のんびり・おっとりした人格を持つようになった労働者が企業に勤めているのなら「あの企業至上義を導入して終身雇用を破壊してり詰めた緊感を作り出せ」と言う。

新自由主義が蔓延する社会ではのんびり・おっとりすることが許されず、り詰めた緊感を持つように強いられ、将来不安におびえつつの色を変えて働かねばならない。このため新自由主義のことを新・緊 ということができる。

江戸時代の勘定奉行である神尾央は「胡麻(ごま)の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」とったとされる。それと同じように、新自由主義者も「胡麻の油と労働者は絞れば絞るほど出るものなり」と信じており、労働者に対して「成果が出なくなったりが低下したりしたら解雇する。終身雇用を保障してもらえると思うな」と脅して労働者に緊感を持たせて労働者の労働を絞り出すことを好んでいる。

新自由主義者は労働者に給料の確実性・安定性を与えることを本気で嫌がる傾向があり、「労働者に給料の安定性を与えるとソ連のようになる」と政治思想的なことを言ってみたり、「労働者に給料の安定性を与えると労働者が怠けて堕落する」と道徳思想的なことを言ってみたり、「労働者に給料の安定性を与えると企業経営が成り立たない」と経営思想的なことを言ってみたりして、相手によって言い回しを変え、あの手この手で必死抵抗する。「日本ソ連になる」と脅してみたり、「怠け者になってはいけない」と子を叱るのごとく説教してみたり、「こんなことでは経営できない」と泣き言を言って同情を誘ってみたりと、態度を変自在に変えており、相手の心理を揺さぶる話術がとても上手い。
 

性質その11 専業企業と社会的分業の重視

新自由主義は、解雇規制を緩和して、労働が円滑に移転する社会を実現しようとする傾向がある。

解雇規制が緩和された社会と、解雇規制が維持された社会というのは、対照的なところがある。


解雇規制が緩和された社会があり、その社会の中の企業機械化などの技術革新が進み、50人の余剰人員が発生したとする。その場合、企業は50人の人員を解雇して、本業に専念し続けることになる。企業経営の多化を好まず、専業企業が兼業企業変身しない。解雇された50人は他の企業転職していく。

解雇規制が維持された社会があり、その社会の中の企業機械化などの技術革新が進み、50人の余剰人員が発生したとする。その場合でも、企業解雇規制があるので社員を終身雇用せざるを得ない。企業は50人の人員で新規事業を開拓していくことになり、いわゆる社内ベンチャーを立ち上げることになり、企業経営の多化に一歩踏み出すことになり、専業企業が兼業企業変身していく。


解雇規制が緩和された社会では企業の多化があまり進まず、本業に専念する専業企業が増えやすい。本業に専念する企業の方が企業を評価しやすく、社債や株式の値段を付けやすい。新自由主義者の好む直接融に合致する企業である。

解雇規制が維持された社会では終身雇用の維持のために企業の多化が進み、「本業1つと副業1つ以上を抱えた兼業企業」という企業が増えやすい。「本業1つと副業1つ以上を抱えた兼業企業」に対しては、副業を「全くの駄」と評価することもできるし「将来に大化けするかも」と評価することもできるので、評価するのが難しく、社債や株式の値段を付けにくい。新自由主義者の好む直接融に合致しにくい企業である。


解雇規制が緩和された社会では社会的分業を底しようという気運がやや濃くなり、「『屋』ということだし、が社でやってみるのをやめて、ヨソの会社にやってもらおう。その方が合理的だ。余計な社員は全員解雇したのでヨソの会社にやってもらうしかない」という気がやや濃くなり、自給自足の傾向がやや薄くなる。

解雇規制が維持された社会では社会的分業を底しようという気運がやや薄れ、「ヨソの会社にやってもらうのではなく、が社でやってみようか。終身雇用を保障していて社員を解雇できないので社員が余っている。その社員を活用しよう」という気がやや濃くなり、自給自足の傾向がやや強くなる。


解雇規制が緩和された社会で新規産業が勃するときは全く新しいベンチャー企業が起業することが流となる。ベンチャーは、既存企業から企業経営のノウハウを引き継ぐこともできないし、既存企業から人材面や資面での支援も見込めるわけでもないので安定感に乏しい。ただし、社員が背水の陣に立たされるので、「死にものぐるいでやる」という雰囲気はやや濃くなる。

解雇規制が維持された社会で新規産業が勃するときは、既存の企業の中に新規部門が発生するという社内ベンチャーの形式が流となる。社内ベンチャーは、既存企業から企業経営のノウハウを引き継ぐこともできるし、既存企業から人材面や資面での支援も見込めるので安定感がある。ただし、社員が背水の陣に立たされるわけではないので、「死にものぐるいでやる」という雰囲気はやや薄れる。


解雇規制が緩和された社会では、それぞれの企業が簡単に従業員を解雇できるので、業績拡大のチャンスが転がり込んだときに「正社員を増やしたあとに経営不振になったら、従業員を解雇してしまえばいい。ゆえに雇用の拡大は経営の負担にならない。いくらでも雇用を拡大してよい」と考えるようになり、雇用拡大に対して積極的になり、業績拡大のチャンスに飛びつくことになる。そうした企業ばかりになるので、業績を拡大する企業が一人勝ちして独占に突き進むという現が起こりやすく、少数の大規模企業が多くの市場占有率を占める独占・寡占の社会になる。小規模企業・中規模企業は淘汰され、弱肉強食優勝劣敗の殺伐とした世の中になる。

解雇規制が維持された社会では、それぞれの企業が終身雇用の維持をめられるので、業績拡大のチャンスが転がり込んだとしても「終身雇用の正社員を増やすと、経営不振に陥ったときに経営の負担になる。うかつに雇用を拡大するわけにはいかない」と考えるようになり、雇用拡大に対してきわめて慎重になり、業績拡大のチャンスを見送ることになる。そうした企業ばかりになるので、業績を拡大する企業が一人勝ちして独占に突き進むという現が起こりにくく、小規模企業・中規模企業が多く併存する社会になり、共存共栄の牧歌的な世の中になる。


解雇規制が緩和された社会では、「攻めの経営」「市場占有率を他の企業から奪い取ることを優先する経営」をする企業ばかりになり、「急成長して一攫千を狙おう」と欲望ギラつかせる企業ばかりになる。また、小規模企業から大規模企業へ急成長する企業が発生しやすいので、株式投資をする者にとっても「濡れ手に(あわ)」の一攫千(いっかくせんきん)を実現しやすくなる。

解雇規制が維持された社会では、「守りの経営」「市場占有率を他の企業から奪い取ることを優先しない経営」をする企業ばかりになり、「従業員の人生を預かっているのだし、従業員を確実に養うことが大事だ。顧客を確実に保持して経営を安定させよう」と考える企業ばかりになる。また、小規模企業から大規模企業へ急成長する企業が発生しにくく、ジリジリとゆっくり規模を拡大させる企業しか出現しないので、株式投資をする者にとって「濡れ手に」の一攫千を実現しにくくなる。


以上のことをまとめると次のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
解雇規制 解雇規制の緩和 解雇規制の維持
労働の流動性と労働者の給料の確実性・安定性 労働の移動の円滑化を図る。労働者の給料の確実性・安定性が犠牲になる 終身雇用の維持を図って労働者の給料の確実性・安定性を重視する。労働の流動性が犠牲になる
機械化などで余剰人員が発生したとき 余剰人員を解雇する。企業が本業に専念し続け、専業企業のままであり続ける 余剰人員で社内ベンチャーを立ち上げて企業を多化させ、兼業企業変身する
直接融への合致度 企業を測定しやすく、株式や社債の価格を決めやすく、直接融に合致しやすい 企業を測定しにくく、株式や社債の価格を決めにくく、直接融に合致しにくい
社会のあり方 社会的分業を底しようという気運がやや強い。「屋、他の人に任せた方が合理的」という気運がやや強い 自給自足の気運がやや強い。「自分たちでやってみよう」という気運がやや強い
新規産業が勃するときの様子 起業精あふれる人がベンチャー企業を創設する。安定性がないが、死にものぐるいの気がやや強い 既存企業の内部に社内ベンチャーが発生する。安定性があるが、死にものぐるいの気がやや薄い
企業の雇用拡大に対する姿勢 「経営不振になったら従業員を解雇すれば良い」と考えるので、気軽に雇用を拡大する 「経営不振になっても終身雇用を維持せねばならない」と考えるので、うかつに雇用を拡大できない
企業の業績拡大に対する姿勢 業績拡大のチャンスを決して逃さない 業績拡大のチャンスみすみす逃す
市場占有率の様子 市場占有率を急拡大させる企業が増え、大規模企業による寡占や独占が増え、小規模企業・中規模企業が淘汰される社会になる 市場占有率を急拡大させる企業が増えず、大規模企業による寡占や独占が増えず、小規模企業・中規模企業が多く併存する社会になる
世相 弱肉強食優勝劣敗となり、殺伐とした世の中になる 共存共栄となり、牧歌的な世の中になる
流となる企業経営 攻めの経営。市場占有率を他の企業から奪い取ることを優先し、急成長して一攫千を狙う 守りの経営。従業員を養うことと確実な顧客を保持することを優先する
企業の成長 小規模企業から大規模企業へ急成長する企業が発生しやすい 小規模企業から中規模企業へジリジリとゆっくり成長する企業が発生しやすい
株式投資の魅 濡れ手にの一攫千が期待できる。一発当てて大けすることが期待できる 濡れ手にの一攫千が期待できない。一発当てて大けすることが期待できない

 
新自由主義に好意的な経済学者の書く教科書では、「社会的分業こそが人類の発展をもたらしたのだ」と熱っぽく述べる文章がしばしば見られる。また、「自給自足というのは人類の歴史における一番最初の状態である」とりつつ、自給自足に対して「不合理」といった低い評価を与える傾向が見られる。

独占・寡占は消費者のが生産企業に届きにくくなって消費者が不利益を受けやすくなる形態であり、望ましくない形態である。独占・寡占を防止するには、独占禁止法(反トラスト法)を制定したり公正取引委員会取委)の権限を強化したりする方法がある。それ以外の方法でもっとも有なのが解雇規制の強化である。
 

性質その12 直接金融

新自由主義者は間接融について否定的で、直接融に対して肯定的である。

間接融とは、銀行などの預貯取扱機関[43](この項ではこれ以降「銀行」と表記する)が企業へ貸し付けを行うことである。銀行の貸し付けは書貸付や手形貸付電子記録債権貸付といった「市場を通さずに行う貸し付け」が多く[44]、社債を購入するという「市場を通して行う貸し付け」が少ない[45]。ゆえに「間接融は銀行市場を通さずに行う貸し付けである」とみなしてよい。

直接融とは、投資株式・社債を購入することで直接的に企業へ出資したり貸し付けしたりすることである。株式や社債は市場で売買しやすいように最適化されている。ゆえに「直接融は投資市場を通して行う出資・貸し付けである」とみなしてよい。

新自由主義者は間接融の割合を減らして直接融の割合を増やすことに熱心であり、「貯蓄から投資へ」とか「貯蓄から資産形成へ」という標を打ち出しつつ[46]、「間接融から直接融への転換をすべきだ」とすることが多い。

新自由主義者はバーゼル合意(BIS規制)を強化するなどして銀行信用創造を制限することを好む。新自由主義が盛んになる時代は、銀行にとってやや辛い時代となる。

間接融の長所を1つだけ挙げると、貸し手の銀行と借り手の企業の間で地域経済や周辺産業や為替レートや外事情に関する情報の交換が濃密に行われ、企業情報コストが安くなり、企業情報安価に入手できる点である[47]。間接融だと、企業銀行から資情報の両方を調達する状態になるので、企業の成長を促す環境が整備されやすい。間接融だと市場を通さずに銀行企業の間で融資が行われるので、銀行は「経営が不振になった企業に対する債権」を市場に出して他のかに売り飛ばすことが難しい。銀行は借り手の企業に対して「一蓮托生」「運命共同体」「切っても切れない腐れ縁」といった感覚になりやすく、企業に対して切にする傾向がある。

直接融では、株式・社債を購入した投資企業の間で情報の交換が濃密に行われるわけではなく、企業にとって情報コストが高いままになり、企業が投資から資だけを調達して情報を調達しない状態になるので、企業の成長を促す環境が今ひとつ整備されない。直接融だと市場を通して投資企業の間で出資・融資が行われるので、投資は「経営が不振になった企業が発行した株式・社債」を市場に出して他のかに売り飛ばすことができる。投資企業に対して「赤の他人」といった感覚になりやすく、企業に対して切にしない傾向がある。

ごく簡単に言ってしまうと、直接融は投資企業距離が遠い形態であり、間接融は銀行企業距離が近い形態である。

直接融と間接融の較をまとめると、次のようになる。
 

直接 間接
内容 個人投資または機関投資市場に売り出された株式・社債を購入し、企業に対して直接的に出資したり貸し付けしたりする 銀行市場を通さずに企業に対して貸し付けする
支持する勢 新自由主義 反・新自由主義
企業情報収集がどうなるか 投資企業経営者の間で濃密な情報交換が行われるわけではなく、企業情報を得る環境恵まれない 銀行員と企業経営者の間で濃密な情報交換が行われ、企業情報を得る環境恵まれ
切にするかどうか 投資は「企業が経営不振になったら市場株式・社債を売り飛ばして縁を切ってしまえばいい」と考えがちで、企業に対して切にしない傾向がある 銀行は「企業が経営不振になっても市場債権を売り飛ばして縁を切ることができない」と考えがちで、企業に対して切にする傾向がある
企業との距離 投資企業距離が遠い 銀行企業距離が近い

 
新自由主義が流行するでは、投資株式・社債を売買する直接融が人気になるが、それと同時に、投資が先物商品や外貨や暗号資産を売買する『投機商品売買』も人気になる。

新自由主義は、個人が投資しやすい環境を整えて、個人投資が増えるように取りはからう傾向がある。個人投資が直接融や『投機商品売買』に簡単に参加してマネーゲームに熱中できるよう規制緩和することをす。「個人が努してけすることを奨励すべきだ。努している人の足を引っるべきではない。個人投資を増やそうとしないのは成功者に対する醜い嫉妬心が原因だ」という言い回しで個人投資を増やそうとする。

直接融や『投機商品売買』を肯定して間接融を否定する人の一部は「間接融を支持して銀行を持っているだけの人は、ボーッと生きているのであり、時代の流れに対して鈍感であり、世間の動向に対してアンテナっておらず、怠け者である。一方、直接融や『投機商品売買』を支持して銀行以外の資産を持っている人は、シャキッと生きているのであり、時代の流れに対してとても敏感であり、世間の動向に対してアンテナっていて、勤勉である」というり、「自分はとても勤勉で、自分と正反対のことをする者は怠け者である」という態度を示す。

直接融や『投機商品売買』の大きな欠点は、人々が本業に集中しなくなる、という点である。「ラーメン屋を経営する親父株式投資に熱中してラーメンの味が落ちる」というようなことが起こりやすくなってしまう。本業を怠る人の割合が少しずつ増え、文明の発展というものに陰りがみられるようになる。

直接融も『投機商品売買』も、不確実性・不安定性が高い融商品を扱うものである。このため直接融や『投機商品売買』をする個人投資は、情報を豊富に収集して入念に分析してから決断を下す必要があり、投資に対して大量の時間を費やさねばならず、余暇を削ることになり、稼ぎに忙殺される人生を送ることになる。

新自由主義者は個人投資を増やす政策を好むが、そうした政策は、「寝ても覚めてもお金を増やすことばかり考える」「10万円をもらったら消費に回さずに投資に使う」「100万円を稼いだら消費に回さずにさらに投資の勉強をする」という人間を増やす危険性があり、余暇が少なくて消費・需要を十分に行えない人間を増やす危険性があり、消費を冷え込ませてデフレをもたらす危険性がある。

直接融や『投機商品売買』を行いながらそれらについてTwitterでお喋りする人がいる。そういう人たちの集団は「クラスタ」とか「クラ」と呼ばれる。クラの人たちが投資に関する情報収集や情報分析に明け暮れている様子は、Twitterを通じていくらでも観察することができる。

直接融や『投機商品売買』に関する情報収集と情報分析は、経済の躍動を実感できる体験であり、刺に満ちあふれて楽しいという好ましい一面がある。しかし、余暇を削って人々の消費を抑制するという好ましくない一面がある。

直接融や『投機商品売買』に関する情報収集と情報分析のために人々が余暇を削るようになると、人々が人格的自律権[48]回復不可能なほど永続的に喪失する危険が発生する。簡単な例を挙げると、「けに中になりすぎて回復不可能なほど永続的に友達家族を失う」ということである。

政府は、人々が人格的自律権回復不可能なほど永続的に喪失することを防ぐために、人々が保有する基本的人権を制限することがありうる。これを「限定されたパターナリスチックな制約」という[49]。つまり、政府が「人々が余暇を喪失して回復不可能なほど永続的に友達家族を失うことを防ぐため、直接融や『投機商品売買』に規制を掛ける」という政策を実行して、人々の経済活動の自由を制限する可性がありうる。

反・新自由主義が勢いを増すでは間接融がとなり、それと同時に『投機商品売買』に対して様々な規制が掛けられることが多い。そのため個人が財テクする手段は、銀行への定期ぐらいに限られており、選択肢が狭い。しかし、銀行金融庁の厳しい監督を受けている団体であり、財務体質が良好であることが非常に多い団体であり、預者に定期を返済できなくなる危険が非常に少ない団体である。個人にとって、銀行の経営状況についての情報を収集する必要が少なく、余暇が十分に残りやすい。

「直接融と『投機商品売買』」と間接融の較をまとめると、次のようになる。
 

直接融と投機商品売買 間接
内容 個人投資または機関投資市場に売り出された株式・社債・投機商品を購入する 銀行市場を通さずに企業に対して貸し付けする
支持する勢 新自由主義 反・新自由主義
個人が財テクするときの手法 株式・社債・投機商品といった様々な融商品の売買があり、選択肢が広い 銀行への定期ぐらいに限られていて、選択肢が狭い
個人への負担 株式・社債・投機商品といった値動きのリスクが高いものを売買するため情報収集をする必要があり、余暇が削られて忙殺される危険がある 銀行金融庁監督を受けていて経営が安定していることが多く、銀行の経営実態について情報収集をする必要が少ない。銀行定期だけで財テクする人は余暇が残ることが多い
デフレになりやすいかどうか 人々の余暇が減りやすく、消費が落ち込みやすく、デフレになりやすい 人々の余暇が残りやすく、消費が維持されやすく、デフレになりにくい

 
新自由主義者は、直接融の中でも「株式発行による資調達」をとりわけ重視する傾向がある。直接融の「株式発行による資調達」は、企業銀行という資産を獲得しつつ資本または資本剰余(資本準備)といった純資産を増やすものであり[50]企業の自己資本率が高まって倒産リスクが低くなる資調達方法である。一方で間接融は、企業銀行という資産を獲得しつつ借入という負債を増やすものであり、企業の自己資本率が低くなって倒産リスクが高まっていく資調達方法である。

新自由主義は「企業倒産は忌まわしい現であるから、企業倒産をできるだけ減らすことを最優先すべきである」という思想と非常に相性が良い。このため新自由主義の信奉者が直接融の「株式発行による資調達」を熱心に支持する傾向がある。

直接融の「株式発行による資調達」に頼る企業は、人件費を削減して税引後当期純利益を増やして利益剰余を増やしてへの配当を増やすことをしがちであり、「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」を生み出しやすい。

新自由主義者によって直接融や『投機商品売買』が発達した社会というものは、「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」にとって望ましいものである。給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金増殖しろ」という態度をとりやすくなり、心理的に賃下げしやすくなる。

一方で、反・新自由主義者によって直接融や『投機商品売買』が弱体化した社会というものは、「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」が生き残りにくい社会である。「従業員は、株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金増殖することができず、給料が一の収入である」という心理になりやすく、給料の少ない労働者が発する賃上げ要に応じやすくなる。

給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、パチンコパチスロ競馬競輪競艇をしてお金増殖しろ」と発言することは、企業経営者にとって非常に恥ずかしく、とても言えたものではない。政府や議員やマスコミが口をえて「パチンコパチスロ競馬競輪競艇ギャンブルであり賭博である」と言っているからである。

ところが、新自由主義がはびこる社会において、給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金増殖しろ」と発言することは、企業経営者にとって胸をって行うことができる。マスコミが口をえて「株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産の売買は単なるギャンブル・賭博ではなく、経済成長を促進する素晴らしい行動である」と口を極めて賛美し、そして政府や議員までもが「株式や社債の売買は単なるギャンブル・賭博ではなく、経済成長を促進する素晴らしい行動である」と美々しく礼賛するからである。

新自由主義が広まったでは労働者の賃下げが進み、労働者の生活が苦しくなっていく。そして「労働組合は正社員の既得権益」「労働組合は怠け者の溜まり場」「労働組合際競争を落とす足手まとい」「労働組合は自立心のない甘ったれ」「労働組合の参加者は企業にしがみついていて格好悪くてダサい」「労働組合は時代遅れで古臭い」「労働組合は極左の隠れ蓑であり中国韓国とつながりのある反日団体」などとしく非難する人が増えるので労働組合を結成しての賃上げ運動も盛り上がらない。このため新自由主義のもとで低賃に苦しむ労働者にとって、直接融や『投機商品売買』は生活の糧を得るための救世主となる。

新自由主義が広まって労働者の賃下げが進み、苦に陥った労働者が株式投資に手を出すと、その労働者は「もっと労働者を賃下げして利益をひねり出して配当をよこせ。政府は労働者の賃下げが進むような政策を実行しろ。政府系の的職場の労働者を賃下げして世の中の賃下げの気運を作れ」と心から願うようになる。賃下げに苦しむ労働者が、労働者の賃下げを望むようになる。こういう姿は新・被虐義(ネオマゾヒズム と表現することができる。または、肉屋を支持する豚と表現されることもある。

新自由主義が広まったでは直接融の「株式発行による資調達」がとなる。そうしたにおいて、「企業に向かって人件費の削減と財務体質の良化をめる勢」を構成するのは機関投資や多くの個人投資であり、勢いがとても大きくなり、賃下げの気運が中に広まっていく。

反・新自由主義が広まったでは間接融がとなる。そうしたにおいて、「企業に向かって人件費の削減と財務体質の良化をめる勢」は銀行員だけであり、勢いが小さいままになる。賃下げの気運があまり広がらない。

以上のことをまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
システムについての傾向 直接融や投機商品売買が盛んになる。とくに「株式発行による資調達」が重視される 間接融がになる。個人が投機商品を売買することは規制される
賃上げを要する従業員に対して企業経営者がどういう心理になりやすいか 「給料が少なくて困っているのなら直接融や投機商品売買でを稼げばいい」という心理になり、賃上げ要無視する心理になりやすい 「給料が少なくて困っている従業員は直接融や投機商品売買でを稼ぐことができない」という心理になり、賃上げ要に応じる心理になりやすい
給料が少なくて困っている従業員がどうなるか 株式投資に手を出し、企業に対して「もっと従業員の人件費を削って配当を増やせ」と願うようになり、肉屋を支持する豚になりやすい。従業員が従業員の賃下げを望むようになり、マゾになる 労働組合を結成して賃上げを要するようになる。従業員が従業員の賃上げを望むようになる。
企業に対して人件費の削減をめる勢が、国家においてどれだけ成長するか 企業に対して人件費の削減と財務体質の良化をめるのは機関投資や個人投資であり、企業に対して人件費の削減をめる勢が大きくなる 企業に対して人件費の削減と財務体質の良化をめるのは融資担当の銀行員だけであり、企業に対して人件費の削減をめる勢が小さいままになる
賃下げの気運がどうなるか 賃下げの気運が強いになる 賃下げの気運が弱いになる

 

性質その13 株主至上主義(株主資本主義)

新自由主義の支持者には、「会社は・投資のものであり、・投資に利益をもたらすために存在する」とする者が多い。そうした考え方を至上とか資本主義という[51]

価が上がると、その株式を保有しているの利益が増える[52]。このため至上義に染まると価の上昇を第一に考えるようになる。このため至上義・資本主義は、至上とか資本主義ということもある。

至上義が幅をきかせるでは政治家がそれに染まり、価の上昇を最優先するようになり、価が上昇すると「経済が成長して発展し、すべてが良くなった」と満足する傾向にある[53]価というのは経済の様子を示す標のうちの1つに過ぎないのだが、とにかく価に偏重して価に一喜一憂する。

至上義が幅をきかせるでは市場関係者もやたらと強気になり、「政府というのは価を上げるために存在する」と本気で考えるようになる。

従業員に対する給与が増えて企業の利益が減っての配当が減って価が下がっていくように誘導する政策を政府が提案したら、「そんなことをしたら価が下がる!そんな政策をするがどこにあるのか」と市場関係者が猛抗議する。

至上義になると、従業員に対する人件費を減らして税引後当期純利益を増やし、その税引後当期純利益を分配するという形でに対する配当を増やし、や投資からの評価を高めて価を上げようとする[54]。従業員に対する賃上げを嫌がるようになり、人材を長期にわたって雇用して熟練労働者に育て上げることを優先しなくなり、気で従業員に対する賃下げに踏み切るようになる。その結果として労働分配率が低下し、一般的に給与が少ないとされる非正規労働者の割合が増え、貧困層の拡大と非婚率の上昇と少子化につながっていく。

至上義になると、法人税が増税されたときに消費者や従業員や協企業租税負担を転するようになる。消費者へ高値で商品を売りつけたり、従業員の給料を賃下げしたり、協企業へ支払う代を削減したりする。法人税直接税ではなく間接税に近い存在になっていく。

株式投資をしてA社のを所有したうえで至上義に染まると、A社の従業員の給料が下がって配当が増えることを心の底から喜ぶようになる。またB社の従業員の給料が下がったり政府緊縮財政を導入して的職場の給料が下がったりすると[55]、「世の中に賃下げの流れが起こっているのでA社の給料も下がるだろう」と考えて喜ぶ。

株式投資をしてA社のを所有したうえで至上義に染まると、A社の協企業へ支払われる費用[56]が下がって配当が増えることをとても喜ぶようになる。また、「原材料の価格が高騰して資インフレが発生しているのに、仕入れ価格の値上がり分を価格に転できない中小企業が多い」というニュース[57]に接すると「世の中に協会社へ支払う費用を低く維持する流れが起こっている。立場の強い大企業が立場の弱い中小企業へ威圧的に接して値上げを許さない弱肉強食社会になっている。ゆえにA社が協会社へ支払う費用も低く維持されるだろう」と考えて喜ぶ。

