日本航空(日本航空株式会社、Japan AirLines)とは、日本の航空会社のひとつである。
アジアでは大きい航空会社のひとつであり、日本の所謂「フラッグキャリア」。世界的な航空連合「ワンワールド(oneworld)」加盟航空会社。
通称は日航・JAL(ジャル)。ボーイングのカスタマーコードは46である。(経営統合相手の旧・日本エアシステム(JAS)は89であった。)
概要
日本航空 JAPAN AIRLINES |
|
ICAOコード | JL |
IATAコード | JAL |
コールサイン | Japan Air |
アライアンス | ワンワールド |
保有機材数 | 228機 (2018/3現在) |
ハブ空港 | 東京/羽田 東京/成田 大阪/関西 大阪/伊丹 |
就航地 | 253都市 (2018/2現在) (他社運航便含む) |
戦後日本国籍の航空機の運行禁止の解除が行われた後の1951年8月に設立。まずは1951年8月にフィリピン航空からチャーターしたダグラスDC-3にて関係者を対象とした招待飛行を実施。
同年10月にノースウエスト航空(→デルタ航空)保有のマーチン2-0-2「もく星号」で東京国際空港(羽田)-大阪国際空港(伊丹)-福岡空港(当時板付空港)間にて運航を開始したのが始まりである。後にダグラスDC-4も導入。
当時はGHQによる日本の占領が終結しておらず、日本航空による自主運航が認められなれず、旧連合国陣営の航空会社出資の共同設立会社であるJDAC (Japan Domestic Airline Company)への運航委託が必要となっていた。そのため、当初はJDACへ出資していたノースウエスト航空から乗員ごとチャーターして運航していた。
1952年4月に前述の「もく星号」が伊豆大島において墜落し、乗員と乗客全員が死亡する大惨事となった。この事故もあり、同年10月からはJAL自社による自主運航が開始した。
1953年10月には日本航空株式会社法(1985年廃止)の成立を受け、JALは日本政府と民間が出資する特殊会社となった。JAL旧社は権利義務を特殊会社となるJAL新社に継承して解散した。
そして同年11月には戦後の日本の航空会社として初の国際線の運航を開始した。この時に導入したのがダグラスDC-6で羽田空港-ウェーク島-ホノルル国際空港(→ダニエル・K・イノウエ国際空港)-サンフランシスコ国際空港間であった。後にダグラスDC-7、そして日本で初めてのジェット旅客機であったダグラスDC-8を導入した。
国内線においては幹線のみで当時運航が認められており、国内線用としてボーイング727を導入した。この機材は全日空(ANA)日本国内航空(→東亜国内航空→日本エアシステム→JALと経営統合)も導入しており、当時の国内航空大手3社が導入する機材となった。
当時は未熟であった航空業界の発展を促すため、運航路線を規制していた45/47体制のもとで1986年まで日本において定期国際線を唯一運航する日本のフラッグキャリアとして成長した。
鶴のマークの塗装(画像上段、2008年一旦廃止、2011年復活)で親しまれ、1970年代にはDC-8を置き換えるために、ダグラスDC-10やボーイング747などの大型機を導入しサービスを向上させて行った。また、B747を世界で最も導入した航空会社としても知られていた。(B747を100機以上発注した航空会社はJALしかいない。)
しかしフラッグキャリア故に、1970年代にはよど号ハイジャック事件、ダッカハイジャック事件等、新左翼テロリストの標的となる事が度々あった。また1972年には年に墜落事故2件(ニューデリー、モスクワ)を含む重大事故を4件起こすなど、「親方日の丸体質」だとして厳しい非難の目を向けられることもあった。
1980年代には円高が進み、各国航空会社との競争も激化した事から運賃を下げ一般人でも海外旅行を楽しめる時代が到来した。その後一時運輸実績が世界1位となった事もあった。
だが1982年2月9日、羽田空港に進入していた350便(DC-8)が逆噴射により羽田沖に墜落して24名が死亡する事故が発生。
