曹洪単語

ソウコウ
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曹洪とは、

  1. 中国・三時代のの武将である。
  2. インターネット上でWEB漫画三国志漫画劉備くん』を連載している人物である。
の二つがあるが、ここではに1.について記述する。

人物

字は子廉州沛譙県の人。生年は不明。後漢の衛将軍・曹、尚書・曹、さらに宦官曹騰の甥。曹騰曹操の養祖である為、曹操とは血の繋がりの従兄弟同士。

元は蘄の県長であるが、巾族討伐に曹操が旗揚げした際、曹仁と共に配下に加わる。立った活躍はいものの、曹操軍の戦の多くに出した、歴戦の猛者である。

没年は232年、恭侯と諡された。死因は不明。

武勇伝

董卓討伐戦の際、徐栄に敗れ、敗走中の曹操に対し「下に洪なかるべきも、なかるべからず(例えこの世に私・曹洪が居ないとしても、あなたは居なくてはならない)」と言い、自分の(後述)を譲ったエピソードはあまりにも有名。演義ではこの台詞の後、曹操を背負って汴を渡った。

演義ではやや血気盛んな武将として描かれている。関の戦いにおいては、敵の罵を聞いて怒り、失策馬超関を奪われている。曹操激怒するも、しばらくした後に曹操馬超の追撃から守り、罪を免れた。曹操はこの際「子廉が居なければ、私は二度死んでいた」と彼の事を高く評価した。

実は演義において、一騎打ちで負けがい。巾族の何曼や袁譚等を討ち取った他、更には甘寧韓当馬超といった面々とも互に戦っている(甘寧韓当戦では、数十合打ち合った後に逃亡しているが、あくまで策略上のものである)。

女色と財貨を愛した武将

女色と財貨を好んだ、つまりエロくてケチな性格で有名。前者の有名なエピソードとして、宴会で歌姫に薄着を着させて踊らせ、阜に『人前で女性体を剥き出しにするのは不道徳』として怒られた、というものがある。後者で有名なものに、曹操が配下の資産を調した際、曹操よりも財産を持っていた、というものがある。

曹操は彼の性格を高祖・劉邦に例え、憂慮していた。その不安は、曹操の死後に現実のものになる。

時の皇帝曹丕は、以前曹洪にを借りようとして断られ、恨みを抱いていた。その為、曹洪の食客が罪を犯した際、連座で曹洪を逮捕・死罪にしようとした。人々は曹洪の罪をらそうとしたが、曹丕は聞き入れなかった。その為、曹丕の生・卞太后は曹丕の妻・郭皇后に「曹洪を殺したら、あなたを追放する」と脅した上、更に曹丕に対し、曹操が曹洪に救われた話をして「子廉が居なければ、あなたはこの世に生まれていなかった」と叱責した。ようやく罪を免れるも、領地と官爵を没収されてしまう。

その後、曹叡が即位すると、後将軍に任命され、めて楽侯に封じられ、千戸の領を与えられた。その後、特進を加えられ、再び驃騎将軍に昇進した。

名馬『白鵠』

彼の実家産業で繁盛しており、所有する牧場には、多くの駿が放たれていた。その中でも有名なのが、『鵠』という名のである。この三国志には登場せず、『拾遺記』、『太御覧』等に記述があり、文献によっては『』とも書かれている。曹洪は戦場でこのに騎乗しており、「走るとの音が聞こえるだけで、足は地面から浮いている」と言われた。

董卓討伐戦の際、曹操に譲ったのはこのである。鵠は最終的に曹操と曹洪、大人二人を乗せた状態で約数里を走り、あっという間に自に到着した。その際、汴を通ったにも関わらず、の足は湿っていなかった。そこで当時の人々は「に乗って行ったのだ。一代の駿である」と言い、後に「空気に乗って躍る曹鵠」というが作られた。

後世の評価

その性格とエピソードから、低い評価を受けがちな武将である。正史立った記述のある曹仁夏侯淵正史では地味ながら、演義で活躍した夏侯惇べると、手なエピソードいという点も要因の一つである。また、最後がパッとしない武将は(于禁しかり魏延しかり)高い評価が得にくいというのも事実である。

因みに董卓討伐戦で敗退し、兵の多くを失った際、すぐに募兵をかけられたのも、曹洪がを溜めていてくれた(業で稼いでくれていた)お陰である。先述のとおり、この戦で死ぬだった曹操を救ったのは曹洪である。言い過ぎかもしれないが、曹操の覇業達成の基礎を築いたのは、曹洪と言ってもいいだろう。その後の武功も立たないながら、曹仁に引けを取らない。性格に問題があるとは言え、死罪を受けそうになった際、卞太后や臣下の者達が曹洪をったのは事実である。如何に彼が慕われていたかというのは、このエピソードにおいて明らかである。

このような事実を鑑みれば、ある程度の高い評価を下すべきであろう。この場を借りて言わせてもらうが、記事作成者の私は『決して有能とは言えないが、生涯の大部分を曹操げた。一方で女やを好む、人間味溢れる、親しみやすい人物』というにとらえている。どうだろうか?