新自由主義や至上義を支持するものは弱肉強食という四文字熟語を好み、「弱いものが強いものにおとなしく従って食い物にされるのは極めて当然だ。それが人類社会の掟であり、自然界の真理というものだ」とることが多く、強いものが上に立って弱いものが下に回る階級社会を好む。そうした姿は新・弱肉強食 とか新・階級 と呼ぶことができる。

その弱肉強食とは具体的にどういうことかというと、立場の強い雇用が立場の弱い労働者に対して威圧的に接し、賃の値引き要をして人件費を削減し、税引後当期純利益を稼ぎ出す行為のことである。あるいは、立場の強い大企業が立場の弱い中小企業に対して威圧的に接し、納入品の値引き要をして「協企業に支払う費用」を削減し、税引後当期純利益を稼ぎ出す行為のことである。

「賃や『協企業に支払う費用』を削って税引後当期純利益を増やすのは当然のことだ」と言うと、「ただの意地汚い欲深」といった印を周囲に与えることになって、体裁が悪い。このためそうした発言を露に行う新自由主義者は少ない。

しかし「弱肉強食は当然のことだ」と言うと、「動物学に通じた知識人・インテリ」といった印を周囲に与えることになって、体裁が良い。このためそうした発言を安心して露に行う新自由主義者が多い。

政府は、企業の人件費が上昇するように誘導する政策をとることがある。積極財政を導入して公共事業への予算を増やしつつ、「公共事業に入札する企業に対して損益計算書などの提出をめ、人件費を多めに負担している企業にだけ入札への参加を認める」と宣言する政策である[58]政府発注する公共事業は極めて確実に支払いが行われる売買契約であり、民間企業にとって「経営を安定させる美味しい収入」である。民間企業は「美味しい収入」を確保するために人件費を増やすようになる。

また政府は、公務員の給与を引き上げることがあるし、かつての三公社五現業のような官営事業団体を設立して労働者を増やしつつその労働者の給与を引き上げることがある。そうすることで、民間企業に「労働者への給与を増やさないと政府や官営事業団体に労働者を奪われてしまう」と恐怖させ、民間企業の人件費が政府や官営事業団体の準にまで上昇するように誘導する。民間企業にとって人手不足というのはに恐ろしい現である[59]民間企業人手不足悪夢から逃れるために人件費を増やすようになる。

労働市場が「供給が多くて需要が少ない買い手市場」になると企業に労働を売り込む労働者の立場が弱くなるが、「供給が少なくて需要が多い売り手市場」になると企業に労働を売り込む労働者の立場が強くなる。政府が需要を作り出して労働者から労働を購入し、労働市場を「売り手市場」に近づけて、労働者の立場を強化する。

さらに政府は、企業の「協企業へ支払われる費用」が上昇するように誘導して、大企業に納入する中小企業の価格転支援する政策をとることがある。積極財政を導入して公共事業への予算を増やしつつ、政府中小企業から商品を購入することで、立場の弱い中小企業が立場の強い大企業に対して「政府に納入して売上高を得られるようになり、社に納入できなくなっても困らなくなったので、社の値下げ要に応じない」と強気に交渉する潮を作り出す。

市場が「供給が多くて需要が少ない買い手市場」になると大企業に売り込む中小企業の立場が弱くなるが、「供給が少なくて需要が多い売り手市場」になると大企業に売り込む中小企業の立場が強くなる。政府が需要を作り出して中小企業から物品を購入し、市場を「売り手市場」に近づけて、中小企業の立場を強化する。

企業の人件費や「協企業へ支払われる費用」が上昇するように誘導するこれらの積極財政政策は、弱肉強食や「強いものが上に立って弱いものが下に回る階級社会」を否定する政策である。

至上義の信奉者がそうした政策に接すると猛憤怒し、「余計なことをするな」「従業員の給与を減らしたり協企業への費用を値切ったりして利益を作り出して配当を増やすことを邪魔するな」という険悪な態度になる。

至上義の信奉者は積極財政大きな政府を忌み嫌い、緊縮財政小さな政府をこよなくする。

積極財政大きな政府だと、弱肉強食の階級社会が否定され、企業の人件費や「協企業へ支払われる費用」が上昇してしまい、企業の税引後当期純利益が減ってへの配当が減って価が下がることが危惧される。至上義の信奉者にとって悪夢のようなになる。

緊縮財政小さな政府だと、弱肉強食の階級社会が肯定され、企業の人件費や「協企業へ支払われる費用」が下落し、企業の税引後当期純利益が増えてへの配当が増えて価が上がることが期待できる。至上義の信奉者にとって地上の楽園のようなになる。

従業員へ払う人件費をひたすら削り、協会社へ払う費用を適正準から外して底的に減らし、利益を絞り出してへの配当を増やし、価を分不相応に釣り上げて、価を肥大化させる・・・というのが至上義であり、新自由主義である。こういう姿は新・価肥大化 ということができる。

新自由主義者は、「労働者の賃上げをするには、成長産業を創出したり、技術革新をして企業の生産性を上げたりすることが大事だ。逆に言うと、成長産業を創出したり技術革新をして企業の生産性を上げたりすれば労働者の賃が上がる」と論じつつ、その一方で、「至上義を弱体化させて労働者の賃が上がるようにすべきだ」と論じないことが多い。

新自由主義者の意向に従って、至上義を維持しながら成長産業の創出をしたり企業の生産性を上げたりすると、成長産業や「生産性が上がった企業」においてもが「従業員の賃上げをせずに利益をひねり出して、その利益をの配当に回せ」とし、そのが通っていき、成長産業を創出したり企業の生産性を上げたりしても労働者の賃が上がらない事態になる。

新自由主義の一部には、「至上義は所有権の絶対性を尊重するので資本主義の本来の姿である。欧では至上義が一般的なのに、日本至上義を受け入れていない。ゆえに、欧資本主義を理解していて優れており、日本資本主義を理解せず劣っている」という煽りをして、日本人の欧コンプレックスを上手に刺しつつ、至上義を賞賛する者がいる[60]

ちなみに、1960年代までのアメリカ合衆国において至上義は一般的ではなかったと摘されることがあり[61]、「欧では至上義が一般的」という表現には疑わしいところがある。

至上義の天敵他者加害原理である[62]

至上義はの所有権の絶対性から生ずるものであるが、商品購入者に対する値上げや従業員の賃下げや協会社への値下げを要する性質があり、商品購入者や従業員や協会社に損を与える性質がある。このため他者加害原理に基づき、の所有権の絶対性を制限し、の基本的人権を制限し、至上義を弱体化させる必要がある」といった言い回しは、至上義の支持者にとって大きなになるものである。


至上義を弱体化させるには3つほどの方法がある。

まず、解雇規制を強化しつつ労働組合の結成を奨励し、企業において労働組合の発言を高めさせ、企業の人件費が増加することを奨励する方法である。

もう1つは法人税を増税することである。法人税を増税すると各企業が「法人税を節税するために法人所得を圧縮しよう」と考えるようになる。なぜなら、法人税法人所得に法人税率を掛けて徴税額を計算するからである。そして企業が「法人所得を圧縮するために損を増やそう」と考えるようになり、「間接融や社債発行で資調達しよう。つまり銀行から借り入れて銀行利子を払うか、社債を発行して社債保有者に利子を払うか、どちらかにしよう。銀行や社債保有者に支払う利子は、企業会計における費用であり、税務における損である」と考えるようになる[63]。その結果として直接融の「株式発行による資調達」を減らすようになり、至上義が弱体化していく。

最後の1つは所得税の強化であり、株式等の譲渡で発生する株式譲渡益に掛ける株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や、株式の配当に掛ける株式等配当課税(インカムゲイン税)を累進課税にすることである。こうすることで「大持ちの投資」が出現しにくくなり、各企業が「大持ちの投資に当社の株式を買ってもらおう。彼らが気に入るような至上義の企業経営をしよう」と考えなくなり、至上義が弱体化する。

一方で、至上義を強化する場合は、全く逆の手法が3つ考えられる。

解雇規制を緩和して、労働組合の結成を奨励せず、労働組合の発言弱体化させ、企業の人件費が減少することを奨励する方法である。

もう1つは法人税を減税することである。法人税を減税すると各企業が「法人税を節税するために損を増やして法人所得を圧縮しよう」と考えなくなり、「間接融や社債発行で資調達して、銀行や社債保有者に利子を支払い、損を増やそう」と考えなくなり、その結果として企業経営者が直接融の「株式発行による資調達」に魅を感じるようになり、至上義が強化する。

最後の1つは所得税弱体化であり、株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)を一課税(フラットタックス)にする手法である[64]。こうすることで人々が高額の株式投資をするようになり、「大持ちの投資」が出現しやすくなり、各企業が「大持ちの投資に当社の株式を買ってもらおう。彼らが気に入るような企業経営をしよう」と考えるようになり、至上義が強化する。
 

性質その14 「倒産しにくく永続しやすい企業」の肯定

新自由主義や至上義の大標は、「倒産しにくく永続しやすい企業」を作り出すことである。

従業員に払う人件費や協企業に払う費用を底的に下げ、従業員や協企業を痩せ細らせつつ税引後当期純利益をひねり出し、貸借対照表資産の部の数字負債の部の数字の差額を増やし、貸借対照表の純資産の部の利益剰余を増やし、自己資本率を増やし、企業を「倒産しにくく永続しやすい企業」へ変身させていくのが至上義である。

また、国会議員や官僚へレントシーキングして法人税を極限まで減税させ、税引後当期純利益を増やし、貸借対照表資産の部の数字負債の部の数字の差額を増やし、貸借対照表の純資産の部の利益剰余を増やし、自己資本率を増やし、企業を「倒産しにくく永続しやすい企業」へ変身させていくのが至上義である。

さらに、銀行からの借り入れという間接融をとりやめ、株式を発行して売却し、銀行という資産を手に入れつつ貸借対照表の純資産の部の資本または資本剰余(資本準備)を増やし、自己資本率を増やし、企業を「倒産しにくく永続しやすい企業」へ変身させていくのが至上義である。

このため、「至上義というのは企業の延命を第一に考える思想である」と表現できる。至上義に従って企業の延命に励む新自由主義者の姿は新・企業延命 と表現することができる。

やや大な表現にすると「至上義というのは企業に永遠の生命を吹き込もうとする思想である」となる。始皇帝は自らを不老不死の生命体にしようとしたが、至上義者も企業不老不死の存在にしようとする。ゆえに至上義や新自由主義のことを新・不老不死と表現できる。


新自由主義や至上義が作り出そうとする「倒産しにくく永続しやすい企業」とよく似た存在というと、宗教団体が挙げられる。日本を含む多くの々において宗教団体は、宗教活動で得られる法人所得に対して法人税0の優遇措置を受けていて[65]損益計算書の当期純利益を増やしやすい存在になっており、貸借対照表バランスシート)の資産の部の数字と純資産の部の数字を同時に増やしやすい存在になっており、自己資本率を高めやすい存在になっており、「倒産しにくく永続しやすい団体」になっている。

新自由主義や至上義が底されて法人税が0になったにおける企業と、多くの々における宗教団体は、全く同一の存在ではないが[66]倒産しにくく永続しやすいという点で非常によく似た存在である。

つまり、新自由主義や至上義というのは、企業宗教団体に近づけようという思想であり、企業宗教団体のように扱おうという思想である。新自由主義や至上義は新・宗教と表現できる。

宗教団体というのは秘的な存在で、人々の心のよりどころになり得る存在である。世界宗教団体の「宗教活動で得られる法人所得」が非課税になっている理由の1つは、「宗教団体を倒産しにくく永続しやすい団体にすれば、人々の心のよりどころが社会の中で生き続けるので、人心が安定する」というものである。

一方で、企業というのは極めて世俗的な存在で、人々の心のよりどころになることが少ない存在である。本来の性質から考えると、宗教団体と企業は全く似ておらず、遠く離れた存在である。宗教団体を企業のように扱うことや、企業宗教団体のように扱うことは、理で不自然なことである。

本来の性質を無視して企業宗教団体と同じように扱うため、新自由主義者や至上義者はせっせと努している。成功した企業経営者を「カリスマ経営者」と格化してのように褒め讃え、成功した企業経営者が在籍する企業に対して理矢理に秘性を与える・・・これが、新自由主義者や至上義者にとっての毎日の課題である。

新自由主義や至上義が導権を握るでは、企業経営者を格化して「カリスマ経営者」に祭り上げる社会潮が定着する。そういう潮が定着することにより、企業秘性が強引に付加され、企業宗教団体のように扱うことが許される世相になり、新自由主義や至上義がさらに蔓延していく。

詐欺師ただの石宝石のように扱って人々を惑する。それと同じように、至上義者はただの企業経営者をのように扱って人々を惑する。新自由主義や至上義は、新・詐欺と表現することができる。

一方で、反・新自由主義を維持する政府は、宗教団体に対し宗教活動で得られる法人所得について法人税を課税せず、企業に対し全ての法人所得について高率の法人税を課税する傾向にあり、宗教団体と企業をはっきり区別する傾向にある。

反・新自由主義を維持する政府は「企業というものは世俗的な存在で、人々の心のよりどころになっていない。ゆえに企業法人所得を非課税にして企業を『倒産しにくく永続しやすい団体』にしても人心の安定につながるわけではない」と考える傾向が強い。「法人税を課して企業が人件費を適切に負担するように仕向けて、社会経済的基盤を作ろう」と考える傾向が強い。

また、反・新自由主義の支持者は、企業経営者を格化して「カリスマ経営者」に祭り上げることを好まず、「企業が上手くいくのは経営者と従業員のチームワークのおかげだ。経営者を『カリスマ経営者』と扱って過剰にもてはやすのは良くないことだ」と苦言を呈する傾向がある。

ここまでのことを表にまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
宗教団体と企業の類似性についての考え方 宗教団体と企業は、基本的に同一の存在である。どちらも秘性があり、人々の心のよりどころになっている 宗教団体と企業は全く別の存在である。宗教団体は秘性があって人々の心のよりどころになっているが、企業は世俗的な存在で人々の心のよりどころになることが少ない
企業のことをどう思うか 企業にはカリスマ経営者がおり、カリスマ経営者の人的運営されている。企業秘的な存在で人々の心のよりどころになっているので、人心を安定させるために「倒産しにくく永続しやすい団体」にさせてあげる必要がある 企業にはカリスマ経営者など存在せず、チームワーク運営されている。企業は世俗的な存在で人々の心のよりどころになることが少ないので、「倒産しにくく永続しやすい団体」にさせてあげる必要がない
企業に対する法人税の掛け方 企業法人所得に対して極限に低い税率の法人税を課税する。そうすることで企業倒産しにくく永続しやすい存在に近づける 企業法人所得に対して高率の法人税を課税する。そうすることで企業が人件費を適切に負担するように仕向け、企業社会経済的基盤を作らせる

 
至上義を弱体化させるような政策をにしたときの至上義者は、「そんなことをしたら投資日本株式市場から資を引き揚げ、価が下がる!」と猛抗議するのが常である。

この抗議をさらに詳しく分析すると「そんなことをしたら投資日本株式市場から資を引き揚げ、価が下がり、企業株式の発行売却で『返済が不要な資』を調達することが難しくなり、銀行からの借り入れという間接融で『返済が必要な資』を調達するはめになり、企業負債が増え、自己資本率が下がり、債務リスク倒産リスクが高まる!」ということになる。

企業負債が増えることや倒産リスクが高まることを極端に恐れる心理のことを負債恐怖 とか倒産恐怖 という。そうした負債恐怖症や倒産恐怖症が至上義を生み出す。

この負債恐怖症や倒産恐怖症をさらに詳しく分析すると「負債が増えて倒産の可性が高まることで、秘的で永遠に生き続けるはずの企業が世俗的な存在に堕落してしまう!」という宗教的不快感が根となる。「永遠に生き続ける」と人々に崇拝されていた神木exitがあっさり伐採されて木材になったときに、その木を崇拝していた人が「なんて罰当たりなことをするんだ!秘的で永遠に生き続けるはずの木が世俗的な存在に堕落してしまった!」と不快感を表明することがあるが、それと同じである。


至上義の反対概念ステークホルダー資本主義という。この両者は様々な点で対照的である。

至上義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を作り上げることを優先する。企業の人件費や協企業へ払う費用を減らし、法人税の減税を政治家に要し、企業の税引後当期純利益と利益剰余を増やして企業の自己資本率を高めることを重視する。また至上義は人件費の急減少を実現するために解雇規制の緩和をめる傾向がある。

至上義のでは消費税が増税される傾向にある。消費税を増税して消費・需要を抑制し、労働者を倹約好みの性格にして、「支出しないので賃下げに耐えられる労働者」を作り出し、企業が賃下げする環境を整える。企業が賃下げに成功すれば、企業の税引後当期純利益・利益剰余が増え、企業価が上昇し、企業株式の新規発行で「返済が不要な資」を調達しやすくなり、企業が自己資本率を高めて「倒産しにくく永続しやすい企業」になる。

至上義の支持者は、経済政策の論争で「経済の成長・発展」という表現をするが、その表現は、各企業の税引後当期純利益・利益剰余が増えることや価が上昇することや各企業株式市場から「返済が不要な資」を調達しやすくなって各企業の自己資本率が上がることを意味している。

至上義の支持者が「経済の成長・発展のための安定的な基盤」という表現をして褒め讃えるものは株式市場であり、「経済の成長・発展を阻する要因」という表現をして厳しく批判するものは人件費や解雇規制労働組合である。

至上義の支持者は株式市場のことを油田とか脈のように見なして溺する傾向があり、「株式市場経済の生命線である」と褒めちぎる傾向がある。

至上義の支持者が経済政策の論争で発する文句のなかで最大の武器というべきものは「々の言うことを聞かないと(企業の自己資本率が下がるので)企業倒産が増えるぞ!」である。

々の言うことを聞かないと企業倒産が増えるぞ!」と具体的で明確なことを喋るだけでは飽きられてしまう。そのため至上義の支持者は「々の言うことを聞かないと企業が生き残れなくなるぞ!」といった抽的であいまいな表現も織り交ぜて、聞き手を飽きさせない工夫をする。

経済政策の論争では、論争相手に対して「拝義」とレッテル貼りして相手の名誉を破壊していく手段が有効である。至上義の支持者は、ステークホルダー資本主義の支持者に対して「貧しくても生活費を切り詰めれば十分に生活できる[67]貧乏でも楽しく生活できる。『給料が少ないと生活できない』と訴えるのは拝義である」と批判するのがいつもの姿である。

至上義が広まった社会では、労働者にお金が行きわたらず、労働者が給料の不確実性・不安定性に悩まされて消費・需要をする勇気を持てなくなるので、世の中の企業の売上高が伸び悩む傾向にある。

至上義が広まった社会は、お金を持って代をしっかり支払うことができる消費者が少しだけ存在する社会であり、企業を起業するのが較的に困難である。「いったん倒産したら二度と復活できない」という雰囲気が漂いがちであり、人々の心の中で倒産恐怖症が根深く残存する社会である。


一方で、至上義の反対概念であるステークホルダー資本主義は、「従業員や協企業に富を与えて長期的に売上高を増やすことを狙う企業」を作り上げることを優先する。企業が人件費や協企業へ払う費用を増やすことを重視し、企業が人件費や協企業へ払う費用を削って利益を溜め込むことを罰するため法人税の強化にも熱心である。またステークホルダー資本主義は、労働者に給料の確実性・安定性を与えるため解雇規制の強化も行う。

ステークホルダー資本主義では消費税が減税される傾向にある。消費税を減税して消費・需要を活発化させ、労働者を支出好みの性格にして、企業の売上高が伸びるようにする。

ステークホルダー資本主義が広まった社会では、労働者にお金が行きわたり、労働者が給料の確実性・安定性に恵まれて消費・需要をする勇気を持てるので、世の中の企業の売上高が増える傾向がある。

ステークホルダー資本主義の支持者は、経済政策の論争で「経済の成長・発展」という表現をするが、その表現は、各企業の売上高が上がることを意味している。

ステークホルダー資本主義の支持者が「経済の成長・発展のための安定的な基盤」という表現をして褒め讃えるものは人件費や解雇規制労働組合であり、「経済の成長・発展を阻する要因」という表現をして厳しく批判するものは株式市場である。「株式市場というものが存在するから各企業が人件費の削減に精を出すようになり、経済の成長・発展のための安定的な基盤が壊れるのだ」とするのがいつもの姿である。

ステークホルダー資本主義の支持者は株式市場のことを敵視する傾向があり、「株式市場は『従業員に渡すべきお金を配当として受け取る権利』を売買する市場である。ゆえに株式市場は従業員の生き血を売りさばく売血市場のような存在である」とボロクソにこきおろすことがある。

ステークホルダー資本主義の支持者が経済政策の論争で発する文句のなかで最大の武器というべきものは「々の言うことを聞かないと(企業の人件費が減るので)企業の売上高が減るぞ!」である。

々の言うことを聞かないと企業の売上高が減るぞ!」と具体的で明確なことを喋るだけでは飽きられてしまう。そのためステークホルダー資本主義の支持者は「々の言うことを聞かないと企業が活躍できなくなるぞ!」といった抽的であいまいな表現も織り交ぜて、聞き手を飽きさせない工夫をする。

経済政策の論争では、論争相手に対して「拝義」とレッテル貼りして相手の名誉を破壊していく手段が有効である。ステークホルダー資本主義の支持者は、至上義の支持者に対して「間接融で銀行から資を借り入れれば十分に経営できる。自己資本率が低くなって倒産リスクが高くなってもしっかり経営できる。『株式市場から返済不要の資を調達しないと経営できない』と訴えるのは拝義である」と批判するのがいつもの姿である。

ステークホルダー資本主義が広まった社会では、世の中の企業の税引後当期純利益と利益剰余が伸び悩む傾向にあり、世の中の企業の自己資本率が低いままになる傾向があり、世の中の企業倒産リスクが高いままになる傾向がある。

ステークホルダー資本主義が広まった社会は、お金を持って代をしっかり支払うことができる消費者が大量に存在する社会であり、企業を起業するのが較的に容易である。「倒産しても別の企業を設立して復活できる」という雰囲気が漂いがちであり、人々の心の中で倒産恐怖症が消滅していく社会である。

以上のことをまとめると次の表のようになる。
 

至上 ステークホルダー資本主義
理想とする企業 倒産しにくく永続しやすい企業 従業員や協企業に富を与えて長期的に売上高を増やすことを狙う企業
企業財務諸表に関連する数値の中で、増やそうとする項 税引後当期純利益、利益剰余、自己資本 人件費、協企業に払う諸々の費用、売上高
企業財務諸表に関連する数値の中で、減らそうとする項 人件費、協企業に払う諸々の費用 税引後当期純利益、利益剰余
企業財務諸表に関連する数値の中で、減ってもかまわないとする項 売上高 自己資本
解雇規制 緩和をめる 強化をめる
法人税 減税をめる。企業が税引後当期純利益を増やして自己資本率を高めて倒産しにくくなることを促す 増税をめる。企業が人件費や協企業に払う費用を増やすことと世の中全体の売上高が上昇することを促す
消費税 増税をめる。労働者を倹約好みの性格にして、「支出しないので賃下げに耐えられる労働者」を作り出し、企業が賃下げする環境を整える 減税をめる。労働者を支出好みの性格にして、企業が売上高を伸ばすようにする
経済の成長・発展とはなにか 税引後当期純利益や利益剰余の増加、価の上昇、自己資本率の上昇 売上高の増加
経済の成長・発展のための安定的な基盤 株式市場 人件費と解雇規制労働組合
経済の成長・発展を阻する要因 人件費と解雇規制労働組合 株式市場
株式市場のことをどう思うか 油田であり、脈であり、経済の生命線である 従業員の血液を売りさばく売血市場のようなものである
経済論争における最大の武器というべき文句 々の言うことを聞かないと(企業の自己資本率が下がるので)企業倒産が増えるぞ!」 々の言うことを聞かないと(企業の人件費が減るので)企業の売上高が減るぞ!」
経済論争における聞き手を飽きさせないための抽的な文句 々の言うことを聞かないと企業が生き残れなくなるぞ!」 々の言うことを聞かないと企業が活躍できなくなるぞ!」
経済論争におけるレッテル貼りの文句 「『給料が少ないと生活できない』というのは拝義である」 「『株式市場から返済不要の資を調達しないと経営できない』というのは拝義である」
倒産恐怖症がどうなるか お金を持った消費者が少ない社会になるので、「いったん倒産したら二度と復活できない」という雰囲気が漂いがちで、倒産恐怖症が残存する お金を持った消費者が多い社会になるので、「倒産しても別の企業を設立して復活できる」という雰囲気が漂いがちで、倒産恐怖症が消滅していく

 
新自由主義や至上義は「売上高が下がっても税引後当期純利益を叩きだして利益剰余をひねり出す企業を作ろう。倒産しない企業を作ろう」ということを最大の標にしており、そのために人件費や協企業に払う費用を削る。しかし、その通りにすると世の中全体の売上高が下がっていく。このため新自由主義や至上義のことを新・売上高削減 と呼ぶことができる。

新自由主義者や至上義者が導権を握るは人件費と売上高が連鎖的に減少する螺旋階段スパイラル)をせっせと下っていくことになり、デフレスパイラルが基調になる。


本項題からやや外れる余談であるが、至上義とステークホルダー資本主義企業統治のあり方を巡ってもはっきり対立している。

至上義の支持者は、労働組合を結成して経営を与える従業員(物言う従業員)を経営上の脅威と見なしており[68]、「従業員は倒産しにくくなることの重要性を全く理解しておらず、喋る内容に価値がない。従業員は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」と反発する。

至上義の支持者が「企業にとって本質的に部外者であり、経営に口出しさせるべきではない」と考える存在は、従業員である。

ステークホルダー資本主義の支持者は、総会を通じて経営を与える(物言う)を経営上の脅威と見なしており、「は経営の現場に関する専門知識を全く理解しておらず、喋る内容に価値がない。は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」と反発する。

ステークホルダー資本主義の支持者が「企業にとって本質的に部外者であり、経営に口出しさせるべきではない」と考える存在は、である。

以上のことをまとめると次の表のようになる。
 

至上 ステークホルダー資本主義
経営上の脅威とみなすもの 物言う従業員(労働組合を結成して経営にを与える従業員) 物言う総会を通じて経営にを与える
経営上の脅威に対して投げかける言葉 「従業員は倒産しにくくなることの重要性を理解しておらず、喋る内容に価値がない。従業員は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」 は経営の現場に関する専門知識を理解しておらず、喋る内容に価値がない。は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」
企業にとって本質的に部外者である存在 従業員

