曹植とは、三国志に登場する人物である。192年生まれ、232年没。
「詩聖」として、父の曹操、兄の曹丕と並び中国を代表する詩人の一人として有名である。
その生涯
字は子建。曹操の五男で、卞夫人との三番目の男子にあたる。幼い頃より詩など数十万言をそらんじ、曹操には代作ではないかと怪しまれたが彼自身の作品だと分かると曹操は曹植を寵愛するようになった。曹操が魏を建国すると平原侯、のち臨淄侯となる。
文弱青年のイメージがあるが、曹操に従い多くの戦役に従軍している。その人となりは大らかで細かい事を気にせず、華美は好まなかった。曹操から溺愛された事で、兄の曹丕との後継者争いに巻き込まれる事となる。
また、文学をさほど重要視してはいなかったらしく「男子というものは、戦で武勲を挙げ、善政を行い、社稷に尽くす事こそが本望なのだ」と述べている。
220年(建安25年)曹操が死去し曹丕が跡を継ぐ前後から、楊修や丁儀といった曹植の側近が粛清されるようになり、魏が後漢から禅譲を受けた後は封地を転々とされる。時に政治的な上奏文を奉ることもあったが最後まで中央に召喚されず、232年(太和6年)41歳で病没した。最後は陳王に封ぜられており、諡から陳思王とも呼ばれる。
曹植の作品
後漢から三国時代にかけて、それまで辞賦と呼ばれていた文章に代わり五言詩を中心とする詩文学が主流となる。曹操はその文壇の中心であり、彼を取り巻く建安七子と称される文学者や、曹操・曹丕・そして曹植の三曹らが数多くの作品を残した。
曹植の作品は様々な題材を取り上げ、時に雄大に、時に悲壮に、時に達観的に詠んでいる。李白や杜甫ら唐代の詩仙や詩聖の前の世代を代表する詩人として、今でも曹植の評価は高い。
世説新語や三国志演義で紹介されている「七歩の詩」は人口に膾炙する程有名だが、現在では偽作説が有力。また、傑作の一つといわれる「洛神の賦」は曹丕の嫁である甄氏に対して詠ったといわれるが、そうではないという説もある。
曹植の家族
- 曹操 - 父
- 卞夫人 - 母
- 曹丕 - 長兄
- 曹彰 - 次兄
- 曹熊 - 弟
- 崔氏 - 妻で、崔琰の兄の娘。崔琰が曹操から賜死させられた後に曹操に殺される
- 曹苗 - 長男。早世
- 曹志 - 次男。曹植の末子。魏の済北王だったが晋が建国されるとそのまま司馬炎に仕えた。288年没
- 娘2人 - どちらも夭折しており、曹植の作品にそれぞれ名前が出てくる
各メディアにおける曹植
三国志演義
カンニングと飲んだくれと七歩の詩のインパクトが激強。
また、周瑜が曹操との戦いを決意するきっかけとなった「銅雀台の賦」は曹操でなく彼が詠んだことになっている。
三国志大戦
雲散の計を持っている。Ver3.59以前は魏デッキの友としてかなり使用頻度が高かった。
曹植の関連動画
関連商品
関連項目
- 1
- 0pt