旭鷲山昇(きょくしゅうざん のぼる)とは、モンゴル出身の元大相撲力士である。最高位は西小結。
概要
1973年3月8日生まれ。モンゴル国ウランバートル市出身。本名ダワーギーン・バトバヤル。
1992年3月場所で旭天鵬、旭天山らと共に初のモンゴル出身力士として初土俵。大相撲にモンゴル相撲を持ち込んだ先駆者であり、多彩な技を幕内で披露して2000年に新たに12の決まり手が追加される一因となった。白鵬など多くのモンゴル出身力士の入門を手助けした功労者でもある。母国への援助にも熱心で、モンゴルでは英雄的な人気がある。
1996年9月場所で新入幕。1997年3月場所で小結に昇進するが4勝11敗と負け越して陥落し、以降一度も三役に上がることはなかった。前に出る圧力がないことや技が連続しないことから上位にはなかなか通用せず、平幕上位で負け越して番付を下げては下位で大勝ちして番付を戻すことを引退まで繰り返した。その間58場所、凡そ十年ほど。連続平幕出場の最長記録である。その間に三勝を5回、金星を5個獲得している。
ベテランになるにつれ取り口が変則的になり、立合い諸手突きで相手を止めてから敢えて踏み込ませて逃げ回るような相撲が多くなった。現役時代に対戦した事もある舞の海は、立合いで強く当たらず相手の出方を見ながら形を作る取り口が肉体の消耗を免れ、幕内で長くある意味安定した成績を残すことが出来た要因であると分析している。
しかし2006年11月場所初日の相撲に敗れた後、虚血性心疾患によるドクターストップを理由に突如引退を発表する。後に当時暴力団による恐喝を受けており、そのことも引退の一因になっていたことが明らかになる。トラブルがなければあるいはもっと長く平幕で相撲を取り続ける旭鷲山を見られたかもしれない。
明るい性格で話が上手く、バラエティ番組への出演が多かった。昔馴染みであるモンゴルのバカバンディ大統領と日本の小渕首相の勧めで現役時代から早稲田大学の通信教育課程で学んでおり、現役晩年には早稲田カラーのまわしを締めていた。
引退後はモンゴルに戻り実業家として活躍。2008年から2012年までモンゴルの国会議員も務めていた。
入門直後に相撲界に馴染めず旭天鵬らと共に脱走したことがあるが、モンゴルまで追いかけてきた大島親方(元大関旭國)の「今に相撲はモンゴルの時代になる」という説得で日本に戻った。大島親方の言葉通り、後の相撲界は朝青龍、白鵬、日馬富士らモンゴル出身力士が長く頂点に君臨することになる。旭鷲山はその最初の先駆者であったのである。
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