松国ローテとは、競馬ファン用語の一つ。NHKマイルカップから東京優駿へ挑む3歳競走馬の出走ローテーションを指す。
「松国」とは、このローテに強くこだわった調教師・松田国英の名に由来する。
概要
3歳の競走馬のみが出走できる世代限定戦のGI競走は7つ存在する。以下の表はその開催準リストで、開催日は記載された期間内におけるその年の日曜日となる。距離の後ろの()内の距離区分については大まかなものであることを念頭においてほしい(SMILE区分に基づく分類などではまた異なる表記になる)。
開催日 | 競走名 | 性別 | 競馬場 | 距離 |
---|---|---|---|---|
4月7日~13日 | 桜花賞 | 牝 | 阪神競馬場 | 1600m(マイル) |
4月14日~20日 | 皐月賞 | 牡・牝 | 中山競馬場 | 2000m(中距離) |
5月5日~11日 | NHKマイルカップ | 牡・牝 | 東京競馬場 | 1600m(マイル) |
5月19日~25日 | 優駿牝馬 | 牝 | 東京競馬場 | 2400m(中距離) |
5月26日~6月1日 | 東京優駿 | 牡・牝 | 東京競馬場 | 2400m(中距離) |
10月13日~19日 | 秋華賞 | 牝 | 京都競馬場 | 2000m(中距離) |
10月20日~26日 | 菊花賞 | 牡・牝 | 京都競馬場 | 3000m(長距離) |
これらの3歳GⅠは繁殖馬選定のためのレースとされている(なので去勢された騸馬は出走できない)。牡馬の競走馬は優秀な成績を残して種牡馬になることが最大の目標だが、優秀な種牡馬は既にいくらでもいるわけで、できれば種牡馬としての価値が高まる結果=GⅠ級競走での勝利という成果を出したいわけだ。
競走馬にはそれぞれ、距離の得意不得意というものがある。1200mの短距離と3200mの超長距離競走において求められるスピードとスタミナは違う。故に複数の距離別競走を制する馬は、幅広いレースに対応できる馬としてそれだけで評価される。
流石に短距離と超長距離を制するのは現実的でないとして、まだ現実的なのがマイルと中距離の2階級制覇だ。2階級のGIを制すれば、その馬の産駒もマイルから中距離まで幅広い活躍が期待できるはず。種牡馬としてその価値は一気に上がるだろう。
また、安定した種牡馬生活を送るためには、できる限り早期に引退させたほうが良い。年を重ねるにつれて生殖能力は落ち、繁殖に関わる期間は短くなる。ならば、ほとんどの競走馬がデビューから1年になる東京優駿の時点で実績をあげるのがよいタイミングになる。そういう考えで組まれたローテーションが松国ローテである。
実際、日本がクラシック三冠を制定する際に参考にした本場イギリスの三冠競走は、第1戦の2000ギニーステークスはニューマーケット競馬場8ハロン(1609.344m)、第2戦のダービーステークスはエプソム競馬場12ハロン6ヤード(2419.5024m)であるため、皐月賞→東京優駿の2000m→2400mよりも、NHKマイルカップ→東京優駿の1600m→2400mの方が原典に沿っていることになる。松田調教師も2000ギニーからダービーのローテーションを念頭に置いているとテレビ番組で発言している。
なお、当然ではあるがこのローテ構想自体は松田調教師の専売特許ではなく、様々な厩舎が実行している。それでも「松国ローテ」として名が残っているのは、やはり松田厩舎の担当馬たちがこのローテで様々な悲喜こもごもを体現しているからであろう。
問題点
このローテには以下の問題が存在する。
- そもそも1600mと2400mの両方を走れる競走馬はそれほど多くない
- NHKマイルカップと東京優駿のインターバルは3週間(中2週)しかない。競走馬が十分な回復が取れない場合が多い
- NHKマイルカップと東京優駿で勝利を狙えるレベルの馬は皐月賞の制覇も視野に入るため、全部出ると2000mの皐月賞→中2週で1600mのNHKマイルカップ→中2週で2400mの東京優駿という極めて過酷なローテとなる
