方便品は、法華経の品(章)の1つである。教義的に極めて重要な品とされる[1]。
法華経の漢訳の中で最も人気のある『妙法蓮華経』では方便品第二という。法華経のサンスクリット語原典の『サッダルマ・プンダリーカ』ではウパーヤ・カウシャルヤ(巧妙な手段)という。
概要
あらすじ
釈迦牟尼仏が、声聞の舎利弗に「仏陀の智慧は広大であり、声聞・独覚には理解できず、菩薩になって日が浅い者にも理解できない。信心の心を持ち続けた菩薩なら理解できるし、他の仏陀も理解できる」とか「舎利弗よ、このような言葉で満足せよ」と言う。
舎利弗は釈迦牟尼仏に向かって「なぜそのようなことを言うのか、説明してください」と訴えた。
釈迦牟尼仏は「舎利弗よ、質問するのをやめておけ。なぜあのようなことを言ったか説明すると、みな驚くだろう」と答えた。
舎利弗は釈迦牟尼仏に向かって「なぜそのようなことを言うのか、説明してください」と再び訴えた。
釈迦牟尼仏は「舎利弗よ、質問するのをやめておけ。なぜあのようなことを言ったか説明すると、みな驚くだろう」と再び答えた。
舎利弗は釈迦牟尼仏に向かって「なぜそのようなことを言うのか、説明してください」と三度訴えた。
釈迦牟尼仏は「舎利弗が3回も懇願したので、なぜあのようなことを言ったか説明しよう」といった。
釈迦牟尼仏がその言葉を言った途端、5千人の信者たちが立ち上がって釈迦牟尼仏を礼拝してからその場を離れていった。釈迦牟尼仏はそれを許した。
釈迦牟尼仏は「仏陀は、『仏陀になる』と信じて修行する菩薩に対して仏陀の智慧を教えるためにこの世に現れる」と説いた。
そして釈迦牟尼仏は「ただし、堕落した時代において、善根の少ない者に対して、方便として四諦説を教えて声聞にさせ、方便として十二因縁説を教えて独覚にさせる」とか「四諦説を信奉する声聞や十二因縁説を信奉する独覚は、それで満足せず、『仏陀になる』と信じて修行する菩薩になり、仏陀の智慧を追い求めるべきである」と説いた。
さらに釈迦牟尼仏は「菩薩が重視する六波羅蜜という修行を行うと仏陀になれる。仏陀を讃える建設物を建築する者は仏陀になれるし、仏陀を讃える彫刻を作るものは仏陀になれるし、仏陀を讃える絵画を描くものは仏陀になれるし、仏陀を讃える音楽を奏でる者は仏陀になれるし、仏陀に対して手を合わせて供養するものは仏陀になれるし、『南無仏(仏陀を信奉します)』というものは仏陀になれる」と説いた。
嫌みな態度を見せていた釈迦牟尼仏
極めて卑近な表現をすると、「舎利弗からの懇請を受ける前の釈迦牟尼仏は、『自分が持っている智慧は広大である』と誇りつつ『そうした言動をした理由を舎利弗に教えない』という嫌みな態度を見せていた」となる。
このことは様々な解釈が成り立つが、そのうちの1つは、「釈迦牟尼仏が声聞・独覚の嫌みな態度を再現し、『声聞・独覚のように振る舞ってはならない』と暗示するためだった」というものである。声聞・独覚という小乗仏教の信奉者は、智慧を学ぶだけ学んで教えようとしない人々である。智慧を学ぶだけ学んで教えようとしない人というのは、どこの業界においても、「自分はもの凄い智慧を持っている」と誇りつつ「この智慧を君に教えない。この智慧について質問しても無駄だ」という嫌みな態度を見せることが常である。
法華経の五百弟子受記品第八や妙音菩薩品第二十四や観世音菩薩普門品第二十五(観音経)では「菩薩は声聞や独覚の姿に変化して教えを説くことがある」と説かれる。そうした教えから、「法華経方便品の釈迦牟尼仏は、声聞や独覚になりきって声聞や独覚の姿を再現することで声聞や独覚の欠点を露わにした」という解釈が成り立つ。
三止三請
方便品で釈迦牟尼仏が「仏陀の智慧は広大で理解しがたいので、舎利弗は質問するのをやめておけ」と3回制止し、舎利弗が「どうしてそのようなことを言うのか、教えてください」と3回請願し、そのあとに釈迦牟尼仏が教えていく。この様子を三止三請一誡とか[2]、あるいは単に三止三請という。
