である。本記事では1.について解説する。
概要
- プロ野球選手一覧 > 木村拓也
自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。
それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。
OB | |
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木村拓也 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
生年月日 | 1972年4月14日 |
没年月日 | 2010年4月7日 |
身長 体重 |
173cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投両打 |
守備位置 | 内野手、外野手、捕手 |
プロ入り | 1990年ドラフト外 |
引退 | 2009年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2004年 |
プロ野球選手テンプレート |
高校時代は守備位置が捕手で、遠投120mの強肩、通算本塁打35本の強打者だった。本人曰く「宮崎県のお山の大将」。
1990年にドラフト外で日本ハムファイターズ(現:北海道日本ハムファイターズ)に入団。外野手も務めた。
2004年にはユーティリティープレイヤーが重宝されるという理由でアテネオリンピックの日本代表に選出された。
2009年11月7日、巨人日本一決定の日に今季限りでの現役引退を表明。巨人のコーチ就任が発表された。
2010年4月2日、対広島戦前のノック中に倒れた。病院に運ばれ、くも膜下出血と診断された。4月7日午前3時22分、意識が戻らぬまま、死去。享年37歳。
プレースタイル
投手以外の全てのポジションをこなすユーティリティープレーヤーで、ポジションが固定されていればゴールデングラブを穫れるとも言われていた。
またそのユーリティーさからか試合には常に投手用と捕手用以外すべてのポジションのグローブを持参していた(捕手用を所持していないのは、当時の巨人にはレギュラーの阿部以外に、鶴岡、加藤と捕手陣が厚かったためと思われ、下記のような出来事は本人も想定してなかったと思われる)。
あまり知られていなかったが、日本ハム入団時は捕手だった。
そのためか2009年9月4日の対ヤクルト戦で控えキャッチャーを使い果たしてしまった時には延長12回に捕手として出場し、豊田清、藤田宗一、野間口貴彦の三人をリード、この回を無得点に抑え、ファンからは「nice lead」と絶賛され、同試合で解説を勤めた山本浩二も「見てて涙が出ました」と語るほど、観る者に感動を与えた。
捕手として起用されたのは緊急と思われていることが多いが、練習でブルペンキャッチャーを引き受け投球を受けることもしばしばあり、実は捕手としても現役であったといえる。
また捕手起用について「あの時はもう自分しかないと思った」とコメントしている。
試合は3-3のまま規定により引き分け。
なお、木村が最後に公式戦で捕手を務めたのは10年前で、この日リードした三人は投手としてのタイプが全く異なる事を付け加えておく。補足だが、捕手の道具は鶴岡のものを借用した。
人物
大道典嘉と仲がよかった。
その名前と生年月日から、五十嵐亮太と共に球界のキムタクと呼ばれる(ちなみに、木村拓哉本人とも親交があり、SMAP×SMAPにゲスト出演した事もある)。
ちなみに木村拓也本人は「キムタク」と呼ばれるより、「タク」と呼ばれたいと話したことがある。
成績
通算打撃成績
通算:18年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1523 | 4487 | 4000 | 495 | 1049 | 177 | 16 | 53 | 280 | 103 | 152 | 17 | 293 | 25 | 752 | 57 | .262 | .315 |
関連動画
関連項目
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