旗手怜央(はたて れお、1997年11月21日 - )とは、日本のサッカー選手である。
スコットランドのスコティッシュ・プレミアシップのセルティックFC所属。サッカー日本代表。
171cm71kg。ポジションはMF、DF(左サイドバック)。利き足は右足。
概要
三重県鈴鹿市出身。小柄ながらそれを補う高い身体能力と運動量を持っており、本職はインサイドハーフながらウイングやサイドバックでもプレーできるユーティリティプレイヤーである。Box to Boxの動きやミドルシュートによる得点力の高さに加え、デュエルの勝負にも強く、守備力も高い。まさにオールラウンドなプレイヤーである。
静岡学園高校から中央大学へと進み、2020年に川崎フロンターレに入団。黄金期にあったチームにおいてルーキーイヤーからポジションを掴むと、2020年と2021年のJ1リーグ連覇に貢献。2021年末にセルティックFCへ移籍すると、ここでもすぐに主力として起用されるようになり、スコティッシュ・プレミアリーグ優勝に貢献。2022-23シーズンには年間のベストイレブンに選出される。
日本代表としてはU-24代表として東京オリンピック(2021年)に出場し、フル代表には2022年3月にデビュー。招集されながらもなかなか定着できない期間が続いたが、2024年1月のAFCアジアカップ2024のメンバーに入り、印象に残るプレーを披露している。
経歴
プロ入りまで
PL学園高校の野球部として清原和博、桑田真澄らと共に甲子園に出場し、本田技研鈴鹿硬式野球部の監督も務めた旗手浩二の長男。母親も姉もスポーツをやっているというスポーツ一家で育つ。
幼少期から活発な子で、幼稚園に入る前の3歳から補助輪を外した自転車を乗り回していた。小学校3年生の頃から本格的にサッカーに取り組むようになる。もっともこの頃はサッカーと野球を両立させていた。4年生のときにFC四日市ジュニアへ移り、中学校になってもそのままFC四日市でプレーを続ける。この時期にはプロになりたいという目標を持っていた。サッカーの強豪校である静岡学園高校の練習に参加し、シュート力を見込まれて、推薦での入学を勝ち取る。
静岡学園時代には、親元を離れ寮で暮らすことになる。ポジションは中学時代のボランチから攻撃的なポジションに移るが、入部当初は技術だけで言えば下のほうで、このままでは生き残れないと危機感すら抱いていた。それでも1年生の後半から出場機会を得られるようになり、2年生の夏あたりには左WBとしてレギュラーを獲得。2014年の第93回全国高校選手権にも出場し、1ゴールを決めチームのベスト8進出に貢献。3年生になると背番号10を与えられたが、この年は全国大会に出場することはできなかった。
プロからのオファーが無かったこともあり、高校卒業後は順天堂大学に進学。監督である元日本代表DFである堀池巧からオフ・ザ・ボールを学んだこともあってプレイヤーとして急成長を遂げ、関東大学サッカーリーグ戦では1年生ながら9得点をあげて新人王を獲得。2年生のときには全日本大学選抜や世代別代表を経験し、プロからも注目される存在となる。2017年のユニバーシアードの日本代表にも選ばれ、優勝している。このときのチームメイトに後にチームメイトとなる三苫薫がいた。3年生になると、Jリーグの練習に参加するようになり、J1リーグで連覇を果たしていた川崎フロンターレへの入団が内定。4年生となった2019年には特別指定選手としてJ1リーグデビューを果たしている。
川崎フロンターレ
2020年J1リーグの川崎フロンターレに正式に入団。背番号は「30」。2月16日のルヴァンカップ開幕戦の清水エスパルス戦でプロとしての初出場を果たし、アシストも記録。J1リーグ開幕後も途中出場が中心ながらもチャンピオンチームの中でルーキーながら出場の機会を与えられる。8月26日のヴィッセル神戸戦ではJ1での初ゴールを記録。WG、IH、左SBという複数のポジションで起用され、徐々にスタメンで起用されることも多くなり、チームに定着。9月23日のJ1第18節横浜FC戦では2ゴールの活躍を見せている。同期で入団した三笘薫ほどのセンセーショナルな活躍ではなかったものの、ルーキーながらも主力としての地位を築き、J1優勝と天皇杯優勝の二冠をプロ1年目で経験する。
