「日本総大将」とは、国際大会において日本を代表するエースに冠される二つ名である。ここでは競馬の国際GⅠレースでの用途について解説する。
概要
「日本総大将」は、主に日本で開催される国際GⅠレース「ジャパンカップ」(東京競馬場 芝2400m)を盛り上げるため、出走する日本調教馬のエース格の馬に冠される二つ名。その年ごとに出走馬は違うため、毎年「日本総大将」と呼ばれる馬は異なってくる。
ただ、海外からの参戦馬が少なくなってきた近年では、あまり使われなくなってきている。
主な日本総大将
以下は海外の強豪場達と渡り合って様々な記録を残した“日本総大将”たち。
1981年 モンテプリンス
初代は第1回ジャパンカップで日本馬最高の2番人気に推された“無冠の帝王”モンテプリンス。しかし結果は外国産馬4頭が日本レコードを更新する一方、日本馬は4番人気ゴールドスペンサーがなんとか5着に滑り込むという有様。八大競走未勝利のモンテプリンスに総大将は荷が重かったか、7着惨敗に終わった。
ジャパンカップの初代覇者はアメリカの牝馬・メアジードーツ。GⅠ勝利経験のない二流クラスの古馬牝馬に完膚なきまでに叩きのめされたことで、日本の競馬関係者が受けた衝撃は大きかった。
1983年 キョウエイプロミス
第3回はJRAが古馬のエース格をこれでもかと投入。宝塚記念馬ハギノカムイオーに天皇賞馬メジロティターン、アンバーシャダイを従えた総大将が、直前で秋の天皇賞を制したキョウエイプロミス。史上3頭目の三冠馬ミスターシービーの回避で「日本最強馬が出ない」と批判が集中する中、高松邦男調教師はプロミスの脚が壊れるをこと覚悟しつつ「だからプロミスが貴方がた(外国産馬)のお相手をする」と宣言。そしてプロミスはレース中に繋靱帯不全断裂を発症しながらもスタネーラに追いすがり、アタマ差届かずもJC史上初の連対という総大将に恥じぬ走りを見せた。
1984年 ミスターシービー
第4回の総大将は堂々1番人気に推された前年三冠馬ミスターシービー。無敗三冠馬シンボリルドルフとのJRA史上初の三冠馬同士の対決となり、悲願のジャパンカップ制覇も期待されたが、それを達成したのはシービーの同期、10番人気カツラギエース。シービーは10馬身以上突き放された10着大敗に終わった。
1985年 シンボリルドルフ
第5回の総大将は圧倒的な1番人気に推されたシンボリルドルフ。ケガからの復帰戦となる秋の天皇賞でギャロップダイナに不覚を取ったが、野平祐二調教師は「競馬に絶対はないが、ルドルフにはある」と断言。その言葉を証明するように、ルドルフは日本馬初の1番人気での勝利を当たり前のように成し遂げてみせた。
1989年 オグリキャップ
第9回は平成三強が揃い踏み。その中でも一番人気はやはり“葦毛の怪物”オグリキャップだった。レースはイブンベイとホークスター、米英快速馬の逃亡でかつてないハイペースとなる中、2分22秒2という異次元の世界レコードを叩き出したニュージーランドの葦毛女王ホーリックスが南半球馬初のJC制覇を達成。オグリキャップは直線で猛烈に追い込んだがホーリックスには僅か届かず、それでも世界レコードにタイム差なしの2着だった。
1992年 トウカイテイオー
この年から国際GⅠ認定された第12回ジャパンカップ。それだけに世界中から集まった馬達は当時「史上最強のメンバー」とも言われた。そんな中で日本馬の大将格はトウカイテイオーだったが、骨折からの復帰戦となった秋の天皇賞で7着惨敗。ルドルフ以降日本馬の勝利がないこともあって、単勝10倍の5番人気と期待薄だった。しかしいざレースとなるとテイオーは輝きを取り戻し、並み居る世界の強豪を打ち倒してJRA史上初の国際GⅠ制覇、父子JC制覇を果たした。
