春琴抄(しゅんきんしょう)とは谷崎潤一郎による中編小説である。1933年、『中央公論』に発表。
概要
ストーリー
大阪の薬種問屋に勤める丁稚の佐助は店主の二番目の娘である美少女春琴の世話係を任される。この春琴は裕福な家の子女として甘やかされて育てられたうえ病気で盲いてしまい大変気難しい性質の少女だったしかし佐助は苛烈な扱いに反発する事無く忠実に春琴に仕える。春琴は当時の盲者の常として三味線を習っていたがその稽古についていくうちに佐助もこっそりと三味線の練習をするようになる。ある時この事が発覚し問題になるが結局佐助が春琴の弟子になることで決着がつく。
春琴の教え方は時に暴力を伴うほど厳しいものだったが佐助は涙を流しつつも耐え抜いて稽古を続けた。そんなある日春琴が妊娠していることが発覚し様々な状況証拠から佐助の子であることは明白であったが「下男に体を許す事などありえない」と春琴は頑として否定する。春琴の両親はどうせまともな嫁ぎ先が用意できる訳でもないし佐助と結婚させて暖簾分けをすることまで考えたが春琴は受け入れず結局生まれた佐助そっくりの赤子は里子に出されることになった。
数年後、三味線師として独立した春琴について佐助も家を出二人暮しをはじめたがあくまで師匠と弟子、主人と使用人の関係のままだった。
妙齢の美人三味線師として評判となった春琴の元には三味線を習う事よりも春琴と近づきになる事を目的とした弟子が通うようになるそんな中の一人がある時春琴に言い寄るが春琴は手ひどく振ってしまう。その直後何者かが夜中春琴宅に押し入り春琴の顔に熱湯を浴びせかけるという事件が起きる。火傷により元来の美貌が崩れ二目と見られぬ顔になってしまったことに春琴は絶望しやがて包帯が取れれば佐助にその醜く爛れた顔を晒さないといけない事を恐怖する。そんな状況にあって佐助は針を持って自らの両目を潰し春琴に自分は盲となったからお師匠様の顔を見ることはないと告げたのであった。
その後、また平穏な暮らしが戻り佐助は三味線師として弟子を取るようになりもっぱら佐助の稼ぎによって春琴との暮らしを賄うようになった。そのころになると春琴も大分丸くなり佐助と夫婦になってもいいと思っていたようだが佐助の方がそれを望まなかった。佐助はあくまで春琴に仕える立場である事を望んだのである。
解説
この物語における佐助の行動は一見封建的忠誠心の発露に見えるが作中においては彼の行動には彼の一種の被虐趣味が大きく関係していることが指摘されている即ち春琴からの苛烈な扱いを一種の快感として受け取っていたのだ。と指摘されているが実はこういった表現は殆どが地の文で行われており筆者=谷崎ならこう思うから佐助もきっとそうだったに違いない!というある意味はた迷惑な偏見から描かれているという事に注意すべきである。
文体
さて、ここまで記事を読んでくれた読者の方々の大半は「この記事編集者句読点の使い方がなってねぇ」と思ったことであろう。じつは、この様な文体もまた、『春琴抄』の特徴の一つである。この作品では極力句読点、それに改行が廃されているのである。勿論、適当に句読点を消しただけで読みにくいこの記事とは違い、(多分)緻密な計算の上で書かれた『春琴抄』の文章は独特のリズム感を生み出し作品の鑑賞点の一つとなっている。ちなみに筆者は、息継ぎの機会が与えない文章を読ます事によって読者に苦痛を与えそれを楽しんでもらおうという趣向なのではと考えている。
春琴について
ちなみにこの物語のヒロインである春琴であるが、一言で言えば「(広義の)ツンデレ」である。最初のお嬢様っぷりから終盤の「ほんとうは好きだけれどプライドが邪魔して告白できない」という状態まで、まさにテンプレのような変化をたどる。おそらく、近代日本文学において最初にあらわれたツンデレキャラクターであろう。そちらの趣味がある同士諸兄は彼女の類稀なるツンっぷりに悶える事請け合いだから是非本書を手に取って貰いたい。なお、別な趣味に目覚めてしまっても当方は一切責任を持たないのであしからず。
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関連項目
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