 

性質その15 格差の肯定

新自由主義のでは必ずといっていいほど至上義が採用され、の利益を第一に考える企業流となり、従業員への人件費を削ってへの配当を増やすことを企業流となる。

の意向に従って従業員への人件費をひたすら削る経営者(役員)が「V字回復救世主」「信念の人」などと口を極めて賛美され、そうした経営者にはたちから褒美として高額の役員報酬が与えられる[69]

このためと「の手先となって人件費の削減に励む経営者」が高額所得者となり、企業経営に関与しないヒラの従業員が低額所得者になっていく。

さらには所得税累進課税弱体化され、と「の手先となってコストカットに励む経営者」が高額所得を得る現政府によって強く肯定される。

こうして所得格差が広がり、貧富の差が広がり、格差社会になっていく。新自由主義が席巻するでは格差の拡大が顕著であり、ごく少数の人たちが勝ち組となって富を独占するようになり、大多数の人たちが負け組となって貧困生活になる。「人口の1の人々が富の99を所有する」といった状態が普通のことになる[70]

新自由主義によって貧困層が拡大することを批判されたら、新自由主義者は「貧困は人を助ける。貧困は人を成長させる。貧困に直面することで労働意欲が増えて人の可性が呼び起こされる」と言って、人々が貧困生活に転落すること自体を大いに肯定することがある。このように貧困を賛美する姿は新・貧困 と表現することができる[71]

また、新自由主義によってごく少数の人たちが富を独占することが批判されたら、新自由主義者は次のような論理展開を行う。

まず、「人というものは所得が伸びればそれに例して消費を伸ばす」とする。続いて「高額所得者を増やせば、その高額所得者が必ず高額の消費をする」とし、そして「高額所得者が高額の消費をすることで各企業の売上高が伸び、経済発展する」としていく。これがいわゆるトリクルダウン理論である。

また、「人というものは所得が伸びればそれに例して消費を伸ばす」としてから、「高額所得者は頭が良くて優秀で商品に付加価値が付いているかどうかを見定めるが高い」と高額所得者を崇拝するがごとく褒め讃え、そして「高額所得者は付加価値の高い商品を買う消費をして、『付加価値が高い商品を作る立な産業』を育成している」と述べていく。「フランス料理は王侯貴族という高額所得者に提供する宮廷料理が基礎となっているし、ウィーンオーケストラハプスブルグという高額所得者の王族に提供する宮廷音楽が基礎となっている」などと例を挙げ、「高額所得者が付加価値の高い産業を必ず生み出すのだ」としていく。これもトリクルダウン理論の一形態と言える。

こうしたトリクルダウン理論の出発点となるのは、常に「人というものは所得が伸びればそれに例して消費を伸ばす」というである。このにはあまり説得がなく、「アメリカ合衆国大富豪であるウォーレン・バフェットは倹約であって消費を盛んに行っていない[72]」という反論を浴びることが多い。

ウォーレン・バフェットは新自由主義の時代に生まれた大富豪であり、「新自由主義が作り出した大富豪」と言っていいような存在であるが、その彼の生き様(いきざま)が新自由主義者のトリクルダウン理論にとって皮にも天敵となっている。

また、新自由主義者は「大持ちを人為的に作りだし、その大持ちに際的な大活躍をしてもらって内に富を呼び込んでもらえばいい。優秀な大持ちに経済を引っってもらい、そのおこぼれをコバンザメのごとく拾っていけばいい」と論じることもある。このには「持ちへの期待感と依存心」を見てとることができる。

先述のように新自由主義者の言動からは「人の強大な本に対する期待感と依存心」が見え隠れするが、それだけではなく、「強大なお金持ちに対する期待感と依存心」も見え隠れする。新自由主義という思想は自由という言葉を看に掲げているため独立心・自立心が旺盛な思想であるかのようなイメージを与えるが、実際の新自由主義の支持者は依存心がだいぶ強い。このため新自由主義は新・依存 と表現することができる。

新自由主義者は所得税累進課税に反対することが多いが、そのことをするとき、「大持ちは頭が良くて優秀で生産が高い存在である」と信仰するがごとく褒め称え、そして「大持ちの足を引っらずに放置しておけば自動的に国家の富を増産してくれる」とり、「大持ちへの所得税累進課税弱体化させることで効率的に経済発展することができる」と述べていく。大持ちを万であるかのように扱う新自由主義者の姿は、敬虔な信仰をする宗教者といった観があり、新・信仰 とか新・宗教 と表現することができる。

「大持ちが働けば働くほど富が生まれる」と信仰する新自由主義者の姿が多く見られるが、現実は必ずしもそうなっているわけではない。大持ちが間違った働きをして巨額の損失を出す現はしばしば見られる。「高額所得の企業経営者が、海外進出をして工場を建設することを決断したが、どうにも上手くいかず、巨額の損失を出しながら撤退した」という現はたまに報じられる。

このように、大持ちは決して全知全ではないが、それでも新自由主義者は「大持ちが働けば働くほど富が生まれる」と熱心に信仰する。こうした新自由主義者の姿は詐欺師に引っ掛かる被害者と似ている。

詐欺師に引っ掛かる被害者のことをカモという。このため新自由主義のことを新・カモ と表現することができる。

新自由主義者というと、企業に課せられる法人税底的に引き下げて、企業の税引後当期純利益が増えるようにして、「倒産しにくく永続しやすい企業」が増えることをしている。そして、日本において宗教団体は、宗教活動で得られる法人所得に対して法人税0の優遇措置を受けていて、「倒産しにくく永続しやすい団体」になっている。

新自由主義者と宗教団体はどちらも「倒産しにくく永続しやすい団体」を作り出すことをしている。こうした共通点が原因となり、新自由主義者と宗教団体の親和性の高さを生み出している。新自由主義者からどことなく宗教団体の雰囲気を感じるのはこのためである。
   

性質その16 関税の撤廃

新自由主義は国家意識の義思想であり、関税をひたすら敵視し、自由貿易を極限まで推し進めようとする傾向がある。FTAやRCEPTPPといったの壁を取り除く貿易協定を好み、EUのようなの消滅を理想視する。いわゆるグローバリズムとの親和性がとても高い。

新自由主義者の一部は、関税を撤するような貿易協定を導入するとき、「世界に置いていかれる」「世界中のが発展し、日本だけが取り残される」「バスに乗り遅れるな」というような、感情に訴えかける煽りを駆使する。

新自由主義者は、保護関税を撤して自由貿易を促進するときに、「企業というのは保護関税に守られなくなって窮地に追い込まれると、生存が刺され、切磋磨し、創意工夫の限りを尽くし、必死になって智め、頭が良くなっていき、優秀な存在に生まれ変わっていく」と述べ立てる傾向がある。

新自由主義者は、労働者の給料の確実性・安定性を撤して経営者が自由に労働者の給料を変化させることを促進するときに「人というのは労働規制に守られなくなって窮地に追い込まれると、生存が刺され、切磋磨し、創意工夫の限りを尽くし、必死になって智め、頭が良くなっていき、優秀な存在に生まれ変わっていく」と述べ立てるが、それと全く軌を一にしている。

このように、新自由主義者は企業や労働者の生存を過度に信仰する傾向があるが、そうした姿は新・本と表現できる。また新自由主義者はサディスティック企業や労働者を追い込む傾向があるが、そうした傾向は新・加虐義(ネオサディズムとか新・追い込みと表現できる。

また新自由主義者は、保護関税を撤して自由貿易を促進するときに、「自動車産業や漫画アニメ産業といった産業はほとんど保護関税で守られなかったが、そうした産業が日本の富を生みだしている。一方で農産業などの産業は保護関税で入念に守られてきたが、そうした産業が日本の足を引っっている」と述べ立てることがある。つまり「保護関税を撤すると産業が成長する」という論法である。

それに対して反・新自由主義者は、「保護関税企業を保護すると賃上げする流れが生まれ、労働者が安定して消費するようになり、労働者の消費という巨大な需要によって産業が発展する。自動車産業や漫画アニメ産業が発展できたのも内の需要が巨大だったからである」と述べ立てて保護関税を重視する傾向がある。つまり「保護関税を掛けると内の需要が増えて産業が成長する」という論法である。


新自由主義者は「世界関税を引き上げて保護義に走ると戦争が起こる。第二次世界大戦の原因は関税で作り上げられたブロック経済である」とする。保護義を敵視し、「危険な保護義」という表現を繰り返し、「保護義の台頭を許してはならない」と訴える。

また、新自由主義者は「世界関税を撤して自由貿易を促進すると国家間の相互依存が深まるので世界平和が実現する」とすることがある[73]

こうした「自由貿易を促進すると世界平和が実現する」というに対しては「第一次世界大戦の直前においてイギリスドイツの間における貿易は非常に規模が大きかった。貿易が活発に行われれば戦争を回避できるというわけではない」という反論が寄せられることがある[74]。また、「2022年までロシア自由貿易を盛んに行っていたが、それでも2022年2月24日ロシアによるウクライナ侵攻が勃発した」という反論が寄せられることもある。

後述するように、自由貿易が発展すると先進国の労働者が自信を喪失し、自信を取り戻すため攻撃的な言動を好むようになり、戦争を好む民性へ変貌していく。そうした点を重視すると「自由貿易は戦争の原因となるものである。『危険な自由義』と表現すべきであり、自由義の台頭を許してはならない」ということになる。

第一次世界大戦の直前は自由貿易が盛んであり、第一次グローバリゼーションと表現されるほどだった[75]自由義を厳しく批判する立場の人は「自由貿易によって憎悪と軽蔑が内に広がり、各民性が戦争を好むものに変貌し、多数の死傷者を出す大戦争の原因が作られた」と批判することがある。


新自由主義者は「1991年ソ連が崩壊してロシアになり、ロシア自由義経済の一員になった。1940年代から1990年代まで続いた自由義経済と共産主義経済冷戦自由義経済の勝利で終わった」と勝ち誇るがごとくり、「自由義経済は必ず勝利する」と熱狂的に述べ、その上で「自由貿易を最大限に尊重すべきだ」とする。

ちなみに1948年から1994年まで続いたGATT関税貿易一般協定)は、1930年代ブロック経済よりも自由義を重んじるものであったが、1995年から2022年現在まで続いているWTO世界貿易機関)よりも保護義を認めるものであって、自由義と保護義の中間に位置する協定だった[76]。このため、冷戦勝利した西側諸国のことを「自由義経済諸」というのは決して正確な表現ではなく、やや理がある表現である。

新自由主義者は、自由義と保護義の中間に位置するGATT体制を維持した西側諸国冷戦勝利したのにも関わらず、その事実無視して、「自由義の西側諸国冷戦勝利した」と表現することが多い。自分たちの思想を支持しない団体が勝利したのに「自分たちの思想を支持する団体が勝利した」と宣言して手柄を横取りすることを好む。こうした新自由主義者の姿は、新・横取り と表現することができる。

新自由主義者は、至上義を擁護するために「財産権は不可侵の基本的人権である。の所有権の絶対性を認めろ」などと財産権・所有権を重視するをすることが多いので、「自分以外の人財産権・所有権も尊重する人たちであり、決して横取りのような真似をしない人たちである」というような印を持たれやすい。しかし新自由主義者は、「自由義と保護義の中間に位置するGATT体制を維持した西側諸国」が勝ち取った冷戦勝利の手柄を気で横取りする。


自由貿易を促進すると、各企業内の協企業からの割高な購入をとりやめて海外の協企業からの割安な購入に切り替えることが可になり、『協企業に支払う費用』を削減することが可になる。そうなると各企業は税引後当期純利益を増やすようになり、へ支払う配当を増やすようになり、価をつり上げるようになり、株式市場での資調達を順調に行って自己資率を高めるようになり、「倒産しにくく永続しやすい企業」に近づいていく。

さらに各企業は、自由貿易によって発展途上国の低賃労働者が作った製品との価格競争にさらされるので、人件費の削減をすようになる。先進国企業は、発展途上国の低賃労働者の準にまで賃下げを追求するようになるが、そうした様子は底辺への競争exitと表現される。

自由貿易を進めると企業における賃下げが進んでいくので、自由貿易は賃下げ貿易 といっていいものである。新自由主義は、そういう自由貿易を全面的に肯定する思想であるので、やはり新・賃下げ ということができる。

企業は、人件費を削減すると税引後当期純利益を増やすようになり、へ支払う配当を増やすようになり、価をつり上げるようになり、株式市場での資調達を順調に行って自己資率を高めるようになり、「倒産しにくく永続しやすい企業」に近づいていく。

新自由主義が流行する先進国では、企業経営者が労働者に向かって「々経営者は、君よりも安い賃で君と同じ働きをする労働者を、発展途上国においていくらでも見つけることができる」と言って労働者に賃下げを受け入れることを迫ったり、「発展途上国の労働者に君たちと同じ賃を支払うと、君たちよりもずっと活発に働いてくれる」と言って労働者に労働強化(実質的な賃下げ)を迫ったりする。そうした言葉を頻繁に聞かされる労働者たちは「自分たちは高い賃をもらう資格があるのだろうか・・・」と自信を喪失していく。

新自由主義を採用するでは自由貿易が盛んになるので、労働者の自信を効率的に破壊して労働者の給料をきっちり下げることが可になる。自由貿易は自信破壊貿易 と表現できるし、新自由主義は新・自信破壊 と表現できる。

ちなみに、「従業員に自信を与えると賃上げの流れを生み、従業員の自信を破壊すると賃下げの流れを生む」ということはいつの時代も変わらない。従業員の自信を打ち砕いて従業員を賃下げする経営者が多く見られる[77]

自信を喪失した人間は自分以外のかを攻撃することで自信を取り戻そうとする習性があるのだが、先進国の労働者たちもそういう習性を持っている。ネット上で、あるいは政治活動で、もしくは経済論議で、対立相手を過度に攻撃する行為に傾倒するようになる。その結果として、先進国で憎悪(ヘイト)が広がり、憎悪言動(ヘイトスピーチ)や憎悪犯罪ヘイトクライム)や憎悪義(ヘイト主義)が盛んになり、社会の分断が深まっていく。

新自由主義がはびこるでは、攻撃的言動を繰り返す政治導者が大人気となる。外に対して喧嘩で対応したり内の対立政治を痛批判したりして「何かを攻め立てる姿」を周囲に見せつける政治家は、労働者たちによって熱心に支持されることになる。自由貿易による賃下げ圧で自信を破壊された労働者は、何かを攻撃することで自信を取り戻したいと思っている。そうした労働者が攻撃的言動を繰り返す政治導者を見ると「自分のしたいことを実現している人」と思い込み、熱心に支持するようになる。

新自由主義がはびこるでは、名誉毀損罪侮辱罪で訴えるスラップ訴訟をして論争相手の「表現の自由」を攻撃する政治家が増える。自由貿易による賃下げ圧で自信を破壊されていて何かを攻撃することで自信を取り戻したいと思っている労働者は、そうした政治家を見ると「自分のしたいことを実現している人」と思い込み、深く尊敬することになる。

新自由主義がはびこるでは、自由貿易とそれに伴う賃下げによって労働者の自信が破壊され、労働者が自信を取り戻すため攻撃を好むようになる。そして実際に犯罪をして人を攻撃することがある。賃下げによって生活がすさみ財産や身内などをことごとく失い、失うものが何もない状態になって犯罪に走る者のことを「無敵の人」ということがある。


自信を喪失した人が自信を取り戻すには、何かに対する攻撃的な言動をするだけではなく、何かに対して見下して軽蔑する心を持つことも有効な手段である。

このため、新自由主義で自信を破壊された労働者は、自分よりも劣った存在を見下して軽蔑することを積極的に行うようになる。「君のような劣った人と同格であると周りに思われたくない。だから君は自分に話しかけないでくれ」とか「君のような劣った人と一緒に行動すると自分の評判が下がる。だから君と一緒に行動するつもりはない」といった軽蔑心のこもった言動を行うようになる。

また、新自由主義者は、自信を破壊された労働者が「自分よりも劣った存在」を見下して軽蔑する行動を制止するわけではなく、むしろ同調する傾向がある。新自由主義者はとても熱心に「自分よりも劣った存在」を見下して軽蔑する行動を行う[78]。こうした姿は新・軽蔑 ということができる。

そうした人々の行動が集積すると階級社会・身分制社会が形成されるようになる。新自由主義が蔓延する社会は次第に階級社会・身分制社会になっていく傾向がある。

階級社会・身分制社会というのは人類史において古代中世に見られた社会形態である。新自由主義は、「新(Neo ネオ」という言葉を看に掲げているので時代の最先端を走っている思想であるかのような印を与えるが、実際は復古的なところがあり、「復古義」「回帰義」「逆戻り義」といった観がある。

古代中世といった古い時代の階級社会に回帰するのが新自由主義である。英国小説家ジョージ・オーウェルの『1984年 』という作品では「戦争企画する平和省」「拡散する真理省」「拷問する情省」というものが登場するが、「古い時代に逆戻りする新自由主義」というのはそれらと類似した存在である。

新自由主義というのは、復古的な思想であり、労働者に対して抑圧的な思想である。復古抑圧 と名乗るのが実情に合っている思想である。


「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」では、人々の間に「自分よりも劣った存在を残しておいて、軽蔑の対を残しておきたい。そうしておけばいつでも軽蔑して自信を取り戻すことができる」といった軽蔑対の確保をめる心理が生じる。あるいは「かに対して教育すると、自分の無知が露わになり、他の人に軽蔑されるかもしれない」といった警の心理も発生する。それらの心理により、「困っている人を見つけたら切に情報提供して身になって教育する」といった気運が失われ、困っている人を冷笑しつつ放置する社会になる。

新自由主義が盛んになるでは終身雇用が破壊されて、若手従業員に対して「そのうち解雇されたり転職したりして会社に来なくなるかもしれない」という疑惑のまなざしを向けるようになり、「若手従業員を教育しても駄だ」という考えが広まり、ベテラン従業員が若手従業員に対して教育する気運が弱まっていく。

「人が人を軽蔑することが盛んに行われ、困っている人を教育せずに放置する社会」と、「新自由主義によって終身雇用が破壊され、若手従業員を教育せずに放置する企業」というのは、親和性がある。

「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」では、何らかの危機が差し迫っていることをひたすらし、危機感や危機意識をしっかり持つ人が現れやすい。特に、「迫り来る危機について大衆は気づいておらず、自分たちだけが気づいている」とする人が現れやすい[79]

「自分を含むごく少数の人が危機感を持っていて、自分以外の大多数の民衆は何も気づいていない」と内設定することで、「危機感を持っていない大多数の民衆」への軽蔑を限に行って自信を取り戻すことができる。さらには選民意識を持つことができ、世の中の階級の最上部に君臨しているかのような優越感にひたることができ、貴族に成り上がったかのような気分になり、陶酔感を得ることができる。

ちなみに「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」の中で最も手軽に行われる軽蔑は「容貌がブサイクな人に対する軽蔑」である。つまり「ルッキズムlookism 容貌・外見による差別)に基づく軽蔑」である。

相手のを理由として相手を見下して軽蔑するのは、相手のを分析するという面倒な手間を掛けねばならず、あまり手軽に軽蔑できない。一方で、相手の容貌・外見を理由として相手を見下して軽蔑するのは、相手のを分析するという面倒な手間を掛ける必要がなく、とても手軽に軽蔑できる。

また、「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」の中で「容貌がブサイクな人に対する軽蔑」に次ぐ手軽さを持つ軽蔑は「外国語理解できない人に対する軽蔑」である。

外国語を理解できるかどうかのはすぐに判明する。ビジネス会議外国語を使用してみたり[80]、大きなイベントの標外国語を使用してみたりする[81]。そうした外国語を理解できずにキョトンとした表情をする人を見つけたら、すぐさま「外国語理解できない人に対する軽蔑」をすることができる。
  

性質その17 政治家とカルト宗教団体の癒着

新自由主義を採用するでは保護関税が撤されて自由貿易が盛んになり、発展途上国の低賃労働者が作った製品が先進国に大量に流入するようになる。そうなると先進国企業経営者が労働者に向かって「々経営者は、君よりも安い賃で君と同じ働きをする労働者を、発展途上国においていくらでも見つけることができる」と言って労働者に賃下げを受け入れることを迫ったり、「発展途上国の労働者に君たちと同じ賃を支払うと、君たちよりもずっと活発に働いてくれる」と言って労働者に労働強化(実質的な賃下げ)を迫ったりするようになる。そうした言葉を頻繁に聞かされる労働者たちは「自分たちは高い賃をもらう資格があるのだろうか・・・」と自信を喪失していく。

自信を喪失した人間は自分以外のかを攻撃することで自信を取り戻そうとする習性があるのだが、先進国の労働者もそういう性質を持っている。新自由主義がはびこるでは、人々が攻撃を好むようになる。そして人々が「攻撃的言動を繰り返す政治導者」を見て「自分のしたいことを実現している人だ」と思うようになり、人々が「攻撃的言動を繰り返す政治導者」を熱に支持するようになる。

ここまでは前項のおさらいである。

そして、新自由主義がはびこるでは、人々が「攻撃的な姿勢を保つ宗教団体」に傾倒する現も拡大していく。

新自由主義がはびこるでは、攻撃的な姿勢を保つ宗教団体が勢いを拡大する。「宗教団体を弾圧する共産主義」や「自分たちと敵対する宗教団体」や「自分たちの団体に所属しておきながら財産を寄付しようとしない人」や「自分たちの団体から脱退しようとする人」に対して非常に攻撃的になる宗教団体は、カルトとも呼ばれる。自由貿易による賃下げ圧で自信を破壊されていて何かを攻撃することで自信を取り戻したいと思っている労働者は、そうしたカルト宗教団体を見ると「自分のしたいことを実現している団体」と思い込み、心を奪われることになる。

新自由主義がはびこるでは、勢いを拡大したカルト宗教団体が、攻撃的言動を繰り返す政治導者に対して手厚い支援をするようになる。攻撃的な姿勢を保とうとするカルト宗教団体にとって、攻撃的言動を繰り返す政治導者はまさしく理想像であり、後光が差すような存在であり、信仰対の1つである。

一方で、攻撃的言動を繰り返す政治導者にとって、カルト宗教団体は気の合う仲間であり、強固な支持基盤であり、頼りになる相棒である。攻撃的言動を繰り返す政治導者は、政治的に対立する出版社・テレビ局の「表現の自由」を抑圧したいと考えているが[82]カルト宗教団体はその手伝いをしてくれる可性がある。カルト宗教団体はデモ隊を組織して自分たちを批判する出版社・テレビ局の社屋を取り囲むことがあるし[83]、「電話抗議隊」のようなものを組織して自分たちを批判する出版社・テレビ局電話で猛抗議をすることがあるからである[84]

つまり、攻撃的言動を繰り返す政治導者にとって、カルト宗教団体はナチスの突撃隊[85]のような役割を受け持ってくれる可性がある存在であり、私兵組織になってくれる可性がある存在である。

攻撃的言動を繰り返す政治導者にとって、カルト宗教団体はある種の民間軍事会社PMC)であり、ある種の傭兵である。もちろん、カルト宗教団体が保持する武器抗議電話ぐらいだが、それでもなかなかの攻撃があり、抗議先の通信業務を麻痺させる程度の実がある。しかも、カルト宗教団体の抗議というのは宗教的情熱が入り混じった執念深いもので、粘着性と継続性がやたらと高く、「この人たちは何をしでかすか分からない」と周囲に思わせるものなので、抗議先をおびえさせて萎縮させるが非常に高い。カルト宗教団体の信者は、抗議電話をすることに関して一流の人材であり、最上級の精鋭である。

攻撃的言動を繰り返す政治導者は、カルト宗教団体のイベントに参加しつつカルト宗教団体の教祖に対して「敬意を表する」と発言することがある。ただのリップサービスとしてそういう発言をすることもあるが、「抗議電話をすることに関して一流の人材を大量に生み出していて、本当に凄い」という感嘆の気持ちを抱えつつ、心底からの本音でそういう発言をすることもある。

攻撃的言動を繰り返す政治導者は、ネット上での世論操作をするための組織を作り上げ、そうした組織にでも参加できるようにすることがある[86]カルト宗教団体は、信者たちに対して「攻撃的言動を繰り返す政治導者が結成した世論操作組織に参加せよ」と示をする可性がある。

カルト宗教団体は教祖を絶対視することが多い団体であり、教祖示を忠実に守る信者が多い。このため統制がとれており、数万の単位の人員が教団幹部の示に従って一糸乱れず同じことをすることを得意としている。

カルト宗教団体は、攻撃的言動を繰り返す政治導者の応援団となり、「攻撃的言動を繰り返す政治導者による政権」を批判する報道をする出版社・テレビ局に大量の抗議電話を送りつける可性がある。もしそうなったら、出版社・テレビ局が萎縮し、「攻撃的言動を繰り返す政治導者による政権」を批判する報道をとりやめ[87]、「攻撃的言動を繰り返す政治導者による政権」を礼賛する報道ばかりをするようになる。内で礼賛報道一色になるので、「攻撃的言動を繰り返す政治導者による政権」の支持率が高くなり、長期安定政権になっていく。つまりカルト宗教団体は、攻撃的言動を繰り返す政治導者にとって、報道統制装置になる可性があり、世論操作装置になる可性があり、支持率押し上げ装置になる可性があり、政権延命装置になる可性がある。

さらにカルト宗教団体は、選挙になったら信者に対して「あの補者に投票せよ」と示することがあり、組織票を提供する存在である。

新自由主義が流となるでは様々な職場で労働強化が進み、労働者が長時間労働に束縛されるようになり、労働者が政治に関心をもつほどの余暇を得にくくなり、選挙投票率が下がる傾向になる[88]。そういう状況ではカルト宗教団体の組織票が決定的に重要になり、カルト宗教団体の組織票が政治家選挙の当落を決めるようになる[89]

さらにカルト宗教団体は、選挙になったら信者に対して「あの補者の選挙運動に協せよ」と示することがあり、選挙運動員という労働提供する存在である。

新自由主義が流となるでは様々な職場で労働強化が進み、労働者が長時間労働に束縛されるようになり、労働者が余暇を得にくくなり、選挙運動に参加する人が減る傾向になる。そういう状況ではカルト宗教団体の労働提供が非常に重要になり、カルト宗教団体の選挙運動員が政治家選挙活動を大いに助けることになる。

日本選挙においては、選挙運動員が有権者に電話を掛けて投票をお願いする電話作戦が効果的とされている。そして、組織的に大量の電話を掛けることはカルト宗教団体が得意とする分野である。

