旧暦とは、現在使われている暦法への改暦以前に使われていた暦法である。日本では太陽暦への改暦以前に使われていた太陰太陽暦を指すことが多い。
概要
現在日本を含む多くの国ではグレゴリオ暦が採用されている。日本では明治6年(1873年)からグレゴリオ暦が採用されたため、明治5年まで使われていた天保暦以前の暦法を旧暦と呼ぶ。欧州ではグレゴリオ暦以前にはユリウス暦が使われていた。英語ではこれを“Old Style (O.S.)”、「古い方法」と呼びグレゴリオ暦と区別している。欧州のグレゴリオ暦採用時期は国・地域によってまちまちだが、暦の改良を命じたローマ教皇グレゴリウス13世の影響がいち早く及んだカトリック圏では1582年に改暦されている。
太陰太陽暦とは
暦法には大きく分けて3種類の方法がある。
- 太陰暦:月の満ち欠けに基づく方法 - イスラム教のヒジュラ暦
- 太陽暦:太陽の動きに基づく方法 - ユリウス暦、グレゴリオ暦など
- 太陰太陽暦:月の満ち欠けと太陽の動きの双方に基づく方法 - ユダヤ暦、中国歴、天保暦以前の和暦など
太陰暦では月の公転周期(=満ち欠けの周期)をもとにひと月の長さを決定する(1周期がひと月で、朔望月と呼ぶ)。1周期は平均して約29.5日であり、これが12ヶ月あるので1年で約354日となる。一方太陽暦では地球の公転周期(=地球から見た太陽の運行)をもとに1年の長さを決定し、1周期は約365.24日である(太陽年と呼ぶ)。太陽暦では同じ月日であればその季節は(ほぼ)同じであるが、太陰暦は太陽暦と約11日ぶんの誤差があるためそのまま使い続けると実際の季節とどんどんずれていくことになる。この誤差を必要に応じて「閏月」を挿入するなどの方法で修正する暦が太陰太陽暦である。ちなみに、「閏月」をどこに挿入するかを決める方法を「置閏法(ちじゅんほう)」と呼ぶ。太陰太陽暦の多くは新月となる日を月の初日としているため(上で太陰太陽暦の例に上げた暦はすべてこの方式)、この場合月齢に1足すとその日付と概ね一致する(三日月の日は月齢3、新月から4日目なので4日である)。
置閏法
先述のように太陰暦では暦と季節がずれるため、中国では暦と関係なく季節を表すための指標として二十四節気が考案された。古代中国では実際の季節と暦のずれに応じてその都度閏月で調整していたようであるが、観測の進歩などから規則的な置閏が可能となり、これに二十四節気が利用されるようになっていった。具体的には、二十四節気のうちの中気を含むそれぞれの月の名前を定め、中気を含まない月を閏月とした。例えば「冬至」を含む月は11月、「雨水」を含む月は1月と定められた。また中気は二十四節気の半分の12回あるので、中気と中気の間は1太陽年(約365.24日)を12で割った約30.44日となり、ひと月の長さが29日または30日となる朔望月では中気を含まない月も現れうる。閏月の名前は、その直前の月名に「閏」を付加したものとなる(4月の次に閏月がある場合は「閏4月」)。こうした置閏法は中国暦を輸入した日本の暦でも基本的に踏襲されている。
日本の暦の歴史
日本は江戸時代に入るまで独自の暦を持たず、輸入した中国歴を使用していた。遣唐使の時代に輸入された「宣明暦」が長らく使われていたものの、長期の使用で2日ほどのズレが発生していたことや、民間暦の流布で暦に混乱が生じていたこともあり、江戸初期の貞享元年(1684年ごろ)に天文学者の渋川春海によって初めて日本独自の暦である「貞享暦」が編纂された。その後も数十年に一度改暦が実施され(元号をとって「宝暦暦」「寛政暦」などと呼ばれる)、天保15年(1844年ごろ)に改暦された「天保暦」が明治のグレゴリオ暦への改暦以前の最後の暦となった。
いわゆる「旧暦」
日本では明治6年(1873年)に太陽暦であるグレゴリオ暦が採用されたことに伴いそれまでの太陰太陽暦(天保暦)は公的には廃止されている。改暦の布告が出されたのが西暦1872年12月9日(旧暦11月9日)、翌年1月1日(旧暦12月3日)よりグレゴリオ暦に改暦するという突貫工事であった。旧暦12月2日が突然大晦日になり、すでに旧暦の暦を販売していた業者が大きな損害を受けたという。
しかし、月の満ち欠けや二十四節気の計算は現在でも国立天文台によって行われ官報で告示されているため、これを用いて旧来の太陰太陽暦での暦をほぼ機械的に作成することができる。現在市販されているカレンダーに「旧暦」として記載されているものはこれに基づいたものであるが、天保暦では定数とされていた太陽年や朔望月の長さが現在では実測値が利用されることや、観測の基準となる地点(経度)が京都(の経度)から兵庫県明石市を通る日本標準時子午線(東経135度線)になったことなどから、厳密な視点では天保暦と同一の暦とは言い難いものとなっている。
また二十四節気の配置法には、太陽年を安直に24等分した平気法と、実際の太陽の運行速度を加味した定気法の2種類が存在する。日本では寛政暦までは平気法を用いていたが、天保暦で定気法を用いるようになった。ところが、定気法では中気同士の間隔が長かったり短かったりするため、ひと月に中気が2つ含まれる月が発生する事態となった。これ自体は天保暦が現役だった時代から認識されており、二至二分と呼ばれる夏至・冬至及び春分・秋分を優先して月名を決定する運用でしのげていたものの、天保暦も廃止され150年近くメンテナンスもされていない現状の運用では、令和15年(2033年)から翌年にかけて先に挙げた規則をもってしても月名が決定できない事態となることがわかっている。
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