- プロ野球選手一覧 > 村田善則
村田善則(むらた よしのり、1974年4月24日-)とは、長崎県出身の元プロ野球選手(捕手)である。
概要
読売ジャイアンツ #74 総合コーチ |
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村田善則 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 長崎県佐世保市 |
生年月日 | 1974年4月24日 |
身長 体重 |
176cm 79kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1992年ドラフト5位 |
引退 | 2008年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
佐世保実業高等学校では4番打者として起用されるだけでなく、主将も任されるなど、チームの大黒柱として活躍。3年時には夏の甲子園大会に出場したが、2回戦で敗退した。
1992年ドラフトドラフト5位で読売ジャイアンツに入団した。同期入団には、「ゴジラ」の異名を持ち、ドラフトの目玉として注目されていた松井秀喜をはじめ、中継ぎ投手として活躍する西山一宇、木村龍治らがいた。
巨人時代
入団から2年間は1軍出場はなかった。
1995年、フレッシュオールスターゲームに出場するなど着実に実力をつけていき、同年一軍デビューを果たした。
ただ、当時の巨人には、村田真一をはじめ捕手の層が厚く、なかなか一軍に定着できないシーズンが続いていた。
1999年、2・3番手捕手を争っていた選手の移籍に加え、村田真一が顔面骨折で長期離脱した事から、一軍に昇格すると、安定感のある活躍を見せ、一軍に定着。澤崎俊和からプロ初本塁打を放った試合では、同期入団の松井がサヨナラ犠飛を放ち、同期の二人でお立ち台に立った。同年は打率.236、1本塁打、4打点を記録。
2000年、攻守で精彩を欠いていた村田真一と併用され、76試合に出場。打率.268、3本塁打、13打点を記録しせリーグ制覇に貢献。日本シリーズでも好リードを披露し、日本一にも貢献。来季以降、村田に代わる正捕手として期待されていた。2000年のドラフト会議にて、ドラフトの目玉であった阿部慎之助が1位で入団。以降、村田は2番手捕手として、まだまだ未熟であった阿部をサポートする役割を与えられた。
以降は阿部の一本立ちや、若手捕手たちの台頭もあり、毎年30試合前後の出場にとどまったが、出場した試合では、ベテランらしい味のある活躍を見せ、チームを影から支えてた。
2008年、3試合の出場に終わり、同年限りで現役を引退。引退試合では、かつての同僚である木田優夫と対戦。結果はレフトフライだったが、会場全体から温かい拍手が送られた。
引退後
巨人のスコアラーに就任した後、2016年にバッテリーコーチに就任。2024年は総合コーチとして指導にあたる。また、2015年に侍ジャパンのスコアラーに就任した後、2016年にバッテリーコーチに就任。日本代表の戦いを支えている。
人物・エピソード
控え中心の起用ながら、出場時には巧みなリードとキャッチングで投手陣を支えた名脇役。
工藤公康や高橋尚成らとは相性が良く、バッテリーを組むことも多かった。
指導者としては、指導力だけでなく分析力に定評があり、WBCなどの国際舞台で普段対戦経験のない海外の選手相手にもその能力が生かされているようである。
成績
通算打撃成績
通算:13年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 302 | 686 | 620 | 47 | 132 | 20 | 1 | 6 | 43 | 1 | 15 | 3 | 34 | 14 | 121 | 21 | .213 | .268 |
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関連項目
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