これらの問題を乗り越えられたとして、その後の競走寿命を大きく削ることになってしまうことは想像に難くない。実際、このローテで結果を出した馬の多くが屈腱炎で早期引退や長期休養を余儀なくされている。
実際の出走例
クロフネ(2001年)
松田国英厩舎でこのローテに挑んだ馬の中で、最初に有名になったのは2001年のクロフネである。彼は3歳の春、以下のローテーションを進んだ。
その後、どうなったかというと、神戸新聞杯3着を取ったあと、天皇賞(秋)を目指したがアグネスデジタルの横槍により出走除外。仕方なく出走したダート戦の武蔵野ステークスを圧勝してダート適性を見出され。続くジャパンカップダートも圧勝したが、そこで屈腱炎を発症し無念のリタイアとなった。
その後の種牡馬としての活躍は言うまでもないだろう(ホエールキャプチャ、ソダシ、アップトゥデイト、アエロリット、カレンチャン、スリープレスナイト、フサイチリシャール、クラリティスカイなど)。
タニノギムレット(2002年)
次は2002年のタニノギムレットである。彼の3歳春のローテーションは以下の通り。
- 1月14日 シンザン記念(1600m) 1着
- 2月23日 アーリントンカップ(1600m) 1着
- 3月17日 スプリングステークス(1800m) 1着
- 4月14日 皐月賞 3着(勝ち馬:ノーリーズン)
- 5月4日 NHKマイルカップ 3着(勝ち馬:テレグノシス)
- 5月26日 東京優駿 1着
日本ダービー後、放牧中に屈腱炎を発症し無念のリタイアとなった。その後、種牡馬としてウオッカを輩出した。
キングカメハメハ(2004年)
このローテを完遂し、NHKマイル~日本ダービーのどちらも1着になった代表馬は2004年のキングカメハメハである。3歳春のローテーションは以下の通り。
だが、その代償は大きく、神戸新聞杯で1着になったものの屈腱炎で無念のリタイアとなった。
その後の種牡馬としての活躍は圧倒的であり、日本にキングマンボ系を定着させる極めて強い原動力となった。ホッコータルマエ・レイデオロ・ラブリーデイ・ローズキングダム・ロードカナロア・チュウワウィザード・アパパネ・ルーラーシップ・ドゥラメンテ・レッツゴードンキ・ミッキーロケット・ベルシャザール・リオンディーズなど、錚々たる産駒たちの名を見れば、種牡馬として大成功したという事実は揺るぎないだろう。
ディープスカイ(2008年)
松田厩舎以外でのNHKマイル~日本ダービーのローテ実行の代表格としては、2008年のディープスカイ(昆貢厩舎)であろう。彼の3歳春のローテは以下の通りであった。
- 1月13日 3歳未勝利(2000m) 9着
- 1月26日 3歳未勝利(1800m) 1着
- 2月17日 3歳500万下(1600m) 2着
- 3月1日 アーリントンカップ(1600m) 3着
- 3月29日 毎日杯(1800m) 1着
- 5月11日 NHKマイルカップ 1着
- 6月1日 東京優駿 1着
その後勝てたのは神戸新聞杯のみであり、1歳上の2007年クラシック世代に泣かされて3着→2着→2着→2着→3着と勝ちきれない日々を送り(大接戦ドゴーンとか、緑のターフが銀幕に変わったとか)、4歳で屈腱炎を発症、無念のリタイアとなった。産駒の成績は上記3頭に比べるとあんまりパッとしなかったが、キョウエイギア・サウンドスカイとダートで世代GⅠ級勝ち馬を2頭輩出した。
なお、上記のディープスカイと同年には、松田厩舎からもブラックシェルが松国ローテに挑んだ(皐月賞6着→NHKマイルカップ2着→東京優駿3着)。その後、神戸新聞杯2着のあと屈腱炎で引退。重賞を勝てなかったため、こちらは種牡馬にはなれなかった。
その他の例