カルト宗教団体の信者宗教的情熱を政治的情熱に変換して勢いよく政治活動することが多く、政治家に好かれることが多い。このため、カルト宗教団体の信者政治家選挙運動員になるだけに留まらず、政治家秘書になることが多い[90]

カルト宗教団体の信者は、日頃から霊感商法教団お金を巻き上げられていて、貧乏に耐えるを得ていることが多い。その場合は、政治家選挙運動員や秘書になって政治家給または薄給で酷使される立場になっても、健気に耐え抜くことができる。

カルト宗教団体は攻撃的言動を繰り返す政治導者に対し、抗議電話による報道統制をして間接的支援をしたり、選挙において組織票や運動員を提供して直接的支援をしたりする存在であり、攻撃的言動を繰り返す政治導者にとって非常に役に立つ存在である。

このため、攻撃的言動を繰り返す政治導者はカルト宗教団体へ好意的な態度を示し、カルト宗教団体の機関誌の表に登場したり、カルト宗教団体のイベントビデオメッセージを送ったりして、自ら進んでカルト宗教団体の広告塔になる[91]。また、カルト宗教団体のイメージを様々な手法で保護するようになる[92]。そして、カルト宗教団体の教祖や幹部の表現を真似して、カルト宗教団体の思想が優れているように宣伝する[93]

さらに、カルト宗教団体の支持を受ける政治家やその子分は、国家公安委員会委員長略称国家公安委員長)に就任して内の警察揮することがある。そうなれば、カルト宗教団体の支持を受ける政治家は、「カルト宗教団体が組織的に行う大量の抗議電話刑法第234条に違反しており威力業務妨害罪である」とか「カルト宗教団体が行う霊感商法を取り締まってくれ」という通報が一般市民から警察に寄せられても、警察が事件にしないように警察に圧を掛けることができる[94]カルト宗教団体が治外法権の存在となり、法の組みを外れた存在となり、法を越した存在になり、思う存分に抗議電話霊感商法をする存在になる。

ちなみに、カルト宗教団体が警察などの行政機関の干渉を回避しようとするときに発する明の定番は「日本国憲法第20条で保障される信教の自由を尊重すべきだ」というものである。しかし、憲法学の教科書では「基本的人権は一切制約されないわけではない。基本的人権が絶対的とされるのは、他者に危を加えない限りにおいてのみである」と述べられている[95]霊感商法で他者の財産に大いなる危を加えたり、結婚の強要で他者の自由に大いなる危を加えたりしているカルト宗教団体に対し、他者加害原理に基づいて「信教の自由」という基本的人権を剥奪して解散命を発することは、大いにあり得ることである。

カルト宗教団体は「信者を監視して信者の脱退を防ごう」という意向が強い組織なので、組織内におけるホウレンソウ(報連相)[96]底されており、信者のプライベート情報を共有する体制が整っている[97]

そしてカルト宗教団体は、信者秘書として派遣した先の政治家についても「あの政治家々の身内である。あの政治家をしっかり監視して々の集まりから脱退することを防ごう」と考える危険性が高く、組織内においてホウレンソウ(報連相)を底して政治家情報を共有する危険性が高い[98]カルト宗教団体の信者政治家秘書になって政治家スキャンダルや性的破廉恥スキャンダル把握したら、教団の幹部に連絡する危険性が高い。そうなると、政治家に対して信者秘書として派遣したカルト宗教団体は、政治家の弱みを握るようになり、いつでもマスコミ情報リークできるようになり、好きなときに政治家に対して報復できるようになる。弱みを握られた政治家カルト宗教団体から離れることができなくなり、カルト宗教団体と運命共同体になる。

新自由主義がはびこるでは、攻撃的言動を繰り返す政治導者とカルト宗教団体が融合し、合体し、連動するようになる。


攻撃的言動を繰り返す政治導者を広告にしたカルト宗教団体は、政治家のお付きをもらって清潔なイメージを身にまとうようになり、霊感商法を順調に行うようになり、収益を増やし、当期純利益を積み上げ、安定的な経営を謳歌するようになる。

「攻撃的言動を繰り返す政治導者を広告にしたカルト宗教団体が行う霊感商法被害者」に対して、「攻撃的言動を繰り返す政治導者の支持者」は冷淡な態度を取ることが多い。「攻撃的言動を繰り返す政治導者が安定した政権運営をしているおかげで国家が大きな利益を得ている。霊感商法被害などは国家にとってほんの小さな損失に過ぎない」などと喋り、霊感商法被害者慢と耐をするようにめることが多い。

新自由主義が流行するでは、「倒産しにくく永続しやすい企業」を建設するために新自由主義者が労働者に対して慢と耐をめ、滅私奉の精め、犠牲を払うことをめることが広く行われる。そういうでは、「攻撃的言動を繰り返す政治導者による安定的な政権」を建設するために「攻撃的言動を繰り返す政治導者の支持者」が「攻撃的言動を繰り返す政治導者を広告にしたカルト宗教団体が行う霊感商法被害者」に対して慢と耐をめ、滅私奉の精め、犠牲を払うようにめることも広く行われる。こうした世相は、人が人の犠牲(いけにえ)をめる世相である。ゆえに新自由主義のことを新・犠牲 とか新・いけにえ と表現することができる。

新自由主義者も「攻撃的言動を繰り返す政治導者の支持者」も、「○×のためには犠牲がつきもの」と考えて犠牲者の発生を肯定する傾向があり、冷酷な人格の持ちであり、抗争の際に子分を鉄砲玉にして使い捨てヤクザのような思考回路の持ちである。このため新自由主義のことを新・冷酷 とか新・ヤクザ と表現することができる。

新自由主義者は「『倒産しにくく永続しやすい企業』を建設すれば巨大な利益が生まれるのだ」とするし、「攻撃的言動を繰り返す政治導者の支持者」は「『攻撃的言動を繰り返す政治導者による安定的な政権』を建設すれば巨大な利益が生まれるのだ。社会において日本存在感が高まり、日本世界中から頼られて尊敬されるになり、日本がものすごく偉いになるのだ」とする。利益を過剰に強調することで、その利益を得るための犠牲者の存在感を小さく見せかけ、「犠牲者を見殺しにした」という批判が弱まることを期待している。新自由主義者も「攻撃的言動を繰り返す政治導者の支持者」も批判に弱くて打たれ弱く、ノミの心臓の持ちで根性しなので、そういう工夫をして自己防衛して自己弁護する。


新自由主義者は、から遠く離れた従業員を「企業の経営を傾かせる原因」とみなして深く憎悪し、そういう従業員から人件費削減の名お金を巻き上げ、に近い経営者を「企業の経営を引っる偉大なカリスマ」と盲信し、そういう人々に大量のお金を与える傾向がある。

カルト宗教団体も全く同じで、教祖から遠く離れた信者を「教団に災厄をもたらす罪深い存在」とみなして深く憎悪し、そういう信者から献の名お金を巻き上げ、教祖を「教団を引っる偉大なカリスマ」と盲信し、教祖に大量のお金を与える傾向がある。

「人を深く憎悪して人からお金を取り上げ、『、信仰対)』や『に近い存在(経営者、教祖)』を深く愛してそういう連中にお金を与える」というのが新自由主義とカルト宗教団体の共通点である。

新自由主義者やカルト宗教団体の放つ言葉には人に対する深い憎悪がこもっている。このため新自由主義のことを新・憎悪とか新・ヘイト主義とかネオヘイトイズム(Neo hateism)と表現することができる。

新自由主義が流行るでは、カルト宗教団体が攻撃的言動を繰り返す政治導者を広告にして順調に霊感商法を行うようになるので、人々の財産が危険にさらされることになり、治安という点で問題の多い状態となる。このため新自由主義のことを新・危険 と表現することができる。

新自由主義者は治安の悪化を気に病むことが少なく、それどころか、むしろ治安の悪化を望む傾向がある。治安が悪化すると人々の不確実性が増大し、皆が「将来は自分や家族犯罪に巻きこまれるかもしれない」と不安に思うようになり、消費をとりやめて予備的貯蓄をするようになる。そうなると人々が次第に「消費を楽しみにせず長時間労働ばかりするロボット」に変化していき、社会全体の生産が上がり、新自由主義者にとってのような世界になる。このため新自由主義者は心の底で治安の悪化を望み、「霊感商法で人々の財産に危を加えるカルト宗教団体を取り締まって良好な治安を維持しよう」という提案に対して「カルト宗教団体は非常に小さい問題である」とか「そんなことよりももっと大事なことがある」と述べ立てて相手にせず、カルト宗教団体が霊感商法で暴れ回って治安を悪化させることを黙認する傾向がある。

カルト宗教団体は、何らかの事情で精が弱くなった人々に襲いかかり、霊感商法を行って財産を奪い取っていく存在であり、弱肉強食の権化のような存在である。そして新自由主義が勢いを増すでは至上義が国家を席巻し、立場の強い企業経営者が立場の弱い従業員や協企業に対して威圧的に接しつつ人件費や「協企業に支払う費用」を一杯削ることが賞賛され、弱肉強食社会構造が大いに肯定される。

が弱った人々に襲いかかって霊感商法財産を巻き上げるカルト宗教団体と、立場の弱い人々に襲いかかって「人件費削減、協企業に支払う費用の削減」という名財産を巻き上げる新自由主義者は、いずれも弱肉強食を体現する存在であり、よく似たところがある。新自由主義のカルト宗教団体が躍動するのは、新自由主義とカルト宗教団体に親和性があるからである。

新自由主義者は、まず保護関税を撤して自由貿易を導入し、低価格の外製品を大量に内へ流入させる。そして内の労働者に対して「君らは発展途上国の労働者と同じ働きをしているのに、発展途上国の労働者よりもずっと高い賃をもらっている」と罵倒して、内の労働者の自信を破壊し、内の労働者の精を弱らせる。そうしてからじっくりと料理に取りかかり、人件費を一杯削減して、内の労働者から給料という名の財産を巻き上げて、弱肉強食を楽しむ。

カルト宗教団体は新自由主義者を深く尊敬しているので、そうした新自由主義者の行動をしっかりと真似している。カルト宗教団体は「君の悪い行動で君は地獄に落ちるし、君の家族地獄に落ちる」などと宣告して信者の自信を破壊し[99]信者の精を弱らせる。そうしてからじっくりと料理に取りかかり、や印鑑や書籍を高額で売りつけて[100]信者から財産を巻き上げて、弱肉強食を楽しむ。

新自由主義者はであり、カルト宗教団体はである。新自由主義者とカルト宗教団体の兄弟はとても仲が良く、お互いに刺しあって切磋磨しており、「人の精を弱らせてから財産を巻き上げて弱肉強食を実現する」という行為の腕前をそろって高めている。

新自由主義者とカルト宗教団体はよく似た存在であるので、新自由主義を新・カルト と表現することが可である。


政治家カルト宗教団体が癒着することを防ぐには、投票率を上げるのが一番効果的である。投票率が上がって投票総数が増えれば、投票総数に対するカルト宗教団体の組織票の割合が小さくなり、カルト宗教団体の組織票の威弱体化するので、政治家カルト宗教団体を軽視するようになる。また投票率が上がって浮動票が増えれば、補者が浮動票を獲得することを優先するようになり、「あの補者は、霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表しており、まことにいかがわしい人物である」という噂が流れて浮動票が一気に離れることを補者が恐れるようになり、補者がカルト宗教団体から離れるようになる。

投票率を上げるにはいくつかの方法がある。そのうちの1つは義務投票制exitを導入し、正当な理由がないのにもかかわらず選挙投票を怠った者に対して罰を科すという方法である。あるいは、選挙投票した人に「投票報奨」などの名称のお金政府から給付する制度を整備してお金で有権者を釣るという方法もある。

いずれの方法も、緊縮財政を信奉する新自由主義者が猛反対する。義務投票制なら「正当な理由があるかどうかを審する人材や罰を科す事務をする人材を確保せねばならず人的コストがかかる」と批判し、投票報奨制なら「お金を支払うコストがかかる」と批判する。

また新自由主義者は、世の中の企業の人件費が増大して税引後当期純利益が減少することを非常に嫌うため、「給料が上がってほしい」といったような民意が政治に反映されることを嫌がる傾向がある。このため新自由主義者は選挙投票率が上がることをあまり望んでおらず、投票率が低いままであることを許容する傾向がある。新自由主義者は「投票率が上がって馬鹿な大衆が投票所に押しかけるようになったら、頭が悪くてくだらない積極財政政策が推進されるようになり、そので世の中の企業の人件費が上がってしまう」とか「投票率が低いままで馬鹿な大衆が投票所に寄りつかない状態なら、利口で立緊縮財政政策が推進されるようになり、そので世の中の企業の人件費が下がってくれる」と考える傾向がある。

こうした新自由主義者のによって、政治家カルト宗教団体の癒着が続く社会になる。


新自由主義者はエリート義を信奉する傾向があり、民主主義を嫌って貴族政治アリストクラシー)を好む傾向があり、「選挙投票というのは、政治興味と関心があって政治に関する知識がある知的エリートだけが独占的に行うのが本来の姿だ」と考える傾向がある。このため「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々が選挙投票をすることを嫌がる傾向がある。

政治には興味も関心もなく政治のことは全く分からない人であっても、「『霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する補者』に投票すべきではない」といった程度のことなら十分に判断できるのだが、新自由主義者はそうした現実を直視せず、大衆の判断を信頼しようとしない。「政治には興味も関心もなく政治のことは全く分からない人は、すべて排除してしまえ」という思想を持つ傾向がある。

新自由主義はエリート義で「知性がある人のみが投票すべきだ」との信条を抱えがちである。ゆえに新自由主義が流のでは、選挙が荘厳な雰囲気に包まれる傾向があり、選挙の雰囲気が知性に満ちたものになる傾向がある。しかし、その反動として浮動票が少なくなり、組織票の威が強くなり、「霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する補者」を落選させることが難しくなり、社会自浄作用が弱くなる。

反・新自由主義は義で「知性がない人もどんどん投票すべきだ」との信条を抱えがちである。ゆえに反・新自由主義が流のでは、選挙が大衆迎合的な雰囲気に包まれる傾向があり、選挙の雰囲気が知性の欠けたものになる傾向がある。しかし、その見返りとして浮動票が多くなり、組織票の威が弱くなり、「霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する補者」を落選させることが容易になり、社会自浄作用が強くなる。

以上のことをまとめると次の表のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
選挙投票はどのように行われるべきか エリート義。政治興味・関心があって政治に対して深い知識を持つ者のみが選挙投票をするべきだ。制限選挙の導入をしてもよい 義。「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々も投票するべきだ。普通選挙であるべきだ
選挙投票率はどうなるべきか 低迷してくれて構わない。「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々が選挙投票にやってきたら、政治が惑わされ、政治が混迷してしまう。そういう人たちは投票しなくてよい 100%に近い数字にまで上昇させるべきだ。「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々がやってくるので知性の欠けた大衆迎合的な雰囲気になるが、そうなっても構わない
圧力団体の組織票 浮動票がやたらと少ないので、存在感を増す 浮動票がやたらと多いので、存在感を失う
霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する補者」がどうなるか 浮動票がやたらと少ないので、組織票の支持を固めて楽々当選する 浮動票がやたらと多いので、あっさり落選する
社会自浄作用がどうなるか 自浄作用が弱い社会になる 自浄作用が強い社会になる

 

国会議員の中には、知名度に恵まれ当選するタレント議員が存在する。元・芸能人の議員とか、元・スポーツ選手の議員のことである。そして、知名度に恵まれ当選するタレント議員の中にも聡明で立な議員と馬鹿で間抜けな議員の2種類が存在する。

世の中には体裁や名誉を気にする人がいる。そういう人は「国家の代表ともいうべき国会議員は、全員が聡明で立な人物であるべきである」とか「国家の代表ともいうべき国会議員の中に馬鹿で間抜けな人物が混入したらとても恥ずかしい」と考える傾向があり、「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント議員」を底的に嫌う。

そして、体裁や名誉を気にする人は、選挙投票率が上がることを嫌がり、選挙投票率が低迷することを望む。選挙投票率が上がると「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、補者の知名度で投票を決める」といった人が投票するようになり、「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント補」が当選する可性が高まるからである。

しかし、体裁や名誉を気にする人が望むとおりに選挙投票率を低迷させて「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント補」が当選しにくい状況にすると、カルト宗教団体の組織票が存在感を増し、政治家カルト宗教団体と癒着するようになる。政治家のお付きをもらったカルト宗教団体が大いに霊感商法を行うようになり、その被害者が大地を流れてになり、苦痛と不幸が発生し、恐るべき暗社会になる。

体裁や名誉を気にする人の欲望を尊重すると、カルト宗教団体が猖獗(しょうけつ)を極めるようになる。

「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント議員を見るのは恥ずかしい」という羞恥心が、カルト宗教団体の躍動の原因になる。

投票率を上げると『知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント補』の当選が増えるが、『霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する補者』が落選しやすくなる。『知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント議員』の存在は、政治家カルト宗教団体の癒着を防ぐための費用と割り切るべきだ」と説得して、体裁や名誉を気にする人の願望を無視して、選挙投票率を上げる政策を導入することが望ましい。
 

性質その18 内需の軽視や「内需に対して国内企業が供給すること」の軽視

新自由主義が優勢になるでは、政府緊縮財政を採用することで内の官[101]が減少し、労働者の賃下げが進んだり労働者の給料の不確実性が増して労働者が貯蓄志向に走ったりすることで内の民需[102]が減少し、内需 [103]が減少していく。

新自由主義者の一部は「内需が増えると、不足する内供給を増やすため原材料の輸入が増え、不足する内供給を補うため完成品の輸入が増え、結果として輸入が増える。また内需が増えると、輸出に回すべき完成品の商品が内需に食い潰されることで輸出が減る。つまり内需が増えると輸入が増えて輸出が減る」と論じ、続いて「固定相場制中間的為替相場制を採用しているのなら、輸入増加と輸出減少で政府の外貨準備高が減り、国家にとって大きな損失となる。変動相場制を採用しているのなら、輸入増加と輸出減少で自通貨が安くなり、生産に必要な原材料の輸入量が少なくなって生産が減って、国家にとって大きな損失となる。いずれの場合でも、内需は国家の損失をもたらすものであり、できるだけ削減すべきである」と論じ、内需を敵視することがある[104]

新自由主義者が重視するのは外需 [105]である。「外需に対応して輸出を増やせば、固定相場制中間的為替相場制を採用しているのなら政府の外貨準備高が増えるし、変動相場制を採用しているのなら自通貨が強くなって生産に必要な原材料の輸入量が増えて生産が増加する。外需は、政府の外貨準備高の増加か、または生産の強化をもたらすものであり、できるだけ増加させるべきである」と論じて外需のことを宝石のように扱う。

そして「日本の人口は1億2512万人で、日本を除く全世界の人口は77億5000万人ぐらいである。ゆえに内需にこだわらず、狭苦しい日本市場に閉じこもらず、ひたすら外需を狙っていくのが経済戦略として正しいだ」とし、TPPやFTAといった貿易協定を結んで海外市場の開拓に励もうとする。このため、新自由主義者が経済導すると内需が縮小して外需が拡大していき、外需依存になる。

外需を拡大するためにTPPやFTAといった関税の貿易協定を結ぶと、貿易相手関税を引き下げて外需の拡大に成功するが、その代償として自関税も下がって、「内需に対して企業が供給する」ということが難しくなっていく。

新自由主義者は内需だけでなく「内需に対して企業が供給する」ということも敵視する傾向がある。「内需に対して企業だけが供給する状態だと、政府市場を統制したり民間人同士で談合したりして競争原理が働かなくなり、製品価格が上昇し、製品の品質が陳腐化していく。ゆえに内需に対して企業が供給することを削減し、内需に対して海外企業自由に参入できるようにしよう」とする。

ちなみに「内需に対して企業が供給する」というのは消費者と生産企業距離が近い形態である。内需に対して企業が欠陥商品・イマイチ商品を販売した場合、消費者と生産企業の間にの壁や言の壁がないので「欠陥商品・イマイチ商品を買わされた消費者が企業の本社に猛抗議する」ということが起こりやすい。消費者の苦情が生産企業に届きやすく、消費者の苛な要によって生産企業が鍛えられやすく、企業の製品の品質が向上する流れが起こりやすい。

いっぽう「外需に対して企業が供給する」とか「内需に対して海外企業が供給する」というのは消費者と生産企業距離が遠い形態である。外需に対して企業が欠陥商品・イマイチ商品を輸出したり内需に対して海外企業が欠陥商品・イマイチ商品を輸出したりした場合、消費者と生産企業の間にの壁や言の壁があるので「欠陥商品・イマイチ商品を買わされた消費者が企業の本社に猛抗議する」ということが起こりにくい。消費者の苦情が生産企業に届きにくく、消費者の苛な要によって生産企業が鍛えられることが起こりにくく、企業の製品の品質が向上する流れが起こりにくい。

「内需に対して企業が供給すると、消費者の苛な要によって企業が技術を高め、企業世界で通用する品質の製品を作るようになる。企業を内需でシゴいてから外需の開拓をさせるべきである」「内需で企業を鍛えることにより製品の品質が良くなり、自然と輸出が伸びる」「内需は企業にとって教師である」というのがひとつの考え方であるが、新自由主義者はそういう考え方をするのが苦手である。

新自由主義者は「消費者の苛な要によって生産企業が鍛えられる」と発想すること自体を苦手にしているようであり、「生産企業自身の決意や心がけによって生産企業が鍛えられる」という発想を好む傾向がある[106]

新自由主義者が好む経済理論較優位である。較優位とはイギリス経済学者デヴィッド・リカードが提唱した考え方で、ごく簡単に言うと「国家は、自の得意とする分野の生産に特化すべきであり、自が得意としない分野において自国生産をとりやめて貿易によって賄うべきである。つまり際分業をすべきである。そうすると世界全体の富が増大する」というものである[107]

これを言い換えると「国家は得意分野において『内需に対して企業が供給する』という形態と『外需に対して企業が輸出して供給する』という形態を行い、不得意分野において『内需に対して海外企業から輸入して供給する』という形態だけを行うべきだ」となる。

「消費者の苛な要により企業は製品の品質を向上させる」という考え方から論ずると「較優位の考え方に従うと、国家は不得意分野において『内需に対して海外企業から輸入して供給する』という形態に頼ることになり、消費者と企業距離が遠い形態になり、消費者の要企業に届きにくくなり、自消費者が自らの要するような高品質の製品を受けられなくなる危険が増える。自消費者は『望ましくない品質の製品で慢しよう』と考えるようになり、より好ましい品質の製品を欲しがる心が弱まり、文明の停滞が発生する。較優位の考えは望ましくない」ということになる。

「消費者の苛な要により企業は製品の品質を向上させる」という考え方は製品の品質を重視する考え方であり、較優位の考え方は製品の物量を重視する考え方である。較優位の考え方を好む新自由主義者の姿は「質より量 」という言葉が当てはまるものであり、新・物量 と表現することができる。
  

性質その19 観光業の重視

新自由主義が盛んになるで重視されるのは観光業である。「観光」という看を掲げ、インバウンド外国人観光客)をひたすら呼び込もうとする。

新自由主義が勢いを持つ日本では、2006年観光推進基本法が可決された。そして2016年IR推進法が可決され、2018年IR実施法が可決され、IR(統合リゾート)を整備する法律が作られた。これらの法律によって、カジノなどの施設を作って外国人観光客を呼び込もうとする政策が推進される。

観光業というのは、新自由主義者にとって二重の意味で好ましい産業である。

観光業で外国人観光客を呼び込んで買い物をしてもらうとする。こうした外国人観光客の買い物は外需とされ、外国人観光客への販売は輸出とされる。「外需に対して輸出する」というのは新自由主義者が最も重視する経済行動である。

また、観光業というのは正規雇用が少なくて非正規雇用が多いことで有名である[108]観光業は繁忙期と閑散期の波がしく、正規雇用して正社員を増やすことが難しく、アルバイトパート派遣社員契約社員といった非正規雇用の形態で従業員を雇用せざるをえないのが実情である。

新自由主義者は解雇規制の緩和をしており、「正社員は解雇しにくく、まさに既得権益である。正社員という雇用形態を消滅させて、全ての労働者を解雇しやすい非正規雇用にしてしまおう」と論ずることが多い[109]。そうした新自由主義者にとって、非正規雇用が多い観光業はまさしく理想の業種である。

非正規雇用の割合が多い観光業を増やすことで、観光業以外の業種に勤める人々に対して「観光業の人たちが非正規雇用で生活しているのだから、君たちも非正規雇用で生活できるはずだ」と圧を掛ける。これが新自由主義者の標の1つである。

反・新自由主義者は、「正規雇用が多い業種を育成し、給料の確実性・安定性に恵まれた労働者を増やすべきだ」と論じるのが常である。そして「観光業を重視すると世の中の非正規雇用が増えてしまい、給料の不確実性・不安定性に悩まされる労働者が増えてしまう」と論じ、観光の政策に対して反対の立場を取ることが多い[110]

新自由主義者は観光業を重視するので、休日分散についても賛成する傾向がある。

休日分散とは、1つのをいくつかの地域に分け、地域ごとに大型連休ずらして取得させることをいう。例えば、「5月1日~5日に北海道東北関東甲信越が休暇に入り、5月6日~10日に東海関西中国四国九州沖縄が休暇に入る」といった具合に休暇を分散させる。

休日分散の利点は、道路渋滞新幹線飛行機の混雑が減り、宿泊施設の宿泊代も安くなり、観光業にとっての閑散期が減って観光業の企業の売上が増える、といったところである。従来どおりに全一斉に休暇を取ると、道路渋滞新幹線飛行機の混雑が強になり、宿泊施設の宿泊代も高くなり、観光業にとっての閑散期が発生して観光業の企業の売上が低いままになる。

休日分散の大きな欠点は、遠隔地に住む友人家族と同時に休暇を取ることができず、人々の間で分断が進んでしまうところである。先ほどの例のように「5月1日~5日に北海道東北関東甲信越が休暇に入り、5月6日~10日に東海関西中国四国九州沖縄が休暇に入る」という制度を導入すると、「北海道で就職した人が5月3日になって関西に帰省しても、関西に住んでいる友人家族は休暇期間に入っておらず、会えない」というような、非常に残酷なことになる。
 

性質その20 資本移動の自由

新自由主義は資本移動の自由追求する傾向がある。

国際金融のトリレンマに従うと3種類の国家のみが地球上に存在することになる。そのうち1種類が資本移動を制限する国家で、残りの2種類が資本移動を自由化する国家である。

