「また…来てしまったのね…この海に。
夕雲型駆逐艦早霜、着任しました」
早霜とは、大日本帝国海軍所属の夕雲型駆逐艦17番艦「早霜」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘(かんむす)である。
CV:金元寿子 キャラクターデザイン:藤川 図鑑番号:209→556(改二)
こんな私に概要をくれるというの?司令官、いい人なのね。フフッ…ウフフフッ…
2014年8月に行われたイベント「AL/MI作戦」にて先行実装された駆逐艦娘の一人。妹の「清霜」同様に、特定面(E-4以降?)のボスドロップのみ、つまり手に入れられる人はあっさり手に入るが、入らない人は徹底的に入らない艦娘の一人である。
夕雲型姉妹の宿命か、例によって建造不可。2014年冬イベント「迎撃!トラック泊地強襲」においてE-2のボスでドロップ、2015年春イベント「発令!第十一号作戦」ではE-2でのドロップが確認された。
長らくイベントでの限定ドロップだったが、2015年6月アップデートにより追加されたEO海域4-5「深海東洋艦隊漸減作戦」のボスドロップで本実装になった。
夕雲型駆逐艦娘として、お揃いの臙脂色のジャンパースカートに身を包み、青緑色のスカーフタイを締めている。ちなみに艤装を背負っているバンドの色は、(現時点では)「長波」以降でお揃いの、オレンジから薄緑へグラデーションのかかったものである。
長く切りそろえた黒髪が広がった、独特の髪型をしている。後頭部にリボン(はちまき?)を結んでいるが、後ろの様子がわかるカットがないので、どう結んでいるのかは現時点では不明。
前髪は姫カット風ではあるが「浜風」のように右目を前髪で隠している。中破すると右目も露わになるが、それを見る限り単に前髪で隠しているだけで、「古鷹」のように探照灯を仕込んでいたりはしない模様。
意外なことに集合絵で見ると巻雲や高波、沖波よりも身長が低く、今のところ夕雲型姉妹の中では最も身長が低い。
しかしながら中破すると胸の谷間が見える程度の胸部装甲は持ち合わせており、駆逐艦娘としてはなかなかあるほう。夕雲型の中でも長波、秋雲、夕雲に次ぐくらいの大きさはある。
ちなみに残念ながらおぱんつを見ることはできないが、ブラは黒。梅雨限定イラストにて上下ともしっかり黒であることが確認された。けしからん黒下着も、黒髪ロングの早霜にはむしろよく似合っている。横乳がね、すばらしい。
特筆すべきはその性格。まるでサバゲーの最中かのようなポーズの立ち絵とは裏腹に、お嬢様のように上品ではあるが淡々とした暗めな口調で話す上、少し感情が高ぶった様子になるとひとり不気味な笑いを漏らしてしまうなど、いわゆるダウナー系、というか病んでる系?というか霊感少女なオカルト系?しかも手は冷たいらしい…。
まぁ、史実が史実だけ(後述)に仕方ないのかも知れないが、史実での境遇がもはや自虐ネタの域に達しつつあるどこぞの不幸姉妹ともまた違い、笑い話にするのを憚られるような独特の雰囲気を纏っているようである。
しかし、改造後に追加される時報では、相変わらずのダウナーペースながら意外にも料理好き世話好きな面を見せる。なんと水割りの作り方まで心得ている。
地が出てしまえば、ちょっと人付き合いに臆病なだけの、とても心優しい女の子なのかも知れない。
彼女の人柄が気に入った提督はぜひ改造可能なレベル以上に育て上げ、時報での彼女の言葉に耳を傾けてあげて欲しい。史実では決して幸せとは言えない最期を迎えた彼女が、一日の終わりに迎えるささやかなハッピーエンドは、彼女が差し入れてくれる水割り以上に心に沁み渡るものがあるはずである。
「早霜改二」…見てるだけでは…ありません!
