曹爽とは、三国志に登場する人物である。
曹操と区別して「爽やか曹爽」と呼ばれることもある(出典はコーエーの三國志III大事典)。
権力者となる
字は昭伯。曹操の甥で名将だった曹真の子。魏帝曹叡から寵愛を受けており、239年(景初3年)曹叡の死に際して大将軍となり司馬懿と共に後継者の曹芳の補佐を命じられた。
当初は父の同僚だった司馬懿に親の如く接していたが、のち司馬懿を太傅(皇帝の教育係。三公より地位は高いが閑職)に祭り上げて、取り巻きらと共に魏の朝政を牛耳るようになった。
といっても司馬懿の軍権はそのままで、ここで司馬懿に負けない戦功を立てようと欲した曹爽は244年(正始5年)に司馬懿の反対を押し切り蜀漢に攻め入るが、補給がうまくいかず費禕や王平率いる蜀軍に撃退された。
司馬懿は病と称して自宅に引っ込んでしまう。曹爽は司馬懿の動向が気になるので腹心の李勝が荊州刺史として赴任するついでに司馬懿の見舞いをさせる。司馬懿は重病でボケが進行していたとのことだった。
駑馬は桟豆を恋う
すっかり安心した曹爽とその兄弟は249年(正始10年)に曹芳と共に許昌に赴いた。その留守の隙を突いて、病人を装っていた司馬懿がクーデターを起こし、たちまち軍権を掌握してしまう。
大司農の桓範が曹爽の元に逃げてきて、許昌で曹芳を擁し兵馬や糧食を集め司馬懿に対抗するよう訴えたが「今すぐ降れば罪には問わない」と勧告を受けていた曹爽兄弟は弱気になり、富貴でいられれば望むものは無いと言って司馬懿に降ってしまう。桓範は「曹子丹(曹真)殿は素晴らしい方だったのに、その子であるお前らは牛や豚のようだ。お前らのせいで一族皆殺しに遭うとは」と泣き叫んだ。
桓範が逃げる時司馬懿は「知恵袋が逃げたぞ」と言ったが蒋済は「駑馬は桟豆を恋う(下等な馬はそれにふさわしい飼い葉桶の豆を好む)。曹爽は桓範を使いこなせますまい」と評していた通りになったのだった。
末路
約束に反して厳しい監視下に置かれた曹爽兄弟だが、司馬懿に試しに食料が欲しいと言うとすんなり聞き届けられる。しかし安心したのもつかの間、司馬懿は謀反の容疑で曹爽や取り巻きらを逮捕して三族皆殺しに処したのであった。
後に曹真の功績を考慮されて、曹爽の甥にあたる曹煕が曹爽の家を継いだ。
逸話
- 曹爽の弟、曹羲は弟たちに訓戒を与えたことがあったが、実は曹爽の専権ぶりを間接的に諌めようとしていた。しかし曹爽は聞き入れなかった。
- 司馬懿がクーデターを起こした時、辛憲英(辛毗の娘)は曹爽の参軍だった弟の辛敞に「曹爽は太傅(司馬懿)と陛下の補佐を受けながら権勢を極め驕奢であり、王室には不忠、人道に背いています。太傅がクーデターを起こしたのですから必ず成功し、曹爽は処刑されるでしょう。ですがあなたは臣下の義理を果たしなさい」と曹爽の元に行くことを勧めた。司馬懿は曹爽と取り巻きらは殺したが、辛敞ら付き従っていた者達はそのまま許した。
曹爽の家族
- 曹真 - 父。正史では名将、演義では司馬懿の引き立て役。
- 曹羲 - 次弟。列侯、中領軍。
- 曹訓 - 三弟。列侯、武衛將軍。
- 曹則 - 四弟。列侯。
- 曹彦 - 五弟。列侯、散騎常侍侍講。
- 曹皚 - 六弟。列侯。
- 曹文叔 - 従弟。早死にしたが、その妻夏侯令女は壮絶なまでの貞淑を貫き再縁を拒んだ。
- 曹熙 - 甥。曹爽の家を継いだ。
各メディアにおける曹爽
横山三国志
60巻で登場。司馬懿を太傅に祭り上げたはいいが、結局その智謀の敵ではなかった。
コーエー三國志
実は初期のシリーズから出演している(能力的には当然父に及ばないが)。
そして真・三國無双6では「正始の変」ステージで堂々の登場!…どう描かれているかはお察し下さい。
曹爽の関連動画
関連項目
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