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月光(戦闘機)単語

ゲッコウ

月光(戦闘機)とは、大東亜戦争中に日本海軍が運用した戦闘機である。
連合軍のコードネームIrving(アーヴィング)。

前身

月光は、最初から戦闘機として開発された訳ではい。

昭和12年(1937年)の日中戦争の最中、渡洋爆撃を敢行した爆撃機隊が敵軍の戦闘機による迎撃で大損を受けた。この事実に衝撃した軍は味方爆撃機を護衛しつつ、迎撃に来た敵機を撃墜する航空機を欲した。翌年の昭和13年、軍は中島飛行機陸上攻撃機を護衛する十三試双発陸上戦闘機の開発を要した。この機体が紆余曲折を経て後の月光となるのである。

1941年3月十三試双発陸上戦闘機の試作一号機が完成5月2日に初飛行をした。が、速度軍の要に達していたのだが運動に劣り、陸攻を敵戦闘機から護衛する機体なのに戦うべき敵戦闘機との戦に向かないと判断されてしまう。結果、不採用の烙印を押される事になる。
しかし軍は本格的な偵察機を九八式陸上偵察機以外に持ち合わせていなかった。そして十三試双発陸上戦闘機は九八式陸上偵察機よりも航続距離が長く、戦にも耐えうる強度も持っていた事から、とりあえずこの十三試双発陸上戦闘機二式陸上偵察機名。偵察機として採用する運びとなった。

戦後の1942年6月頃から産10機程度の量産を開始。機体を集め、台南に偵察飛行隊を設立。そして7月、二式陸上偵察機3機は試験的にラバウルへ進出。偵察カメラを搭載し、ガダルカナルへ襲来した米軍に対して強行偵察を実施。情報ラバウルへ持ち帰った。九八式陸上偵察機では出来なかった長距離偵察で戦果を挙げ、評価された。それから各部隊への本格的な配備が始まり生産総数は54機に上ったが、米軍の戦が強化されていくにつれ被害が増大してきた。そのため二式陸上偵察機は、より高速な陸軍の偵察機にその役を奪われ、次第に出撃の機会を失っていった。
また油圧系統に故障が多く、部品の補給も滞っていたため、現地での稼働率が低く不評だった。戦闘機としても偵察機としても失敗するかに思われた二式陸上偵察機に、一つの転機が訪れる。

夜間戦闘機「月光」

1943年初頭、ラバウルに対しB-17による爆撃が盛んになってきた。の迎撃は通常の戦闘機では難しく、しかも相手がフライングフォートレス(の要塞)と称されるB-17だった事もありラバウル航空隊はど手が出せなかった。増大する被害に、第251航空隊の令官である小園安名中佐爆撃機対策として十三試双発陸上戦闘機に斜(しゃじゅう)を取り付ける案を軍に提出した。大な機体だったため、斜を搭載するスペースがあったのだ。

ところが軍上層部は「役に立たない」と猛反発。実験隊からも「現地での単なる思い付き」と冷淡にあしらった。一方、航空本部の技術幹部がこの提案を支持したため試しに3機を改造してみる事に。
こうして小園中佐は反発を押しきり、自分の部隊に斜装備の十三試双発陸上戦闘機を配備させた。
として20mm機が装備された。大口径のもので、当たれば破壊を期待できる代物だった。上向きのものと下向きのものが装備されたが、下向き機意味と判断され後期では撤去された。

19435月、試作機2機がラバウルに到着。この改造十三試双発陸上戦闘機は、小園中佐の狙い通り性を発揮。爆撃に来たB-17を死の下方から射撃。見事2機撃墜するという々しい初戦果を挙げた。この戦果に驚いた軍は手のを返し、二五一が保有する二式陸上偵察機に斜を装備するよう命じ、その機体を制式採用。名をめて戦闘機月光として運用する事とした。こうして19438月月光は誕生したのであった。

月光の存在には民にも知らされ、その名は一般大衆にも親しまれた。

月光はその後も間に襲来するB-17B-25を次々に撃墜。死かつ敵の射程外から攻撃できる月光は、まさに傑作機だった。一時は米軍ラバウルへの爆撃を中止させる程の打撃を与えたのだが、戦況は悪化の一途を辿った。そして連合軍は効率の悪い爆撃を中断し、爆撃に切り替えたため月光は敵基地への夜襲的として運用されるようになった。