妹清霜に遅れることほぼ1年。史実の進水日(1943年10月20日)から数えればほぼ81年後となる2024年10月18日、清霜改二・改二丁や艦隊編入同期の春雨改二実装に続き早霜改二が実装された。
改二への要求レベルは清霜(改二)と同一でLv78と改装設計図・戦闘詳報各1つ、開発資材30。残念ながら清霜とは異なりコンバート改装ではない。持参装備は12.7cm連装砲D型改二、61cm四連装(酸素)魚雷、25mm連装機銃★+6の3つ。
能力値は清霜改二と比べて火力・雷装・回避がそれぞれ-2、対空が-3、対潜・索敵が-1…と、こう比べると妹のほうが誤差レベルとはいえ優れたパラメータを持っている。
早霜改二の直前に霧島改二丙が実装された際、玉波以降清霜までで邂逅機会が限られた夕雲型姉妹の臨時ドロップが実装され、更に新編2駆(あるいは第二駆逐隊(後期編成))にかかる任務が実装された。更に早霜改二任務(当節の見出しはこの任務名)も早霜改二実装と同時に実装された。これらの任務には早霜改二を含め秋霜・清霜と朝霜が必要となるが、うち1名が欠けていても達成が可能ではある。期間限定ではあるが秋霜含めて通常海域でドロップするようなっているようなので、自身の母港に彼女らが不在であればこれを期に探してみるのもいいかもしれない。なお、当該任務報酬の燃料1944弾薬1026は…駆逐艦早霜がレイテ沖海戦で戦没放棄された日に因んだものとなっている。
期間限定グラ
- 梅雨グラ:2016年実装
- バレンタイングラ(差分):2020年実装
- 捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)差分グラ:当該作戦期間中実装(鉢巻装備)
- 節分グラ:2024年実装
- クリスマスグラ:2024年実装(改までと改二で別仕様。岸波・巻波に準じたものとなっている。)
これじゃどうしようもないわね。どこかにいい史実は無いかしら
夕雲型駆逐艦17番艦「早霜」は、1941戦時建造(○急)計画甲型一等駆逐艦第345号艦として計画された。1943年1月20日に舞鶴海軍工廠で起工、同年7月30日に「早霜」と命名され、10月20日に進水。翌1944年2月20日に竣工した。『舞鶴海軍工廠生まれ。だいぶ押し迫ったころに生まれました』
ちなみに艦名の早霜とは、朝早く降りる霜、もしくは秋の早い内に降りる霜のこと。
第11水雷戦隊に編入された早霜は横須賀鎮守府に籍を置き、呉軍港へ回航。瀬戸内海西部で訓練に従事する。続いて戦艦大和の護衛を兼ねて横須賀へ回航。そこで工事を受け、再び瀬戸内海に舞い戻った。
1944年4月2日、わずか2ヶ月の訓練を終え、5月11日に佐伯湾を出港。戦艦武蔵の護衛し、タウイタウイ泊地に進出。二航戦(このときは「飛鷹」「隼鷹」「龍鳳」)の護衛任務につく。見事なOJTである。
泊地の安全を確保するため対潜掃討に従事するが、眼前で僚艦の駆逐艦「谷風」が米潜「ハーダー」に撃沈されてしまう。
そしてそのまま、6月19日に生起したマリアナ沖海戦に参加。乙部隊に所属し、戦艦長門の護衛をしながら敵戦闘機を対空射撃で2機落とす戦果を挙げている。また沈没した「飛鷹」の乗員救助を行った。海戦終結後、早霜は深刻な燃料不足に悩まされていたが、辛うじて沖縄の中城湾へ辿り着く。その後、重巡4隻を護衛し呉軍港に帰投。
7月1日、呉軍港を出港。第5戦隊を護衛してマニラ経由でリンガ泊地へ進出する。その後、8月には「秋霜」「清霜」と3隻で、新たに第二駆逐隊を編成。栄光の二水戦の一員となる。リンガ泊地第三警戒錨地に停泊していた早霜は9月8日と10月1日に、給糧艦「北上丸」より食糧と生活用品の補給を受ける。10月18日、重巡「愛宕」らとともにリンガを出撃。
レイテ沖海戦に参加するべく、「早霜」はブルネイへ進出。21日、戦勝を祈願して航海長がシャンパンを開けようとしたが、不注意から床に落として割ってしまった。周りの乗員が不吉を感じて青ざめたのは言うまでもない。
10月22日、栗田艦隊の一員としてブルネイを出撃。翌日、パラワン水道で「愛宕」等が雷撃を受けたため第二駆逐隊は対潜掃討に従事する。
24日、栗田艦隊は空襲を受けるが「早霜」に被害は無かった。25日のサマール沖海戦で、敵護衛空母群と遭遇し戦闘開始。しかし敵艦載機の急降下爆撃により爆弾を喰らい燃料タンクを破損。速度が出せない状態となり、航行不能となる。17時6分、再度爆撃を受けるも応急修理により自力航行が可能になる。18時47分、救援に来た「秋霜」とともに艦隊を追いかける。翌26日の7時50分、タブラス島西海岸で本隊と接触。二水戦旗艦の「能代」からコロン島への単独回航を命じられ、無念の離脱となる。「秋霜」ともここで別れた。
