日馬富士公平(はるまふじ こうへい)とは、かつて伊勢ヶ濱部屋に所属していた元大相撲力士である。第70代横綱(2012年11月〜2017年11月)。
1984年4月14日生まれ。モンゴル出身。本名はダワーニャム・ビャンバドルジ。
概要
体重130kgと非常に小さいが足腰が強くバネがあるのが強み。立ち合い低く鋭く当たり一気に寄り切り、押し出しで勝ったり、前みつ等をとり相手の懐に潜り込み粘り強く自分の有利な形に持ち込み勝つことが多い。
初場所は2001年1月。このときの四股名は安馬であった。順調に番付を上げ、2004年3月に新十両、2004年11月に新入幕を果たした。2006年1月場所では朝青龍を破り初の金星。5月場所で小結昇進となったが大きく負け越し。
三役に定着し約1年半経った2008年7月場所で10勝すると、9月場所では12勝を挙げ、大関昇進の期待がかかった。11月場所は4日目までに2敗と苦しんだが、5日目から横綱白鵬を破るなど11連勝。優勝決定戦で白鵬に敗れ優勝は逃したものの文句なしの成績で大関昇進を決めた。
四股名を日馬富士に改めて臨んだ新大関の2009年1月場所では初日から4連敗を喫し、昭和以降の新大関の昇進直後の場所での初日からの連敗記録を塗り替えてしまう。何とか勝ち越したものの、8勝7敗と期待を裏切った。
5月場所は調子を取り戻し、初日から12連勝。13日目に白鵬に敗れるが14日目は朝青龍に勝ち、14勝1敗で白鵬との優勝決定戦となった。その優勝決定戦では白鵬を下手投げで破り初優勝。翌場所は綱獲りを賭けて臨む場所となったが序盤から星を落とし9勝6敗に終わり綱獲りはならなかった。
それ以後はなかなか星を伸ばせず8~10勝止まりの場所が続いた。2010年11月場所では初日から3連敗で休場。2011年1月場所は初の角番となった。
翌2011年1月は8勝7敗ながらなんとか角番を脱出。5月技量審査場所は10勝5敗だったものの白鵬の連勝を止めるなどそれなりに存在感を見せた。そして7月場所は初日から13連勝し、14日目に1敗で追う白鵬との対決を制し、千秋楽を待たずして2度目の優勝が決まった。千秋楽には初の全勝優勝をかけてのぞんだが、稀勢の里に敗れ全勝はならなかった。それでも翌9月場所には2度目の綱取りがかかっていたが、5日目までに3敗を喫し、最終的には勝ち越したものの8勝7敗となってしまい綱取りは白紙に戻ってしまった。
しかし2012年7月には初日から14連勝し、同じく14戦無敗だった横綱白鵬と29年ぶりとなる千秋楽相星全勝決戦を制し、3回目、そして自身初の全勝優勝を飾った。そして3度目の綱取りとなった同年9月場所も初日から無傷で連勝を重ね、10日目に栃皇山に破れ1敗で追っていた白鵬と千秋楽結びで対決し、 これを制した。これにより貴乃花以来となる大関での2場所連続全勝優勝という快挙を達成し、文句のつけようのない形で第70代横綱昇進が確実となった。 土俵入りの型は師匠の伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士)と同じく不知火型となる予定。不知火型の横綱が同時に複数人在位するのは史上初となる。 なお、幕内最軽量の隆の山が幕尻で負け越し十両に陥落したため、2012年11月場所は千代の富士以来の「幕内最軽量の横綱」の誕生となった。
新横綱となった11月場所は9日目に勝ち越したものの、その後5連敗してしまい9勝6敗という一桁の勝利で終わってしまった。しかし翌2013年1月場所は初日から無傷で連勝を重ね、14日目に早くも5度目の優勝を決め、千秋楽も勝って自身3度目の全勝優勝を飾り、先場所の汚名を返上した。その後、3月場所から9月場所は再び成績が低迷したが、11月場所では千秋楽に白鵬との相星決戦を制して5場所ぶり6度目の優勝を飾った。
しかし2013年末にトレーニング中に脚を捻って以前から痛めていた左脚の靱帯を損傷していまい、2014年1月場所は自身初の全休、前場所の優勝力士が不在の事態となった。さらに9月場所は5日目の嘉風戦で眼窩内壁骨折の重傷を負い途中休場、11月場所は強行出場して11勝を上げたものの、年間を通して怪我に苦しみ2010年以来の優勝の無い1年となった。
2015年1月から5月場所も優勝から遠ざかるが、5月場所では千秋楽で白鵬を破って弟弟子の照ノ富士の初優勝を援護した。場所後に右肘関節遊離体の手術を受けたが、強行出場した7月場所初日の妙義龍戦でその右肘を土俵に強打し、内側側副靭帯損傷を起こして翌9月場所まで全休に追い込まれる。怪我から復帰した11月場所では白鵬、鶴竜を破る充実した内容に今度は照ノ富士が白鵬を破る援護も受けて13勝2敗で2年ぶりの優勝。横綱としては間隔が空いてしまったが、復活を印象づける優勝となった。