三止三請によく似たシーンは如来寿量品でも現れる。如来寿量品では四誡四請と呼ばれている[3]。
「情報が停滞している状態」から「情報が流通する状態」に切り替わる
舎利弗からの懇請を受ける前の釈迦牟尼仏は、「仏陀の広大な智慧は舎利弗には理解できない。『仏陀の広大な智慧は舎利弗には理解できない』と語った理由について舎利弗に教えない。舎利弗が質問しても無駄だ」という態度を示していた。このため、釈迦牟尼仏から舎利弗への情報の伝達が行われない状態だったのであり、情報が停滞している状態だった。
舎利弗からの3度の懇請を受けたあと、釈迦牟尼仏は態度を大きく変化させ、「仏陀という存在は、仏陀の広大な智慧を舎利弗などの人々に教えるためにこの世に現れる」と述べた。釈迦牟尼仏から舎利弗への情報の伝達が行わる状態になり、情報が流通する状態になった。
「信教の自由」の肯定
方便品において、釈迦牟尼仏が舎利弗の願いを受け入れて教えを説こうとするとき、5千人の信者たちが席を立ち、釈迦牟尼仏を礼拝しつつその場を去って行った。釈迦牟尼仏はそれを黙認した。
これは釈迦牟尼仏が5千人の信者たちの「信教の自由」を肯定したものである。信教の自由は8種類に分けられるが、そのなかには消極的信仰の自由(信仰をもたない自由)や消極的宗教的行為の自由(宗教上の儀式などを行わない自由)や消極的宗教的結社の自由(宗教団体に参加しない自由)がある。
法華経の成立は紀元後1世紀頃とされる[4]。信教の自由の概念が各国において定着したのはずっと後なので、「法華経方便品は時代を先取りした経典である」と表現することができる。
宗教的寛容性
方便品は、声聞や独覚という小乗仏教の信奉者に対しても仏陀になる可能性を認める経典であり、「小乗仏教を包摂して吸収しよう」という思想を持った経典であり、宗教的寛容性を持つ経典である。
法華経以外の教典には声聞・独覚の二乗が仏となることを明言したものは見当たらない[5]。
法華経と同じ頃に成立した初期大乗経典の1つは維摩経であるが、その維摩経の中では「声聞や独覚という小乗仏教は敗種の二乗」と非難している[6]。法華経の小乗仏教への態度は、維摩経の小乗仏教への態度に比べると天地の差がある[7]。
小善成仏
方便品の最終盤において釈迦牟尼仏が小善成仏を説いている。詳しくは本記事の『小善成仏』の項目を参照のこと。
小善成仏
定義
方便品の最終盤において、釈迦牟尼仏が「六波羅蜜を修行すると仏陀になれる」とか「仏陀を讃える建築・彫刻・絵画を製作したり、仏陀を讃える音楽を演奏したりすると仏陀になれる」とか「仏陀に対して手を合わせて供養すると仏陀になれる」とか「『南無仏(仏陀を信奉します)』というと仏陀になれる」と説いている。これを小善成仏という[8]。
在家信者向けの説法
小善成仏は在家信者が仏陀になる方法を示したものである[9]。
方便品の後半において「菩薩になって『仏陀になる』という信念を持って修行すれば仏陀になれる」と繰り返し語られていたが、それは出家信者が仏陀になる方法を示したものである[10]。
小善成仏の中の1つは、「六波羅蜜を修行すると仏陀になれる」というものである。六波羅蜜というのは大乗仏教(菩薩)が重視する修行方法で、布施・忍辱・精進・持戒・智慧・禅定の6つである。布施は贈与のことで、忍辱は忍耐して怒らないことで、精進は健康を保って怠らないことで、持戒は規律に従って悪を避けることで、智慧は文字通りに智慧を身につけることで、禅定は精神集中のことである。この六波羅蜜は、いずれも「超自然的な荒行」と言うほどではなく、在家信者が日常生活の中で実践できるような種類のものである。このため「法華経方便品は在家信者に対する肯定感が強い教典」と表現することができる。
芸術の肯定
小善成仏からは、法華経を信奉する教団が建築・彫刻・絵画・音楽といった芸術産業を肯定している様子や芸術家の「表現の自由」を肯定している様子を感じることができる。
偶像崇拝の肯定
小善成仏は、仏陀を描いた彫刻・絵画を肯定するものであり、偶像崇拝を肯定するものであり、彫刻家・絵師の「表現の自由」を大いに肯定するものである。