傷身の「早霜」は、やむなく単独でコロン島に向かっていたのだが、運悪く翌日の10月26日に敵攻撃機隊に発見され、さらに波状攻撃を受けてしまう。速度が出せない中で神業とも言える操船でそれをかわし続けるも、ついに魚雷1本と至近弾十数発を受けてしまう。第一砲塔の先は切断され、艦首を吹き飛ばされた。この影響で燃料と海水が混ざり合い、航行不能となる。 『あぁ!?艦首が!』『痛っ…なに…今度は煙突なの』、さらに機銃掃射も受けて乗組員にも死傷者が続出。接近してきた駆逐艦「沖波」が燃料を補給しようとしたが、米軍の攻撃激しく断念。かろうじて生き残った「早霜」はセミララ島付近の無人島に避泊。
しかし米軍の執拗な追撃が続き、10月27日の早朝にまた空襲を受ける。至近弾を多数受けた「早霜」はやむなく、沈没を避けるため近場のセミララ島の浅瀬に自ら乗り上げた。『これじゃどうしようもないわね。どこかにいい浅瀬は無いかしら』、座礁した後も機銃を撃ち続け、抵抗を続けた。しかし米軍機の激しい攻撃を受け、機銃手に負傷者が続出してしまった。
更に、軽巡「鬼怒」の救援に向かう途中近くを通りかかった陽炎型2番艦「不知火」が、擱座している「早霜」を発見。
すぐさま、「不知火」は救援のために接近する。「早霜」側では、『ワレ早霜、敵襲ノ恐レアリ、来ルナ』と発光信号を送るも、「不知火」は構わずに沖合で機関停止し、救助用のカッターを降ろし始めた。
しかし、そこに米軍が襲いかかり、「不知火」は急いで離脱しようとしたが、運悪く爆弾の直撃を受け、艦が真っ二つに折れて爆沈する、という壮絶な最期を遂げてしまう。「不知火」の乗員の生存者はいなかった。
さらに、その前日に沈没した重巡「鳥海」の乗員を救助していた夕雲型11番艦「藤波」も、「早霜」の救助のために接近してきたところを米軍に襲われ、「鳥海」の乗員もろとも轟沈、こちらも生存者はいなかった。
取り残された乗員たちはセミララ島で救助を待っていたが、28日に機関室から出火。これにより脱出が困難となり、翌日船体の放棄が決定される。
4日後の11月1日に、重巡「那智」から発進した水偵が「早霜」を発見し、着水して乗員から「不知火」と「藤波」の最期の様子を聞き取っている。『那智さんの水偵…いいなあ』
それから2週間後、セミララ島に上陸して救助を待っていた「早霜」の乗組員達はようやくやって来た救助船に助けられた。しかし「早霜」は何度も受けた空襲により艦体がぼろぼろになっていたため、サルベージも出来ずに、そのまま放棄することになった。
その後の12月15日、フィリピンを占領した米軍が擱座していた「早霜」を発見。調査したところまでは判っているが、最終的に「早霜」がどうなったのかは、未だにはっきりしていないという。
米軍によって完全破壊されたという説があるが、Google Earthでセミララ島西側、Itogao湾の浅瀬を見ると、夕雲型駆逐艦と非常によく似た形状の物体が写り込んでいた[1]。
なお、記録上では、セミララ島で擱座した1944年10月26日が「早霜」の戦没した日となっている。
1945年1月20日、除籍。
関連動画が戻ったわ。フッ…フフフフッ…戻りました
私はこうして…いつも静画を見てるだけ。見ています…いつでも…いつまでも
期間限定グラ
関連項目?構ってくれるなんて優しいのね
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 夕雲型駆逐艦 / 夕雲型姉妹 → 下表 : 藤川艦隊
- 舞鶴っ娘(出身地)/ 横須賀艦娘(母港)
- 不知火(艦これ)
- 沖波(艦これ)
- 藤波(艦これ)
- 那智(艦これ)
- 鳥海(艦これ)
- 初雪(艦これ)・山風(艦これ) - ダウナー系艦娘。史実では早霜の竣工前に戦没しており接点はない。
2014年夏イベント『AL/MI作戦』 新規実装艦娘 | |||
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夕雲型駆逐艦(夕雲型姉妹) |
1.夕雲 - 2.巻雲 - 3.風雲 - 4.長波 - 5.巻波 - 6.高波 - 7.大波 - 8.清波 - 9.玉波 - 10.涼波 11.藤波 - 12.早波 - 13.浜波 - 14.沖波 - 15.岸波 - 16.朝霜 - 17.早霜 - 18.秋霜 - 19.清霜 |
脚注
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