歴代のNHKマイルカップ勝ち馬で、次走で東京優駿に出走したのは上記のクロフネ、キングカメハメハ、ディープスカイの他には、テレグノシス(2002年)、ロジック(2006年)、ジョーカプチーノ(2009年)、マイネルホウオウ(2013年)の4頭がいる(出走取消を含めるとダノンシャンティが加わる)。
このうち、ロジックはこの後2度の長期休養に加え戦績も全く振るわず。ジョーカプチーノとマイネルホウオウは東京優駿のあと脚部不安や屈腱炎で1年以上の休養を余儀なくされ、無事だったと言えるのはテレグノシスだけである。
また、日本ダービー馬で前走がNHKマイルカップだったのは、上記のタニノギムレット、キングカメハメハ、ディープスカイの3頭のみである。
ディープスカイの昆貢厩舎はその前年(2007年)にもローレルゲレイロが松国ローテ(シンザン記念3着→アーリントンカップ2着→皐月賞6着→NHKマイルカップ2着→東京優駿13着)を走っている。ローレルゲレイロは屈腱炎に悩まされることはなく、骨折はあったものの無事に復帰して6歳まで現役を全うし、スプリンターとして活躍。2009年に高松宮記念とスプリンターズステークスの春秋スプリント連覇を果たしたが、種牡馬としてはパッとしなかった。
牝馬で松国ローテに近いローテを走って結果を出した例としては、上述のローレルゲレイロと同年、2007年のピンクカメオ(国枝栄厩舎)がいる。桜花賞14着のあと、金子真人オーナーの強い要望でNHKマイルカップに挑み、ブービー17番人気で1着。そして中1週で優駿牝馬(オークス)に挑んで5着と健闘。こちらも屈腱炎になることはなく、5歳まで走り骨折で引退した。牝馬のNHKマイルカップ勝ち馬は5頭いるが、次走で優駿牝馬に向かったのはピンクカメオのみである。
松田調教師は「たとえ引退が早くなっても種牡馬価値を上げた方が馬のため」という考え方からこのローテを走らせていたが、2010年のダノンシャンティがNHKマイルカップを勝利したあと、東京優駿の前日に骨折で出走取り消しになって以降はこのローテをやらなくなった。
NHKマイルカップと東京優駿のどちらかの勝ち馬でこのローテを走ったのは2013年のマイネルホウオウが最後。2017年ぐらいまでは年に3頭ぐらいこのローテを走る馬がいたが、総じて前走NHKマイルカップ組のダービー成績は振るわず、2018年以降はめっきり見なくなった。
2022年にはマテンロウオリオンがNHKマイルカップ2着から東京優駿へ挑んだが、17着に沈んだ(そもそも彼はダービーまで1600mよりも長いレースを走ったことがなかったし……)。なお厩舎は上記のディープスカイ・ローレルゲレイロと同じ昆貢厩舎である。
フィクションでの松国ローテ
みどりのマキバオー
競馬もののフィクションで松国ローテを走った代表的な競走馬といえば、漫画『みどりのマキバオー』のカスケードだろう。
カスケードは4歳(現3歳)春に無敗で皐月賞1着→NHKマイルカップ1着→東京優駿1着(ミドリマキバオーと同着)というGⅠ3連勝を達成(正確には旧3歳時に朝日杯3歳Sも勝っているので4連勝)。作中の舞台は1996年であり、NHKマイルカップは同年の創設であるため初代王者ということになる。
上記の通り、現実にこの3レースを3連勝した競走馬は2023年現在、まだ存在しない。というか、NHKマイルカップに出走した皐月賞馬は過去1頭も存在しない。
なお、カスケードはその後フランス遠征し凱旋門賞に挑んだが屈腱炎……ではなくマリー病を発症して敗れ、帰国して有馬記念を敗れて現役を引退した。
カスケードのモデルは4戦4勝で皐月賞前に引退した「幻の三冠馬」フジキセキであり、そもそも『マキバオー』の連載はクロフネが挑む以前のため、松国ローテという言葉もなかったのだが、現実に先んじて松国ローテに挑んだカスケードの短い競走生活は、その後の現実で松国ローテに挑んだ馬たちの運命を予言していたのかもしれない……(ちなみにカスケードも種牡馬として成功している)。
なお、一部では皐月賞→NHKマイルカップ→東京優駿のローテを「カスケードローテ」と呼ぶこともある。
