- プロ野球選手一覧 > 李大浩
李大浩(イ・デホ、1982年6月21日-)とは、韓国出身の元プロ野球選手(一塁手)である。
概要
OB | |
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李大浩 Dae-Ho Lee |
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基本情報 | |
国籍 | 韓国 |
出身地 | 釜山広域市 |
生年月日 | 1982年6月21日 |
身長 体重 |
194cm 130kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 一塁手 |
プロ入り | 2000年 |
引退 | 2022年 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 韓国 |
五輪 | 2008年 |
WBC | 2009年、2013年、2017年 |
プレミア12 | 2015年 |
プロ野球選手テンプレート |
2000年にロッテ・ジャイアンツに入団。当初は投手だったが、肩を痛めたことにより、野手に転向。
2004年から頭角を現し、2006年には打撃三冠王を獲得。2007年には推定距離150mの場外ホームランを放っている。
2008年には北京五輪に出場し金メダルに貢献、2009年には第2回WBCに出場する。
2010年には世界記録となる9試合連続本塁打を達成。自身初のシーズン40本塁打と、2度目の三冠王も達成する。
2011年オフにFAとなり、オリックス・バファローズと2年契約を結んだ。
オリックス時代
背番号はロッテ時代の10か、育ての親である祖母の名前にちなむ52を希望していたが、両方とも大引啓次とアーロム・バルディリスと主力の背番号だったため、52を逆にした25に決まった。
2012年は開幕当初こそなかなか打球が上がらず苦しんだが、4月21日に来日第1号を放ってからは徐々に対応。5月には打率.322、8本塁打で月間MVPを受賞した。7月頃には三冠王も射程圏内だったが、後半は打率が伸び悩んだ。それでも主力の故障や不振でチームが最下位に沈む中、怪我もなく144試合全てに4番で出場。打率.286、24本塁打(リーグ2位)、91打点で打点王のタイトルを獲得。選球眼も良く64四球はリーグ3位、出塁率.368はリーグ4位。OPS.846は堂々のリーグ1位で、韓国三冠王の実力を遺憾なく発揮した。
2013年はキャンプ前に背番号10の大引啓次がトレードで移籍したため、韓国時代に背負っていた背番号10に変更。2013年もオリックスの4番として打率.303、24本塁打、91打点と活躍したが、オフにはオリックスとの交渉が決裂し退団。12月24日に福岡ソフトバンクホークスへの移籍が発表された。
ソフトバンク時代
2014年は全試合に4番として出場。得点圏打率.244、68打点とクラッチヒッターとしてはやや期待に背いたが、打率.300、19本塁打をマークして4番の呪いを引き受けつつ好成績を残し、優勝と日本一に貢献した。
2015年は5番に定着。日本キャリアハイの31本塁打、98打点をマークし、2年連続の優勝に貢献。
日本シリーズでは肋骨の骨折で離脱した内川聖一に代わって4番に座り、第2戦では決勝2ラン、第4戦では4打点。第5戦でも先制2ランと大暴れを見せ、シリーズ5試合で16打数8安打2本塁打8打点、打率.500という活躍でシリーズMVPを獲得した。
プレミア12では4番打者として全試合に出場。日本戦で逆転タイムリーを放った。
海外時代
2016年にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、3月27日にメジャー25人枠入りした。背番号は56。4月4日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビューし、4月13日のレンジャーズ戦でサヨナラホームランを記録した。序盤こそ好調だったがオールスター後は成績が急降下し、マイナー落ちも経験。107試合の出場で打率.253、14本塁打、49打点とやや期待外れに終わった。
韓国球界時代(第2期)
2017年1月24日に古巣のロッテ・ジャイアンツと4年契約を結んだ。2011年以来の復帰となる。
2017年はシーズン開幕前にWBCに出場したが振るわず、1次リーグ敗退となる。しかしペナントレースでは復調し、オールスターゲームにも選出。打高だったとはいえ34本塁打をマークした。2018年は更に成績を上げ打率.333・37本・125打点を記録したが、この年も打高だったため無冠に終わった。
その後は衰えが進み2019年には二軍落ちも経験。2021年はKBOでは2003年以来最少となる114試合の出場に留まったが、10月1日にKBO通算2000安打を達成。頼れるベテランスラッガーとして20本前後のホームランを維持し続けた。
2020年オフに2年契約を結んだが、この時本契約限り(2022年)での現役引退を表明。2021年オフにも改めて2022年限りでの引退を表明した。
2022年は開幕から好調で、ホセ・ピレラ(元広島)等と首位打者争いを演じる。ラストイヤーにして打撃フォームの改造に着手し、ヒットを量産。最終的に無冠に終わったが、打率.331・179安打・23本・101打点と40歳とは思えない好成績を残した。ただし26併殺打は自己ワーストとなった。
10月8日のペナント最終戦が引退試合となり、試合前には青木宣親から花束が贈られた。試合では初回に先制タイムリーツーベースを放つと、8回にはプロ初登板。元投手の経歴がやっと活かされた。試合後にはセレモニーが行われ、日本からはT-岡田・工藤公康・松田宣浩がビデオメッセージを送った。
ロッテ・ジャイアンツは功績を称え、背番号10を永久欠番に指定した。
プレースタイル・人物
194cm、130kgの巨体から柔軟なバッティングを繰り出し、広角に打ち分ける巧打者。どちらかといえばパワーのあるアベレージヒッタータイプである。韓国でレギュラーとなった2004年以降、大きな故障とは無縁の頑丈さも売り。
その巨体ゆえ極度の鈍足で、フェンス直撃の当たりがシングルヒットになってしまうこともしばしば。普通の内野ゴロで一塁に送球されたときにまだ画面にいないということが多い。とはいえ走塁意識は高く、ここぞの場面では巨体を揺らして激走を見せる。でも遅い。
打席に集中できるという理由で指名打者での出場が多いが、一塁では安定感のある守備を見せる。守備範囲こそ広くはないが、ファインプレーもしばしば見せ、また的が大きいため他の内野手からは投げやすいようだ(2014年のCSではエラーでイップスになりかけた今宮健太を支えている)。打球を飛びついて捕球したあと、座ったまま一塁に送球する姿はテディベアかくまのプーさんのようだとファンから言われる。
的の大きさを買われてか、2021年5月8日のサムスン戦では最終回に捕手として出場した。これはチームが呉昇桓を打ち崩し逆転に成功したが、その過程で捕手を全員使い切ってしまったためである。一打サヨナラのピンチを招いたが何とか無失点で乗り切り、チームの勝利に貢献した。
ちなみに若い頃は今の姿からは想像もつかないほど痩せていてイケメンである。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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オリックス | 李承燁#32 | 7023 | |
ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#932 | 11673 |
通算打撃成績
通算:22年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
KBO:17年 | 1971 | 8128 | 7118 | 972 | 2199 | 331 | 6 | 374 | 1425 | 11 | 8 | 77 | 745 | 180 | 1025 | 239 | .309 | .385 |
NPB:4年 | 570 | 2403 | 2122 | 242 | 622 | 112 | 2 | 98 | 348 | 0 | 0 | 13 | 236 | 32 | 371 | 73 | .293 | .370 |
MLB:1年 | 107 | 317 | 292 | 33 | 74 | 9 | 0 | 14 | 49 | 0 | 0 | 0 | 20 | 5 | 74 | 8 | .253 | .312 |
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関連項目
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