ブレトンウッズ体制が健在だった1945年1971年は「資本移動を制限して、固定相場制または中間的為替相場制を採用し、自経済事情に合わせて融政策を実行する」の国家が多く、どこのも資本移動が制限されていて、新自由主義の出る幕がなかった。

ブレトンウッズ体制が崩壊して新自由主義が盛んになった1980年代以降は世界中で資本移動の自由化が進み、「自由な資本移動を受け入れて、変動相場制を採用し、自経済事情に合わせて融政策を実行する」と「自由な資本移動を受け入れて、固定相場制または中間的為替相場制を採用し、他融政策と連動した融政策を実行する」の国家ばかりになった。

資本移動が自由化されることにより、先進国の投資発展途上国市場に乗り込んで現地の国債・社債・株式を買いあさる姿が日常のものとなる。19世紀の帝国義・植民地義とよく似た姿である。

通貨危機が起こりやすくなって市場が不安定になるというのが資本移動の自由化の欠点である。通貨危機をごく簡単に説明すると、Aで保有していた国債・社債・株式を売って得られたA通貨ドルに両替しつつBへ資本を移動させる投資が大量に発生して、A通貨異常に安くなりAの輸入量が減ってAが高インフレに苦しむことをいう。

通貨危機というと1992年イギリスポン危機1992年スウェーデンクロー危機1997年アジア通貨危機2018年アルゼンチンペソ危機2018年トルコリラ危機が有名だが、これらはいずれも資本を自由に移動させる機関投資の手によって引き起こされたものである。
 

性質その21 移民受け入れ

新自由主義が猛威を振るう国家では、人々が賃下げと長時間労働に悩まされ、非婚化と少子化が進行し、人口が減少し、人手不足が深刻化していく。

の人口が減少していく現に直面した新自由主義者は、「これは歴史の必然で、不可避である」とか「人口減少を悪いこととは考えず、決して問題視せず、肯定的にとらえて、楽天的な気分になろう」といった態度を示すことが多い[111]

労働者にを振るって労働強化するときの新自由主義者は「『不可能はない』と思え。『できない』といったらになる。人の可性は無限大だ」などと威勢よく喋るのだが、人口減少に直面するときの新自由主義者は「人口減少を食い止めるのは不可能だ。人口減少に対して有効な対策を立てることができない。々の可性は限に小さい」などと弱音を吐き、無気力そのものといった存在になる。こうした新自由主義者の姿は新・無気力 と表現することができる。

「賃下げと長時間労働を維持しつつ、人口減少を解決したい」と考える新自由主義者は、移民外国人労働者)の受け入れを提唱することが多い。「移民によって国家に活をもたらそう」などと言って、外国人技能実習制度のような移民を受け入れる法整備を進めていく。

結婚して庭を持って出産して子育てして人材を輸出するのは発展途上国の人たちの役割で、結婚せず庭を持たず出産せず子育てせず自己の開発に専念し労働に中になって労働に人生げるのが先進国の人たちの役割だ」といった価値観が少しずつ世の中に広まる。こうした考えかたは一種の際分業であり、「出産と労働の際分業」と称すべきものである。

新自由主義が蔓延する国家では自由貿易が活発に行われ、安価な輸入品に対抗するため各企業が人件費の削減に励むことになり、企業の中で労働者の自信を破壊して賃下げすることが流行する。自信を破壊された労働者は自信を取り戻すため攻撃的な言動に熱中するようになる。

新自由主義が蔓延する国家において、自信を喪失した労働者たちが外国人労働者を攻撃対にすることは全くしくなく、極めて一般的である。日本各地で暴言や暴力パワハラ被害を受ける外国人労働者の姿が見られる[112]

新自由主義者は、「国家の人口が多いと、必ず国家の繁栄の原因となる」という思想を持つ傾向がある。戦後日本がなぜ高度経済成長したかと問われると「人口が多くて人口ボーナスを享受したから」と答える傾向があるし、バブル崩壊以降の日本がなぜ経済停滞しているかと問われると「少子化が進んで人口が減少したから」と答える傾向がある。そして「日本再生するには移民を増やして人口を増やせばよい」と考える傾向がある。

それに対して反・新自由主義者は、「国家の人口が多くても、必ず国家の繁栄の原因となるわけではない」という思想を持つ傾向がある。「労働者に給料の確実性・安定性を与えないまま移民を増やして人口を増やしても、『将来不安に備えてひたすら貯蓄に励む労働者』とか『長時間労働に忙殺されてロクに消費することができない労働者』だけが増えてさほど需要・消費が伸びない」と論じ、「労働者に給料の確実性・安定性を与える政策こそが優先されるべきだ」と論ずる。
  

性質その22 都市国家への回帰

新自由主義者は緊縮財政を志向して財政支出を削減しようとする傾向があるが、その中でも、中央政府から地方公共団体へ渡される庫支出[113]を削減することを好む。

さらに新自由主義者は、地方交付税[114]を敵視する傾向があり、「有な産業がある豊かな地方公共団体に住む個人・企業から富を吸い上げて、ロクな産業がない貧乏地方公共団体へ富をばらまく制度である」と猛批判する傾向がある[115]地方交付税の制度を止することや[116]、「地方交付税の財としていた税」を全て地方税に変換してしまうことをする。

こうした政策は、新自由主義者の手にかかると「地方公共団体が有企業の誘致を必死になって行うようになる政策であり、地方の自立を促す政策である」と美化され、反・新自由主義者の手にかかると「地方の荒をもたらす地方切り捨ての政策である」と厳しく批判される。


新自由主義者の言うとおりに庫支出を削減して地方交付税を止して地方に税を移譲すると、豊富に産業を抱える地方公共団体の財が大幅に増えて行政サービスが充実し、豊富に産業を抱えていない地方公共団体の財が大きく失われて行政サービス劣化する。つまり、地方公共団体の間での格差が強に拡大する。

その結果として、豊富に産業を抱えていない地方公共団体から人々が脱出して、豊富に産業を抱える地方公共団体に人々が流入していく。

新自由主義者の言いなりになると、豊富に産業を抱える地方公共団体において人口が増加して労働の供給が増え、企業が人件費を安く買いいて賃下げできるようになる。企業は人件費の削減と税引後当期純利益の拡大とへの配当の増額と価の釣り上げを行いやすくなり、新自由主義者にとって地上の楽園というべき状況になる。

豊富に産業を抱えていない地方公共団体のことを俗に表現すると「恵まれない土地」となる。また、豊富に産業を抱えている地方公共団体のことを俗に表現すると「恵まれた土地」となる。

恵まれない土地から逃げ出して恵まれた土地に住み着く人々が増えると、都市国家 という国家形態に近づいていく。

一方で、恵まれた土地から飛び出して恵まれない土地に住み着く人々が増えると、領域国家 という国家形態に近づいていく。

都市国家というのは人類の歴史の中で最初に出現した国家形態である。中国でもヨーロッパでもメソポタミアでもインドでも、まず最初に都市国家が出現して、そのあとに領域国家が出現した。そこから考えると、「庫支出を削減したり地方交付税を止したりして国家都市国家の形態に近づけていく新自由主義者は、歴史を逆戻りさせる復古的な存在である」と見ることができる。

新自由主義は、「新(Neo ネオ」という言葉を看に掲げているので時代の最先端を走っている思想であるかのような印を与えるが、別にそんなことはなく、歴史の最初期に逆戻りする復古的な思想である。

恵まれない土地に住み着いて領域国家を作り上げる行為は、冒険心・探検心・開拓心の発露と言うことができる。このため、「庫支出を削減したり地方交付税を止したりして恵まれない土地に住み着く人々を支援しない新自由主義者は、冒険心・探検心・開拓心をあまり持ち合わせていない人たちである」と見ることができる。

冒険心・探検心・開拓心を持っていない状態のことを俗に表現すると「引きこもり」となる。人々が恵まれた大都市圏へ引きこもることを肯定する新自由主義は、新・引きこもり と表現することができる。


また、新自由主義は農業業と産業(漁業)の自由化をめる思想である。海外から輸入される農産物や産物や産物への関税を引き下げる際協定を結んで自由貿易を推進したり、政府が農産物や産物や産物の価格を統制することを止するように推進したりする[117]。こうした政策により、農業業や産業が大打撃を受けるのだが、新自由主義者は「農業業や産業がGDPに占める割合は非常に少ないので、それらの産業を潰しても全く問題にならない」という態度を示す[118]

多くの地方公共団体にとって、農業業や産業は非常に重要な産業である。新自由主義者の政策によって農業業や産業が衰退し、多くの地方公共団体が「豊富な産業を持たない地方公共団体」や「恵まれない土地」に没落していく。


新自由主義者の言うとおりの政策を実行すると、内に人口が極めて希薄な地域(人口空白地域)が生まれることになる。日本量が多くて植物が育ちやすいなので、人口空白地域はぼうぼうの湿地になったり(画像exit)、雑木が生い茂る山地になったりする(画像exit)。そういう場所は殺人事件などの犯罪の実行犯にとって望ましい場所であり、犯罪を犯したあとに拠を隠滅するのに最適な場所である。人口空白地域は治安の悪化を引き起こしやすいものであり、発生させない方が望ましい。

つまり、治安の維持を優先するためには、新自由主義者の言うことを却下して人口空白地域の発生を押さえ込むことが望ましい。

新自由主義者といえば自助論が大好きで、経済的な苦に陥った労働者を意地でも支援しようとしない傾向がある。しかし、そんな新自由主義者が意識のうちに支援する存在があり、犯罪拠を人口空白地域に隠滅しようとする犯罪者である。新自由主義者は、内に人口空白地域を作り出すことにより、「人に付くことをひたすら恐れつつ拠を隠滅する犯罪者」をしっかりと支援している。

犯罪者にとって、人口空白地域を作り出してくれる新自由主義者はとても頼りになる存在である。犯罪者は、「恵まれていない土地を開発するのは駄で非効率的なので、そこから人を退避させて人口空白地域を作り出してしまおう」とする新自由主義者を見ると、「犯罪拠を安心して隠滅できるようになる」と考えて大喜びする。

新自由主義者は、労働者から給料の確実性・安定性を奪い取って労働者を不安に陥れることばかりしているのだが、その一方で、人口空白地域を作り出して犯罪者に「拠隠滅の確実性・安定性」を与え、犯罪者を不安から解放している。

新自由主義者は、労働者に冷酷な仕打ちをしつつ、犯罪者に温かい支援の手を差し伸べている。

労働者が新自由主義者の顔を見ると「自分の給料の確実性・安定性を破壊する人だ」と察知して、陰な表情になり、曇った表情になり、おびえた表情になる。一方で犯罪者が新自由主義者の顔を見ると「自分の犯罪拠隠滅の確実性・安定性を創造する人だ」と察知して、明るい表情になり、晴れやかな表情になり、安心した表情になる。

ここまでのことをわかりやすく表にすると、次のようになる。

犯罪者 労働者
新自由主義が優勢な国家でどうなるか 人口空白地域が増えて、拠隠滅の確実性・安定性を得られる。「将来になっても隠滅した拠が見つからない」と安心することができ、不安から解放される。温かい支援の手が差し伸べられるので、明るい表情になる 解雇規制が緩和されて、給料の確実性・安定性が失われる。「将来に解雇されるかもしれない」と思うようになり、将来不安にさいなまれ、安心することができない。冷酷な仕打ちを受けるので、陰な表情になる

 
人類の歴史を振り返ると、中国でもヨーロッパでもメソポタミアでもインドでも、都市国家から領域国家へ移行していった様子を観察できる。そうした移行の原動は、犯罪に対する恐怖心であると考えることができる。「人口空白地域を残したままにすると、犯罪者拠を隠滅しやすい状態が続き、治安の面で望ましくない」という恐怖心が働き、その恐怖心によって人口空白地域に人々が進出していき、領域国家が形成されていった、と見ることができる。

一方で新自由主義者は恐怖心が麻痺しており、犯罪に対する恐怖心を持ち合わせていない。このため人口空白地域を拡大させて都市国家へ逆戻りする政策を気で支持する。ゆえに新自由主義を新・麻痺 とでも表現することができる。

覚醒剤を使用すると恐怖心が麻痺する。このため各の軍隊は戦争になったら覚醒剤兵士に投与して兵士恐怖させているし、第二次世界大戦において襲の恐怖に悩まされた民間人が覚醒剤を使用した例がある[119]犯罪への恐怖心が麻痺して人口空白地域を気で作り出す新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。

新自由主義者というのは、不幸退廃に苦しむ人々を見たらをそむけ、見なかったことにして、幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持することを得意とする人たちである[120]。そうした意識を保つことで、労働者に対して情け容赦のない賃下げを実行することが可になり、企業の税引後当期純利益を増やしてへ支払う配当を増やして価をつり上げることが可になるからである。しかし、不幸退廃に苦しむ人々を見たらをそむけるという意識を維持する行為には、「犯罪がこの世に存在することを意識するが衰えていき、犯罪への恐怖心が麻痺していく」という望ましくない副作用がある[121]

日本国においては、昭和時代から平成時代を経て令和時代に至るまで、人口が少ない地域で公共事業を大々的に行うことが常態化している。そうした政策を徴する言葉が「土の均衡ある発展」や「日本列島改造論」である[122]。そういう政策に対して、新自由主義者を中心とする政治が「利権政治であり、汚職政治であり、選挙で票を得るための利益誘導であり、で票を買う行為である」などとボロクソにこき下ろすことがおなじみの風景である[123]。あるいは新自由主義者が「クマしかいない土地に立高速道路を敷くことは、重なお金をドブに捨てるような行為であり、効率的でない政策であり、駄な政策である」といった具合に痛批判するのも見慣れたである[124]

それに対して反・新自由主義者を中心とする政治が「人口が少ない地域の人々の雇用を守るための大切な政策である」などと擁護することも恒例である。

しかし、「人口が少ない地域で公共事業を行うことで犯罪を抑制できる」といった擁護も、反・新自由主義者にとって必要と言える。「クマしかいない土地に道路を敷くことをとりやめると、クマしかいない土地に犯罪拠を隠滅する者が出現するようになって治安が悪くなる」というふうに即座に言い返すことも論争において必要となる。

人口が少ない地域で公共事業を大々的に行うことで、「人気(ひとけ)の少ないところに犯罪拠を隠滅しても、その場所で公共事業をやられてしまったら、公共事業の工事の最中に犯罪拠が見つかってしまう」と人々に考えさせることができ、人々が犯罪に手を染めることを思いとどまるように仕向ける効果がある。

新自由主義者がするように「人口が少ない地域で公共事業をすることは駄で非効率だから今後は決して行わない」と政府地方公共団体が宣言すると、「人気(ひとけ)の少ないところに犯罪拠を隠滅すれば、その場所で公共事業を行われることもないので、その拠が永遠に見つからず、完全犯罪exitが成立する」と人々に考えさせることになり、人々が犯罪に対して前向きな気分になり、人々が「犯罪をやってしまおう」と考えるきっかけを作り出すことになる。

犯罪者犯罪拠品を積み込んだ自動車を運転し、人里離れた場所まで行って、人気(ひとけ)のない雑木の前に辿り着いたとする。その雑木の前に「このあたりは令和○年から道路を建設する予定となっています」という看が置いてあると、犯罪者は「道路建設の工事中拠が見つかるだろう」と考えて震え上がる。その一方で、その雑木の前に「新自由主義者が緊縮財政して地方へ渡す国家予算を削っているので、このあたりは将来にわたって決して公共工事をしません」という看が置いてあると「永久拠が見つからない」と考えて堂々と拠を隠滅する。

この例え話のように、実際に公共事業を行わずに「公共事業の予定地です」という看を立てるだけでも、犯罪を抑止する効果がある。

新自由主義者の政治活動によって犯罪者が暮らしやすい国家になり、犯罪をする自由が拡大する。このため新自由主義を新・犯罪 と表現することができる。


新自由主義とは直接の関係がないのだが、新自由主義者の願望達成を支援する可性を持つ政治運動があり、「1票の重みの格差是正をめる政治運動」という。

日本はすべての地域の人口密度が一定ではなく、田舎と呼ばれる人口過疎地域と、都会と呼ばれる人口過密地域に分かれている。

全ての選挙区の面積を同じぐらいにすると、人口過疎地域の選挙区は少ない有権者から1人の国会議員を送り出し、人口過密地域の選挙区は多い有権者から1人の国会議員を送り出すことになるので、有権者の1票の重みが選挙区ごとに異なることになる。こうした事態を問題視し、「日本国憲法第14条に従って有権者の1票の重みを均等にすべきであり、そのために人口過疎地域の選挙区の面積を広くしたり、人口過密地域の選挙区を狭くしたりするべきである」とするのが「1票の重みの格差是正をめる政治運動」である。

衆院選参院選が行われた直後に「1票の重みが選挙区ごとに異なるのは日本国憲法第14条に違反している。あの選挙効である」といった議員定数不均衡訴訟が全各地の地方裁判所で一斉に起きるのが日本風物詩となっている。

裁判所が「違状態」と判決を下したり「違」と判決を下したりするので[125]、それに応じて国会でも「人口過疎地域の選挙区を広げて、人口過疎地域から選出される国会議員の数を10人減らす。人口過密地域の選挙区を狭くして、人口過密地域から選出される国会議員の数を10人増やす。10増10減をする」といった法律を可決している。

「1票の重みの格差是正をめる政治運動」にも欠点があり、人口過疎地域の選挙区を駆け回る国会議員の負担が増えて、人口過疎地域の選挙区の民意を全て吸収しきれなくなるというものである[126]

「1票の重みの格差是正をめる政治運動」が進み、人口過疎地域から選出される国会議員の数が減り、人口過密地域から選出される国会議員の数が増えると、地方交付税を止するような新自由主義者好みの政策が国会で可決される可性が次第に高くなっていく。

人口過疎地域は「居住する個人・企業税を少なく納めているのに地方交付税を多く受け取る地方公共団体」が多くて、地方交付税を支持する政治を生みやすい。一方で人口過密地域は「居住する個人・企業税を多く納めているのに地方交付税を少なく受け取る地方公共団体」が多くて、地方交付税を批判する政治を生みやすいからである。

もちろん、人口過密地域から「地方交付税は人口空白地域の発生を抑制する効果があり、国家治安維持のために重要な制度である」としつつ地方交付税を支持する国会議員が現れることもあるので、「1票の重みの格差是正をめる政治運動」が進んだからといって直ちに新自由主義者が望むように進んでいくとは限らない。

議員定数不均衡訴訟を起こす人の中には弁護士が多く含まれている。また、議員定数不均衡訴訟で違状態判決や違判決を出すのは裁判官である。また、法律学の大学教授の中には議員定数不均衡訴訟の違状態判決や違判決を支持する者がいる[127]

1964年昭和39年2月5日最高裁は「議員定数を人口に応じて配分すべきことを積極的に命じている憲法の規定は存在しない。議員定数の配分は立法府である国会の権限に属する立法政策の問題である。参議院選挙における投票価値のが1対4.09程度では極端な不等であるとは言えない」という判決を下した(資料exit)。この判決は「1票の重みの格差是正をめる政治運動」を抑制する政治が支持する判決である。

一方で1976年昭和51年4月14日最高裁は「各選挙人投票の価値の等もまた憲法の要するところである。衆議院選挙における投票価値1対4.99は一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない」という判決を下した(資料exit)。この判決は「1票の重みの格差是正をめる政治運動」の出発点となる判決である。

「1票の重みの格差是正をめる政治運動」を推進する人は、「日本国憲法第14条を遵守して、人口過密地域の都市部の人々が持っている基本的人権を尊重せよ」とひたすらすればいいだけなので、楽に戦うことができる。一方で「1票の重みの格差を肯定すべき」とする人は、理屈を組み立てるのが難しく、厳しい戦いを強いられる。

1票の重みの格差を肯定するということは、人口過密地域の都市部の人々が持っている基本的人権を制限するということである。憲法教科書によれば、基本的人権を制限するときに用いるべき口実は、他者加害原理と「限定されたパターナリスチックな制約」の2つである[128]。その中でも1票の重みの格差を肯定するときに使うべき口実は「限定されたパターナリスチックな制約」になると思われる。

「人口過密地域の都市部の人々が持っている基本的人権を尊重して1票の重みの格差を是正すると、人口過疎地域の田舎の民意が政に反映されにくくなり、人口空白地域が発生しやすくなり、犯罪者犯罪拠を隠滅しやすくなり、犯罪が増えやすくなり、人口過密の都市部の人々が犯罪に巻き込まれて回復不可能なほど永続的に人格的自律権人生設計をする権利)を失う可性が高まる」と述べる。

そして、「人口過密の都市部の人々が持っている基本的人権を制限して1票の格差をそのままにすることで、人口過密の都市部の人々が回復不可能なほど永続的に人格的自律権人生設計をする権利)を失うことを防ぐ」と述べていく。

ついでに「未成年が持っている基本的人権を制限して未成年の飲権を取り上げることで、未成年回復不可能なほど永続的に健康人格的自律権人生設計をする権利)を失うことを防いでいるが、それと同じことをする」と述べる。

このように「1票の重みの格差を肯定すべき」とする人は「限定されたパターナリスチックな制約」の理屈を組み立てていくことになる。


新自由主義とは直接の関係がないのだが、新自由主義者の願望達成を支援する可性を持つ思想がある。それは「手つかずの自然尊い」という思想である。

「手つかずの自然尊い」という思想は「自然尊い」という思想と似ているが、一致していない部分がある。

自然尊い」という思想は、人が業を通じて植する人工林exitもある程度まで肯定することになる。しかし「手つかずの自然尊い」という思想は人が業を通じて植する人工を否定することになり、人の手があまり入っていない天然林exitや、人の手が全く入っていない原生林exitを大いに肯定することになる。

「手つかずの自然尊い」という思想は、自然に人の手を加えることを嫌がる思想であり、農業業を否定する思想であり、人口空白地域の創出につながりやすい思想であり、「日本において農業業はGDPへの貢献度が非常に少ないから縮小してしまえばいい」とか「恵まれない土地から撤退して恵まれた土地に集まればよい。それが駄を排除した効率化というものだ」という新自由主義者の政策の追いになりやすい思想である。

「手つかずの自然尊い」という思想を持つ人の中には「手つかずの自然に対して感じる畏怖心や恐れ敬う心は、人類が持つ原始的な感情である」といった思想を持つ人がいる。

「手つかずの自然尊い」という思想によく似た思想として、「手つかずの自然深くに、豊かにが湧き出てくるような静かで清浄でな場所がある。そうした場所についてのイメージ日本人底にひそかに残っていて、日本人は『逝去したらそこに帰りたい』ともが考えている」という思想がある[129]。つまり「手つかずの自然がすべて尊いというわけではないが、手つかずの自然の中に尊い場所がある」という思想である。

これらの思想に対して批判的な人は「手つかずの自然のなかに犯罪者犯罪拠を隠滅することがある。手つかずの自然犯罪の温床になりやすいものであって、危ない場所である。手つかずの自然はものすごく尊いわけではない」と言ってみたり、「手つかずの自然に立ち入る人は、『ここで遭難したらにも見つからず、あの世行きになる』と直感して遭難への恐怖心が心の中に湧き起こる。そうした遭難への恐怖心を『手つかずの自然に対する畏怖心』に錯覚しているだけではないか」と言ってみたりする。


新自由主義者が心から好む言葉というと「効率化」と「駄の削減」である。twitterなどのSNSや書籍で「効率化」と「駄の削減」を連呼する新自由主義者の姿が多く見られる。そうした姿は新・効率化 と表現することができる。

日本は食糧やエネルギーなどの資の自給率が低いである。資駄なく効率よく使用することは日本国民にとって永遠の課題である。このため「効率化」と「駄の削減」は日本において大変にイメージが良い言葉となっている。

新自由主義者は「効率化」と「駄の削減」を連呼して自らのイメージを高めつつ、実際に「効率化」と「駄の削減」を追求する行動を起こしてさらに自らのイメージを高めている。解雇規制を緩和して生産性の高い人だけが企業に雇用されるようにして企業の生産の効率化が進むことをすし、緊縮財政を導入して生産性の低い土地への財政支出を削減することで生産性の高い土地に企業や人材が集まるようにして国家全体の生産の効率化が進むことをす。

しかし、生産性の高い土地に企業や人材が集まるようにして国家全体の生産の効率化が進むことをすと、人口空白地域が発生し、犯罪者拠の隠滅を行いやすくなり、犯罪者が大喜びす社会になる。犯罪者というのはとてもイメージが悪い。

新自由主義者は、「効率化」と「駄の削減」を追求して自らのイメージを高めているが、それと同時に「人口空白地域の発生」と「犯罪者への側面支援」を促進することで自らのイメージを大きく損ねている。


新自由主義者といえば、労働者の賃下げを繰り返して貧困層を増やして治安が悪化する可性を高める政策を気で支持するし、地方公共団体への財政支出を削減して人口空白地域を作り出して犯罪拠を隠滅しやすい土地を増やして犯罪の発生を手助けする政策を気で支持する。新自由主義者のこれらの行動から、「治安の良さに価値を見いださない」とか「犯罪の脅威を意識できない」という性質を読み取ることができる。治安の良さに価値を見出さない新自由主義のことを新・危険 と表現することができる。

日本政治に関する言論間では、外の脅威を意識できない人物のことを「お花畑」と表現するのが通例だが、犯罪の脅威を意識できない新自由主義者のことも「お花畑」と表現することができる。新自由主義は新・お花畑 と表現することができる。


新自由主義といえば、官営事業を民営化して「政府の費用」を一杯削減することを追求する思想である。そして、官営事業を民営化することの代表例が鉄道の民営化である。

民営化された鉄道会社はから「不採算部門を止して費用を減らして税引後当期純利益をひねり出し、への配当を増やせ」という要を浴びることになり、人よりもタヌキの数が多いような辺田舎を走る鉄道止して、道路バスを走らせる事業形態へ転換していくようになる[130]

これに対して反・新自由主義は犯罪の抑止を重視する思想であり、「政府の費用」の発生をある程度容認する思想である。人よりもタヌキの数が多いような辺田舎を走る鉄道を抱える鉄道会社を営化し、赤字鉄道路線を維持しようとする。

反・新自由主義は「こんな辺田舎にも鉄道が走っているのか・・・なんだか人がいるような印を受ける。これでは犯罪拠を隠滅できないだろう」と犯罪者に思わせることを重視しているので、赤字鉄道路線の維持という選択肢を好む。「鉄道は大量輸送で、バスは少量輸送である。鉄道が走っているは人が多いような印を与え、鉄道が走っておらずバスが走っているは人が少ないような印を与える。このため鉄道を走らせたほうが犯罪者への威圧の効果が高く、犯罪の抑制の効果が高い。犯罪者というのは短絡的な思考回路の持ちで、見たの印だけで右往左往するような存在である。赤字鉄道路線の維持費は犯罪抑制費と割り切るべきだ」などと述べ立てる傾向がある。
 

