未来予想とは、まだ見ぬ時代に思いを馳せる事である。
概要
自分の将来だけでなく、10年後、20年後はたまた100年後、こうなってるといいなあと考えたことがある人は決して少なくないだろう。
それは個々人だけにとどまった話ではなく、様々な団体がはるか先の未来を思い描いて形にしている。国民的作品である『ドラえもん』を初めとして、数々のSFや近未来ものの中でその世界を描くことは創作の1ジャンルとして立派に確立している。
しかしそれは現代に生きてる我々だけの特権ではない。過去に生きた人たちも今の我々と同じく未来に思いを馳せていたのである。この記事では歴史上における未来予想について取り上げていく。
また、高校生物で似たような言葉があるがあれは予定運命図なので勘違いなきように。
未来予想の例
ロジャー・ベーコンの『大著作』
人類が生まれた頃より、未来予想をする人はそこかしこにいたものと思われる。しかし、最初にとりあげたいのは13世紀に活躍したイングランドの神学者ロジャー・ベーコンについてである。
彼は後世より「驚嘆的博士(Doctor Mirabilis)」と呼ばれるほどのずば抜けた博学で、有識者の集うフランチェスコ修道会の中でも一際存在感を放っていた。彼の知識は当時のヨーロッパではごく一部の目にしか触れていなかったイスラムからの知見を多く得ており、当時の最先端を知る数少ない賢者であった。
しかし、あまりにも頭が切れすぎたためか、他の修道士たちを次々と論破したり議論をふっかけたりしたので修道士からの評判はすこぶる悪かった。特に当時はまるで神のごとく崇められていたアリストテレスの伝統的手法に真っ向から立ち向かって、経験に基づく手法を重視した為、多くの非難をあびることになる。
ベーコンは、神学者からの批判に反論する形で、当時の宗教界を厳しく糾弾した『哲学研究の適用』という論文を著した為、活動していたパリにおいて投獄され、その死の直前まで幽閉されることになった。
このように不遇の一生をかこったベーコンであったが、彼の博学は広く知れ渡っていた。枢機卿ギー・フーコーの知遇を得て、その知識をまとめた『小著作』と『大著作』を著し、その間に枢機卿が教皇クレメンス4世となった事でその庇護をうけることになった。彼は著作を通じて教会や学問の改革を教皇に訴え、自由な研究を行おうと思案していた。
しかし、これらに続いて『第三著作』を贈った年に教皇が帰天してしまった為、彼は間もなく上記に加え、異教(イスラム教)の考え方を広めたとして、先述したように10年にわたり投獄されることになった。
さて、そんな背景のもとにかかれた『大著作』の中身であるが、科学研究における実験の必要性と、数学的な演練の重要性を説いた点でまさに数世紀先の近世ヨーロッパの思想を先取りしてるところが驚嘆に値するべきところではあるが、この記事において注目すべきは第5部と第6部である。
第5部は光学について取り上げており、眼球の解剖とその解説を行い、それを通じて光と視覚の作用を解き明かしている。その中で凹面鏡について言及しており、将来における望遠鏡や顕微鏡発明について予測しているのである。顕微鏡の発明は16世紀末、望遠鏡は少し遅れて17世紀のはじめに発明されたものであるから、実に300年の先取りである。
第6部は更に凄いことになっており、科学研究における実験の大事さを説いているのだが、そのような手法を用いることで自動車や飛行機、汽船のようなものを発明できると著述している。13世紀の人物とは思えない想像力の豊かさだが、それから700年以上の時を超えて我々はまさにベーコンの言うような手法の積み重ねの末にそのような文明の利器の恩恵に与っているのである。
しかし、先程書いたように、これをアピールした先である教皇は間もなく帰天してしまったため、その知見が見直されることはなく、長く歴史の闇に葬られることになった。
レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿
レオナルド・ダ・ヴィンチは日本人でも多くの人が知るところとなっている、イタリア・ルネサンスを代表する万能人である。そんな彼は1478年からその死の前年に至るまで莫大な量の手稿を残しており、ヘリコプターや飛行機、自動車などのスケッチを残していた。中には現在では時計や送風機などに使われるボールベアリングの手稿も残っており、その先見性の高さには目を見張るばかりである、
あくまで設計図であり、その大半は実際に作られることはなかったものの、1506年にイタリアのチェチェリ山で自らの設計したオーニソプター(グライダーのようなもの)の滑空実験を行っているなど、実行に移されたものもある。
『百年後の日本』
明治の中盤以降、我が国では大衆文化が成熟し、様々な雑誌が刊行されるようになった。
その中の雑誌の少なくないジャンルとして百年後の未来予想があり、中でも1920年に作られた『日本及日本人』という雑誌の中の『百年後の日本』コーナーが知られている。
これはただの一般民衆の予想ではなく、菊池寛や島崎藤村など370人に及ぶ当時の知識人たちの予想を結集させた大規模なものであった。それらの意見と、未来を具現化したイラストで構成されている。
- 対面電話(当たり前だが当時の電話は声だけ)
- 自動式移動家屋(乗用車はあったが、国産キャンピングカーは戦後になってから)
- 普通選挙・婦人参政権の実現(1920年当時はまだ制限選挙の時代)
- 海そのもののような水族館(まだ美ら海水族館のような、没入できる水族館は登場していなかった)
- 東京地下の大規模な鉄道・水道・配電・通信網(日本初の地下鉄・銀座線開通は7年後の事である)
- 大阪のさらなる工業地帯化。大煙突の乱立(当時大阪は大大阪時代とよばれる繁栄の時代を遂げていた)
『20世紀の豫(預)言』
少し時代が遡るが、報知新聞が1901年に同じような未来予想を行っていた。
以下に主な予想を列挙する
- 無線電信・電話(1890年頃に全国の県庁所在地に電信が整備され、電報が盛んにうたれていた)
- 空中軍艦・砲台(ライト兄弟が有人飛行を達成したのはここから2年後のことである)
- 自動車の世(この当時はアメリカやフランスなどから持ち込まれていたが、一般にはほぼ皆無である)
- 鉄道の速達化(1889年に東京神戸間の東海道線が全通したが、約20時間かかっている。2時間半と予想されていたが、現在の東京神戸の新幹線とほぼ変わらない時間なので驚きである)
- 買物便法・写真電話(当然ながらこの時代は対面販売が主流。しかし通販は少しずつ三越など大型百貨店の肝煎りでこの時代でも普及の時代に入り始めている)
関連項目
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