2016年は3年ぶりに丸1年間休場なく過ごし、7月場所では8度目の優勝を達成した。また、4月には力士会の会長にも就任するなど、土俵の内外で他の力士を引っ張る存在となった。自身初の年間最多勝も狙ったが、残念ながら稀勢の里には勝てなかった。
2017年は1月場所は途中休場し、3、5、7月は10勝以上するも優勝はならなかった。9月は他の3横綱が初日から休場で自身初の1人横綱の場所となるが、5日目までに3敗し、さらに10日目に破れ4敗となり、1敗の豪栄道と最大星三つの差が出来てしまった。ところがその豪栄道が12、13日目と連敗し、千秋楽で日馬富士が勝ち4敗同士の優勝決定戦となった。その決定戦にも勝利し、逆転で9度目の優勝を手にした。11勝での優勝は過去最小タイ記録であり、15日制定着以降3度目、4金星を配給しながらの優勝は史上初の珍記録となったが、満身創痍の中で1人横綱の重責を果たした。
しかし同年11月場所途中、場所前のモンゴル人力士達の飲み会で貴ノ岩(貴乃花部屋)の態度が気に食わなかったとして暴行を加えたと報じられ、本人もそれを認めたため途中休場。貴乃花側が警察に被害届を提出する大問題となり、その責任を取る形で11月29日に引退を発表した。日本国籍を取得していなかったため親方になる資格は得られず、相撲界を去る事となった。
白鵬とは相性が良く、特に安馬時代はほぼ互角の対戦成績であった。横綱昇進後の白鵬を真っ向勝負で敗れる数少ない力士である。
見ての通り、激しいのが好きである。特に稀勢の里には「なんで俺こんなに稀勢の里のことが好きなのかな」「見るとドキドキする」などと発言しているようだ。もちろん、相撲のことであり、他意はない。
戦後最軽量横綱の初代若乃花に生前「自分に似ている」と評価されており、元朝青龍も横綱昇進時に初代若乃花のようになって欲しいとコメントした。尊敬する力士は自分と同じソップ型の代表的存在である先代貴ノ花であるが、その貴ノ花と同じく喫煙者であり、取り組み終了後に支度部屋で喫煙していた事が発覚し親方から厳重注意を受けたことがある。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。土俵入りの太刀持ちは宝富士、露払いは照ノ富士。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | シード | ||
2回戦 | ○ | 寄り切り | 東前頭5枚目 千代鳳 |
3回戦 | ○ | 寄り切り | 東前頭10枚目 妙義龍 |
準々決勝 | ○ | 寄り切り | 西前頭15枚目 貴ノ岩 |
準決勝 | ○ | 寄り切り | 西前頭6枚目 豪風 |
決勝 | ○ | とったり | 東大関2 稀勢の里 |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催された。土俵入りの太刀持ちは照ノ富士、露払いは誉富士。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ○ | 寄り切り | 東前頭5枚目 豊ノ島 |
2回戦 | ○ | 寄り切り | 東前頭9枚目 嘉風 |
準々決勝 | ○ | 上手投げ | 東前頭2枚目 佐田の海 |
準決勝 | ○ | 寄り切り | 西前頭4枚目 栃ノ心 |
決勝 | ● | 浴びせ倒し | 東前頭3枚目 高安 |
大相撲超会議場所2017
ニコニコ超会議2017で開催された。太刀持ちは宝富士、露払いは大翔丸。超大相撲トーナメントでは2回ぶり2度目の優勝を果たした。
取組 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
DAY1 幕内取組 | ○ | 寄り切り | 東大関 豪栄道 |
DAY2 幕内取組 | 超大相撲トーナメント出場(下表参照) |
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ○ | 掬い投げ | 西前頭12枚目 宇良 |
2回戦 | ○ | 上手投げ | 東前頭13枚目 貴景勝 |
準決勝 | ○ | 下手投げ | 東関脇2 高安 |
決勝 | ○ | 寄り切り | 東前頭7枚目 逸ノ城 |
関連動画
関連商品
関連項目
- 4
- 0pt