ウマ娘 プリティーダービー
競走馬の女性擬人化メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』では、スペシャルウィークの1998年~1999年の競走生活をベースにしたアニメSeason1にて、エルコンドルパサーが松国ローテを走っている。
史実では外国産馬であったためNHKマイルカップを勝ったエルコンドルパサーは日本ダービーには出られなかったが、『ウマ娘』の世界ではその制限がないため、日本ダービーでスペシャルウィークと対決するというif展開が実現。結果は『みどりのマキバオー』の日本ダービーにおけるカスケードvsミドリマキバオーと同じ1着同着であった。
ゲームでは優駿牝馬や葵ステークス(どちらも日本ダービーと同じターン)が目標に指定されているウマ娘でない限り(加えて目標レースの概念がない育成シナリオでは誰でも)自由にこのローテに挑戦できるが、その中でエルコンドルパサーはアニメと同様、NHKマイルカップと日本ダービーがともに育成目標に指定されており、強制的に松国ローテを走ることになる。
史実で松国ローテを走った馬ではタニノギムレットがウマ娘化されており、こちらはキャラクター設定の段階で「マイルを統べる“疾さ”と中距離を制する“強さ”に対し非常に強いこだわりを持っており」という明らかに松国ローテを意識した設定が為されている。
2023年3月に同期のシンボリクリスエスが育成実装されると、その育成シナリオ内でこのローテが「MCローテ」として言及された。「MC」はシナリオ内での言及からして「マイル・クラシックディスタンス」の略だが、やや強引に解釈すれば「松国(Matsu CuniもしくはMatsu Country)」にもかかっている。
その後、2023年5月にギムレットも育成実装され、しっかり皐月賞・NHKマイルカップ・東京優駿の3レース(に加えて前哨戦としてシンザン記念)が育成目標に指定(実装ウマ娘では初)。この「MCローテ」を軸に物語が進み、かつ史実でのダービー後の故障の再現としてクラシック級6月のレース出走不可という制限がかかるイベントが発生する。
NHK杯(ダービートライアル)時代
NHKマイルカップが創設されたのは1996年のことだが、1995年までは全く同じ時期に、ダービートライアルのNHK杯(GⅡ)が東京競馬場・芝2000mで開催されていた。
かつては皐月賞とダービーの間にトライアルを挟むのは決して珍しいことではなく、距離も皐月賞と同じ2000mかつダービーの開催される東京競馬場ということもあって、80年代のはじめぐらいまでは、皐月賞→NHK杯→東京優駿は標準的なローテであった。
歴代で皐月賞、NHK杯、東京優駿の3連勝を果たした馬にはボストニアン(1953年)、ヒカルイマイ(1971年)、カブラヤオー(1975年)がいる。
またNHK杯と東京優駿を連勝した馬にはヒカルメイジ(1957年、皐月賞2着)、ダイゴホマレ(1958年、皐月賞3着)。
皐月賞とNHK杯を連勝した馬にはウイルデイール(1959年、東京優駿15着)、マーチス(1968年、東京優駿4着)、ハイセイコー(1973年、東京優駿3着)がいる。
なお、1984年のグレード制導入以降では、NHK杯に出た皐月賞馬はいない。皐月賞馬およびダービー馬で皐月賞→NHK杯→東京優駿の3連戦を完走したのは1981年の二冠馬カツトップエース(皐月賞1着→NHK杯2着→東京優駿1着)が最後。また前走がNHK杯だったダービー馬は1982年のバンブーアトラス(NHK杯6着)が最後である。
……ちなみに上記の馬のうち、ヒカルメイジ、ヒカルイマイ、カブラヤオー、カツトップエースは屈腱炎を発症して菊花賞を断念している。またバンブーアトラスも骨折で菊花賞を断念、そのまま引退した。
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