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木田優夫(きだ まさお、1968年9月12日-)とは、東京都出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は北海道日本ハムファイターズのコーチ。
概要
北海道日本ハムファイターズ #92 二軍総合コーチ兼投手コーチ |
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木田優夫 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都国分寺市 |
生年月日 | 1968年9月12日 |
身長 体重 |
188cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1986年ドラフト1位 |
引退 | 2014年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
日本大学明誠高等学校を経て1986年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。高校時代は無名だったが、ドラフト会議直前に占い師に「もうじき全国に名前が知れ渡るだろう」と言われ、その占いは的中した。
MAX156km/hの速球派の投手(現在の巨人の日本人最速記録)として活躍し、1990年には監督推薦でオールスターに出場した。1997年オフにトレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍し、翌年抑え投手として16セーブを挙げた。
1998年オフにFA宣言し、デトロイト・タイガースに入団し、アメリカに渡る。2000年には3Aに降格し、オリックスに復帰したが、2001年に自由契約となった。2002年は腰痛の治療のためどの球団にも所属せずに過ごす。
2003年、再び渡米しロサンゼルス・ドジャーズに所属。2004年にはシアトル・マリナーズに移籍し2005年まで在籍した。
2006年に二度目の日本球界復帰。東京ヤクルトスワローズに入団し、中継ぎとして56試合に登板するなど活躍し、二度目のオールスター出場を果たす。
2010年から北海道日本ハムファイターズに移籍。2010年は5勝を挙げる活躍を見せた。
2011年オフにはメジャーに移籍したダルビッシュ有から新たなチームの顔に指名され笑いを誘ったが、2012年は1試合の登板に終わり、オフに退団。44歳にしてトライアウトを受験したが、NPB球団からオファーは無かった。
2013年からはBCリーグの石川ミリオンスターズに所属。この年すでに45歳だが、リリーフエースとして72試合のうち52登板3勝15Sと大車輪の活躍を見せ、胴上げ投手となった。
2014年には球団GMも兼任したが、同シーズンをもって引退。ちなみに前年を超えるシーズン56登板を記録している。ミリオンスターズ時代につけていた背番号12は永久欠番となった。
引退後の動向に注目されていたが古巣の日本ハムからGM補佐に就任するというまさかの発表がされた。
2019年からは日本ハムの一軍投手コーチに就任。2021年からは二軍総合コーチ兼投手コーチを務める。
人物・その他
- サイドスローでフォークを投げることができる。
- 打撃にも定評があり、1990年4月8日の試合では延長12回裏に自らサヨナラ本塁打を放って勝利投手となった。しかもこの本塁打がプロ初安打であった。
- 絵が上手く、ズームイン!!サタデーのプロ野球熱ケツ情報では、オフに「木田画伯典」を公開している。ファンからの愛称も「画伯」。
通算成績
通算:24年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB(19年) | 516 | 119 | 26 | 5 | 73 | 82 | 50 | 50 | .471 | 1269.2 | 446 | 1036 | 585 | 551 | 3.91 |
MLB(5年) | 65 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 4 | .500 | 95.2 | 39 | 68 | 66 | 62 | 5.83 |
独立リーグでの通算成績
通算:2年 | 登板 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
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BCリーグ | 108 | 0 | 6 | 4 | 21 | .600 | 105.1 | 11 | 60 | 28 | 23 | 1.97 | 1.00 |
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関連項目
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