日産・プリメーラとは、日産自動車が1990年~2005年(日本市場)まで3代に渡り生産していた乗用車のことである。
初代および二代目におけるライバル車の位置にあったトヨタ・カリーナ同様スポーティー志向が強く、主に20代から40代の比較的若い年齢層をターゲットとしていた。
概要
車名の由来は、スペイン語で「第一級の」「最高級の」の意味を持つ。ボディタイプは、セダン、ステーションワゴン、5ドアハッチバックの3種類を持つ。日本市場ではミドルクラスに、ヨーロッパ市場ではDセグメントに属し、一貫してをヨーロッパ車を強く意識した卓越したハンドリング性能と洗練されたスタイリングを特徴としている。
初代と二代目はヨーロッパでのカーレースBTCCのベース車としてもレーシングチーム・ヤン・レーシングに日産自動車が車両を提供をしている。また、日本でかつて存在をしていた、JTCCにも初代と二代目プリメーラが参戦をしている。
なお、プリメーラの名称は元来トヨタ自動車が持っていた商標であったが、日産自動車が商標を購入をしたため、現在は日産の商標となっている。商標の売買自体は制度上可能となっている。
初代・P10型(1990年~1995年)
1990年2月に登場。世界戦略車としてリリースされていたオースター&スタンザの後継車種としてB13型(7代目)サニーをベースとして登場し、日欧両市場に投入された。 ボディタイプは日本国内では4ドアセダンのみ、欧州や台湾市場には5ドアハッチバックも存在し、一部は日本にも輸入され”2.0eGT”のグレード名で販売されていた。日本仕様車は1800cc/2000ccのガソリンエンジン車のみであったが、ヨーロッパ仕様だと、1600ccのガソリンエンジン車や2000ccのディーゼルエンジン車も存在していた。ヨーロッパ仕様のみ、ステーションワゴン使用も存在したが、サスペンションはまったくの別物であった。販売店は日産プリンス店で発売され後にサニー店(プリンス店&サニー店は1999年にレッドステージとして統合される)でも発売される。
スタイリング、動的性能両面で欧州車を強く意識して開発された。901運動から生まれたフロント・マルチリンク式サスペンションによるハンドリングの評価は特に高く、発表当時には「欧州車を超えた」とすら評された。また、「プリメーラパッケージ」と称したその居住性は、コンパクトな車体ながら室内は当時のクラス最大級の広さを誇るものであり、スタイリングも居住性と空力性能をバランスよく両立させ且つ機能的で洗練されたもので、低全高で居住性に劣るハードトップ車が主流であった1990年代当時の日本市場では異色の存在であったが、口コミで評判を呼びあっと言う間にヒット車となり、モデル末期まで堅調な販売実績を誇った。また覆面パトカーでも最廉価グレードが大量に導入されて、ハンドリングと疲れないシートの良さで担当の警察官からの好評を博した。
1992年9月のマイナーチェンジで、当時の日本のミドルクラスのファミリーセダンとしては足回りが固く、乗り心地には若干の難があった前期型の不評をダンパー、ブッシュ等のセッティングを見直しある程度乗り心地を改善させているが、欧州車の足回りに近いと好意的に解釈されることも多かった。また、欧州車と対等に渡り合える初の日本車として、欧州車から乗り換えるユーザーも見られた。アメリカ市場でも高級チャンネル・『INFINITI(インフィニティ)』のベーシックモデルのG20として投入された。
1995年1月には小改良で、運転席エアバックが全グレード標準装備化がされる。
二代目・P11型(1995年~2001年)
1995年9月に初のフルモデルチェンジを行う。シャーシもU14型(10代目)ブルーバードと共通化を図る。ボディタイプは日本のデビュー当初4ドアセダンのみ。グリル等を変更したサニー店向け姉妹車「プリメーラカミノ」も同時に登場、欧州では5ドアハッチバックもラインナップされ、一部が日本にも輸入された。また、1997年にはワゴンモデルも追加された。プリメーラカミノは日本人向け趣向を強めたエレガントで高級感のあるフロントフェイスとなっている。 初代に引き続き、欧州へは「プリメーラ」として英国サンダーランド工場生産車が供給された。また、1998年に北米市場へは「インフィニティ・G20」としてプリメーラカミノフェイスのモデルが投入された。 初代の成功を踏まえ、基本的にはキープコンセプトでのモデルチェンジとなった。2代目では、新開発車軸懸架式サスペンションが採用されたことで、初代のウィークポイントであった乗り心地が大幅に改善されている。しかし4WDモデル(T4。ATEESAシステム搭載のフルタイム式で