ところが月光の生産は1944年10月で打ち切られてしまう。

戦争末期の本土防戦にも参加。襲来するB-29を迎撃するためへ上がったが、高度1万メートルを飛行するB-29に攻撃を仕掛けるには理があった。しかし戦果を挙げるため、間に低で侵入したB-29に対しては戦闘機として性を遺憾なく発揮。探に照らされた敵機の後方からび寄り、斜で突き刺す戦法で米軍に出血を強いた。一晩で5機のB-29を撃墜するという大戦果まであったという。
ところがB-29の護衛にP-51が随伴してくるようになると次第に戦果を挙げられなくなった。やがてB-29爆撃に切り替えた事から、迎撃の任務を他の機体へ譲り、間偵察や間襲撃へと任務を変えていった。この頃からレーダーも水上用のものに換装されていたという。
B-29戦に向かないとして、十八試戦闘機が設計されたが計画通りの性が発揮できなかった。

最終的には特攻機に使用され、爆装した月光台湾沖縄フィリピン方面の敵艦隊へ突入している。

総生産機約500機(477機とも)のうち残余は40機程度しかなかった。

エピソード

戦争も終盤に差し掛かった1944年12月2日深夜。オルモック湾にて、第7多号作戦輸送隊120駆逐群が交戦し、竹(松型駆逐艦)クーパーを撃で撃沈。帝國海軍最後の水上艦撃沈を飾った。実はこの戦闘月光も関わっていた。

オルモック湾に到着し、物資や兵員の揚陸を始める輸送隊。その上を2機の月光が通過した。輸送隊支援するため、湾内の魚雷艇を排除しに来たのである。ところが間もなく120駆逐群と会敵し、交戦。1機の月光は旗艦アレン・M・サムナーのマストぎりぎりまで接近すると、魚雷艇攻撃用の60kg爆弾を投下し小破させた。もう1機の月光モールに機掃射を浴びせ、2名を戦死させた他、22名を負傷させている。この戦闘により揚陸の時間稼ぎが出来、警備中駆逐艦桑とに敵の接近を伝えられた。

帝國海軍最後の水上艦撃沈を陰から支えたと言えよう。ちなみにこの2機がどうなったのかは不明。

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初版作成日: 13/10/21 17:18 ◆ 最終更新日: 19/01/13 22:20
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月光(戦闘機)について語るスレ

6 : ななしのよっしん :2014/02/12(水) 02:58:38 ID: QKEVB5SUVX
>>3
理、むしろ火力じゃなくて速度や機上レーダー(一応末期に積まれたのだ)など敵機を捕捉する
夜戦より圧倒的に劣っていることの方が問題
末期には鈍重な月光を捨てて彗星夜戦とかで沖縄戦を戦った部隊とか出て来るし
7 : ななしのよっしん :2014/03/04(火) 17:38:52 ID: KAH5dtsum4
月光って4000機も生産されていたっけ?
試作機とかも含めて約500機くらいだったような気がするのだが
8 : ななしのよっしん :2014/04/12(土) 00:13:05 ID: 0OJ1njJ1nH
月光というとこち亀特殊刑事課月光刑事がまず浮かぶ…
9 : ななしのよっしん :2014/04/12(土) 22:06:06 ID: fVzxZfsv4b
日本海軍ネーミングセンスガチだと思う(今では中二病とか言われそうだけど)
10 : ななしのよっしん :2014/08/24(日) 00:32:25 ID: 2cF79uDszb
うすらデカいせいか、屠べるとほぼ全ての点で見劣りする印
記事では触れてないけどもともとは旋回機を連装2基も装備するBf110にデファイアントを足したような見るからに戦闘機だった
11 : ななしのよっしん :2016/05/03(火) 21:09:31 ID: q1AiYBj3Si
ゲームに「飛燕」「雷電」が実装されて、もしやと思ったが…やっぱり元ネタ戦闘機だったのね。
12 : ななしのよっしん :2016/09/23(金) 13:58:19 ID: gb8MvZqw7u
>>8
あの人達が乗ってる飛行機がこの記事の月光だったよね
13 : ななしのよっしん :2018/01/02(火) 15:08:39 ID: RfuK2ByptG
メタルギアはここから取ってたわけね。
そういや自走砲ゲッコーていなかったっけ
14 : ななしのよっしん :2018/01/02(火) 15:26:04 ID: oGqv7E35fn
それはヤモリの方じゃない?Gecko
15 : ななしのよっしん :2018/10/27(土) 19:08:51 ID: fePfhUSVjz
南方に進出していたとある部隊で
飛行機は壊れたものばかりの状態で飛行部隊の隊長さんが
整備兵に向かって一番マシな状態の月光さし
「こいつを直せ!転進するぞ!武装も降ろしてお前らも一緒に連れてく!」
と言った結果、整備兵達は死にもの狂いで修理して20人近く理矢理乗っけて脱出したそうな
3個イチだか5個イチ理矢理直したとか

なお、隊長さんは双発機の操縦は初だったらしい
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