世の中には偶像崇拝を禁止する宗教があり、キリスト教の一部やユダヤ教やイスラム教が例に挙がる。そういう宗教が優勢な国では、人を描く彫刻・絵画をしていると「偶像崇拝をするつもりか?やめてしまえ」と弾圧されることが多く、彫刻家・絵師の「表現の自由」が保障されない。
偶像崇拝禁止の宗教が優勢な国では、人を描く彫刻・絵画の産業があまり育たず、幾何学模様とか植物模様や文字模様を描く彫刻・絵画の産業が育つようになる(画像検索例1、画像検索例2、画像検索例3)。
小乗と大乗の違い
小乗と大乗の違いを考えることの意義
「大乗仏教を奉ずる教団が小乗仏教を奉ずる教団を包摂するために法華経の方便品が作られた」といっても過言ではない。
このため、小乗と大乗の違いをおぼろげながらも把握しておくことは、法華経方便品を理解する上で非常に重要となる。
基礎知識
小乗に属するのは声聞と独覚(縁覚、辟支仏)であり、大乗に属するのは菩薩(求法者)である。
声聞は四諦説を信奉し、独覚は十二因縁説を信奉し、菩薩は六波羅蜜を修行して法華経を信奉する。
自利と自利・利他
小乗のうち、声聞は仏陀に近づいて智慧を得て悟りを開くものであり、独覚は一人で因果律を考察して智慧を得て悟りを開くものである。そして小乗の声聞と独覚は、いずれも、得た智慧を他者に教えることを重視しない。つまり自利を重んずるものである[11]。
一方で大乗は、仏陀に近づいて智慧を得て悟りを開き、得た智慧を他者に教えることを重視する。つまり自利・利他を重んずるものである[12]。
小乗は学ぶだけ学んで教えようとしないのであり、大乗は学んだら惜しみなく教えるというものである。
情報を停滞させる階級社会と、情報を流通させる無階級社会
学ぶだけ学んで教えようとしない人はどこの業界にもいるが、一般的に、この世の人々を「知識を理解できる階級」と「知識を理解できない階級」に二分割し、自らを「知識を理解できる階級」に位置づけ、「知識を理解できない階級」に対する不信感を露わにして、階級間の交流を否定する。つまり、階級社会の支持者である。
学ぶだけ学んで教えようとしない人は、「知識を理解できない階級」からの質問がやってきたとき、「君はこの知識を理解しがたい」と軽蔑するがごとく述べ、そして「君にこの知識を教えるのは無駄である」と突き放すがごとく宣言し、「君は私に対してこの知識を質問する必要は無い」という態度を示す。つまり、方便品の前半において釈迦牟尼仏が舎利弗に取った態度と同じような態度を示す。
学ぶだけ学んで教えようとしない人は、「知識を理解できる階級」の中だけで知識を保有すればよいと考え、「知識を理解できない階級」に対して教えるという情報提供の行為をせず、「知識を理解できない階級」が質問をしても小馬鹿にして相手にせず、情報を停滞させる。
学んだら惜しみなく教える人はどこの業界にもいるが、一般的に、この世の人々を「知識を理解できる階級」と「知識を理解できない階級」に二分割して自らを「知識を理解できる階級」に位置づけることを熱心に行わず、「知識を理解できない階級」に対する不信感を持たず、階級間の交流を大いに肯定し、階級を無視する。つまり無階級社会の支持者である。
学んだら惜しみなく教える人は、「知識を理解できない階級」からの質問がやってきたとき、「君はこの知識を理解できる」と述べ、そして「君にこの知識を教えるのは無駄ではない」と宣言し、「君は私に対してこの知識を質問すべきだ」という態度を示す。つまり、方便品の後半において釈迦牟尼仏が舎利弗に取った態度と同じような態度を示す。
学んだら惜しみなく教える人は、「知識を理解できる階級」の中だけで知識を保有するのはもったいないと考え、「知識を理解できない階級」に対して教えるという情報提供の行為をして、「知識を理解できない階級」が質問をしたときに真摯に教育し、情報を流通させる。
保守と革新