性質その23 費用に対する嫌悪

新自由主義者は、「企業や個人というものは利益の最大化を追求する存在である。企業なら税引後当期純利益の最大化を追求するというのがごく自然な姿であり、個人なら可処分所得の最大化を追求するというのがごく自然な姿である」という思想を持っている。

税引後当期純利益というのは、売上などの収益から人件費などの費用を引いて税引前当期純利益を算出し、税引前当期純利益から法人税を引いて、最後に残った額のことである[131]

可処分所得というのは、給料などの収入から経費を引いて所得を算出し、所得から所得税を引いて、最後に残った額のことである。

このため新自由主義者は、費用や経費を毛嫌いする傾向にある。

新自由主義者が費用や経費を嫌っていることを示す例として、新自由主義者の「行列のできる人気店」に対する理解というものを挙げることができる。やや細かい例だが、本項解説しておきたい。

ある店が商売繁盛になり、「行列のできる人気店」になった場合、その店は3つの選択肢の中から1つを選ぶことができる。①銀行から借り入れして資を調達して店舗を増やしたり人員を雇ったりして供給を増やし、行列を解消し、商品の価格を一定にしつつ客足をさらに増やして、税引後当期純利益の大幅拡大をす。②客足が減って需要が減ることを覚悟の上で商品の価格を釣り上げて、高級店に変貌して、行列を解消しつつ客足も途絶えさせないという絶妙な価格を見つけて、税引後当期純利益の小幅拡大をす。③店舗も増やさず価格も釣り上げず、行列をそのままにして税引後当期純利益の維持をす。

新自由主義者が大いに理解できるのは①であり、②も理解できる。しかし新自由主義者は③を理解できず、「なぜ③の方法を採用するのだろうか。①や②を採用すればいいではないか」とSNSで困惑気味に喋ることが多い。

店にとって、行列ができている状態はける機会の損失であり、機会損失である。しかし、行列ができていることで周囲に対する言の広告宣伝になっているので、「ける機会を損失していて機会損失となっているが、しかし、その機会損失は一種の広告宣伝費として考えよう」という経営判断をすることができる。

客にとって、行列に並ぶ状態は他の何かをする機会の損失であり、店のサービスを享受するための機会費用[132]である。しかし、行列ができていることで「自分以外の人が人身御供・人柱ひとばしら)になってくれている。行列ができているから良い商品なのは間違いない」という安心感を得られるので、「他の何かをする機会を損失していて機会費用となっているが、しかし、一種の『安心獲得費』として考えよう」という判断をすることができる。

③の方法を採用する店は広告宣伝費を重視しているのであり、そうした店舗の行列に並ぶ客は「安心獲得費」を重視している。このように「すきこのんで費用を支払おうとする人」は確かに存在するのだが、新自由主義者はそういう人を理解することを苦手としている。

行列のできる人気店」が発生するのは日本のような治安が良いに限られる。治安が悪い行列を作ると拳銃を持った強盗犯や足の速い窃盗犯がやってきての物を奪われてしまうので、治安が悪いでは「行列のできる人気店」が発生しにくい。

日本でそこら中に「行列のできる人気店」が発生することは日本治安の良さを明する出来事であって、ある程度賞賛されるべきことであるが、新自由主義者にとっては「日本で『行列のできる人気店』が発生するのは日本人政府に飼い慣らされて奴隷根性を植え付けられているからである」とか「日本人は効率を意識できず駄なことばかりする劣った人たちである」ということになって「恥ずかしいこと」ということになる。「治安の良さを誇らない」とか「治安の良さに価値を見いださない」というのが新自由主義者の性質のひとつである。
 

核となる人間観その1 働かざる者食うべからず

新自由主義者の心の中に根をっているのは「働かざる者食うべからず」の思想である[133]

新自由主義の信奉者であるミルトン・フリードマンは、「無料食(フリーランチ)のようなものは存在しない(There ain't no such things as a free lunch)」という格言を自著の題名に採用した[134]。それを受けて「無料食のようなものは存在しない」という言い回しが新自由主義の支持者たちに根付くことになった。「無料食のようなものは存在しない」は「働かざる者食うべからず」と酷似した思想である。

働かざる者食うべからず」の格言からは、「人というものはまず第一に供給・生産を行うべきである。人というものは供給・生産をするとそれに応じて需要・消費をする権利を得る」という思想が導かれる。

そして「供給・生産をしないまま需要・消費をしようとするのは不道徳であり堕落であって、卑しいフリーライダーのすることである」という思想が導かれ、供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者に対して露に軽蔑したり然と嘲笑したりする心理傾向も導かれていく。

人が人を露に軽蔑したり然と嘲笑したりするのは「礼儀を失する行為」のうちに入るはずだが、「働かざる者食うべからず」の格言が胸の中に生きる新自由主義者の中には、そうした行為を行う人もいる。

「供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者」の典例は、政府と「年金暮らしの老人」である。新自由主義者の一部は、「働かざる者食うべからず」の思想に従って、政府や「年金暮らしの老人」に対して冷ややかな態度を取る傾向がある。

働かざる者食うべからず」の格言が胸の中に生きる新自由主義者の一部が「供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者」を軽蔑したり嘲笑したりするときの様子というのはを引くものがあり、「自分は供給・生産をしてからその範囲内で需要・消費をしていて、名誉ある存在である。そして彼らは供給・生産をせずに需要・消費をしていて、とても恥ずかしい存在である」という態度を全開にする。「名誉ある行動とはなにか、恥ずかしい行動とはなにか」ということを懸命に考えている様子がうかがわれる。

「供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者」に対して「働かざる者食うべからず」の思想の信奉者が浴びせる言葉には「高望みしている」「わがままなだけ」「身の程知らず」「享楽にふけっている」「不道徳である」といったものがあり、道徳心に訴えかけるものが多い。また、「現代の日本の庶民は昔よりも生活準が向上していて、明治時代の大富豪と同程度の生活をしている」などと述べてから、「それなのに彼らは、きわめて恵まれていることに気付かず、ただひたすら高望みをしようとしている」と述べて、「彼らは高望みしている」という言葉をさらに引き立たせる工夫をすることもある。

新自由主義の信奉者が「働かざる者食うべからず」の思想に基づく道徳を説いて、相手の「高望みをする自由」を奪ったり「供給・生産よりも多くの需要・消費をする自由」を抑圧したりするは、多く見られる。やはり新自由主義は新・不自由 とか新・抑圧 と表現することができる。

新自由主義者は、戦中の軍国主義日本における自由の抑圧を底的に批判する。「戦中は軍国主義という全体主義日本を征し、『欲しがりません勝つまでは』『ぜいたくは敵だ!』『日本人ならぜいたくは出来ないだ!』という標が掲げられて、人々の自由が押し潰された」と厳しく糾弾するのがおなじみの姿である。

ところが新自由主義者は、「働かざる者食うべからず」の道徳論で説教するのが好きであり、「欲しがりません、自分の生産するえる分は」「自分の生産えたぜいたくは敵だ!」「『働かざる者食うべからず』の真理を知っている人なら、自分の生産えたぜいたくは出来ないだ!」といった調子で説いて回り、「生産えた消費をする自由」を抑圧するのが好きである。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「全く働かない時間」を大量に必要とする生物であり、本質的に「働かざる者」である。そのため「働かざる者食うべからず」の思想をることで、その言葉を聞く人に「自分は『働かざる者』なので飯を取り上げられるかもしれない」と考えさせることができ、萎縮させておびえさせることができる。

新自由主義者の口から放たれる「働かざる者食うべからず」の思想は、聞く人を萎縮させる。このため新自由主義は新・萎縮 と表現できる。

働かざる者食うべからず」の思想をる新自由主義者は、言葉を発するだけでその言葉を聞く人を萎縮させる経験をすることになる。言葉を発するだけでその言葉を聞く人を萎縮させるという経験は、本来なら、なんらかの団体に参加して色々と苦労をして権者の座にのぼりつめてから味わうものだが、新自由主義を支持して「働かざる者食うべからず」の思想を受け入れれば全く苦労をせずに味わうことができる。


働かざる者食うべからず」の思想は「需要・消費が供給・生産よりも多い状態になってはいけない。『需要・消費>供給・生産』の状態は許されない」というもので、「需要・消費の総量が供給・生産の総量以下であるべきだ。『需要・消費≦供給・生産』であるべきだ」というものである。

そして、そこから自然に、「需要・消費というのは良くない行動だ」という思想が生まれてくる。

需要・消費というのは、消費者が生産者に向かって情報提供する行為であり、一種の教導・教育の行為である。消費者がお金を払ってより良い製品を購入することで生産者は「こういう製品を作ればよいのか」という知識を得られるし、消費者が生産者に「この部分がダメだ。もっと良いものを作れ」としく要することで「この部分がダメなのか」という知識を得られる。

生産者というものは、生産することばかりに気を取られて製品の良し悪しや製品のダメな部分に気づかないことが、しばしばある。このため消費者からの情報提供があると大きな助けとなる。

「需要・消費は生産企業に対する情報提供であり、教導・教育の行為である」という表現を企業経営者向けビジネス雑誌に言い換えると、「消費者は企業の商品開発に参加している」「消費者というのは企業の商品開発部門における重要な一員である」といった表現になる。

需要・消費というのは生産・供給を助ける教導行為であり、決して馬鹿にできない行動なのだが、「働かざる者食うべからず」の思想から自然と導かれる「需要・消費というのは良くない行動だ」という思想にとらわれると、どうしても需要・消費を軽視するようになる。

そして、「生産者は、消費者からの情報提供がなくても、自発的な決意を持つことで、製品の良し悪しや製品のダメな部分に気づくことができるようになる。しっかりと決意を固めたときの生産者は全知全である」という思想に傾倒するようになる[135]。生産者の決意や知を過信する様子は新・全 と表現することができる。

「しっかりと決意を固めたときの生産者は全知全になり、商品の良し悪しをすべて把握できるようになる」という思想はだいぶ現実離れしており、批判的に言えば「うぬぼれ」となる。このため、そうした信条を持つことを新・うぬぼれ と表現することも可である

覚醒剤を使用すると全感に満ちあふれ、「自分はなんでもできる」と信じ込むようになる[136]。「しっかりと決意を固めたときの生産者は全知全になり、商品の良し悪しをすべて把握できるようになる」という思想を抱える新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。


働かざる者食うべからず」の思想は「需要・消費が供給・生産よりも多い状態になってはいけない。『需要・消費>供給・生産』の状態は許されない」というもので、「需要・消費の総量が供給・生産の総量以下であるべきだ。『需要・消費≦供給・生産』であるべきだ」というものである。

そして、そこから自然に、「需要・消費よりも供給・生産の方を多く行う人・団体は偉い。『需要・消費<供給・生産』の状態は偉い」という思想が生まれてくる。

働かざる者食うべからず」の思想から生しやすい「需要・消費よりも供給・生産の方を多く行う人・団体は偉い」という思想に従うと、日本が自動的に「とても偉い」「世界で一番すごい」「世界中から尊敬される」に成り上がることになる。日本1981年から40年連続で経常収支黒字を続けているで、供給・生産が需要・消費を上回り続けているだからである。

このため、「日本際的な地位」というのを気にするタイプの人が「働かざる者食うべからず」の思想を好むことがあり、そういう人が吸い込まれるように新自由主義に傾倒していく。

1991年湾岸戦争日本は巨額のお金多国籍軍に支払ったが、戦後クウェート米国新聞に掲載した感謝広告には日本名前がなく(記事exit)、屈辱的な扱いを受けた。これを受けて「日本際的な地位は非常に低い」ということが政治に関する論壇で盛んに論じられた。このように、「日本際的な地位」というのを気にするタイプの人は一定の割合で存在する。

「新自由主義が全世界に広まると『働かざる者食うべからず』の思想が全世界に定着し、日本が『世界で一番すごい』に昇格し、日本際的な地位が向上する」とか「新自由主義を全世界拡散し、日本際的な地位を向上させよう」という考えは、名誉欲を原動にした考えである。こうした考え方を新・名誉欲 と表現することができる。

人間社会において、安全地帯に引きこもってけに専念する人・団体は、「苦しんでいる他人を気で見捨てる人・団体」と扱われて名誉らしい名誉を与えられない傾向がある。そういう人・団体は、お金を握りしめながら恥辱を慢する生き方をすることになる。

ところが、新自由主義が流行して「働かざる者食うべからず」の思想や「需要・消費よりも供給・生産の方を多く行う人・団体は偉い」の思想が広まりさえすれば、安全地帯に引きこもってけに専念する人・団体は「需要・消費よりも供給・生産を多くこなす人・団体で、とても偉い」ということになり、お金だけでなく名誉も手にするようになる。

新自由主義のおかげで、安全地帯に引きこもってけに専念する人・団体は、お金と名誉の両方を獲得できるようになる。このため新自由主義は新・一石二鳥とか新・一挙両得 と表現できる。

1991年湾岸戦争において露呈した「日本際的な地位の低さ」に悔しを流した人や、安全地帯に引きこもってけに専念したことで「苦しんでいる他人を気で見捨てている」と非難されて恥辱をたっぷり味わった人が、その憂さらしとして、あるいは名誉回復運動として、「働かざる者食うべからず」の思想や新自由主義の信奉者になる、という流れがある。

人間社会において学術研究に専念する人たちがおり、学者と呼ばれている。学者の中には、危険地帯に飛び込んで学術研究をする人たちもいるが、安全地帯に引きこもって学術研究をする人たちもいる。

安全地帯に引きこもって学術研究に専念する学者は、安全地帯に引きこもってけに専念する人・団体と同じように、「苦しんでいる他人を気で見捨てている」と非難されることが多い。このため安全地帯に引きこもる学者の中には「『働かざる者食うべからず』の思想が広まれば、安全地帯に引きこもる生き方をしてもかれなくなり、それどころか最大級の名誉に恵まれるようになる」と考えて、「働かざる者食うべからず」の思想や新自由主義を支持する人がいる。
 

核となる人間観その2 人は需要・消費を本能主導で行って、供給・生産を知性主導で行う

新自由主義者は、「人は打算・知性で需要・消費をするのではなく、本で需要・消費をする」という人間観を持つ傾向がある。

新自由主義の信奉者は「人は、給料の不確実性が増すと将来不安に備えるため貯蓄に励むようになり、消費をしなくなる」という論理無視したり軽視したりする。そして「人は給料の不確実性が増しても本に従って一定量の消費を必ず行う」という論理を支持する傾向があり、その論理に従いつつ「労働者の給料の不確実性をもっと増大させても大丈夫だ。そうしても消費が落ち込まず、デフレ不況にならない」とする傾向がある。


また、新自由主義者は、「人は恐怖心・防衛本で供給・生産をするのではなく、知性・頭で供給・生産をする」という人間観を持つ傾向がある。

世の中には「消費者の苛な要によって生産企業が鍛えられる。消費者が企業に対しての形相でしく要することで企業が消費者の叱責を恐れるようになり、様々な面で注意の限りを尽くすようになり、技術を向上させる。消費者に対する恐怖心や、消費者の叱責を回避したいという防衛本企業の生産を向上させる。企業は消費者に対する恐怖心・防衛本を持つことで生産技術を高めていく」という考え方がある。新自由主義者はこうした考え方をするのが苦手であり、「生産企業は『からのも受けずに自由に発想する人』を多く抱えることで知が高まり、頭が冴え渡り、創意工夫をするようになり、生産を向上させていく」といったな考え方を好む。


総じていうと、新自由主義者は、「需要・消費を本導で行って、供給・生産を知性導で行うのが、人間というものだ」という人間観を持つ傾向がある。

これに対して反・新自由主義の傾向を持つ者は、「需要・消費を知性導で行って、供給・生産を本導で行うのが、人間というものだ」という人間観を持つ傾向があり、新自由主義者とは対照的なところがある。
  

核となる財政思想 税金は財源

新自由主義者は「税金は財」という思想を非常に好む傾向がある。「税金は財」という思想は、政府地方公共団体税金を徴収する理由を解説する思想である。

政府地方公共団体税金を徴収する理由を解説する思想は、大別すると2つ存在する。

1つは「税金は財」という思想であり、「政府地方公共団体は財を得るために徴税する」という考え方である。「税金は財」という思想からは租税利益説租税義務説という2つの思想が生まれる。

もう1つは「税金は罰」という思想であり、「政府地方公共団体は人の悪行を罰して矯正するために徴税する」という考え方である。「税金は罰」という思想は機能的財政論から生まれる考え方である。

憲法学の教科書には「人の基本的人権を制限するときは他者加害原理を基礎とするべきであり、『限定されたパターナリスチックな制約』を基礎とすることも例外的に容認される。一方で、人の基本的人権を制限するときに『社会における多数または全体の利益の達成』を基礎とするのは望ましくない」といった内容のことが書かれている[137]

他者加害原理を口実に基本的人権を制限する」ということを簡単に言うと「○×は他者に危を加えるという悪いことをしているので、○×の基本的人権を制限して○×の自由を奪う」ということになる。「『限定されたパターナリスチックな制約』を口実に基本的人権を制限する」ということを簡単に言うと「○×は自己に対して危を加えて回復不可能なほど永続的に人格自権(人生を設計する権利)を失おうとしているので、○×の基本的人権を制限して○×の自由を奪う」ということになる。これらは納得する人が多いと言える。

社会における多数または全体の利益の達成を口実に基本的人権を制限する」ということを簡単に言うと「○×は何も悪いことをしていないが、全体の利益を実現するため、○×の基本的人権を制限して○×の自由を奪う」ということになり、実に何とも抑圧的であり、納得する人が少ないと言える。

税金は財」の思想によれば、政府地方公共団体が「社会における多数または全体の利益の達成」を基礎にして徴税していることになり、政府地方公共団体憲法学の教科書の教えに反しつつ人の基本的人権を制限していることになり、政府地方公共団体が徴税という名で悪い行動をしていることになる。

税金は財」の思想は政府地方公共団体を悪玉に仕立て上げることができる思想であり、政府地方公共団体を悪玉に仕立て上げたいと思う政治にとって都合の良い思想である。

政府地方公共団体を悪玉に仕立て上げたいと思う政治には新自由主義の信奉者が多く含まれている。そうした人たちは「税金は財」の思想を強く支持することになる。

税金は財」の思想は政府地方公共団体に対するヘイトスピーチにやや近いものであり、扇情的な思想である。

一方で「税金は罰」の思想によれば、政府地方公共団体他者加害原理や「限定されたパターナリスチックな制約」を基礎にして徴税していることになり、政府地方公共団体憲法学の教科書の教えに従いつつ人の基本的人権を制限していることになり、政府地方公共団体が徴税という名で一定の理解を得られる行動をしていることになる。

税金は罰」の思想は政府地方公共団体を悪玉に仕立て上げない思想であり、政府地方公共団体の徴税をある程度容認すべきとする政治にとって都合の良い思想である。

政府地方公共団体の徴税をある程度容認すべきとする政治には、反・新自由主義の信奉者が多く含まれている。このためそうした人たちは「税金は罰」の思想を強く支持することになる。

税金は罰」の思想はヘイトスピーチから遠く離れた言い回しであり、あまり扇情的ではない思想である。

以上のことをまとめると次のようになる。
 

税金は財 税金は罰
政府地方公共団体が徴税する時の口実 社会における多数または全体の利益の達成 他者加害原理や「限定されたパターナリスチックな制約
政府地方公共団体の徴税はどういう行動 憲法学の教科書の教えに反しつつ基本的人権を制限する行為であり、とても悪い行為である 憲法学の教科書の教えに従いつつ基本的人権を制限する行為であり、ある程度容認すべき行為である
政府地方公共団体をどう扱うことが可 悪玉に仕立て上げることができる 悪玉に仕立て上げることができない
どういう思想か 政府地方公共団体に対するヘイトスピーチに近く、扇情的な思想である ヘイトスピーチから遠く離れていて、あまり扇情的ではない思想である
支持者 新自由主義者 反・新自由主義者

 
税金は財」の思想からは、「税金で○×をする」「税金の無駄遣い」といったような言い回しが生まれる。国家予算とか官費とか費とか政府支出と表現すべきところを「税金」と表現するようになる。逆に言うと、「税金で○×をする」「税金の無駄遣い」という言い回しをする人は、「税金は財」の思想を濃厚に抱いている可性が高い。
 

核となる経済思想 見えざる手

アダム・スミスは『富論』という著作で「見えざる手exit」という経済思想を書いた。そして、後世の経済学者たちがアダム・スミスの言葉を引用しつつ「それぞれの個人が自分の利益だけを自由追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」と説くようになった。

それぞれの個人が自分の利益だけを自由追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」という考えは、「それぞれの個人を規制から解放して、自分の利益だけを自由追求するのを肯定しておけば、何もかもよくなっていく。政府規制を緩和して、それぞれの個人を自由に活動させよう」という考え方となり、新自由主義の規制緩和を後押しするものとなった。

新自由主義者は、「見えざる手」という経済思想を引用して「自由尊い」とり、それと同時に「企業経営者が成果義・義に基づいて従業員の給料を削減する自由を認めろ」と要したり、「企業経営者が解雇規制にとらわれず従業員を解雇する自由を認めろ」と要したり、「企業経営者は原材料などを納入する協企業に対して一杯の値下げ圧をかける自由を思う存分に楽しむべきだ」としたりする。

ちなみに「見えざる手」の思想と対照的な思想は、ジョン・スチュワート・ミルが提唱した他者加害原理である。「見えざる手」の思想は「自由は利益を作り出す」という考え方で自由を絶対視するものであるが、他者加害原理は「周囲にをまき散らす人に与える自由は損を作り出す」という考え方で自由を絶対視せずに相対視するものであり、と油のように正反対である。

他者加害原理に基づけば、「企業経営者が成果義・義に基づいて従業員の給料を削減することは従業員の生活を与える行為であるから、従業員の労働組合の結成を推奨するなどして、そうした自由を制限すべきである」となったり、「企業経営者が解雇規制にとらわれず従業員を解雇することは従業員の生活を与える行為であるから、解雇規制を維持したり強化したりして、そうした自由を制限すべきである」となったり、「企業経営者が原材料などを納入する協企業に対して一杯の値下げ圧をかける自由を楽しむことは協企業を与える行為であるから、政府公共事業に入札する企業原材料費の維持を要するなどして、そうした自由を制限すべきである」となったりする。
 

核となる経済理論

新自由主義の基礎となった経済学者は、フリードリヒ・ハイエクミルトン・フリードマンとされる。ミルトン・フリードマンアメリカシカゴ大学で教を執り多くの子を育てたので、彼を慕う経済学者の一群をシカゴシカゴボーイズ)という。また新自由主義の基盤となる経済学を新古典派経済学と呼ぶこともある。

人々の労働意欲を刺して内の生産・供給を強めることを重視するサプライサイド経済学(供給者側経済学)も、新自由主義の基礎の1つとされる。これの支持者をサプライサイダーというが、な人はロバート・マンデルアーサー・ラッファーなどである。

ちなみにサプライサイド経済学の反対に位置するのはケインズ経済学で、需要・消費の活性化を重視するものである。

サプライサイド経済学は、ジャン=バティスト・セイが唱え始めたセイの法則(セーの法則、販路法則)を中核にしている。セイの法則とは、「供給は、それ自体が需要を創造する」と表現されるものである。

デヴィッド・リカード較優位という考え方を提唱した。ごく簡単に言うと「国家は、自の得意とする分野の生産に特化すべきであり、自が得意としない分野において自国生産をとりやめて貿易によって賄うべきである。つまり際分業をすべきである。そうすると世界全体の富が増大する」というものである。この考え方は新自由主義者が自由貿易を推進するときに必ずといっていいほど持ち出す考え方である。

ジェームズ・マギル・ブキャナン・ジュニアは、新自由主義の流行が本格化した1986年ノーベル経済学賞を受賞した。彼の提唱する均衡財政論・健全財政論は新自由主義の理想視する小さな政府と極めて相性が良い。

通貨の成り立ちや定義を論ずる学説の中に商品貨幣論というものがある。この商品貨幣論は新自由主義と極めて相性が良い。

通貨を発行する中央銀行政府から独立しているべきである」という思想がある[138]。この思想があると、政府国債を発行して長期金融市場に売却するときに、政府が「中央銀行通貨を発行して長期金融市場に参加する銀行企業に余剰の通貨を持たせる」という支援を受けられなくなるので、政府自由自在に通貨を獲得できなくなる。ゆえに、この思想は新自由主義の理想視する小さな政府と極めて相性が良い。
 

親和性の高い思想 優生学

新自由主義や至上義を支持するものは弱肉強食という四文字熟語を好み、立場の強い雇用が立場の弱い労働者に対して威圧的に接して人件費を削減して税引後当期純利益を増やすことや、立場の強い大企業が立場の弱い中小協企業に対して威圧的に接して「協企業に支払う費用」を削減して税引後当期純利益を増やすことを大いに肯定する。

また、新自由主義や至上義を支持するものは、弱肉強食という言葉の他に、適者生存とか優勝劣敗とか生存競争とか自然淘汰といった言葉を好む傾向がある。これらの言葉は、チャールズダーウィン進化論や優生学を連想させるものである。

1859年にチャールズダーウィンが『種の起』を発表し、進化論を提唱した。それにされた人々の一部が、20世紀初頭に優生学というものを作り上げ、悪性の遺伝形質を淘汰して優良な遺伝形質を増加させることについて研究するようになった。

この優生学は、優良な遺伝形質を持つ人の生殖を奨励する積極的優生学と、悪性の遺伝形質を持つ人の生殖を制限する消極的優生学とに分けられるが、特に注されるのは消極的優生学の方である。

そして消極的優生学にも様々な考え方があり、①悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許すが子作りを奨めず養子をもらうことを奨める、②悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許すが子作りを認めず強制的に断種して生殖を喪失させる、③悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許さない、④悪性の遺伝形質を持つ劣った者を殺して間引きする、といったものがある。

これらの中で最も穏健な考え方は①である[139]。そして、これらの中で最も過な考え方は④であり、1933年1945年ナチス・ドイツが④の考え方に従って政策を研究し、精神病患者などを然と殺するT4作戦exitという政策を実行した。日本においても2016年7月26日植松聖という人物が④の考え方に従って相模原障害者施設殺傷事件exitを起こした[140]

