杜氏とは、下記の事物を指す。
- 酒を作る職人。また、その長。「とうじ」あるいは「とじ」と読む。
- 中国史に登場する皇妃。東晋の成帝の皇后(杜預の曾孫の杜陵陽)、後趙の石虎の皇后(杜珠)、明の世宗嘉靖帝の皇后(子の穆宗隆慶帝によって皇后位を追贈)など。
- 三国志に登場する女性。
ここでは、3について説明する。
概要
呂布の配下に秦宜禄という人物がいた。呂布が下邳(江蘇省徐州市)で曹操に包囲されると秦宜禄は袁術の元へ救援要請に向かったが、袁術により漢王朝の血を引く女性と結婚させられる。
秦宜禄の前妻だった杜氏は子の秦朗と共に下邳に留まったままだったが、下邳が陥落すると劉備配下の関羽が曹操に杜氏を娶りたいと願い出た。曹操は一度は了承したが、もしかして彼女は美人ではないかと思い、はたしてそうだと知るとこれを自分のものにしてしまった。後に関羽は一時的に曹操に仕えるがすぐ劉備の元に舞い戻っているが、このことを根に持っていたどうかは定かではない。
その後
杜氏はその後曹操の側室となり、息子の秦朗も曹操に養われることとなり、秦朗は歴代の君主の寵愛を受け権勢を振るうことになった。また、曹操と杜氏との子は二男一女が記録されており、男子の一人曹林が沛王となっているので沛王太妃とも呼ばれる。
正史には青龍3年(235年)にもう一人の男子曹袞が死の床についた時に太妃と曹林が見舞いに来たとあるので、杜氏はその頃まで存命していたと思われる。
秦宜禄のほうだが、呂布が滅んだ後は曹操に仕え銍県(安徽省淮北市)の県長をしていた。徐州を治めていた劉備が曹操に反旗を翻すと、劉備配下の張飛が秦宜禄の元にやって来て「妻を奪った男の下で県長をしているとは愚かしいことだ。俺について来ないか」と誘った。秦宜禄は数里同行したものの後悔して帰りたいと願ったので、張飛はこれを殺してしまった。
家族
各メディアにおける杜氏
三国志大戦
Ver3.59で登場。小封印の舞いを持っている。
それにしてもグラデザがどこかで見たような気が…
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関連項目
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