1994年 マチカネタンホイザ
第14回は有力GⅠ馬の故障引退、回避が相次いだ結果、GⅠ未勝利のマチカネタンホイザが大将格に。しかし、そのマチカネタンホイザはなんと本馬場入場直後に鼻出血を発症して出走取消という、JC史上初の珍事を起こしてしまった。レース自体はマーベラスクラウンが勝利し、前年のレガシーワールドに次いで日本調教騸馬による連覇達成となった。
1998年~1999年 スペシャルウィーク
「日本総大将」と言われた時、最もイメージする人が多い馬はやはりスペシャルウィークだろう。
第18回は3歳ながらダービー制覇の実績を買われて1番人気に推されたが、勝ったのは3番人気の同期エルコンドルパサー。スペシャルウィークは3着で2着に女帝エアグルーヴが入り、上位3頭を日本馬が独占した。
第19回は天皇賞春秋連覇を達成して堂々の総大将に推され、エルコンドルパサーを破って日本の夢を打ち砕いた凱旋門賞馬モンジューを迎え撃ち、完膚なきまでに打ち破った。秋の天皇賞とJCの連覇は史上初の快挙。フジテレビの実況・三宅正治アナが叫んだ
「やはり日本総大将!スペシャルウィークが勝ちました!」
という実況と相まって「日本総大将といえばスペシャルウィーク」というイメージは多くの競馬ファンの心に強く焼き付いている。
2000年~2001年 テイエムオペラオー
第20回は“世紀末覇王”テイエムオペラオーが当時のジャパンカップ最高支持率となる単勝支持率50.5%を記録。ここまで年間無敗6連勝の実力を遺憾なく発揮し、次走から連勝街道を突っ走る欧州最強馬ファンタスティックライトを同期のメイショウドトウとともに完封、史上2頭目の秋天JC連覇を達成。かのランフランコ・デットーリに「Crazy strong!」と言わしめた。この後、オペラオーは有馬記念をも制し、史上初の年間古馬王道完全制覇を達成する。
第21回では2年間に渡って一度も1番人気を譲ることがなかったテイエムオペラオーも流石に反応が鈍くなってきた事もあって、いつもより少し早めに抜け出して後続を突き放したが、外から馬体を合わせずに追ってきたジャングルポケットに僅かに交わされて2着に終わった。以下、3着ナリタトップロード、4着ステイゴールド、5着メイショウドトウと入線し、ジャパンカップ史上初めて日本馬が掲示板を独占した。
2004年 ゼンノロブロイ
第24回は秋の天皇賞でとうとう悲願のGⅠ制覇を果たしたゼンノロブロイ。オリビエ・ペリエを鞍上に迎え、他馬を寄せ付けぬ圧勝でスペシャルウィーク、テイエムオペラオーにつぐ史上3頭目の秋天JC連覇を達成し、フジテレビの実況・三宅正治アナは
「勝ったのはゼンノロブロイ、日本総大将!史上3頭目、天皇賞ジャパンカップ連覇!」
と叫んだ。ロブロイはこの後有馬記念も制し、オペラオーに次ぐ史上2頭目の秋古馬三冠を達成している。
2006年 ディープインパクト
第26回は日本競馬の結晶ともいわれた無敗三冠馬ディープインパクトで、単勝支持率61.2%は2000年のテイエムオペラオーを上回るJC史上最高を記録。最後方からいつもどおり直線の大外一気で全頭をブチ抜き、国内で唯一負けた相手であったハーツクライにリベンジを果たすと共に、凱旋門賞での失格騒動の悔しさを晴らした。武豊は後年「ディープのレースでプレッシャーが掛かったものがあったとしたら、あのジャパンカップ」と振り返っている。
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