松本零士とは、日本のコスモ大四畳半に住む大漫画家である。俗に松本御大と呼ばれる。
英語表記はLeiji Matsumoto。Reijiって書くと怒られる。
概要
代表作は『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『キャプテンハーロック』など。
有名漫画家として知られるが、現在では著作権・意匠問題で揉めて名前が上がることが多いかもしれない。
日本の著作権の保護期間延長論者の急先鋒であり、先の通り著作権・意匠問題で近年まで揉めていることが多いため、使用許諾についても揉めそうだという先入観をもたれているが、実はそうでもなく、礼を尽くして「男とはなんぞや」論(あくまでも松本零士主観であることに注意)を拝聴し、機嫌が良くなったらあっけにとられるほど簡単に許可が下りる。
ただ、拝聴時間がかなり長く、2~3時間だという説もあれば、たっぷり6時間はかかる説もある。[要出典]
とにかく、これだけで1日潰れるとの覚悟は必要。
(※以下本項は松本零士の証言からニコニコ動画的にネタになりそうなエピソードを抽出し、松本漫画的な脚色で記述しております。)
来歴
無限に広がる大宇宙。そこにはさまざまな生命の営みがある。愛・希望・野心・戦い。それは地球人類の営みとなんら変わることはない。そして、この大宇宙の一部、銀河系宇宙のはずれ、福岡県久留米市で一人の漫画家・松本晟(まつもと・あきら)、のちの松本零士が生まれた。
幼少時代は愛媛県に疎開などしつつ、貧困に耐えながら過ごしたようである。進駐軍の配るキャンデーを食べたいと思いながらも食べず(父親が陸軍戦闘機「疾風」の元パイロットであったため進駐軍を嫌っていた)、虫に刺されたと思えば『見てろ、たんぱく質を取り戻してやる』といきまいてハチノコなどを食べて飢えをしのぎ、調子に乗ってスズメバチに脳天を刺されて『もう死む~』とわめく、などとこの時代にありがちなハチャメチャ加減である。父親から星空や海の上を飛んだ時の話などをよく聞かされており、これがのちに創作のベースになっていた。父親との関係は非常に良好であったらしい。
少年時代には北九州市(小倉北区)に移り住んでおり、小倉南高校1年生ですでに雑誌に連載を持つなど、同人漫画家として東京でも名の知れた存在になっていた。高校卒業後に出版社から「早く東京に雄姿を見せてくれたまえ(さっさと上京して連載を受け持て、という意味)」と催促され上京。
小倉駅から夜行列車に乗ったときの所持品は漫画用の道具一式と現金700円のみ。汽車賃とその他現金を捻出するために、買い集めたレコードと書籍を全部売り払って『(成功するまで)二度と帰らんぞ』と決意しての旅路であったという。
上京後には手塚治虫らとトキワ荘に住み込み、フジテレビの番組、『トリビアの泉』にもトリビアNo.391として採り上げられたエピソードとして、手塚から「チョコレート入りうどん」を食わされるなどの悪戯を受けつつ、手広く漫画を描いていく事になる。[1]
後の活躍はご存じの通りである。(スタブ)
死去
2023年2月20日、零時社が同月13日に亡くなっていたことを公表した。死因は急性心不全。
漫画家 松本零士が2023年2月13日都内病院にて星の海に旅立ちました 享年85です 告別式は近親者のみで既に執り行いました
漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた幸せな人生だったと思います
「遠く時の輪の接する処で、また巡り会える」と松本は常々申しておりました
私たちもその言葉を信じその日を楽しみにしています
これまで応援くださいましたファンの皆様 作品を世に送り出してくださいました関係各社の皆様 お世話になりました各自治体ならびに各団体の皆様 若かりし頃から共に切磋琢磨してくださった漫画家の先生方 そして旅立ちにあたりサポートしてくださいました病院の皆様 心より深く感謝申し上げます 本当にありがとうございました
恐れ入りますが香典・供花・弔電はご遠慮させていただき 供花・弔電については後日開催予定のお別れの会にてお受けさせていただきます
尚 お別れの会の詳細につきましては未定となっております
発言集
お年を召してからの松本零士の発言にはいろいろとクスリとくるものがあるので紹介したい。本項で挙げるもの以外にも多くの名言を残しているので必見。ただし、ホントかウソかわからない自慢話も混じっている。
- 俺の親父は最高だ。親父と一緒に居られれば俺は満足。(戦後松本の父親が自衛隊入隊を拒み、自ら貧しい生活になった事に対し)
- 片道でいいから俺を宇宙に行かせてくれ!(←先生それは無理でしょう)
- 最近の仕事はラクですねぇ。小さな原稿を描けば、拡大コピーして電車に貼ってくれますからねえ(西武鉄道のラッピングを手がけたときの感想)
- そうそう小倉の北九州モノレール。以前は小倉駅の手前が終点になってたんだけど、同級生に北九州の建設局のやつがいたんで、「なんであんなとこで止めるんだ。なんで駅ビルに突っ込ませない」と言ってやったんです。そしたら突っ込むようになった(笑)。[2]
- 上京時は24時間の旅だったんですが、あのときの思い出が銀河鉄道999のモチーフになっています。自分が体験したことはリアリティをもって描けるんですよ。[3]
関連動画
関連静画
関連リンク
関連項目
脚注
- *トリビアの泉で沐浴 » Blog Archive » トリビアNo.385~391 トリビアの種No.035
http://www.oride.net/trivia/trivia385-391.htm - *実際は小倉駅前商店街の反対に遭い、駅ビルへのモノレール路線の直結が遅れた。
サンポート高松 鉄道2駅の連携は-四国新聞社
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/004/index.htm - *主人公の少年、星野鉄郎の抱く未知の世界への旅立ちへの意気込みや、999号のモティーフになったC62型蒸気機関車と客車の長旅の描写等と言う意味であろう。
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