教えるときは、教える人が知識に対して思慮を巡らして自由に解釈して解釈を付け加えて知識を渡すことが多く、知識の変容・変革を招きやすい。
学ぶだけ学んで教えようとしない人だけになると、知識の固定化が進む。知識に対して自由に解釈しようとする気運が失われ、思想・良心の自由が制限されていく。知識が一定の形式で固定され続け、「昔も今も将来も全く同じ」ということになり、伝統を墨守するようになり、保守的になる。
学んだら惜しみなく教える人が増えると、知識の変容が進む。知識に対して自由に解釈しようとする気運が盛んになり、思想・良心の自由が尊重される。知識が様々な形式に変容し、「昔はAという状態で、今はBという状態で、将来はCという状態になる」ということになり、伝統をさほど守らなくなり、革新的になる。
岩本裕は次のように述べている。
それでは、この二者の関係をどのように理解したらよいかというと、わたしは現代的な言葉で表現すれば、小乗が保守派であるのに対し、大乗は進歩派であると考えたならば、一番わかり易いのではないかと思う。
というのは、小乗仏教では、仏の教えだけに拘泥して、仏教の原初的な性格を神聖な伝統として、それを墨守しようとする。言い換えるならば、経典の解釈を固定化すると同時に、戒律の条文を一定不変のものにしようとする性格が強く表面に出ているのである。これに対し、大乗仏教では、原始仏教の教説を補足し拡充して、宗教的に完成させようとする立場であり、経典の文句の表面的意味だけではなく、その裏にかくされた仏の真意を探ろうとし、しかもその真意にそうて自由な解釈を与えようとするものであった。
要するに、ブッダの教えに拘泥し、それに関連する伝統を神聖なものとして墨守しつづけようとする小乗仏教の保守的な立場に対して、進歩派としての新しい宗教思想・神話を展開させたのが大乗仏教であると言うべきである。
団体主義と個人主義
学ぶだけ学んで教えようとしない人だけになると、知識の固定化が進む。知識が一定の形式で固定され続け、「AもBもCも同じことを考える」という状態になり、教団の結束が強まり、団体主義になる。また、「昔も今も将来も全く同じ」ということになり、伝統を墨守するようになり、保守的になり、先祖と自分と子孫の連帯感が強まり、やはり団体主義になっていく。
学んだら惜しみなく教える人が増えると、知識の変容が進む。知識が様々な形式に変容し、「Aは『あ』と考え、Bは『い』と考え、Cは『う』と考える」という状態になり、教団の結束が緩んで分化が進み、個人主義になる。また、「昔はXという状態で、今はYという状態で、将来はZという状態になる」ということになり、伝統が崩れていき、先祖と自分と子孫の連帯感が弱まり、やはり個人主義になっていく。
表現の自由の制限と、表現の自由の尊重
学ぶだけ学んで教えようとしない人が主導して教団を結成すると、先述のように団体主義になり、教義を一定の形式で固定して結束力を高めることを望むようになる。
教義を知る構成員が積極的情報提供権(表現の自由の1つ)を行使して教義を勝手に教えると、それに対して罰を与えるようになり、表現の自由を制限するようになる。
教義を知らない構成員が積極的情報受領権(表現の自由の1つ)を行使して教義を勝手に学習すると、それに対して罰を与えるようになり、やはり表現の自由を制限するようになる。
学んだら惜しみなく教える人が主導して教団を結成すると、先述のように個人主義になり、教義を様々な形式に変容させることを許す気風になる。
教義を知る構成員が積極的情報提供権(表現の自由の1つ)を行使して教義を勝手に教えても、それに対して罰を与えず、表現の自由を尊重するようになる。
教義を知らない構成員が積極的情報受領権(表現の自由の1つ)を行使して教義を勝手に学習しても、それに対して罰を与えず、表現の自由を尊重するようになる。
まとめ
本項目をまとめると次の表のようになる。
小乗 | 大乗 | |
属する僧侶 | 声聞と独覚(縁覚、辟支仏) | 菩薩(求法者) |
信奉する教義 | 四諦説、十二因縁説 | 六波羅蜜と法華経 |