2年目となった2021年からは背番号を「47」に変更。シーズン序盤はDF陣に怪我人が続出したチーム事情もあって左SBでの出場が中心となる。夏に三笘薫と田中碧が欧州へ移籍して以降は本職である中盤より前でのプレーが主戦場となり、当初は責任の大きさから空回りし負傷して離脱もしたが、復帰後はチームの中心として脇坂泰斗、橘田健人と共に高いクオリティの中盤を形成。ゲームメイクを担いながら守備にも奔走し、王者川崎に欠かせない選手にまで成長していた。チームの潤滑油として奮闘し、川崎のJ1リーグ連覇に大きく貢献。優勝が決まった11月3日の浦和レッズ戦では人目をはばからず歓喜の涙を流していた。この年のJリーグベストイレブンにも選出され、選手として大きく飛躍した1年となった。
セルティック
2021年12月31日、前田大然、井手口陽介と同時に3人の日本人選手が加入するという形でスコットランドのスコティッシュ・プレミアリーグの名門セルティックFCへの完全移籍が発表される。背番号は「41」。2022年1月17日、第17節ハイバーニアン戦でスタメンに起用されデビューを飾ると、中盤で質の高いプレーを見せこの試合のMOMに選出される。続く第23節ハート戦では強烈なミドルシュートを決め、初ゴールを記録。さらに2月2日、レンジャーズFCとの伝統のオールド・ファームダービーで2ゴール1アシストという大活躍で勝利に導き、瞬く間に注目を浴びる存在となる。しかし、その後はコンディションが低下してパフォーマンスが落ち、次第にメディアから批判されるようになる。それでも17試合4得点1アシストの成績を残し、加入1年目でリーグ優勝を経験する。
2022-2023シーズンは、開幕戦のアバディーン戦で負傷交代するアクシデントに見舞われるが、2022年9月6日のUEFAチャンピオンズリーグでは前年王者レアル・マドリードを相手に奮闘し、チームは敗れたものの各メディアから高評価を受ける。10月1日、第9節マザーウェル戦では決勝ゴールとなる強烈なミドルシュートを決め、シーズン初ゴールを記録。その後、中盤の一角として定位置を掴むようになると、第18節のセント・ジョーンズ戦で2ゴールを決める。さらに2023年2月18日の第26節アバディーン戦で2ゴールを決め、この試合のMOMを受賞する。リーグカップ決勝でも古橋亨梧のゴールをアシストし優勝に貢献するなど際立ったパフォーマンスを発揮し、2月のリーグ月間最優秀選手に選ばれる。3月18日のハイバーニア戦で負傷し、4月いっぱいまでを欠場するが、復帰後はチームの国内三冠に貢献。シーズン6ゴール8アシストという成績を残し、古橋と共にリーグベストイレブンに選出される。
2023-24シーズンは夏にプレミアリーグへの移籍話が浮上するが、結局具体的な話にならないまま残留となる。移籍話と怪我もあって開幕から出遅れてしまうが、シーズン初スタメンとなった2023年9月23日の第6節リヴィングストンFC戦でPKを決め、シーズン初ゴールを記録。9月29日とはセルティックと新たに5年間の長期契約を結んだことが発表される。戦線復帰後は2ゴール2アシストと好調を維持していたが、10月25日のCLグループステージ第3節アトレティコ・マドリード戦で前半7分に左ハムストリングを負傷して涙ながらに交代となり、再び戦線離脱となる。2024年1月2日のセント・ミレン戦で2か月ぶりに復帰。だが、AFCアジアカップ2024で再びハムストリングを痛め、2度目の長期離脱を経験。3月31日のリヴィングストン戦で約3か月ぶりに復帰すると、第33節のセント・ミレン戦で半年ぶりとなるシーズン2得点目を決める。その後はレギュラーに返り咲きリーグ三連覇に貢献するが、怪我に泣かされた不本意なシーズンとなった。
2024-25シーズンは万全の状態でシーズンに入り、2024年8月5日のリーグ開幕戦キルマーノック戦でシーズン初ゴールを決めている。
日本代表
2018年1月に中国で開催されたAFC U-23選手権に出場するU-21日本代表のメンバーに選出され、グループリーグ第3戦の北朝鮮戦でゴールを決めている。同年8月のアジア競技大会にも出場し、パキスタン戦でゴールを記録。2019年6月に開催されたトゥーロン国際大会のU-22日本代表にも選出され、第2節のU-22チリ戦ではハットトリックを記録。決勝のU-22ブラジル戦にフル出場したが、PK戦で5人目で登場するも相手GKに止められ、日本は惜しくも準優勝に終わっている。
2022年8月に開催された東京オリンピックに出場するU-24日本代表のメンバーに選出。左SBと左SHと2つのポジションで起用されるなどマルチロールとして重宝され、準決勝までの6試合のうち5試合に出場。フランス戦、ニュージーランド戦、準決勝のスペイン戦ではスタメンに名を連ねている。このチームでは数少ない立ち上げ時から名を連ねていた選手だった。
