日台友好の概要
台湾は多くの親日家がいることで知られ、友好的な関係から文化的な交流も深く日本と同じようにオタクと呼ばれる人種も数多く確認されている
そういった文化的土壌からニコニコ組曲を合唱する動画(組曲『ニコニコ動画』、台湾人で大合唱)が投稿され、日本のオタクに非常に大きな驚きと反響を呼び、日本からも返礼をする(日本人が台湾人にお返しの組曲作ってみた
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)など両国の、より一層の交流が期待される。
日台友好の経緯
統治当初は現地の抵抗などがあったが、日本は獲得領土を日本国内と同じように扱うという「内地延長主義」を取り、教育水準向上、インフラ整備、治安維持を行った。その結果、日本人を敬愛する台湾人がふえていった。
第二次世界大戦、国共内戦を経て、大陸からやってきた中国国民党が支配するようになった。当初は歓迎していたが、台湾人への略奪、暴行、役人の賄賂要求などがあり、人々は「犬(日本人)去りて、豚(国民党)来たる」と言って日本統治時代を懐かしむようになり「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉が生まれた。
その後、差別などにより、台湾人による抗議運動は武力衝突につながった。そして、二・二八事件が起こり、国民党は全土に戒厳令を敷き蒋介石による独裁政治が行われた。これについて、「アメリカは日本に原爆を落としただけだが、台湾には蒋介石を落とした」という言葉まであるくらい、蒋介石の独裁が台湾にもたらした災厄は大きなものだった。
これにより、国民党は反日教育を行い、台湾人にも反日思想が形成された。
しかし民主化以降は言論、政治にも自由な空気が戻り、教育も反日思想が無くなり公正な教育になった。これは時の李登輝総統の尽力によるところも大きい。日本の教育より公正かも知れない。
台湾では日本の文化は大きな影響力を持ち、脈々と台湾の青少年に影響を与えた。そして、哈日族(ハーリーズー)と呼ばれる日本に対して好意を持つ人が現れ、現在に至る。
隣国日本の言語である日本語を学ぶ人も少なくなく、街の看板でも、あたかも日本人が英語をデザインに用いるように日本語が用いられたりしているのも見ることができる。
南国のおおらかな気質や、良いものを認めて受け入れるある種の国民性という土壌が日台友好のもとになったと思われる。
注意点
台湾は言論弾圧などを行わない自由な国である。台湾の知識人も一般人も、必ずしも一枚板ではないということは意識しておく必要がある。
また昨今では日本の台湾統治時代の好意的なエピソードが広まるとともに、一部で日本からの台湾に対する「上から目線」が問題になっていることも知っておきたい。
同じアジアの仲間として、対等な関係を心がけることが大切である。
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関連項目
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