こうした消極的優生学と、新自由主義や至上義は共通するところがある。

新自由主義や至上義の支持者は、企業経営者が「労働者は劣った者なので、結婚できなくなっても一向に構わない」といった態度で労働者に対して結婚を諦める準まで賃下げすることを肯定する傾向があるが、そうした態度は、消極的優生学③の「悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許さない」といった態度とよく似ている。

新自由主義や至上義の支持者は、企業経営者が「労働者は劣った者なので、過労死してしまっても一向に構わない」といった態度で労働者に対して一杯の労働強化をすることを肯定する傾向があるが、そうした態度は、消極的優生学④の「悪性の遺伝形質を持つ劣った者を殺して間引きする」といった態度とよく似ている。

新自由主義や至上義の支持者は、大企業経営者が「大企業に納入する中小協企業は劣った企業なので、倒産しても一向に構わない」といった態度で中小協企業に対して一杯の費用削減をすることを肯定する傾向があるが、そうした態度は、消極的優生学④の「悪性の遺伝形質を持つ劣った者を殺して間引きする」といった態度とよく似ている。

「立場の弱い人々というのは、要するに『劣った者』なので、結婚できるほどの給料を与える必要がない」とか「立場の弱い人々というのは、要するに『劣った者』なので、生かしておく必要がい」という態度で人件費や「協企業に支払う費用」を一杯削減する新自由主義者や至上義者は、消極的優生学の支持者と共通するところがある。このため新自由主義は新・消極的優生学 とか、あるいは単に新・優生学 と表現することができる。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「極めて劣った状態」を大量に必要とする生物であり、本質的に「劣った者」である。「自分が本質的に『劣った者』である」という現実は、人ならでも薄々ながら自覚している。このため「劣った者」を迫する考え方を導入すると、理論上はすべての人が迫になってしまい、すべての人を萎縮させておびえさせることになる。ゆえに「劣った者」を迫する考え方は好ましくない。

優生学の中の消極的優生学は、「劣った者」の基本的人権を制限する思想であるが、社会における多数または全体の利益の達成を口実として基本的人権を制限する思想であるとみてよい。社会における多数または全体の利益の達成を口実として基本的人権を制限するのは、非常に抑圧的で人々を納得させるのが難しいという欠点があり、憲法学の教科書においてもあまり奨められていない[141]

優生学の中の消極的優生学によって社会における多数または全体の利益を確実に達成できるかというと、疑わしい。「劣った者」を然と迫することにより、社会保障費を削減できるという利益が見込まれるが、「自分は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてており、本質的に『劣った者』である」と薄々ながら自覚している大勢の人々をおびえさせて萎縮させるという損失も発生するからである。

優生学の中の消極的優生学と正反対の政策は、「劣った者」に最大限の保護を与える福政策である。そうした福政策を行って「『劣った者』が迫されない」という様子を見せつけて、「自分は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてており、本質的に『劣った者』である」と薄々ながら自覚している大勢の人々の萎縮やおびえを除去することができる。そうした福政策にかかる社会保障費は「萎縮除去費」と考えることができる。
 

親和性の高い自己啓発本

サミュエルスマイルズという英国作家1859年に『自助論』という作品を発表した。序文に「は自ら助くる者を助く」という文章があり、そのあとはひたすら「努すれば成功する」「成功者は他人の援助を当てにせずに努をした」という内容が続く。新自由主義者のなかには『自助論』を絶賛するものがいる[142]
 

名称

新自由主義英:Neoliberalism)という言葉を考案したのは、ドイツアレクサンドル・リュストウexitという経済学者である。1938年に知識人が集まって開催されたウォルター・リップマン国際会議exitで、この言葉を発表した。
 

市場原理主義という表現

市場原理主義英:Market fundamentalism)という表現は、新自由主義(英:Neoliberalism)の別名称である。
  

命名者とされる人、学術誌における初出

Market fundamentalismという言葉は、イギリス社会問題ジャーナリストであるジェレミー・シーブルックexitが生み出したものであるという。パラグミ・サイナートexitというインド社会問題ジャーナリストが、そのように述べている(記事exit)。

ジェレミーシーブルックは、『世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びとexit_nicoichiba』という著作を持っており、新自由主義を批判し、格差の拡大に警鐘を鳴らすタイプの人である。

1991年8月の『Anthropology Today(こんにちの人類学)』という人類学者向けの学術誌の1~2ページに、Market fundamentalismという言葉が載っている。

経済学者の八代尚は「市場原理主義という言葉は、そもそも経済学にはありません。」と『日刊サイゾー』の2011年10月29日版exitっている。

ラグミ・サイナートと八代尚の発言を総合すると、「Market fundamentalismという言葉は、経済学の外にいるジャーナリストが、新自由主義に対して独自の感覚で名付けたものであり、経済学者たちの議論から生まれた経済学ではない」ということになる。
 

蔑称の響きがある

市場原理主義(Market fundamentalism)という言葉には蔑称きがある。

原理義(fundamentalism)というのは、天地創造など聖書の記述をすべて事実と扱う米国キリスト教運動のことをす言葉である。そうした運動をする人たちを批判するときに使われた蔑称だという(臼杵 陽の論文exit)。

1979年イラン革命が起こった。このとき政権を奪取した人たちをイスラム原理義者(Islamic fundamentalist)と呼ぶようになった。このため、「○×原理義」というのはイメージが悪い言葉で、これを自称する人はとても少ない。
 

批判者達に使用される

市場原理主義という言葉は、新自由主義を批判する立場の経済学者によって使われることがある。

ジョセフ・スティグリッツ は、2001年ノーベル経済学賞を受賞したとき、次のような文章を書いている。

More broadly, the IMF was advocating a set of policies which is generally referred to alternatively as the Washington consensus, the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism, based on an incorrect understanding of economic theory and (what I viewed) as an inadequate interpretation of the historical data.

-ジョセフ・スティグリッツ『Facts』exit-

 
the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism と書いてある。「新自由主義の信条、言い換えると市場原理主義」といった意味であり、新自由主義をわざわざ言い直している。
 

「市場・原理主義」なのであって「市場原理・主義」ではない

市場原理主義という言葉はMarket fundamentalism翻訳した言葉であり、市場・原理という意味である。

しかし、市場原理主義のことを市場原理・のことだと考えている人がいる。つまり「英語Market principle-ism翻訳した言葉なのだろう」と漠然と考えている人である。それは、厳密に言うと間違いである。

しかし、市場・原理義(Market fundamentalism)は市場原理(Market principle)をやたらと重視するので、市場・原理義(Market fundamentalism)と市場原理・義(Market principle-ism)を混同しても、おかしいことにはならない。
 

歴史的背景

第二次世界大戦後、先進国されたのは、第一次世界大戦第二次世界大戦やその間に起きた世界恐慌を再び繰り返さないようにするべく、際的・内的な政治平和経済的安定化を確保するような秩序の構築だった。

この秩序を可にする政治経済体制として多くの々に合意されたものを、国際政治学者のジョンラギーは「埋め込まれた自由義」と定義した。すなわち、市場自由放任にすると不況や失業が生じるので、調整的・緩衝的・規制的な諸制度の中に自由義を埋め込む。つまり、際的には自由貿易体制によって経済の開放性を高めつつ、他方で、内的には政府際競争に脆弱な内の社会集団を保護する福祉国家的政策を進めた。いわゆる修正資本主義であり、ケインズ経済学はこれを後押しするものである。

この修正資本主義は、先進諸経済成長があった1960年代まではうまく機してきたが、1960年代末頃から機しなくなった。経済的には世界的規模のスタグレーション(不気とインフレーションの同時進行)が起き、各経済的には財政危機が起きた。それらの原因は、1965年1975年ベトナム戦争1973年の第一次オイルショック1979年の第二次オイルショックとされる。

こうした深刻な危機に直面する中でいくつかの対案が出されたが、結局、国家によるコントロールを維持すべきだとするケインズ経済学営と、市場自由競争を活発化させるべきだとする新古典派経済学営に分かれることになり、後者の、新古典派経済学営が先進国政治の中でを持つようになった。これが新自由主義と呼ばれるものであり、批判者に市場原理主義と呼ばれるものである。

1980年代アメリカロナルド・レーガンがレーガノミクスという経済政策を推し進め、同じ時期にイギリスマーガレット・サッチャーがサッチャリズムという経済政策を採用した。いずれも、規制緩和と累進課税弱体化を組み合わせた経済政策で、新自由主義のを濃厚に受けている。また、日本においても、中曽根康弘首相が、国鉄電電公社、専売社、日本航空を相次いで民営化し、新自由主義的政策を実行している。

理論の柱

新自由主義は「埋め込まれた自由義」から自由義を解き放つことをする。すなわち、社会民主主義福祉国家政策(大きな政府)によって膨らんだ財政赤字を削減するための口実として小さな政府が謳われる。ここから営事業、営事業の民営化が進められた。また、国家による市場介入ではなく、市場自由放任にすることが民にと繁栄をもたらすという自由放任義がめられた。この考えから市場自由を妨げる様々な領域での規制を緩和していくことがされた。

理論の実践

新自由主義的国家編成の最初の実験が行われたのは、1973年チリである。民主的に選ばれた左翼社会主義政権が、アメリカCIAとキッシンジャー務長官によって支援されたピノチェト将軍によるクーデターで転覆させられたあと、ミルトン・フリードマンが拠点としていたシカゴ大学から送られた経済学者たち(シカゴ)によってピノチェト軍事政権下で新自由主義政策が推進された。チリ経済は短期的には復を見せたが、大半は国家支配層と外の投資に利益をもたらしただけだった。

しかし、この実験を成功とみなした営が、1979年以降、イギリスマーガレット・サッチャー政権とアメリカロナルド・レーガン政権下で新自由主義政策を推進した。その後、アメリカ1990年代に加速された融化が世界中に広がり、アメリカへと利益を還流させた。結果、アメリカ経済は好況を呈するようになる。

こうしてアメリカの新自由主義が様々な経済問題の解決策であるかのように振る舞うことが政治的に説得を持つようになり、1990年代ワシントン・コンセンサス、1995年WTOの創設で新自由主義は確立するようになる。更に、1990年代には発展途上国だけでなく、日本ヨーロッパも新自由主義的なを選択するよう経済学政治の場でされるようになる。

トリクルダウン

新自由主義理論の一つの理論的根拠として、トリクルダウン理論 がある。トリクルダウンとは、社会民主主義福祉国家のように、国家の財政を公共事業や福などを通じて貧困層や弱者に直接配分するよりは、大企業や富裕層の経済活動を活性化させることによって、富が貧困層や弱者へと「したたり落ちる」のを待つ方が有効であり、その方が民全体の利益になるという考え方である。

税制の正に関して言えば、これを根拠に富裕層の税金が軽減され、企業に対しておびただしい数の補助や優遇税制が提供された。こうして富の配分率が富裕層寄りに変えられた。また、企業の経営方針の見直しが行われ、その延長線上で労働法の正が行われた。日本では、その経営の特徴と言われた長期雇用と年功序列が見直され、アメリカとされた利益重視になった。これにより、リストラや労働者の賃下げをしてでも、への配当を優先することが動機づけられた。この労働者の賃削減のために雇用の流動化が推進され、労働基準法正、規制緩和が推進された。日本では2008年において労働者全体に占める非正規労働者の割合が三分の一をえるまでになった。

富裕層への優遇は、投資をめぐる法解釈にも現れている。投資に関して、借り手より貸し手の権利を重視するようになった。例えば、貧しい者がその住居を差し押さえられる事を何とかするよりも、機関の保全と債権者への利払いを優先させる。実際、サブライムローンの焦げ付きから端を発した2008年危機では、多くのローン返済が困難になった貧困者が住居を追い出されたのに対して、アメリカ機関のいくつかは国家に救済された。

主な論者による批判

東京大学名誉教授文は、「新自由主義は、企業自由が最大限に保されてはじめて、個人のが最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいており、そのためにすべての資、生産要素を私有化し、すべてのものを市場を通じて取り引きするような制度をつくるという考え方である。新自由主義は、や大気、教育や医療、公共的交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場自由貿易を追求していくものであり、社会的共通資本を根本から否定するものである」と摘している。

ニューヨーク大学名誉教授デヴィッド・ハーヴェイは、著書『新自由主義―その歴史的展開と現在』で、新自由主義とは国家によって特定企業に利益が集中するようなルールをつくることであると摘し、著書『ネオリベラリズムとは何か』で、ネオリベラリズムとはグローバル化する新自由主義であり、際格差や階級格差を化させ、世界システム危機に陥れようとしていると摘している。また自由義は、個人の自由な行為をそれがもたらすかもしれない代償の責任を負う限りにおいて認めるのに対して、新自由主義は、機関の場合、損を被る貸し手を救済し、借り手には強く返済をめる点から、実現された新自由主義を階級権再生と定式化する。

ノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・ユージン・スティグリッツは、「ネオリベラリズムとは、市場とは自浄作用があり、資を効率的に配分し、公共の利益にかなうように動くという原理義的な考え方にもとづくアイデアをごちゃまぜにしたものだ。サッチャー、レーガン、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」である民営化の促進にもとづいた市場原理主義である。4半世紀のあいだ、発展途上国のあいだでは争いがあって、負け組は明らかになった。ネオリベラリズム追求した々はあきらかに成長の果実を収穫できなかったし、成長したときでも、その成果は不均等に上位層に偏ることになった」と摘している。また1990年代の資本還流によるアメリカ経済の好気は、IMF世界銀行によるものと説明する。つまり、この2つは、発展途上国める融資を提供することと引き換えに債権アメリカの意向を反映した、構造調整計画を、1980年代から1990年代を通じて実施要してきた。しかしこ革は、メキシコアジア通貨危機ロシアブラジル経済危機アルゼンチンの全面破綻を引き起こした。結果が伴わない場合は、「革が十分に実行されなかった」と、責任転嫁をしてきたという。

各国の議論

中国

思想の汪暉は、中国における新自由主義の特徴の一つとして、国家の推進する企業革を擁護する「国家退場論」を挙げる。1990年代以降、急速に進められてきた企業革は、企業資産や経営権をら民間へ譲渡する「退民進」として現れる。しかし、その過程自体が国家的に推進されているため、本来資産であったものが、企業導者層ら既得権益者によって実質上私有化されるとして批判される[143]

新自由主義と共産主義の共通点

共産主義社会主義)という経済思想がある。内のすべての生産手段を有化し、 内のすべての企業企業に変えてしまおうという思想である。

新自由主義は「小さな政府」を志向する思想で、共産主義は「大きな政府」を志向する思想であり、 両者はと油のように正反対であるかのように見える。

ところが、新自由主義と共産主義には、共通点がいくつか見受けられる。 その共通点を挙げると、以下のようになる。

新自由主義を採用すると、自由競争がしくなることでごく一部の勝ち組が富を独占し、大部分の負け組との格差が広がっていく。

共産主義経済格差も顕著である。企業の経営を一手に握る官僚は、富を独占して贅沢な暮らしをする。ソ連ノーメンクラトゥーラは特権階級として有名で、彼ら向けの百貨店も存在した。一方、庶民は配給の列に並んで、決まった量の粗末な品物を受け取る毎日になる。

経済格差を肯定的に扱い、決して修正しようとしないところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 

  • 市場の独占・寡占が進む

新自由主義を採用すると、自由競争がしくなることで企業の合併が進んでいく。「際競争を付けなければならない」といいつつ同業の企業が合併していき、大きな市場シェアを抱える企業ばかりになり、市場を2~3社で寡占したり1社で独占したりするようになる。また解雇規制が緩和されることで各企業が積極的に雇用拡大できるようになり、各企業が生産一気に拡大できる社会になり、市場占有率を一気に上昇させる企業が増えやすくなり、寡占・独占に突き進む大企業が多い社会になる。

共産主義も同じで、内のすべての企業有化することで、政府という大企業1社が全業種の市場シェア100%独占するようになる。

市場の独占・寡占を肯定的に扱うところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 


明確な共通点は、以上の2点となる。

「既得権益に対する嫉妬心を煽りつつ、既得権益の解体をす」という点も共通点の1つといえる。新自由主義も共産主義も大衆のルサンチマン(恨み・憎しみ・ねたみ・ひがみ・嫉妬心)を煽るのが上手い。

新自由主義は「政府規制に保護されている存在」に対する嫉妬心を煽る。公務員農家労働組合、正社員といった人たちを既得権益と呼び、そうした人たちが政府規制の保護を受けて不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体をする。

共産主義は資本家持ちに対する嫉妬心を煽る。会社を所有する資本家持ちを既得権益と呼び、そうした人たちが労働者を搾取して不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体をする。


富を生み出さないのに富を得ている存在、供給・生産をしないのに需要・消費をする人、すなわちフリーライダーへの軽蔑と憎悪が強いことも、新自由主義と共産主義の共通点である。

新自由主義は、払った税金の額よりも多くの額の利益を政府の福部門から受けている人を軽蔑する傾向にある。新自由主義の旗手であるロナルド・レーガンは、「福女王welfare queen)が存在していて、税金をロクに払わないのに福制度を悪用して高級を乗り回している。納税者の富にただ乗りして、納税者を搾取している。フリーライダーを許してはならない」と選挙の時にしていて、批判者から「でっち上げ」と摘されていた[144]。また、新自由主義の導者であるミルトン・フリードマンは、「無料食のようなものは存在しない」という格言を自著の題名に採用しており、その格言を流行させた。

共産主義というと労働価値説であり、そこから「会社の富を本当に作り出しているのは、労働者である」という論理を展開していた。その論理から、「である資本家は労働もしていないのに利潤を得ている。労働者の富にただ乗りして、労働者を搾取している」としていた。ウラジーミル・レーニンは論文で盛んに「働かざる者食うべからず」の格言引用しており、そこから先述の通りに「資本家は労働をしていないのに美味しい料理を食べている」としていた。

新自由主義者の好む格言が「無料食のようなものは存在しない」で、共産主義者が好む格言が「働かざる者食うべからず」であり、両者の思想はぴったり共通している。需要・消費を不道徳怠惰として軽蔑し、供給・生産を道徳心あふれる勤勉として尊重するという思想である。


「巨大な団体に所属して人事権を振るう現役の権者」に対する個人崇拝が発生するところも共通点である。新自由主義が流行って累進課税弱体化したでは、大企業経営者が「カリスマ経営者」になって高額報酬を受け取ることをすようになり、経済雑誌に登場してロック歌手アイドルであるかのように振る舞って、「経営者の人的な判断大企業を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が自らを崇拝するように仕向ける[145]共産主義では独裁者の肖像画や彫刻を広場に設置して、「独裁者人的な判断を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が崇拝するように仕向ける。

新自由主義の共産主義も「働かざる者食うべからず」の思想が広まっており、「高額の報酬と高い地位を得ている者はそれだけ人的に働かねばならないしそれだけ有能でなくてはならない」という強迫観念が固定されているので、高額の報酬と高い地位を得ている権者が必死になって「自分は人的な働き者でものすごく有能である」と周囲にアピールすることが常態化する。その結果として民衆が権者を個人崇拝するようになる。


「人というものは凄い存在であり、『全面的に信頼してもいいような優秀な』を備えている」という思想を持っていて、致命的な思い上がり [146]をしていることも共通している。覚醒剤を使用するとスーパーマンになったかのような感覚になって全感・万感に満ちあふれるようになって致命的な思い上がりをするようになるが、そうした覚醒剤使用者の姿は、新自由主義者や共産主義者と非常に良く似ている。

新自由主義者は「人はどんなに貧乏になっても、強大な生存があるのでいくらでも生きていける」といった具合に人の生存を全面的に信用し、労働者に対して一杯の賃下げをする傾向がある。また新自由主義者は「生産者は自らの決意を固めさえすれば璧な商品を作り出すことができる」といった具合に生産者の生産を全面的に信用し、「生産者は消費者からの情報提供を得て商品を璧なものへ作り替えていく存在であり、消費者に助けてもらう存在である。ゆえに需要・消費を増やすことが経済発展に必要である」といった提言を全に無視する傾向がある。

共産主義者は「人はどんな複雑な経済全に支配する理性・知性を持っている」といった具合に人の理性・知性を全面的に信用し、経済官僚が国家のすべてを統制する統制経済・計画経済を大いに支持する傾向がある。


労働者の権利を認めず、「物言う従業員」を経営上の脅威と位置づけ、反抗的な労働者を追放する仕組みを整えている点も共通点である。新自由主義者も共産主義者も、覚醒剤を使用したときに得られるような全感・万感に満ちあふれていて致命的な思い上がり をしているので、「経営者というものは自分の決意だけで璧な判断をすることができるのであり、下々(しもじも)の言うことなど聞く必要はいのだ」という感覚にとらわれやすい。

新自由主義がはびこるでは労働組合弱体化して解雇規制が緩和され、経営者に対して反抗的な労働者が解雇される。共産主義でも同じであり、企業経営者である政府に反抗的な労働者はシベリア送りにされたり強制収容所に放り込まれたりして、極度に悪い労働環境をあてがわれて健康を破壊される。


「官と民がを合わせて共存するべきであり、官民協働が大事だ」とか「官には『民間に存在しない長所』があり、民間には『官に存在しない長所』があるので、双方が補い合うべきだ」という思想を持っておらず、「官と民がこの世に存在するが、片方は欠であり、もう片方は全てにおいて劣っている」とか「官と民がこの世に存在するが、優秀な片方に全てを任せるべきであり、劣った片方は消滅するべきだ」という思想を持っていることも共通している。新自由主義者も共産主義者も、覚醒剤を使用したときに得られるような全感・万感に満ちあふれていて致命的な思い上がり をしているので、そういう極端な判断に傾くことになる。

新自由主義は典的な民尊官卑で、「民間は全てにおいて優秀である」と考えて民間導の経済にすることをしており、政府に回す予算を底的に削ることを好み、「経済における政府の存在を決して許さない」という傾向が非常に強い。一方で共産主義は典的な官尊民卑であり、「官僚は全てにおいて優秀である」と考えて官僚導の経済にすることをしており、「経済において民間企業の存在を決して許さない」という傾向が非常に強い。


企業倒産」を忌まわしい現と位置づけ、企業の延命をなによりも優先し、「倒産しない企業倒産しにくく永続しやすい企業ばかりになる社会」を理想視するところも共通点である。新自由主義者も共産主義者も企業倒産を極度に怖がる倒産恐怖 というべき心理状態になっている。

新自由主義がはびこるでは、解雇規制が緩和されて人件費を急減少させることが可になり、さらに至上義が蔓延して人件費と協企業へ払う費用を削減することが流行し、不況になっても税引後当期純利益を叩き出す企業流となり、貸借対照表バランスシート)の純資産の部の利益剰余が大きくて自己資本率が大きい企業流となり、倒産しにくく永続しやすい企業流となる。また新自由主義が導権を握るでは直接融の「株式発行による資調達」が流になり、貸借対照表バランスシート)の純資産の部の資本・資本剰余(資本準備)が大きくて自己資本率が大きい企業流となり、倒産しにくく永続しやすい企業流となる。一方で共産主義ではすべての企業有化され、決して倒産しない企業になる。

新自由主義も共産主義も「倒産しにくく永続しやすい企業」を作り出す思想であるが、そうした「倒産しにくく永続しやすい企業」は宗教団体とよく似ている。多くのにおいて、政府宗教団体に対し「宗教活動によって得られる法人所得」について法人税を課税しておらず、宗教団体が「倒産しにくく永続しやすい団体」になっている[147]。つまり、新自由主義も共産主義企業宗教団体に近づけようとする思想である。

新自由主義も共産主義も、企業宗教団体に近づけようとする思想なので、どことなく宗教と似たような雰囲気を漂わせることになり、権者への個人崇拝が進むなどの性質を持つことになる。
  

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関連項目

脚注

  1. *日本において新自由主義の推進者となったうちの1人は小泉純一郎だが、その彼は、1990年代後半に「経世会支配からの脱却」を訴えていた。経世会田中角栄の流れを自民党閥であるので、「経世会支配からの脱却」は「田中角栄が推進した政治からの脱却」という意味になる。
  2. *田中角栄首相に就任していたのは1972年7月7日から1974年12月9日までだが、1973年になって「福元年」と宣言し、老人医療の無料化や老人に対する年金支給額の大幅引き上げを実行した。このため、田中角栄こそが日本福祉国家に変貌させた政治家だと言える。
  3. *医療器具の製造はとにかく難易度が高い。素材が難切削材であり、形状も小さくて加工が難しい。「工作機械 医療」と検索するだけで医療器具の製造の難しさを摘する文章が次々とヒットする。
  4. *日本において国家公務員の給料を引き下げる現の代表例が2021年8月2022年6月に発生したので紹介しておきたい。まず、人事院が2021年8月10日国家公務員賞与を引き下げることを政府に対して勧告した(記事exit)。人事院勧告exitを受け入れるか拒否するかは日本政府自由に決めることができるのだが、岸田文雄首相が率いる日本政府2021年11月24日に人事院勧告を受け入れることを決め(記事exit)、2022年1月17日から始まった通常国会に給与法正案を提出した。同法案は2022年3月10日衆議院会議で可決され、同年4月6日参議院会議で可決され(記事exit)、同年6月30日に支給される国家公務員賞与が減らされた(記事exit)。
  5. *2020年東京オリンピックでは観光客向け案内人や医師看護師ボランティアで募集した。
  6. *「官から民へ」や「民間でできることは民間に」は、新自由主義の信奉者とされる小泉純一郎首相が好んで使った言い回しである。
  7. *「垂れ流し」とは汚を排出する公害企業を連想させるネガティブな表現である。財政政策の論争では、相手のイメージを悪くさせるネガティブ表現を駆使するのが恒例である。
  8. *多重請負は重層下請構造ともいう。建築業などで多重請負が問題視されている(国土交通省資料exit)。
  9. *トヨタ自動車社長日本自動車工業会会長を兼務する豊田章男は2019年5月13日に「雇用を維持し、税金を払っている企業にとってもう少しインセンティブが出てこないとなかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきたのではないか」と発言した(動画exit記事exit)。トヨタ自動車2018年4月2019年3月連結の税引後当期純利益は1兆8828億円であり、日本有数の企業だったので、この発言は驚きをもって伝えられた。ちなみに2019年の時点の日本は、かつての三公社五現業の大半を民営化しており、官営事業による終身雇用が非常に少なくなっていた。
  10. *労働三権は団結権と団体交渉権と団体行動権である。団体行動権の中核となるのは争議権なので、「労働三権は団結権と団体交渉権と争議権である」と言われることも多い。
  11. *自衛隊法exit第64条、自衛隊法第119条第2項、国家公務員法exit108条の2第5項、国家公務員法第110条第20項、地方公務員法exit第52条第5項などで自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士の労働三権が否定されている。ちなみに自衛官・上保安官・刑務官には労働組合の代わりとして人事院というものが用意されており、労働待遇に問題があると考えるときは人事院に相談することができる。また警察官・消防士には労働組合の代わりとして人事委員会というものが用意されており、労働待遇に問題があると考えるときは人事委員会に相談することができる。
  12. *米国の巨大IT企業Amazonの社内において、長年にわたって企業側の圧により労働組合が結成されなかったが、2022年4月になって史上初めて労働組合が結成された(記事1exit記事2exit)。ちなみにGoogleの社内に初めて労働組合が作られたのが2021年1月であり(記事exit)、AppleFacebookには労働組合2022年4月の時点で存在しない。新自由主義が盛を誇る時代で急速に発展した巨大IT企業4社のGoogleAmazonFacebookAppleGAFAと呼ぶが、2020年12月の時点でどこも労働組合を持っていなかった。
  13. *日本において、「自衛官・上保安官・刑務官・警察官・消防士以外の公務員」は、団結権と団体交渉権を与えられているが、国家公務員法exit第98条第2項や地方公務員法exit第37条第1項といった法律によって団体行動権(争議権)を禁じられている。国鉄電電公社・専売社といった3つの社に属する人々も公務員と同じで、団結権と団体交渉権を与えられていたが、公共企業体等労働関係法exit第17条第1項という法律で団体行動権(争議権)を禁じられていた。

