日産・レパード(Leopard)とは、日産自動車が1980年から1999年に製造をしていた乗用車である。
概要
車名の由来は、英語で「豹」の意味から。レパードは世代によってベースやスタイル、コンセプトがバラバラであったが、既存のトラディショナルなモデルとは一線を画しているのは一貫している。初代は2ドアと4ドア、2代目は2ドアのみ、3代目と4代目は4ドアのみとなっている。
レパードにとって、もっとも有名なモデルと言えば2代目であり、このモデルは日本の刑事ドラマの「あぶない刑事」で主人公らの乗るモデルであった。なお、2代目と3代目はインフィニティブランドでも発売され、2代目がM30で3代目がJ30と名乗った。3代目モデルの日本仕様の名称は「レパードJ.フェリー」となる。
F30型(初代)
初代は1980年に登場。ベースは910ブルーバードである。ちなみに910ブルーバードは日本においては4気筒のみであったが、北米では6気筒搭載車もあった。日本においてブルーバード6気筒は先代810型まではラインナップにあったので、そのモデルの後継車種ともいえよう。ガラス面の大きいスタイルは未来的かつ非常に流麗であり、来る高級パーソナルカー時代への先駆となった。
装備は多機能モニターやボイスインジケーターなどハイテクの権化とも言うべきものばかりで、革張りのシートなどの内装も高級パーソナルカーにふさわしいものばかりである。ワイパー付きフェンダーミラーと言う訳のわからないものもあったが、こまけぇことは(ry
登場の翌年になると次の代まで続く因縁のライバルのソアラが登場する。ここにおいて、2ドアはソアラとかちあう事になる。性能でいえば、古いL型エンジンを搭載したレパードは分が悪く、販売において苦戦を強いられる結果となった。特に最強エンジンのL28もシングルカムであり、ソアラのツインカムに水を開けられていた。かの徳大寺有恒氏が著書「間違いだらけの車選び」において、「価格に見合った走りが欲しい」と性能面の不満があることを指摘していた。モデル末期にいたって、フェアレディZに搭載されていたVG系V6高性能エンジンが搭載されたものの、ソアラの牙城を崩すには至らなかった。
なお、販売店違いのモデルとしてレパードTR-X(トライエックス)がある。違いはヘッドランプの形状程度である。
F31型(2代目)
1986年に登場。このモデルから2ドアのみのラインナップとなる。ブルーバードの6気筒搭載車が復活した事(ブルーバード・マキシマ、後の日産マキシマ)、ライバルのソアラを強く意識した結果である。このモデルはR31スカイラインと共通の部品が多いが、エンジンはすべてV6であり、味付けやコンセプトも異なっていた。そのスタイルは先代の未来的なものから、トラディショナルなスタイルとなっている。
引き続き、装備はハイテクが前面に押し出されており、インパネのデザインもその当時の日産の流行りであった絶壁が採用されている。なお、後期型においては絶壁から卒業をしている。
このようにライバルのソアラと比べても何らのそん色はないが、販売力の差があり、ソアラの牙城を崩すまでには至らなかった。それでもこのモデルは現在も人気が高い。理由は前述したとおり、あぶない刑事で使用されたからである。
なお、途中1988年にマイナーチェンジをしており、これより後は後期型となっている。前期型と比べて…
などとなっている。このモデルからアメリカで誕生したインフィニティブランドで発売される事となった。M30として販売され、コンバーチブル車も発売された。
さて、繰り返しとなるがこのモデルを一気に有名にしたのは「あぶない刑事」である。タカ&ユージが画面狭しと活躍する「パートナー」として、ゴールド&シルバーのレパード「港303」が登場した。時に派手なカーアクションが印象的であり、横浜というオサレな街とのマッチングとあいまって、見る者に強い印象を与えた。なお、「もっと~」以降では後期型の紺&シルバーである。この車のコールサインは「港302」となっている。
このようにあぶない刑事の影響もあり、今もって人気の高いモデルである。専門店が存在する事や一時期中古車市場の価格がソアラと逆転した所からもそれはうかがえよう。
JY32(3代目)
1992年に登場。このモデルには「J・フェリー」というサブネームが付いている。それまでの高級パーソナルクーペから、高級4ドアセダンと全くキャラクターの違うモデルとなった。セドリック/グロリアと比べてより高級で、シーマと比べてもよりスマートさが垣間見えるモデルとなっている。
木目やシートの素材にも厳選されたものを使用し、まさにバブルの産物である。デザインはその当時のブルーバードセダンにも似た尻下がりのスタイリングとなっている。というよりはむしろ、ブルーバードを大きくしたようなものとなっている。そもそもの出自がブルーバードである事を考えれば、ある意味歴史の皮肉と言うべきであろうか。それでも、日本車初の助手席エアバックが標準装備がされた車種(メーカーオプションで省くことも可能であった)でもある。
さて、販売台数はと言えば、てんで売れなかった。コンセプトが大変わりした事もさることながら、ブルーバードを大型化したようなデザインといった見た目に分かりやすい高級感が感じられなかった事、バブル崩壊に重なったことなどがあった。
このモデルでもインフィニティブランドで販売され、J30として販売された。
この型の著名人ユーザーには、タレント・ラッシャー板前が愛車として所有をしていた過去がある。
JY33(4代目)
1996年に登場。再びレパードと言う名前になった。この代も4ドアのみであるが、バブル崩壊の影響でY33型セドリック/グロリアと大部分の部品を共通化し、スタイル違いの兄弟車と言う趣となった。無論、この時代の車にありがちな質感の低下などコストダウンの影響をもろに受けている。それでも兄弟車のセドリック/グロリアに先駆けてABSが標準装備化がされている。(後に一部改良でセドリック/グロリアにも標準装備化がされている。)
そのモデルライフは概ねセドリック/グロリアと歩調を合わせたものであるが、Y34にモデルチェンジ時の1999年には後継車種が作られず、発売から3年ちょっとで廃止となった。
なお、このモデルは「はみだし刑事情熱派」でも使用された。偶然にも主演していたのはあぶない刑事で大下勇次役を演じた柴田恭兵である。
総括
初代に代表されるデザインは特筆されるべき事であり、ことに2代目における人気の高さはレパードの黄金期であったともいえよう。
レパードの歴史を考えれば、技術の日産を裏付ける旧プリンス系の設計が入った初代、901運動のさなかに登場した2代目、バブル景気に贅を尽くして設計された3代目、バブル崩壊で斜陽化し始めた4代目と時代背景によってコンセプトが迷走した点は否めないが、今になってみれば日産の歴史を投影するかのようなモデルとも言えよう。
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