松本哲也(まつもと てつや)とは、
概要
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読売ジャイアンツ #84 二軍野手総合コーチ |
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松本哲也 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県山梨市 |
生年月日 | 1984年7月3日 |
身長 体重 |
170cm 66kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 2006年育成選手ドラフト3巡目 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
背番号105(2007年)→47(2007年)→64(2008年-2009年)→31(2010年)→32(2011年)→31(2012年-2017年)。
2006年のドラフト会議で、専修大学から育成選手として入団。2007年春キャンプで存在感を示し、巨人の育成選手から初の支配下登録を勝ちとる。
2008年(2年目)に一軍初出場。しかし初スタメンとなった試合のプロ初打席において、一塁を駆け抜けた際に右くるぶしを剥離骨折するという不運に見舞われ離脱。その後は一軍に呼ばれることはなかった。
2009年は開幕一軍入りを果たし、5月から2番センターとしてレギュラーに定着。1番に入った坂本勇人と共にフレッシュな1、2番コンビを形勢し、粘り強い繋ぎの打撃と再三の好守でチームの三連覇と日本一に貢献した。規定打席には僅かに届かなかったものの、育成出身選手初の新人王とゴールデングラブ賞を受賞。
2010年は開幕から好調を維持していたが、4月下旬に左太もも裏を故障し離脱。数週間後の復帰を見込まれていたが、実際には2ヶ月半を要し、7月に復帰する。オールスターにも選ばれ、育成選手出身選手として初のヒットを放った。
2011年は開幕前から極度の打撃不振に陥り、開幕二軍スタート。二軍でも1割台の大不振でなかなか一軍に上がれず、6月にようやく昇格したが出場機会も少なく、20試合で19打数1安打の打率.053という成績で8月には二軍落ち。二軍でも打率.219という数字に終わり、そのままシーズンを終えた。打撃不振の理由はフォームを崩した、元々非力だったのが統一球で打球が全く内野を抜けなくなった等と言われた。
2012年には背番号を元の31に戻し、天秤打法も封印した。これが功を奏したのか昨年の不振を脱し、レギュラーに返り咲いた。 また、この年の日本シリーズで日本シリーズ最多記録の6犠打を決めた。
2013年からは再び打撃不振に陥り、代走・守備要員としての起用が中心になった。
2017年は一軍出場がないまま、10月5日に現役引退を表明した。
引退後はそのまま巨人の三軍外野総合コーチに就任。2019年はファーム外野守備走塁コーチ、2020年は二軍外野守備走塁コーチ、2021年からは二軍野手総合コーチを務める。
プレースタイル・その他
バスター気味の天秤打法からファールで粘る嫌らしさのあるタイプの打者。170センチと小柄ながら俊足を生かした守備範囲の広さ、積極的でがむしゃらな守備にも定評がある。目標としている選手は「青い稲妻」と呼ばれた俊足外野手で同姓の松本匡史らしい。
現福岡ソフトバンクホークスの長谷川勇也は、専修大学時代の同期。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#154 | 8756 | ![]() |
通算打撃成績
年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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2016年 | 52 | 77 | 69 | 6 | 12 | 1 | 1 | 0 | 1 | 2 | 5 | 0 | 2 | 1 | 22 | 1 | .174 | .208 |
NPB:9年 | 591 | 1449 | 1280 | 187 | 336 | 38 | 6 | 0 | 57 | 65 | 70 | 3 | 84 | 12 | 231 | 20 | .263 | .313 |
関連動画
関連項目
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