2021年11月、2022 FIFAワールドカップアジア最終予選を戦うメンバーとして初めてフル代表に招集される。2022年3月29日の最終予選 最終節ベトナム戦でスタメンに起用され、代表デビューを果たす。しかし、チームの中で役割が見いだせず、前半のみで交代となるほろ苦いデビューとなった。9月のドイツ遠征で代表に復帰するが、2試合を通して全く出場機会が与えられなかった。結果、ワールドカップ本大会のメンバーからも落選する。
2023年6月に代表復帰を果たすと、6月15日のエルサルバドル戦で1年3か月ぶりの代表2キャップ目を刻み、10月17日にはレギュラー組が起用されたチュニジア戦で左SHのスタメンを任される。2024年1月にはカタールで開催されるAFCアジアカップ2024に出場するメンバーに選出される。第2戦のイラク戦で後半29分から投入されると、CKから遠藤航のゴールをアシスト。第3戦のインドネシア戦では左IHでスタメンに抜擢されると、攻守に気の利いた動きを見せて評価を高める。ラウンド16のバーレーン戦でも引き続きスタメンに名を連ねるが、前半に両ふくらはぎを負傷し交代となる。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2019 | 川崎フロンターレ | J1リーグ | 1 | 0 | |
2020 | 川崎フロンターレ | J1リーグ | 31 | 5 | |
2021 | 川崎フロンターレ | J1リーグ | 30 | 5 | |
2021ー22 | セルティック | S・プレミアシップ | 17 | 4 | |
2022ー23 | セルティック | S・プレミアシップ | 32 | 6 | |
2023ー24 | セルティック | S・プレミアシップ | 16 | 3 | |
2024ー25 | セルティック | S・プレミアシップ |
個人タイトル
プレースタイル
メインのポジションはインサイドハーフだが、トップ下、左右のSH、さらには左SBまでもこなせるポリバレントな能力の持ち主。小柄な体格だが体幹が強く、当たり負けをしないフィジカルの持ち主。日本国内でプレーしていた頃は体でブロックして相手を吹き飛ばす場面が見られた。足元の技術も高く、縦のスピードやドリブル、キープ力にも秀でている。
ピッチを縦横無尽に走り回れるスタミナも魅力のひとつで、パス回しの中で逆サイドまで流れることもある。ターンやスペースにボールを運びながら身体を入れ、攻撃のアイディアを出していくことを得意としている。さらに、「別次元」とまで称される強烈なミドルシュートも得意としており、スコットランドでも移籍2試合目で決めている。
川崎での2年目となった2021年には左SBとしても多く起用されており、SBとしてプレーしたことで受け手にも出し手にもなれる選手へと成長。SBとしてプレーしたときには、中盤の選手としての特徴を活かしたインサイドでのプレーを披露しており、型破りな近未来型のSB像として期待する声も多い。ただ、4バックの守備になるとCBをカバーする守りも必要となるが、元々攻撃的なポジションの選手ということもあって苦手としており、東京オリンピックでは押し込まれたときの守備が課題となっていた。
エピソード
- 父親はPL学園で甲子園優勝の経験を持つ元高校球児だが、野球をすすめることなく息子がサッカーの道を選んだことに反対はしなかった。川崎の公式HPのプロフィールには、ヒーローは「父親」と答えている。ちなみに本人は父親のPL時代の偉業を高校生になるまで知らなかった。
- 高校3年生のときのインターハイ直前に背番号10を剥奪されたことがあり、スタメンからも落とされた。その時に天狗になっていた自分を自省し、サッカーに取り組む姿勢を見直して10番とスタメンを取り戻している。
- 大学時代には、プレー面での意見の相違から監督の堀池巧に怒鳴ったことがある。
- FWからSBまでもこなすユーティリティプレイヤーとして注目されるが、「そこまでポジションにこだわり過ぎないというか、どこで出ても『あいつ、すごいな』と思われるプレーができればいいかなと思います」と語っている。
関連項目
外部リンク
- 旗手怜央公式インスタ(@reo__1121)
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