フィクションにおける曹洪

横山光輝の作品においては、曹仁と共に、曹操という設定にされた。戦の総大将として、活躍の機会も多い。作品のベースが演義である為、血気盛んな人物で、基本的に劉備営に負け続ける『敗軍の将』として描かれる。決して有能ではいが、自分の失敗を自分で取り返す事で、曹操の信頼を得る。

蒼天航路では曹仁と共に、曹操幼馴染とされている。主人公曹操である事から、要登場人物の一人として、序盤から終盤まで活躍した。張飛との戦いで片腕を失い、隻腕となる。前半はあまり立たないながらも、後半は『教官』という役柄を与えられた。作品内で曹仁夏侯淵夏侯惇と『曹操四天王』と称された。その為、この作品をる場以外でも、この四人をめて『曹操四天王』と呼ばれる事がある。

ゲーム無双シリーズでは、未だにモブ武将である。曹操の配下武将として登場する為、名前の出演頻度は非常に高い。真・三国無双3にて、兄弟分の曹仁が先に顔あり武将になってしまったが、彼は未だに出演を果たせていない。は武将・軍師の層が厚い為、彼に顔がつくのは、まだ先になりそうだ。

シミュレーションゲームの『三史』では、下手をすればそこら辺のマイナー武将よりが低いという事もしばしば。蒼天航路からか見なおされ、最近はまあまあのが設定される事も多い。それでも四天王の他の三人とべると、まだ低い状態である。

曹洪の子孫 

曹洪の子孫については、正史三国志で曹馥(そうふく)と曹震(そうしん)いう息子がいることが確認できる。曹震は曹操によって列侯に封じられ、曹馥は曹洪の死後に後を継いだ。 

2.『三国志漫画劉備くん』の作者・曹洪

曹洪の三国志exit』というHPで、WEB漫画三国志漫画劉備くん』を連載している人物。

HNの由来は、1.の武将の曹洪であると思われる。

詳しくはHP等を参照すべし。

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曹洪

64 ななしのよっしん
2019/05/04(土) 11:31:34 ID: 5geUrY6vqZ
無双に登場したら大企業社長とか牧場経営者のキャラ付けもできるなこの人
65 ななしのよっしん
2019/05/28(火) 19:13:14 ID: SgqjytLtzC
で買えた曹操一家と同じくらい大富豪で、いちばんしんどい時期の苦節を共にし、重要な戦局でしっかり活躍して立った敗戦もないから明らか有能なんだけどってだけで格下げされてる印
ただまあにはそんな中堅どころの活躍してる武将なんていくらでもいるので、ゲーム的な値では資産要素ない限り今のドケチ脳筋キャラで収まりが良いとも思う。
66 ななしのよっしん
2019/07/06(土) 23:32:55 ID: 9ZYLDqyr2s
劉表の部下打ち破っとるし官渡の戦いとか彼がいないと負けてたぞ
何が決して有能とは言えないだ十分有能やろ
ただ性格は悪いケチやけど
67 ななしのよっしん
2019/10/13(日) 12:29:20 ID: bM/r2uY3Fw
TVドラマだと、『曹操』だと憎めないお調子キャラで、
司馬懿曹丕メインの『軍師連盟』だと傲慢な男として描かれているのが
この人の立ち位置を徴しているようで興味深いな

確かに曹操視点だと、何だかんだで有能かつ自分に尽くしてくれてるから、
だらしのない部分も嬌に見えていたとしても不思議はないし
68 ななしのよっしん
2019/11/03(日) 12:08:35 ID: 5geUrY6vqZ
兄弟呂布挙兵時に曹洪急行して氏の地盤を制圧してなかったら、
その時点で曹操は詰んでたかもしれん
69 ななしのよっしん
2020/03/31(火) 03:48:20 ID: 7FLfqux6E1
レッドクリフ曹洪好きになったな
映画では終始優柔不断で苦労人て感じやが、かえって好ましく思えた
70 ななしのよっしん
2020/07/18(土) 16:27:59 ID: rORENbruUW
ケチだったりするけどただのケチな人じゃないってのがいい。
曹操に対してはを譲ったり募兵の際にお金を出してたり。ケチではあってもちゃんと出すべき時には出してたし、臣下としては当然なんだろうけど自分よりちゃんと君を優先してる。
71 sage
2020/07/26(日) 09:36:04 ID: Zte49OqAZW
旗揚げ初期から官渡くらいは両侯や曹仁より活躍してるくらいなんだけどそのうち存在感が薄くなり曹休教育係に引っり出されるまで武功がなくなる。
曹操軍が大勢になり親族衆が部将から軍クラスに昇格する流れに性格的な問題で乗れなかったのかなと愚考します。
清廉潔な性格で曹丕からも絶賛された曹仁とは対照的ですね。
72 ななしのよっしん
2020/08/13(木) 11:52:07 ID: LgDt9EPy5G
>>71
法をきちんと守れるから両侯や曹仁が重視されたんじゃないかな(曹洪食客に好き勝手やらせていたとあるから、そんなやつに官任せられんだろうし)
73 ななしのよっしん
2020/10/18(日) 05:33:01 ID: 6ywPwK9Rl9
どっちかというとキャリア的には夏侯惇于禁同様に
曹操曹洪を手元に置いておきたかったのかなって感じ
夏侯惇はのちに孫権方面が立て込んでくると自分の分身感覚で
方面を管轄するようになったが、于禁210年代の戦功が
あの樊くらいしかなく中央軍として良くも悪くも地方に出なかった感

逆に言えば曹洪于禁という本来中央軍で四を睨むポジションのはずの
彼らが対劉備、対関羽に動員されること自体、緊急事態であることののようにも思う