スカイラインGT-R等のATEESA E-TSとは別物)は初代と同じく独立懸架のストラット式のまま。これにはマルチリンクビーム式ではドライブシャフトが通せないためで、先代のT4とは違ってP11ではフロア構造が同一なのが理由とされる。
1996年には両席エアバックとABSが全グレードに標準装備化をされ、1997年2月にはイギリスから輸入される5ドアモデルのUKの名称で発売され、同年9月にはマイナーチェンジと同時にワゴンモデルが登場する。セダンをベースにした純然たるプリメーラベースのワゴンとなる。
1999年4月に、販売店統合のため、カミノが廃止されてプリメーラ一本となる。
2代目プリメーラは、日本国内でセダン離れ(特に1800cc~2000ccのミドルクラス・ファミリーセダン)の兆候が見え始めたことやライバル車種が増えたこと、日産自身の経営危機によるコストダウンでの品質低下などの要因から、初代ほどの成功を収めるには至らなかった。
三代目・P12型(2001年~2008年)
2001年1月にモデルチェンジ。3ナンバーの専用ボディとなる。初代、2代目に引き続き日欧をメイン市場として開発された。ボディタイプは4ドアセダンとワゴン、5ドアハッチバック(欧州のみ)と変化はない。ただし、3代目では英国製ハッチバックモデルの日本への輸入は行われていない。また、初代・2代目はG20として北米市場で販売されていたが、後継車のG35セダン(日本名・スカイライン)が発売されたのに伴い、北米市場からは撤退することとなった。 デビュー直後の日本仕様車では、2500cc直噴と2000ccのQR型エンジンにそれぞれHyper CVTと4速ATが組み合わされていた。欧州仕様車には2200ccの日産製ディーゼルターボエンジン、1800ccのルノー製のディーゼルターボエンジンが搭載されているほか、廉価機種には1600ccガソリンエンジン車も存在する。
2001年8月には、6速マニュアルのトランスミッションとSR20VEの高性能エンジンを搭載した「20V&W20V」が登場し、ワゴンのみだった4WD車がセダンにも投入され、お買い得仕様車の「20Limted&W20Limted&W20Limtted4」も登場し、日本市場にはセダンのみに1800ccのガソリンエンジン搭載車「18C」も登場する。
2002年5月に一部改良。量販グレード名は、20L&W20Lから20G&W20Gと変更となる。中間グレードのナビもメーカーOP化となる。
2003年7月にセダン/ワゴンをマイナーチェンジ。内外装デザインの一部変更、仕様・装備の見直しが行われた。スポーツモデルの「20V/W20V」が消滅。1800cc車のグレード名も「18C」から「18G」となる。
2005年12月日本市場での生産は終了。後継車種はG11型(2代目)ブルーバードシルフィとなる。ヨーロッパ市場では継続生産がされていたが、2008年末で生産終了。
3代目を最も特徴付けるのはその先進的なデザインである。セダンは欧州のデザインスタジオの手によるもので、前進させたキャビンと極めて短いトランクをアーチ型のラインで結んだモノフォルムに近い造形が特徴である。5ドアハッチバックでは更にモノフォルム感が強調されている。特にセダンのスタイリングに対する専門家筋の評価は(一部例外もいた。某評論家は絶対に許せん。)高かったが、しかし、先進的なスタイルの代償として、前後見切りは「極めて」悪い。
好き嫌いが出るデザインであるが、この型を愛用している筆者はスタイルに惚れ込んだタイプですw。また、シートの完成度も高くかなりの長距離を乗っても疲れない。P12型の特徴であるセンターメーターも「別に慣れれば、別にんなこたぁない(タモリ風に)」
中古車でも荒く乗られていない個体も多いので、ナビのDVDソフトの交換や消耗部品を交換すればかなりお買い得な車かも知れない。
関連動画
関連項目
- 自動車
- 日産自動車
- ブルーバードシルフィ(後継車種)
- 日産自動車の車種一覧
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