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明石家さんまとは、日本のお笑い芸人、タレント、俳優、司会者である。吉本興業所属。
概要
同じ吉本興業所属の後輩芸人である岡村隆史(ナインティナイン)より「お笑い怪獣」という称号で呼ばれるほど、そのトーク力と存在感は他を圧倒する実力を持っている。
どんなゲストのトークでも無理矢理自分をアピールするような展開に持って行き、最終的には自分が最もおいしい話のオチにしてしまうという脅威のスキルを持っており、先輩芸人からも後輩芸人からも恐れられている。
俳優としても活躍しており、代表作は多数。
前妻である女優の大竹しのぶとは「男女7人夏物語」「男女7人秋物語」で主役として共演した際に交際をし、結婚に至った。
経歴
1955年(昭和30年)、和歌山県牟婁郡古座町(現:串本町)生まれ。奈良県奈良市出身。本名、杉本高文。実家ではさんまなど冷凍海産物の加工業を営んでおり、それがきっかけで『さんま』という芸名をつけられた。
芸名から分かるように、元々は落語家として笑福亭松之助一門に入門したものの、『落語のできない落語家』として主に形態模写などのモノマネや漫談を若手時代に行っていた。古くから親交のある春風亭小朝曰く「不思議なことに、あんなに喋れるのに落語は壊滅的に下手だった」とのこと。
毎日放送とは古くからの付き合いがあり70年代から『MBSヤングタウン』、『ヤングおー!おー!』にレギュラー出演し、前者については2012年現在も土曜日に放送されている。また月曜深夜の『痛快! 明石家電視台』も25年以上続いているテレビ番組で、この番組の収録のために2週間に1回大阪に帰ってきている。
1981年(昭和56年)放送開始の「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)が彼の運命を変える。メインコントの「THE タケちゃんマン」で当初高田純次が演じたライバル・ブラックデビルだったが、高田の急病により代役を立てることとなり、高田の体型に合わせて作られた衣装を着れたのがさんまだけであったため、ブラックデビルを演じることとなった。しかし、当初代役だったさんまがブラックデビルのアイディアを積極的にスタッフに提案したことやコーナーが人気沸騰したため正式に2代目となる。それにより一気に注目されることとなる。
フリートークにおいて相手のトークを食ってしまうほどの強烈な話術と自己アピール術でも注目され、「笑っていいとも!」(フジテレビ)の金曜レギュラーとしてMCのタモリとのフリートークコーナーが人気を博す。
有力株として注目された頃、ちょうどそれまで『お笑いBIG3』としてビートたけし、タモリとともに評されていた萩本欽一が人気低迷。しばらくして自主休業をしてレギュラー全番組を降板した隙に、たけし、タモリと共演し対等以上の実力を見せていたさんまがBIG3入り。毎年正月に放送されていた「BIG3・世紀のゴルフマッチ」(フジテレビ)や「テレビ夢列島(現:27時間テレビ)」(フジテレビ)における活躍でその地位を確固たる物とし、以降日本が誇る「お笑い怪獣」として今でも業界の第一線に立ち続けている。
一方、俳優としても「男女7人夏物語」「男女7人秋物語」(共にTBSテレビ)で主役を演じ大ヒットさせる。そこで共演した女優の大竹しのぶと1987年(昭和62年)に結婚。一女を設ける(現在、IMALUの芸名でモデル、タレントとして活躍中)。
一世を風靡した「オレたちひょうきん族」であったが、昭和の終わりと共に1989年(平成元年)10月に終了、大竹しのぶとも1992年(平成4年)に離婚するなど一時的に低迷したものの、「さんまのからくりTV」(TBSテレビ)の成功で再び軌道に乗り始め、「恋のから騒ぎ」「踊る!さんま御殿!!」(共に日本テレビ)で『さんま対複数人』という脅威のフリートークバトル番組を成功させ、大御所として君臨するようになる。番組での様子から、次第に彼は「お笑い怪獣」と呼ばれることにとなる。
「さんまファミリー」と呼ばれる、彼とつながりの深い芸人やタレントが多い。
村上ショージ、Mr.オクレ、ジミー大西、中村玉緒、浅田美代子などが含まれる。
2008年(平成20年)に司会を務めたFNS27時間テレビ「みんな笑顔のひょうきん夢列島」は非常に高い評価を受け様々な芸能人に絶賛された。 また2012年(平成24年)7月に桂三枝が7代目桂文枝の襲名披露をなんばグランド花月で行い、このときにはさんまと三枝の共演を40年ぶりに果たしている。
寝ない事で有名(極度のショートスリーパー)であり、「寝顔を見ると口止め料として金一封が貰える」「本当はロボットなんじゃないか」「いつ何刻電話しても出て、あのテンションで喋る」「30時間近く一緒に居たが全く寝ていない」「ジミー大西がさんまの家に住まわせてもらった際、丸2日間全く寝かせてもらうことができず3日目にとうとう倒れてしまった。さんまはその間一睡もしなかった」等の噂が立っている。一方でひょうきん族時代は寝坊の常習犯だったようで、どうやら人がいない午前中や昼間に寝ているようである(娘のIMARUですら寝顔を見た記憶が無い)。
座右の銘は「生きてるだけで丸儲け」。この格言を縮めて娘の名前を「いまる」にしたという。(後に「IMALU」として芸能界デビュー)
島田紳助との比較
同期の芸人に島田紳助がいる。若手時代は一緒に営業に行ったり、お互いの家で寝泊まりするなど親交は深く、その後ひょうきん族で共演し、90年代から10年代にかけて冠番組を多く持つなど共にテレビ界のスターとして君臨していた。そんな関係性のある2人であるため、2人を比較する評論がいくつかなされている。
徳光和夫は2人を比較し、『努力のさんま、天才の紳助』と評している。2015年(平成27年)『ジョブチューン』の司会者特集で、「凄いと思った司会者」という話題での発言である。さんまはよく若手の番組をチェックしたり、自分の番組を見返して自分で笑っているというエピソードが語られるが、これは見方を変えれば「常に面白い存在であろうとする努力」ともみられるのである。一方の紳助は、プライベートではギャンブルなどの趣味や、店の経営などの話しかせず、お笑いに関する努力もやる気も見られない。しかしいざ番組収録が始まったら、トークの上手さ、作り話の上手さで爆笑を取る、まさに天才だったと振り返っている。
日本航空123便墜落事故とさんまの関係
1985年(昭和60年)8月12日、東京発大阪行の日本航空123便が群馬県多野郡上野村の山中に墜落する事故が起こった(日本航空123便墜落事故)。
さんまは当時、大阪MBSラジオ「MBSヤングタウン」月曜担当で、東京のフジテレビ「ひょうきん族」の収録後、JAL123便で大阪に向かっていた。8月12日も123便に搭乗する予定だったが、たまたま「ひょうきん族」の収録が早く終わり、1便早い全日空便に搭乗したため事故を免れた。
そして、「ヤングタウン」の生放送ではあまりのショックで言葉を失い、冒頭数分に番組変更の旨を含めて喋ったのみだった。またこれ以来、東京と大阪間の移動には必ず新幹線を利用するようになったという。
また、同便には後にBIG3企画の進行役として共演することとなる逸見政孝も搭乗予定だったが難を逃れており、さんまと逸見が同便に乗っていた場合、その後のお笑いや芸能界の勢力図が大きく異なっていた可能性が高い。
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