更に1985年8月12日には123便が油圧喪失により群馬県上野村(御巣鷹の尾根)に墜落、単独機では2018年現在においても世界最悪となる520名の死者を出す事故(ボーイング747SR/JA8119)を起こした(日本航空123便墜落事故)。
これによりJALはANAや新幹線へ客が流れてしまい業績が悪化した。更に同じ年には航空業界が発展したことで45/47体制が無くなり、1987年には日航法が廃止されたことにより完全民営化された。
1985年にはボーイング767を導入開始。B767は45/47体制が無くなった後、国内線への進出が本格的に認められるようになった後を見据えた機材、そしてDC-8とB727を置き換える機材として導入した。これに伴い、DC-8とB727が1987年をもって全て退役となった。B767はJALを支える主要機材の一つとなっている。
その後ANAと日本エアシステム(JAS)も45/47体制が無くなったため、国際線に参入した事から競争が勃発、民営化後は最新フリートの導入を推し進め、ホテル経営等の多角経営を行っていたが1990年代に入ると湾岸戦争、バブル崩壊等で業績が悪化するが、コードシェア便の採用や不採算路線の廃止(因みにフラッグキャリアの癖に妙に自社機での就航路線数が少ないのはこの為)等を進めた結果、業績が一時回復した。
1995年にはボーイング737-400を導入した。1987年にDC-8とB727が退役して以来、8年ぶりのJALにおける単通路機となった。後に子会社であるJALエクスプレスが設立されたため、B737-400は全て同社に移管されている。
1996年には当時世界で初めての双発機となるボーイング777を導入した。当初はB777-200型から導入され、こちらも後にJALを支える主要機材の一つとなる。ANAは1995年、JASは1996年に導入しており、当時の航空大手3社が揃って導入した最後の機材となる。
1997年にはマイレージサービスである「JALマイレージバンク」のサービスを導入した。1980年代から海外の航空会社でマイレージを導入する動きがあったが、景品表示法との絡みでこれまで国内の航空会社では導入できなかった。この時、ANAとJASもマイレージを導入している。
2000年代になって、2003年にJASとの経営統合(JJ統合)を図り、JALのシンボルとして長く続いてきた鶴丸塗装が一旦廃止され、サンアーク塗装(JAノL塗装)が施される(画像中段)。2008年には鶴丸塗装の運航が一旦終了した。しかし旧JAS社員に対する冷遇(給料は業界一であるが)、相次ぐインシデント・整備不良などの不祥事による客離れが目立ち、経営陣による経営手腕問題に発展する事態ともなった。この間、ANAに業績を抜かされるハメとなった。
2007年4月の航空連合「ワンワールド(oneworld)」への加盟を初め、アジア路線へのシフト、国内線ファーストクラス導入等で業績を徐々に回復させていたが、サブプライム問題に因る不況や世界的なインフルエンザの流行などの煽りを受けて2008年度以降は赤字を計上するようになる。
2000年代以降、旧式化したB747クラシック(-300型までの機材)やDC-10、MD-11、旧JASが導入したMD-81、MD-87、エアバスA300B2/B4などの退役とボーイング737-800やボーイング767-300ER、ボーイング777(-200ER、-300ER)などの新機材導入はその状況でも徐々に進んでいた。
2010年1月に経営破綻し会社更生手続きの開始、企業再生支援機構の公的な再生支援の下での路線網の大幅縮小や大胆な人員削減、保有機材の削減、東京証券取引所への上場廃止を含める形での経営再建が行われた。上場廃止により、100%減資もなされたため、上場廃止時点の株主の株券は電子クズになる。これに伴い、ボーイング747-400、旧JASが導入したエアバスA300-600R、MD-90全機の退役が一気に進んだ。
