本因坊道策(ほんいんぼう どうさく)とは、日本の囲碁棋士である。正保2年(1645年) 生、 元禄15年3月26日(1702年4月22日)没。幼名は三次郎、法名は日忠。
本因坊算悦、本因坊道悦門下。四世本因坊。
概要
歴代本因坊の中でも特に圧倒的な強さを持った棋士。残された棋譜からもその強さ・読みの深さを読み取る事ができ、現在まで彼は「棋聖」「碁聖」と言われ、史上最強棋士として今でも名を残している。また、囲碁の考え方を合理的に捕らえ、手割理論や道策流(現在の中国流)、さらには段級位制の確立など、彼の考えた方式は300年以上たった今でも主要な囲碁理論として君臨している。
ちなみに、段級位制は名人を9段(つまり一人)、7段を上手、その間を8段とし、以下二段で一子置く制度である。この制度は後に将棋にも取り入れられている。なお、道策は同じ時代に生きた棋士達を全て先以下に押さえ込んでしまい、道策自身が強すぎた為に「実力十三段」と言われてしまうほどだった。
棋譜
vs琉球人 親雲上濱比賀(べいちん はまひか)4子
道策は彼の腕を図るべく、ひとつイタズラをした。これが有名な「道策のハメ手」である。
vs安井算哲 (先)
映画「天地明察」で有名となった対局。主人公・安井算哲は天文学者であり、碁盤を宇宙とし、「失礼」の一言と同時に初手天元を放った。そして普通に負けた。
vs小川道的 (2子)
おそらく初の道策流の登場。つまり現在の中国流が誕生した棋譜である。棋譜を見ればお分かり頂けるとおもうが、ミニ中の進行となっている。小目へのカカリへの対策も現在の中国流の基本的な打ち方に似ている。近代になり、囲碁ライター・安永一が研究を重ね、中国囲碁界にこれを伝える。その後中国国内で相当な研究がなされ、国際棋戦で中国の棋士が団体戦で全員が同じ布石を用いた事などから 「中国流」と呼ばれるようになった。
トリビア
- 秀策は御城碁で19戦19連勝無敗という記録があるが、実は道策も黒を持ったら負けた事がない。秀策の無敗神話は彼が御城碁の成績にこだわり、2子局を拒否したりしたことによるのも事実。
- 本因坊丈和(江戸後期の名人、道策と同じく棋聖と呼ばれた)は道策と打てば最初の十戦は研究が進んでいるため五勝五敗だが、その十戦で手の内は読まれるため以後は一勝もできないだろうと答えている。
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関連項目
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