旧広島市民球場とは、広島県広島市中区にあった野球場である。1957年~2008年まで広島東洋カープの本拠地だった。
2009年3月までは「広島市民球場」の名称であったが、新広島市民球場の完成に伴って現在は「旧広島市民球場」が正式名称となっている。ただし、現在でも「市民球場」といえばこちらのことを指す場合が大半である(新市民球場は「新球場」「マツダスタジアム」など)。
概要
1950年のチーム結成以来使用していた広島総合野球場(現:広島県総合グランド野球場)の設備に対する不満が高まってきた事から1957年に建設が決定。同年7月22日に完成した。
その後、広島の顔、そして広島東洋カープの本拠地として50年以上も親しまれてきたが、2009年、老朽化などが原因で機能を新広島市民球場に移転し、その役割を終える事となった。2008年地元最終試合では、試合終了後に大規模なセレモニーが催された。
その後も2009年のオープン戦で4試合開催されたほか、高校野球の県予選などにも開放され、2009年10月に閉場予定であったが、跡地計画がなかなか進展せず、閉場時期が2010年以降に延期された。そのため、2010年も期間限定で利用を再開しており、高校野球の県予選などに使われていた。
解体後の跡地については、大型の施設は作らない(すぐ隣に原爆ドームがあるため)ことぐらいしか決まってないのが現状である。ただし、一部設備(ライトスタンドの一部など)は保存する方針である。
12球団のフランチャイズでは最も狭くフェンスも低かった事で知られており、他球場でフェンスダイレクトの打球が飛んだ時に使われる「市民なら(入った)」、という言葉まであった。
ちなみに、2009年からは横浜スタジアムが12球団最小の球場となる。
その他の特徴として、日よけのために設置された可動式広告板や出塁したランナーが黄緑色で表示されるスコアボードなどがあった。
また、永らくライブに使用される事が無かったが、2004年に行われた奥田民生によるアコースティックライブ「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」で初めて使用された。
あと、カープうどん(肉うどん)はうまかった。どれだけうまかったのかというと、球場のいいところを聞かれた時に真っ先にカープうどんをあげる人がいたほど。
公式戦最後の打者はヤクルト・福地寿樹で、結果は空振り三振(2009年オープン戦も含めると広島・倉義和)。
なお、福地は2005年シーズンまでカープに所属していた。
公式戦最後の投手は広島・永川勝浩。最後のセーブ投手でもある。
(2009年オープン戦も含めると阪神・江草仁貴)。
なお、旧広島市民球場には選手全員のサインがあるのだが、なぜか25番という選手のサインは消えている。
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関連項目
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