本多重次単語

ホンダシゲツグ

本多重次(ほんだ・しげつぐ 1529 ~ 1596)とは、三河の戦国武将である。徳臣。通称は作左衛門で「鬼作左」の異名を取った。めんどくさい三河武士のめんどくさいところを抽出&濃縮したような御方。

概要

徳川家康に長年仕えた重臣で、三河三奉行の一人。武芸にも通じていたが、の渾名はどちらかというとカッとなりやすい性格から来ている模様。典的な三河武士のひとり(というかキングオブ三河武士と評される)で、豊臣秀吉が人質として送った・大政所の扱いを巡ってトラブルを起こした話は有名。そのためか晩年は居させられたが、子孫は大名として取り立てられた(でも後に易された)。

生涯

本多重正の子。三河の数ある本多氏の中では、本多忠勝系から分かれたにあたり、本多正信系とはかなり遠い関係。

徳川家康松平元康)の今川臣時代から仕える古参の臣であり、初陣にも同行している。本人の性格もあって、家康に対しても遠慮のない諫言を多くしたが、厚い信頼関係で結ばれていたと言える。後年に武田を滅ぼした際、武田で釜茹で刑に用いられていた大釜を家康が発見し、浜松に持ち帰るように命するのだが、それをみた作左は独断で釜を破壊してしまう。作左「こんな釜が必要とされる世ではダメだ!」との理由であったが、家康は怒るどころか作左に謝罪・感謝している。なんだこの関係。

カッとなりやすい性格に加え、度重なる戦で全身は傷だらけ・片を失うなど子供が見たら泣きそうなスカフェイスの持ちであったが、意外にも(失礼)行政手腕に優れていて、三河三奉行の一人に数えられる。むしろスカッと明快、依怙贔屓や温情のないズバズバとした裁定の数々が好評を得ることになる。ちなみに他二名はこと温厚・寛大な高清長と、「どちへんなきの三郎兵衛こと慎重な見極めを行う天野というメンバーで、上手くバランスが取れていたようだ。

まもらねば さくざがしかる

三奉行が民衆に法を守るよう伝えるためにはどーしたもんかなーと悩んだ結果、作左が高札に書いたという言葉。単に厳しいだけではなく、民百姓の心もよく分かってるのが作左という男である。

一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 肥やせ

上記は長篠の戦いを前に、実家に向けて送ったという有名な日本一短い手紙。「お仙」は当時4歳の息子・のちの本多成重の事。いかにもな作左らしい、余計な物をき切った文章であり、後世、武士とはかくあるべしという見本の一つとされた。

そんな良くも悪くも三河武士ソウルに満ち溢れていた作左であったが、それ故に本能寺の変を過ぎた頃になると移り変わる世の中についていけなくなる部分が立ち始める。特に豊臣秀吉の存在は煙たがっており、小牧長久手の戦いの後、徳豊臣との和豊臣への臣従)を巡るやりとりでは何度かトラブルを起こしている。

特に有名なのが家康の際、人質として預かっていた秀吉・大政所の世話役を任されたにも拘わらず、大政所の居所の周囲にを積み上げて「何かあったらいつでも殺れるからな!」と言ってのけた話だろう。まあ…人質である以上、何かあればそうなる運命なのだが、すでに秀吉下人。下手に機嫌を損ねれば家康の身に危機が迫ったかもしれない訳で…。それを知った秀吉は「あんな追放しろ!」と家康に文句を言っている。そりゃそうだ。

他にも結城秀康と共に豊臣への人質に出された一人息子をこっそり甥と差し替えたり、小田原征伐後に岡崎に立ち寄ろうとした秀吉ガン視したり、とまあ逸話には事欠かない。

そうした事もあり、徳関東移封後は居処分とされ、1596年、徳下を見ることなくこの世を去った。享年68

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける本多重次の力一覧。

顔グラは見事に傷だらけ。内政は一流とまではいかないが高め、活動期間の長さもあって使いやすい。知略は低い。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 58 戦闘 60 智謀 23 政治 76 野望 34
天翔記 戦才 智才 政才 野望
将星 戦闘 59 智謀 43 政治 71
烈風 采配 52 戦闘 52 智謀 29 政治 68
世記 采配 49 智謀 20 政治 59 野望 47
蒼天 統率 45 知略 24 政治 63
下創世 統率 59 知略 24 政治 64 教養 37
革新 統率 66 武勇 60 知略 27 政治 72
統率 60 武勇 70 知略 27 政治 72
創造 統率 59 武勇 66 知略 40 政治 70

関連項目

【スポンサーリンク】

スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%87%8D%E6%AC%A1

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

本多重次

1 ななしのよっしん
2013/01/04(金) 19:44:41 ID: 7DtwQ0GTep
作左が叱るぞ
>>az4840133921exit_nicoichiba
2 ななしのよっしん
2016/01/11(月) 16:22:58 ID: Ggwip8a6HZ
家康をキリキリさせる三河武士の鑑
3 ななしのよっしん
2016/01/14(木) 16:05:50 ID: /ekvKG34Zg
家康息子の信康付の重臣だったが、信康事件が起こる前に旗本先手役に転任して岡崎から離れた
そうしてなかったらあの事件で信康を裏切らず失脚するか(榊原清政)、
家康に味方して信康を処分する嫌な役割を引き受けてたかもしれない(大久保忠世
4 ななしのよっしん
2016/02/09(火) 23:45:20 ID: 0hq/wMy+ON
>>まもらねば さくざがしかる
これは守らないと殺されるやつですわ…(実際には殺さんだろうけど)
顔面も含めて全員傷だらけの上に潰れた右眼帯もせずにしてたらしいな
スカフェイス実在したんや…
でもガンターにはなれないな…
5 ななしのよっしん
2016/03/07(月) 02:23:40 ID: 8TPubZTp0l
君にうるさくて諫めまくったのはまあ美談だけど
人質をいつでも殺せるぞアピール全にやりすぎと言うか居どころか子孫が易されたのも納得の所業だと思う
これに関しては性格がめんどくさいじゃ済まされんぞ・・・
6 ななしのよっしん
2016/05/25(水) 07:51:02 ID: mZsmbS+p1+
大政所をビビらせまくった結果
世話役の片割れ井伊直政の方に大政所側の信頼が集まったらしいな

直政直政
家康様がされた時にっ先に切り殺す女達の顔が覚えられて便利)
とか考えてたわけだけど
7 ななしのよっしん
2018/01/02(火) 02:24:45 ID: R5QoIfV+Aa
信長の野望では知謀だけ低いという他にあまり見ないタイプステータス
8 ななしのよっしん
2018/02/07(水) 23:56:04 ID: YUkHnzuj7H
いい意味で悪い意味でっ正直な人だから
知謀のが低いのはむしろ作左さんの誇りとするところじゃないかと思う
古典時代小説山岡荘八「徳川家康」では前半のヒロインの役回りだな
9 ななしのよっしん
2018/02/25(日) 10:50:54 ID: 7c4B0nRX5r
>>8
今その辺(26巻中8巻まで)を読んでいるけど確かにそれで好きになった