東武8000系8111Fとは、東武8000系電車のうち、最後まで「東武顔」や「丸目」と呼ばれた原型の前面形状を残した編成であり、動態保存車である。所有は「東武博物館」。なお、本記事では「東武顔」に統一して解説する。
概要
この編成は1963年11月に、日本車輌で落成し、川越電車区に配属された。製造当初は先頭車貫通路にサボ受け、運転台窓左下に通風口、屋根にはマーカーランプ(通過標識灯)がついており、パンタグラフは菱形パンタが使われていた。塗装はロイヤルベージュにインターナショナルオレンジのラインを入れたツートンカラーであった。車内は黄色い内装に緑色の床、シートの色はコロラドオレンジ。非冷房、4両で落成した。初期車の特徴は側窓の隅が丸く、さらに先頭車のステップの位置も違っていた。標準タイプは両端に設置されているが、8111Fは両方のクハ、両側とも中央寄りに設けられている。これは、日本車輌製・1966年以前製・東上線に新製配置、この三点を満たした編成にのみ見られる、珍しい特徴である。
1971年3月、滑川村(現在の滑川町)に開設された、森林公園検修区に転属。同年12月、編成中に富士重工製のサハ8711と、モハ8811が入れられ6両化された。この2両だけ製造メーカーが違うことや、6号車の車番がクハ8411になっているのは、こうした経緯があるからである。こんなところからも4両時代を垣間見ることができる。
その後、塗装がセイジクリーム一色になり、1977年、冷房化改造が施され、冷房装置が搭載された。この時、冷房装置を設置するスペースを確保するために、パンタグラフが下枠交差型パンタに交換された。
1986年、修繕工事が施された。主な内容は、通風口、マーカーランプの撤去など。床も茶色い物に張り替えられ、内装も白系に、シートも緑色になった。この頃には、現在でも8000系の標準塗装になっているジャスミンホワイトを基調に前面がロイヤルブルー、側面がロイヤルブルー2本とリフレッシュブルー1本を施した塗装に塗り変えられている。後に妻面はジャスミンホワイト1色としている。1987年から修繕された編成からは、前面が6050系に準じた物に改造されてしまったため、東武顔で修繕を受けたのはわずか8編成だけだった。前面改造車では、ステップの特徴も失われてしまった。
1988年頃にサボ受けが撤去されてからは、殆ど変化無く2011年まで走り続けることになる。
そして2011年、8111Fはいつしか最後の東武顔車となっていた。仲間の7編成が廃車されてしまったからである。修繕工事を受けていない未修繕車も、最終的に3編成残っていたのだが、2008年に全車廃車されてしまった。 運転台が狭く、2011年6月末が期限のデッドマン装置、運転状況記録装置も設置できず、引退が決定した。6月21日、クハ8111の正面貫通扉にサボ受けが再設置され、28日にはサボ型のヘッドマークが、29日には逆台形型のヘッドマークが設置された。予定では29日で引退だったが、30日も運用に入り、引退した。30日も29日と同様の逆台形型のヘッドマークをつけている。引退後は森林公園検修区に留置され、誰もが廃車されてしまうと思っていたのであったが…
このニュースは人々を大騒ぎさせた。なんと、東武博物館が東武鉄道から8111Fを6両まるごと買い取り、動態保存することになったのである。8111Fは春日部支所に回送され、塗装をツートンカラーに戻され、床も緑色に、内装もドアの部分が黄色に戻された。 クハ8411側にもサボ受けが再設置され、マーカーランプも再設置された。なお、リバイバルは2004年に8108F(廃車済み)で行われているが、このときはダミーのランプで点灯はできなかった。しかし8111Fでは、なんと、本物が設置された。このマーカーランプは、当時撤去したものを大切に保管していたものの再装備である。デッドマン装置や運転記録装置も、頑張って設置してもらった。なお、車籍は「東武博物館所有で、春日部支所に転属」となった。
その後、大宮駅からとうきょうスカイツリー駅までを結ぶ臨時列車として運転され、野田線と伊勢崎線を走行した。
後日、上述した運転台窓下の通風口(の蓋・ダミー)も設けられ、落成当初の正面スタイルに限りなく近く忠実に復元された。
さらに「東武東上線森林公園ファミリーイベント2012」では、マーカーランプの点灯展示が実施された。
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