    ちなみに国鉄労働組合は、団体行動権(争議権)を法律で禁止されていたにもかかわらず、就業規則や安全規則を過剰に尊重して業務をサボタージュする順法闘争exitを行っており、団体行動(争議行為)を事実上行っていた。

    やや話がそれてしまうが、日本における労働運動の退潮に深く関わってくるので、国鉄労働組合による順法闘争についてもう少し掘り下げて解説しておきたい。

    当時の政府国鉄労働組合の順法闘争を法律違反と認定していた。1973年3月13日衆議院予算委員会で田中角栄首相が「その意味で、鉄道の順法闘争という名における違法行為が依然として行なわれておるということは、はなはだ遺憾なことでございます」「これはもう当然違法だと考えております」と答弁している(資料exit)。

    本来なら、国鉄労働組合は、職場の休日を利用してデモをするなどして国会議員を訴えて、国会議員法律正してもらって団体行動権(争議権)を得て、それから団体行動(争議行為)を行って経営者にを訴えるべきだった。しかし国鉄労働組合はそうした手順を踏まず、政府法律違反と認定された『順法闘争』という名の団体行動(争議行為)を行って経営者にを訴えるという方法を採用していた。

    ストライキは決行日時が予告されるので、利用者としても計画を立てやすい。しかし『順法闘争』は決行日時が予告されないことが多く、いつも通りに列車を運行しているように見せかけつつ実行することが多かったので、利用者にとって非常に計画を立てづらかった。富士銀行人事部長の山名博は「順法より対策がたつストがまし」とったが(三宅明正『日本の社会・労働運動の史的研究exit』18ページ 1973年3月17日朝日新聞からの引用)、『順法闘争』の予測しづらさを示す発言である。こうして『順法闘争』で国鉄の利用者が苦しめられた。

    さらに国鉄労働組合は、1975年11月26日から12月3日にかけて8日間にわたって純ストライキを実行していた。もちろん法律に違反しているのだが、それでもストライキを決行した。この8日間のストライキを特別にスト権ストexitと呼ぶことが多い。

    国鉄労働組合は、1970年代に『順法闘争』を繰り返し、1975年にスト権ストを行い、その結果として民衆からの支持を失い、1980年代中曽根康弘政権による国鉄の解体を誘発し、勢を失っていった」とられることが多い。
  14. *事業で大成功を収めて一気に持ちになった人のことを成金(なりきん)という。
  15. *ちなみに日本の税制では、政治家がその子ども資産相続させるときに、政治団体から子の政治団体へ寄付するという方式を使うと簡単に相続税を回避できる。日本政治家一族にとって日本パナマよりもはるかに安全で確実な租税回避地タックスヘイブン)である。日本政治家たちがパナマ文書に登場しないのはこのためである。『税のタブー インターナショナル新書exit_nicoichiba集英社インターナショナル三木義一』 44~48ページにて、『世襲議員のからくり 文春新書exit_nicoichiba文藝春秋上杉隆』の69~70ページ引用し、小渕恵三政治団体から小渕優子政治団体へ大量の資が流れたのに相続税がかからなかったことを紹介している。
  16. *この典例が渡部昇一で、『歴史則―税金国家の盛衰を決める(PHP研究所1993年初版』の151ページ普通選挙を敵視する文章を書いている。
  17. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、「不幸退廃からをそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」という記述が見られる。
  18. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、「劣った人と交際すると劣った人から悪いを受けて自分が劣化してしまうので、劣った人と交際すべきではない。優れた人から良いを受けて自分を高めるため、優れた人とだけ交際すべきだ」という記述が見られる。
  19. *所得税累進課税弱体化させることを望む政治思想というとリバタリアニズムである。新自由主義は経済思想で、リバタリアニズム政治思想なので、この2つの言葉は違いだが、所得税累進課税を敵視するところなどの共通点がある。このため新自由主義を支持する人の中には、リバタリアニズムと掛け持ちして支持する人が見られる。
  20. *新自由主義者の渡部昇一は、所得税を一10の一課税にすることや相続税税にすることを様々な著書で繰り返ししていた。
  21. *人は息子お金などの資産を渡すことに情熱を注ぐ傾向がある。ある大学教授は「が重病になったら臓器でも玉でも何でも提供します。でも妻が重病になったら絶対に提供したくない(笑)」といった発言を大学受験用参考書の中で行っていた(本人の名誉のため名前せておく)。この発言は、人が「息子のためならあらゆる努をする」という心情を抱えがちであることの一例になり得る。
  22. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、人が労働を積み重ねて成果を得る姿を紹介する文章が頻繁に現れるが、「労働をしすぎると体や精が疲労してしまう」と危惧する文章が全く現れない。「労働強化の副作用に悩まされる人など存在しない」といった雰囲気で進んでいく書物である。
  23. *覚醒剤を使用すると疲労感を感じなくなり、何日も不眠不休で働くことが可になる。長時間にわたって労働や受験勉強をするために覚醒剤を利用する例がある(資料exit)。
  24. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、「人は余暇や消費を楽しむべきだ」という文章が見あたらず、「人は労働によって標を達成すべきであり、時間を惜しんで働くべきだ」という意味の文章が多く存在する。
  25. *若い消費者を囲い込む営業戦略はどこの巨大外食企業も重視している。ちなみに2022年4月には吉野屋の常務取締役大学の講義で「生娘をシャブ漬け戦略」という不適切な表現をして炎上した。
  26. *慢して痛みに耐える労働者」を心からする新自由主義者というと小泉純一郎が筆頭格である。小泉純一郎2001年4月26日になって首相に就任し、2001年5月5日国会における所信表明演説で「痛み」という言葉を3回使用しつつ(資料exit)、「構造革で民に痛みを強いることになるが、しかし、民が痛みに耐えることで日本際競争が向上するのだ」という内容の演説をしており、それ以外の場所でもそうした内容の演説を繰り返していた。また小泉純一郎は、2001年5月27日大相撲場所優勝決定戦で勝利した貴乃花に向かって「痛みに耐えてよく頑った!感動した!おめでとう」と叫んでいた(この動画exit_nicovideoの3分30あたり)。この小泉純一郎の姿は、ただ単に怪の痛みをこらえて頑ったスポーツ選手へ賛辞を送っただけに過ぎないのだが、慢して痛みに耐える労働者を好む新自由主義を徴する姿であるとも言える。
  27. *こうした心理傾向をダニング=クルーガー効果という(記事exit)。
  28. *この心理傾向もダニング=クルーガー効果という。
  29. *窪田順生は「企業が終身雇用を止すると労働者の賃上げが進む」としている。そのの根拠は「企業が終身雇用を止すると、優秀な人が高賃企業転職することが増える。優秀な人の転職を防ぐために企業が賃上げをする」というものである(記事exit)。しかし、現実の人々はダニング=クルーガー効果の心理を抱えている。本当に優秀な人は自分の優秀さに気付くことができず、「自分のは他所の企業で通用しないかもしれない。転職することをやめよう」などと考えがちであり、軽々しく転職に踏み切ることができない。
  30. *医療器具の加工は非常に難しい。切削しにくい難切削材の素材であることが多く、切削しにくい複雑な形状であることが多く、切削しにくい微小な形状であることが多いためである。医療器具を上手く加工するには、切削工具、切削油、工作機械、CADソフト、CAMソフトといったすべての要素を良する必要がある。切削工具のメーカー工作機械メーカーが自社の商品を売り込むときの定番文句の1つは「が社の商品は医療器具の加工に使われております」である(記事1exit記事2exit記事3exit)。
  31. *ちなみに、産業を振する効果の強さという点で「医療器具に対する需要」に匹敵するのは「軍需物資・兵器に対する需要」である。軍人が「できるだけ良い軍需物資・兵器を作ってくれ。さもないと味方が死んでしまう!」といった具合に気迫る表情で高品質の製品を要するからである。そんなに発破を掛けられた製造業者は大いにり切ることになり、技術を向上させる可性が高い。

    日本憲法平和国家であることを定められている。そして、エネルギーや食糧といった資の自給率が非常に低い国家なので、すべての国家と仲良くする全方位外交exitを維持する必要があり、軍事行動を起こすことが難しく、外の恨みを買うような兵器輸出が難しい。ゆえに日本が「軍需物資・兵器に対する需要」を大幅に増やして技術を進歩させるという策をとるのはあまり現実的ではない。
  32. *姥捨て山(うばすてやま)exitとは江戸時代日本の中の貧困地帯で存在したとされる習で、生産が低くなった老人を人里離れた山に放置して絶命させ、その共同体の人件費を削減することをいう。ちなみに、共同体の構成員を追放したり殺したりすることで人件費を削減することを口減らし(くちべらし)という。
  33. *不確実性に備えて通貨を貯蓄することを予備的貯蓄という。「不確実性が強まるほど人は通貨を予備的貯蓄したがるようになり、消費を避けるようになる」と摘したのはジョン・メイナード・ケインズである。
  34. *1980年代日本の新自由主義の旗手というと中曽根康弘首相である。中曽根康弘首相国鉄の民営化を実行し、当時の日本で最大最強とされた国鉄労働組合弱体化させた。労働組合弱体化していたことを各種のインタビューっている(記事1exit記事2exit)。
  35. *解雇規制の緩和で賃上げが実現する」とする議員を多く抱えているのは日本維新の会である。
  36. *タガは箍と書き、(おけ)や(たる)の外側にはめて締める輪のことをいう(画像exit)。「良心のタガが外れる」とは、悪行を制止する良心の働きが弱まることを示す慣用句である。
  37. *ナニワ金融道作者である青木雄二は、「貸しは、アルバイトフリーター商売・一流以外のマンガ家といった人々に対しては『定期収入がない』と判断して融資しない。貸しが好んで融資するのは社会的な信用のある会社に勤めているサラリーマン公務員である。なかでも貸しが好んで融資するのは自衛官と警察官である。自衛隊警察も『身内から破産者を出しては体裁が悪い』といった古い体質を持つ組織であり、構成員が借をしすぎて破産しそうになると組織が肩代わりしてくれることが多く、融資を確実に回収できるからである」とっている。土壇場の経済学(南風社)exit_nicoichiba青木雄二・宮崎学 60~61ページ
  38. *2007年米国におけるサブプライム住宅ローン危機exitは、収入が途絶える危険性がある者が「不動産を買いたいので融資してくれ」と申し込み、それに対して銀行が融資したことが問題の発端だった。2007年頃に銀行の多くが不良債権を抱えていることが発覚し、世界中の機関が連鎖的に経営不調に陥り、そのまま2008年9月リーマンショックになり、世界的な大不況になった。
  39. *(きゅうそ)とは、絶体絶命の窮地に追い詰められたネズミ)のこと。「窮噛む」とは、に追い詰められて絶体絶命となったネズミに噛みつくことがある、という意味である。
  40. *禽困覆(きんこんふくしゃ)を書き下し文にすると「禽(きん)も困(くる)しめばを覆(くつがえ)す」となる。「狩猟も、追い詰められると狩猟用のを引っ繰り返すほどのを発揮する」という意味である。
  41. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、人が努を積み重ねて成果を得る姿を紹介する文章が頻繁に現れるが、「病気や怪といったハンディキャップに悩まされる人が努してハンディキャップする姿」を紹介する文章は全く現れない。「病気や怪といったハンディキャップに悩まされる人など存在しない」といった雰囲気で進んでいく書物である。
  42. *埼玉県資料exit
  43. *預貯金取扱金融機関exitとは銀行法第2条によって定められた存在で、預を受け入れつつ融資をする団体のことをいう。最も代表的な存在は普通銀行だが、信用金庫・労働庫・信用協同組合信用組合)・JAバンク農協融事業団体)・JFマリンバンク漁協融事業団体)、農林中央金庫も含む。
  44. *書貸付は貸し手と借り手が銭消費貸借契約を結び、銭消費貸借契約書(借用書)を作成して融資を行うものである。手形貸付は借り手が手形を発行して貸し手がその手形を買い取るものである。電子記録債権貸付は借り手が電子記録債権を発行して貸し手がその電子記録債権を買い取るものである。銭消費貸借契約書(借用書)や手形電子記録債権は「債権記録」であるが、市場で売買しやすいように最適化されておらず、市場に売却することがやや難しい。このため、これらの貸し付けは市場を通さずに行われる。
  45. *社債は市場で売買しやすいように最適化されている。
  46. *「貯蓄から投資へ」とか「貯蓄から資産形成へ」は日本政府が好む標である。1990年代後半のビッグバンの頃から日本政府が「貯蓄から投資へ」という標を使うようになり、2001年2006年小泉純一郎内閣も「貯蓄から投資へ」という標を好んで使っていた(資料exit)。金融庁ウェブサイトこのページexitにも「貯蓄から投資へ」の標がある。また、2016年金融庁は「貯蓄から資産形成へ」という標を掲げている(資料exit)。

    2021年に発足した岸田文雄内閣は、「新自由主義からの脱却をす」と宣言しているが(記事exit)、その一方で「『貯蓄から投資へ』を大胆かつ抜本的に進めて『資産所得倍増プラン』を推進する」と宣言し(記事exit)、新自由主義の中核である直接融を推進する構えを見せている。さらにいうと岸田文雄首相2022年5月5日英国のシティで講演し、「Invest in Kishida」と述べて「岸田文雄率いる日本に投資をしてください」といった意味のりかけをして、直接融を重視する姿勢を鮮明にした(記事exit)。
  47. *真説 経済・金融の仕組み(日本評論社)exit_nicoichiba横山昭雄 92ページ
  48. *人格的自律権とは法学用であり、「人が自分の人生を設計する権利」と定義できる。『日本国憲法論 法学書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』の121ページに次のような文章がある。・・・ここには、「個人の尊重」が「政」のあり方の基本にかかわることが示唆されている。ここに「個人の尊重」ないし「個人の尊厳」とは、一人ひとりの人間が人格的自の存在(やや文学的に表現すれば、各人が社会にあってなお“自己の生の作者である”ということ)として最大限尊重されなければならないという趣旨である。・・・
  49. *パターナリチック英語Paternalisticであり、「父親的温情義の」と訳される。Paternalisticの名詞形はPaternalismで、パターナリズムと読み、「父親的温情義」と訳される。父親的温情義は、が子のことをおもんばかるように「君の人格的自律権を損なうから」「君が君の人生を設計するにあたって障になるから」という理由で基本的人権の一部を取り上げることをいう。

    「パターナリチックな制約」は、人々が人格的自律権を喪失することを防ぐために基本的人権を制限することであり、「受験生マンガを読むと『受験に合格して良い大学に入る』という人生設計に悪が及ぶから、受験生に対してマンガを読ませない」といったものが例として挙げられる。

    限定されたパターナリスチックな制約」は、人々が人格的自律権回復不可能なほど永続的に喪失することを防ぐために基本的人権を制限することであり、「体が成熟していない未成年が飲喫煙をすると、回復不可能なほど永続的に体が損傷して、回復不可能なほど永続的に人生設計に悪が及ぶから、未成年に対して飲喫煙を許さない」といったものが例として挙げられる。

    政府が『パターナリチックな制約』を理由として基本的人権を制限することは認められない。ただし、『限定されたパターナリスチックな制約』を理由として基本的人権を制限することは例外的に認められることがある」と憲法教科書で説かれる。

    日本国憲法論 法学書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』の135ページには次のような文章がある。

    ・・・先に触れたミルの「他者加害原理」の中に、「彼自身の幸福は、物質的なものであれ道徳的なものであれ、十分な正当化となるものではない」という言明があることをみた。要するに、あなた自身のためにならないからという理由で権が後見的に(パターナリチックに)その人の生に干渉することは許されない、ということである。

    この言明も「自由の原理」としてきわめて重要なものであるが、後述のように、特に人格的自律権自己決定権)を「権利」として広くかつ独自のものとして捉えた場合(第2章第1節参照)、このような権利に対する制約(「自己加」に対する制約)は一切認められないかが現実的問題として浮上する。この点、未成年者の場合を考えれば分かりやすいが、人格的自そのものを回復不可能なほど永続的にする場合には、例外的に介入する可性を否定し切れないと解される(限定されたパターナリスチックな制約)。・・・
  50. *企業が新規株式を発行して売却する場合、銀行という資産が増えると同時に資本という純資産が増えることが通常である。しかし、資本1億円以下の中小企業のままでいれば政府から税制面で優遇措置を受けられる。そのため、新規株式を発行売却して銀行という資産を増やしても資本を増やさず、純資産の資本剰余の中の資本準備を増やす企業も多い。
  51. *至上義(資本主義)の反対ステークホルダー資本主義といい、企業が従業員・取引先・顧客・地域社会といったあらゆるステークホルダー(利関係者)へ貢献することをすものである。
  52. *時価会計義で財務諸表を作っている場合、保有する株式価が上がったら損益計算書で有価券評価益という収益を計上し、貸借対照表資産の部における有価券の額を増やすので、「が利益を得て富を増やした」と表現することができる。

    ・投資が簿価会計義で財務諸表を作る場合、保有する株式価が上がっても損益計算書で収益を計上するわけではなく、貸借対照表資産の部における有価券の額を増やすわけでもないが、「が含み益を得て実質的に富を増やした」と表現される。
  53. *ちなみに、価に最大限の注意を払う内閣や、価上昇に連動して内閣支持率が上がる内閣のことを株価連動内閣exitと呼ぶことがある。
  54. *企業会計をごく簡単に説明すると次のようになる。商品を消費者に売って売上を稼ぎ、売上から「従業員に払う人件費」や「協企業に払う費用」といった様々な費用(コスト)を引いて税引前当期純利益を出す。税引前当期純利益から法人税を引いて税引後当期純利益を出す。税引後当期純利益は、貸借対照表バランスシート)の純資産の部の利益剰余内部留保)になり、その一部が への配当としてへ分配される。

    への配当を増やすと、長期金融市場株式市場株式に買い注文が増え、価が上がる。利益剰余内部留保)を増やすだけでも「将来にその利益剰余への配当に化けるかもしれない」と判断されやすく、株式に買い注文が増えやすくなり、価が上昇しやすくなる。

    価が上がれば、時価会計義のなら有価券評価益という収益が増えて利益が増え、簿価会計義のなら含み益が増える。

    税引後当期純利益と利益剰余への配当を増やす方法には、①消費者に払わせる商品価格を維持して多くの消費者に商品を売って売上を稼ぐ方法と、②消費者に払わせる商品価格を上げて売上を稼ぐ方法と、③「従業員に払う人件費」を減らす方法と、④「協企業に払う費用」を減らす方法と、⑤国会議員を与えて法人税を減税する法律を立法させる方法の5つがに考えられる。

    最も難しいのが①の消費者に払わせる商品価格を維持して多くの消費者に商品を売って売上を稼ぐ方法であり、会社の総合が問われる。①を追求するには、営業部門における効果的な広告宣伝のノウハウとか、開発部門における設計の基本思想とか、生産部門において不良率を低下させる優秀な工具の調達といった専門的な知識が必要になり、にとって何が何だかわからないレベルの話になりがちである。①を追求する場面では、は黙って経営者のいうことを聞くしかない。

    ②は独占・寡占の地位を築いてある場合なら容易であるが、そうでない場合なら難しい。⑤はいわゆるレントシーキングであるが、多くの国会議員を説得せねばならず、難しい。

    最も手軽なのが③の「従業員に払う人件費」を減らす方法であり、従業員にパワハラをするだけで簡単に達成できる。④の「協企業に払う費用」を減らす方法も手軽であり、協企業に対して「言うことを聞かないのなら他の企業乗り換える」と脅して威圧的に接するだけで簡単に達成できる。
  55. *的職場の労働者の給与を下げる政策の1つは、政府緊縮財政を導入して教育予算を削り、給与の少ない非正規教員を増やす政策である。日本政府はそういう政策を続けており、2012年の時点で非正規教員の割合が全体の16.1になっている。時事通信2020年12月10日記事exit
  56. *企業へ支払われる費用というと、小売業・卸売業なら「商品を仕入れる仕入れ費用」となり、製造業なら「原材料を購入する原材料費」や「労務を購入する外注費」となる。そのほか、「会社の食を提供する弁当屋に払う費用」のようなものも含まれる。
  57. *帝国データバンク2022年1月後半に実施した価格転の実態調(1万1981社回答)では、約8割の企業が自社の商品やサービス原材料価格高騰などのがあると回答し、さらに36.3は「価格転が全くできていない」と答えた。時事ドットコムニュース2022年02月10日20時33分exit
  58. *日本政府は、2022年4月以降に契約する物品調達や公共工事の入札において、賃上げを表明した企業を優遇する方針を固めた。日本経済新聞2021年12月28日exit
  59. *顧客からの注文が舞い込んでくるのにも関わらず、人手不足で生産したり販売したりすることができず倒産に追い込まれることを人手不足倒産exitという。2022年現在日本は少子化などの人手不足倒産がいくつかの業界で見られるという。この人手不足倒産企業の経営者にとって実に恐ろしい現である。
  60. *この典小室直樹であり、『日本人のための経済原論exit_nicoichiba』などの著作で熱心に「日本人至上義と所有権の絶対性を理解していない」としていた
  61. *生明は会社の値段(ちくま新書)exit_nicoichibaの第二章の58ページあたりにおいて「1960年代頃までのアメリカ合衆国には『は黙って経営者のいうことを聞いていればよい』という潮があった」と摘している。また、アドルフ・バーリexitガーディナー・ミーンズexit1932年に発表した『現代株式会社と私有財産exit』という論文を紹介していて、「現代の大企業を支配しているのは雇われ経営者であり、は会社の所有者であるにもかかわらず会社の支配とは縁な存在になる」と論文の内容を要約している。
  62. *他者加害原理とは他者危原理とも呼ばれるもので、「ある人の基本的人権を権者が制限するとき、十分に正当化される理由は、『他者に危を加えることを防ぐため』という理由である」というものであり、19世紀英国ジョン・スチュワート・ミルが提唱した考えである。「基本的人権の絶対性は他者に危を加えない範囲においてのみ成立する。政府が『公共の福祉』を名に基本的人権を制限するときは他者加害原理を基礎にするべきである」と憲法教科書で説かれる。

    『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版exit_nicoichiba(成文堂)佐藤幸治』には次のような文章がある。

    ・・・上述のように、基本的人権はその不可侵性を本質とするが、そのことは基本的人権の保障が絶対的で一切の制約が認められないということを意味しない。それは、基本的人権観念も共生(人間の共同の社会生活)を前提に成立している以上当然のことで、基本的人権が絶対的であるとは他人にを与えない限りにおいてのみ妥当とする。・・・(131ページ

    ・・・J・S・ミルは、その著『自由論』において、「人類が、個人的にまたは集団的に、だれかの行動自由に正当に干渉しう一の的は、自己防衛だということである。すなわち、文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権を行使しう一の的は、他人にたいする危の防止である。彼自身の幸福は、物質的なものであれ道徳的なものであれ、十分な正当化となるものではない」(早坂忠訳)と述べている。これは“harm principle”(「他者加害原理」)として知られているが、基本的人権の制約を考える際の出発点をなすものと解される。・・・(131ページ

    ・・・ただ、そのような抽論のレベルであえて確認すべきことがあるとすれば、上述のように、「公共の福祉」は、本質的に個人の基本的人権と対立する実体的な多数者ないし全体の利益を意味するものではなく、ミルのいう「他者加害原理」を基礎とするということである。・・・(134ページ
  63. *間接融の銀行借り入れや、直接融の社債発行をすると、企業利子を支払うことになる。この利子企業会計における費用であり、税務における損であり、法人所得を圧縮するものであり、法人税の節税につながるものである。

    一方で、「株式発行による資調達」をするとへ配当を払うことになる。への配当企業会計における費用にならず、税務における損にならず、法人所得を圧縮しないものであり、法人税の節税につながらないものである。なぜならへの配当は、法人税を支払ったあとに残る税引後当期純利益から支払われるからである。

    企業会計をごく簡単に数式で表現すると、「売上高-間接融や社債の利子以外の費用-間接融や社債の利子法人税=税引後当期純利益(ここからへの配当が支払われる)」となる。この数式を見ると、「間接融や社債の利子と、への配当は、数式の中で全く別の場所に位置しており、似ているようで全く異なる存在である」ということがよく分かる。
  64. *2021年12月31日の時点において、日本株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)は一課税であり、一で20.315所得税復興特別所得税15.315%、住民税5%)となっており、累進課税が導入されていない。そして高額所得者ほど株式譲渡や株式配当で得られる収入の割合が多い。このため申告納税者の所得税負担率を見てみると、所得額が1億円までは所得税負担率が右肩上がりの累進課税となっているが、所得額が1億円をえると所得税負担額が右肩下がりになっている(記事exit)。このことを1億円の壁という。2021年8月26日になって自民党総裁選挙に出した岸田文雄は、「株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)の一課税を見直す。1億円の壁を打破する」と発言し、9月29日になって総裁選に勝利して10月4日首相へ就任したが、10月10日になって「融課税について、当面、見直しをしない」という発言をした(記事exit)。
  65. *日本における宗教法人は、「宗教活動」で得られる法人所得に対して法人税を課税されないが、「収益事業」で得られる