朝原宣治とは、日本の元陸上競技者である。元100m日本記録保持者。
概要
陸上競技において100mという種目で伊東浩司とともに日本を引っ張ってきた第一人者である。
もともとはハンドボール部に所属していたが、高校から陸上競技をはじめ高校3年では走幅跳でインターハイ優勝を経験している。
後に100mに転向し、1993年には日本人初の10秒1台となる10秒19をマークし、それを皮切りに1996年10秒14、1997年には10秒0台へ突入する10秒08の3度、日本記録を更新している。
非ネグロイドが活躍することが非常に難しい100mに於いて、何度も世界に立ち向かった。
世界選手権、オリンピックでは準決勝まで進むものの決勝進出を叶えることはできなかった。
しかし、彼の活躍が後の
35歳という競技者としては高齢になったが陸上競技への情熱を燃やし続け、風邪を引いていたにもかかわらず10秒17という記録を残し、後の北京オリンピックでは大混戦の中4×100mRで念願のオリンピックメダリストになった。
このとき朝原は喜びのあまりにバトンを思い切り放り投げたが、後々発見されメンバーの手に戻ってきた。
2008年の北京オリンピック直後のスーパー陸上で惜しまれながらも現役を引退。
朝原は「選手生活の最後にこんな幸せな最後を迎えられることはそういない。本当に感謝でいっぱいです」と満場のファンに挨拶し、一緒に世界を戦ってきた仲間に胴上げされトラックを去った。
この時のセレモニーで特別ゲストとして参加したウサイン・ボルトは「36歳までこの世界で現役を続けることは、私にはできないかもしれない」と発言し、朝原の長い長い競技人生に敬意を表した。
引退後に分かった事だが、朝原には黒人などに多い短距離種目に有利な遺伝子を持っている事がわかった。
また、年齢を重ねても筋肉が衰えにくい遺伝子も持っていた。これらが長年の競技生活を支えてきたと考えられる。
大阪ガスに引き続き所属し、コーチとして江里口匡史らの指導に当たっている。
また、2010年にクラブチーム『NOBY TRACK and FIELD CLUB』を開設
最終的な競技記録としては、
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