- プロ野球選手一覧 > 木佐貫洋
木佐貫洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日-)とは、鹿児島県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
---|---|
木佐貫洋 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県川内市 |
生年月日 | 1980年5月17日 |
身長 体重 |
186cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2002年自由獲得枠 |
引退 | 2015年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
鹿児島県立川内高等学校では3年次に夏の甲子園大会で優勝した。
巨人時代
2003年に10勝を挙げ新人王に輝くも、2005年は故障により0勝に終わった。
2007年は1年間先発ローテーションを守りきり12勝を挙げたが、その後も成績は伸び悩んだ。
オリックス時代
2009年オフに高木康成とのトレードでオリックス・バファローズに移籍した。
2010年は先発ローテーションの軸として奮闘し、6月には4勝0敗で月間MVPを受賞しセ・パ交流戦優勝に貢献。3年ぶりに10勝を挙げたが、後半戦は打線の援護に恵まれず12敗と負け越した。
2011年はどうしてこうなったと言われてもおかしくないくらい負けが先行し、2勝7敗に終わった。
2012年はチームで唯一規定投球回数に到達したものの、打線の援護に恵まれず、5勝9敗に終わった。
日本ハム時代
2013年1月23日に糸井嘉男、八木智哉とのトレードで赤田将吾、大引啓次と共に北海道日本ハムファイターズに移籍。チームは最下位と低迷したが、チームトップの9勝を挙げた。
2014年はわずか5試合だった。
引退後
2016年からは古巣の巨人に戻ってスカウトに就任。2019年からは現場に戻り、ファームで投手コーチを務めた。2020年限りで退任し、フロントに戻る。
人物・その他
- 歴史学に優れている。
- 亜細亜大学時代の同期は永川勝浩(現:広島東洋カープ)で、2003年には新人王を競ったライバルだった。
- 鉄道のファンでもある。
- マメな性格で、登板時に気づいたこと等を愛用のノートに書き留めている。
- 2013年5月20日の巨人戦(交流戦)で史上12人目の12球団勝利投手となる。この日対戦した投手はかつて甲子園出場を賭けて投げ合った杉内俊哉であり、15年越しのリベンジを果たした。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#875 | 11498 | ![]() |
成績
通算投手成績
通算:12年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 214 | 179 | 21 | 5 | 62 | 72 | 10 | 0 | .463 | 1134.0 | 345 | 956 | 532 | 474 | 3.76 |
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関連項目
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