B747-400は2011年3月までに全機退役し、JALグループからB747シリーズがいなくなった。A300-600Rも2011年3月には退役予定ではあったが、退役直前に発生した東日本大震災に伴い、特に東北地区を発着する路線で輸送力の確保が必要になったため、同年5月に退役が延期された。なお、MD-90は経営破綻後のダウンサイジング化の流れもあったためか、後継機のB737‐800が出揃った2013年3月の退役になった。
2011年3月に会社更生手続きを終結し、再生を示すための一環として機体に新塗装を施すことが決まった。機体は白一色で、両舷側上部に黒い太文字で「JAPAN AIRLINES」と会社名を表記。さらに垂直尾翼には鶴丸が復活することになった(画像下段)。新塗装は2011年4月から順次行われていった。日本航空では2015年に新塗装への変更がすべて完了し、同社子会社も塗装変更や老朽化機材の退役が進行したため、2018年現在は子会社の日本エアコミューター(JAC)のみに旧塗装が残存している。
2012年4月にはボーイング787を導入した。当初はB787-8、後に長胴化したB787-9も導入。B787は経営破綻後の初の路線となる成田国際空港-ボストン国際空港線に導入した。しかし、ANAと同様にB787が生産されてから早い段階で導入したため、不具合に当初は大きく悩まされ続けることとなる。2013年1月にJALのB787がボストンで、ANAのボーイング787が飛行中に機体内部の電池が発火するトラブルを惹き起こし、JALだけではなく全世界でB787が一時運航停止となった。その後は不具合の解消がなされたため、B787の運航が再開された。
経営再建が進み、早くも2012年9月には東京証券取引所第一部に再上場を果たした。経営再建の途上で公的支援を受けたため、2017年3月まで新規路線の就航には制約がある中で、ボストン、サンディエゴ、ヘルシンキへの新路線の就航および、経営破綻前に廃止された一部路線の再開設が進んでいる。2017年4月には新規路線就航の制約が外れた直後に羽田-ニューヨーク線の開設と成田-コナ線の再開設が行われた。また、同年以降からはべトジェット(ベトナム)、アエロメヒコ航空、VISTARA(インド)、ハワイアン航空、アエロフロートなどワンワールドに加盟していない航空会社と個別に提携する動きも加速させている。
2019年9月には老朽化が進むB777の後継機としてエアバスA350XWBの導入される。日本航空が自ら発注する初めてのエアバス社製旅客機となる(旧・日本エアシステムのA300は除く)。A350XWBは国内線機材が先に導入される。同年にはB787-8の国内線仕様も登場する予定。
2020年には新たな中長距離LCC「ZIPAIR」の就航を計画中。ZIPAIRは成田国際空港を拠点として、機材はJALから移管されるボーイング787-8を使用する予定。
沿革・社名の変遷
1951年8月 | (旧)日本航空株式会社設立。 |
---|---|
1952年10月 | 国内線定期航空輸送事業を開始。 最初に開設した路線は羽田-伊丹-福岡線。 |
1953年10月 | 日本航空株式会社法に基づき改めて日本航空株式会社設立。 (旧)日本航空株式会社は権利義務の一切を新会社に承継して解散。 |
1954年2月 | 国際線定期航空輸送事業を開始。 最初に開設した路線は羽田-ウェーク島・ホノルル-サンフランシスコ線。 |
1987年11月 | 完全民営化。 |
2002年9月 | 株式会社日本エアシステムと経営統合。 両社とも持株会社として設立した株式会社日本航空システムの子会社となる。 |
2004年4月 | 社名を日本航空株式会社 → 株式会社日本航空インターナショナル、株式会社日本エアシステム → 株式会社日本航空ジャパンに変更。 両社の航空便統合を含めた事業再編。 日本アジア航空株式会社を完全子会社化。 |
2004年6月 | 持株会社の社名を株式会社日本航空システム → 株式会社日本航空に変更。 |
2006年10月 | 株式会社日本航空インターナショナルに株式会社日本航空ジャパンを吸収合併。 |
2007年4月 | 航空連合「ワンワールド(oneworld)」に加盟。 |
2008年4月 | 株式会社日本航空インターナショナルに日本アジア航空株式会社を吸収合併。 |