性質 | 自利で、学ぶだけ学んで教えようとしない | 自利・利他で、学んだら惜しみなく教える |
態度 | 「知識を理解できる階級」と「知識を理解できない階級」に二分割して、自らを「知識を理解できる階級」に位置づけ、「知識を理解できない階級」に対する軽蔑の態度を丸出しにする | 「知識を理解できる階級」と「知識を理解できない階級」に二分割することを熱心に行わず、階級間の交流を盛んにさせようとして、階級意識を無視する |
例 | 法華経方便品の前半において釈迦牟尼仏が舎利弗に取った態度 | 法華経方便品の後半において釈迦牟尼仏が舎利弗に取った態度 |
親和性の高い社会 | 階級社会 | 無階級社会 |
教義の変化 | 信者が教えるという行為をしないので、教義に信者独自の解釈が混入しにくく、教義が固定化されやすく、保守的になりやすい | 信者が教えるという行為をするので、教義に信者独自の解釈が混入しやすく、教義が変容しやすく、革新的になりやすい |
教団の結束 | 教団の構成員が全て同じことを考えるようになり、思想・良心の自由が制限され、教団の結束力が強まり、巨大な教団が維持され、団体主義が濃くなる | 教団の構成員が別々のことを考えるようになり、思想・良心の自由が尊重され、教団の結束力が弱まり、教団の分化が進み、個人主義が濃くなる |
世代間の連帯感 | 先祖と自分と子孫が同じことを考えるようになり、世代間の連帯感が強まり、団体主義が濃くなる | 先祖と自分と子孫が別々のことを考えるようになり、世代間の連帯感が弱まり、個人主義が濃くなる |
表現の自由 | 教義を固定するため、「知識を理解できる階級」の積極的情報提供権も、「知識を理解できない階級」の積極的情報受領権も、制限する。表現の自由を制限する | 教義の変容を許すため、「知識を理解できる階級」の積極的情報提供権も、「知識を理解できない階級」の積極的情報受領権も、尊重する。表現の自由を尊重する |
関連項目
脚注
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 431ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 340ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 340ページ、387ページ、454ページ
- *布施浩岳が『法華経成立史』(大東出版社)でそのように述べている。『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 429~430ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 434ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 419ページ、434ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 434ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 432ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 434ページ
- *『法華経(下)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 434ページ
- *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 326ページの「己の利」の注、330ページの「縁覚」の注を参照
- *『法華経(上)岩波文庫 1976年版』(岩波書店)坂本幸男・岩本裕 176~179ページ、360ページを参照
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