2010年1月 | 会社更生法の適用を申請し経営破綻。東京証券取引所第一部での上場廃止。 |
2010年12月 | 株式会社日本航空インターナショナルに持株会社の株式会社日本航空、株式会社ジャルウェイズ、株式会社ジャルキャピタルを吸収合併。 |
2011年4月 | 株式会社日本航空インターナショナルの社名を日本航空株式会社に変更。 |
2012年9月 | 東京証券取引所第一部に再上場。 |
2014年10月 | 日本航空株式会社に株式会社ジャルエクスプレスを吸収合併。 |
JALグループ航空会社
- 日本航空(JAL)●〇
- ジェイエア(J-AIR)●〇
- 日本トランスオーシャン航空(JTA)〇
- 北海道エアシステム(HAC)●○
- 日本エアコミューター(JAC)●○
- 琉球エアーコミューター(RAC)▲
- ZIPAIR(2020年就航)▲
- スプリング・ジャパン(SJO)▲
※…「●」の会社は運送の共同引受によりJAL便名で運航。JALグループ航空会社。
※…「〇」の会社はワンワールドに加盟しているJALグループ航空会社。
※…「▲」の会社はワンワールドに加盟していないJALグループ航空会社。
コードシェアをしている航空会社(国内線)
- フジドリームエアラインズ(FDA)
- 天草エアライン(AMX)
- ジェットスター・ジャパン(JJP)
※…ジェットスター・ジャパンはJAL国際線と乗り継ぎの場合に限りコードシェア便として利用可能。また、同社はJALの持分法適用会社でもある。
日航と言えば
ドラマに登場する機会が多く、過去に「スチュワーデス物語」や「スチュワーデス刑事」、「アテンションプリーズ」等様々なドラマで登場している。
かつての人気番組「アップダウンクイズ」(毎日放送)では、10問連続正解の商品としてハワイ旅行を提供していた。一番上まで上り詰めた解答者席にタラップを模した階段を付け、スチュワーデスの格好をした女性アシスタントのエスコートで下まで降りるなどの演出まで行い、『アップダウンクイズ=ハワイ旅行=日本航空』の図式を当時の視聴者に深く印象付けていた。
ニコニコ超会議への出展
2015年から2019年までの間、毎年JALはニコニコ超会議への出展を続けている。
例年、空港で使用されるステップカーの展示やシミュレータ体験展示などが行われている。
実際の客室乗務員やパイロット、グランドスタッフなどもブースに参加している。
そして、岡本さんのダンスもニコニコユーザー間では非常に人気が高い。
2016年超会議にはボーイング767‐300型機で使用されていたエンジンの実物まで展示されるなど大型展示も目玉であった。
2017年超会議には日本初のジェット旅客機であったダグラスDC-8「FUJI号」(JA8001)の機首部分が展示。
普段FUJI号はJALのスカイミュージアム(羽田空港内)で展示されており、社外の施設でのFUJI号の展示は初めての試みであった。物凄く本気だぞ!JAL!w
2018年超会議にはトラクターとドーリー、コンテナが展示された。
また、JAL機内で提供されているドリンクであるスカイタイム「キウイ味」も無料で提供された。
そして客室乗務員が当時機内で配布していた都道府県シールを模した限定シールも配布、キズナアイと会場である幕張メッセが描かれているシールであった。
2019年超会議にはステップカーやハイリフトローダーなどが展示された。
2019年3月まで機内で配布していた客室乗務員の都道府県シールを模した限定シールも配布、初音ミクと幕張メッセを模したシールであった。
このように、JALのイメージを覆すかのようなユニークな企画が毎年満載で、ニコニコユーザー達を驚かせてきている。
関連動画
PV・音楽
CM
その他
関連静画
関連コミュニティ
関連リンク
関連項目
- JET STREAM(ラジオ番組)
- 岡本昂之
- ジェットスター・ジャパン(LCC)
- 日本航空123便墜落事故
- MMD航空(MMD用の日本航空機モデル配布や動画などはこちらを参照)
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