「松永久秀」(まつなが・ひさひで、1510頃~1577)とは、戦国時代の武将、大名である。
概要
通称は松永弾正(弾正忠、弾正少弼の官位から)。
その出自は謎に包まれているが、三好長慶の家臣として頭角を現す。
長慶が若年の頃から右筆(側近)として仕えており、やがて大和一国の進退を任され家中でも随一の勢力となる。幕臣として朝廷や将軍ともごく関わりが深かったようだ。
長慶死後は主家をも圧倒する権勢を手にする(長慶の死にも関わっていたとする説もある)。
弱体化した足利幕府を傀儡にせんと十三代将軍・足利義輝を殺害(直接殺害したのは息子の松永久通だが、久秀が一切関与していないとは考えにくい。ただし義輝殺害事件の詳細を見ると、最初から殺す目的で襲撃していたとすれば不合理な点が複数あるため、殺害そのものは多分に偶発的に起こったものであるとする説も有力であり、その場合は現場にいなかった久秀に義輝殺害の意向まではなかったと見ることもできる。こうした従来の久秀像を覆す近年の研究成果については「忠臣久秀」に後述)。
その後三好家(三好三人衆)と対立して東大寺大仏殿を焼き払ったと言われる。
織田信長が上洛するといち早く降伏、茶器「九十九髪茄子」を献上して領国を安堵される。以後は織田家の一武将として畿内を中心に戦うが、二回ほど信長を裏切り敵に回る。
癇癪もちで気が短いはず(と言われていたが近年の研究では別の顔がクローズアップされるようになってきた)の信長は、不思議なことに一度目の裏切りを許して帰参させている。二度目の裏切りの際も名器「平蜘蛛釜」を譲れば許すと寛大な態度を見せる。
しかし久秀は二度目の条件を拒絶、城に火を放ち「平蜘蛛釜」を叩き壊して切腹した。東大寺大仏殿を焼き払った日からちょうど10年目の同じ日付だったので、大仏を焼いたら自分も焼いたと人々に言われたらしい。
切腹後に首と茶釜は火薬で破壊して…と家臣に命じた話も伝わっており、昭和時代にある歴史家が何度も紹介したところ、しだいに話が膨らんで茶釜に火薬を詰め自爆する人扱いになってしまったようだ。
その所業と有能さから『乱世の梟雄』と呼ばれており、味のある人物である。
信長が徳川家康に彼を紹介する際に「この老人は常人には出来ぬ天下の大罪を三つ(主君・長慶殺し、将軍殺し、大仏焼き討ち)も犯した」と言ったという。信長のことだから本気で褒めてたのかもしれない。
前記の通り「九十九髪茄子」「平蜘蛛釜」という天下に名高い茶器を所有し、千利休の師にあたる武野紹鴎に師事していた茶人な久秀だが、一説には現在も伝わる茶道流派の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の祖、千宗旦の父親である千少庵(千利休の養子)の実父が松永久秀であるという説が有力視されているとの事。
弾正が死亡した二度目の謀反の際、嫡男久通も信貴山城で自害し、信長の人質だった久通の子(久秀の孫)は信長の命で落城前に六条河原の露と消えたと『信長公記』には記されているが、落ち延びて九州博多で質屋を開業し豪商となった者がいるとも言われる。
その子孫が太平洋戦争初期にマレー沖海戦で英東洋艦隊を壊滅させた航空隊指揮官として名高い松永貞市海軍中将で、さらにiモードの産みの親の松永真理は貞市の孫である。また、お笑いコンビ爆笑問題の一人、太田光の妻、太田光代(爆笑問題が所属する芸能事務所「株式会社タイタン」の代表取締役社長)の旧姓は松永光代といい、彼女もまた松永久秀の子孫であるとの事。
ちなみに久秀は高齢になってからも子宝に恵まれており、18禁な指南書を著したことでも知られている。
ギリワン
『信長の野望』や『太閤立志伝』などの歴戦SLGでは、義理や忠義が最低値レベルに低く設定されている事が多く、義理=1(他の義理1武将は斎藤道三や藤堂高虎など)とされた作品が多い事から歴戦界隈(ニコニコ歴史戦略ゲー)では「世界のギリワン(義理1)」とよばれている。
ギリワン勢の中でも特にキャラが立っており動かしやすいからか、紙芝居動画にもちょくちょく登場している。
ギリワンぶりを元ネタにした全盛期のイチロー伝説コピペもできている。
- 3ヶ月5謀反は当たり前、3ヶ月8謀反も
- 寝返りを頻発
- 久秀にとっての攻め滅ぼしは毒殺のしそこない
- 主君殺しも日常茶飯
- 9日目10000人差、家中全員負傷の状況から1人で寝返り
- 大仏も余裕で焼く
- 1年目で謀反が特技
- 仕官しただけで相手当主が泣いて謝った、心臓発作を起こす当主も
- 寝返り成功でも納得いかなければ相手主君殺して帰ってきてた
- あまりに謀反しすぎるから出陣でも謀反扱い
- その出陣でも謀反
- 三好長慶を一睨みしただけで長慶の弟たちがあの世に飛んでいく
- 戦の無い日でも2謀反
- 刀を使わずに手刀で暗殺してたことも
- 仕官してから反旗を翻す方が早かった
- 織田信長のヤジに流暢な日本語で反論しながら謀反
- グッとガッツポーズしただけで5人くらい不審死した
- 石山戦争が始まったきっかけにも少し絡んでる
- 大和の深い位置から京の将軍御所も襲撃してた
- 久秀に寝返られたことにまだ気づいていない大名も多い
- 久秀が挙兵した時点で主君死亡でいいだろ
- 2日連続謀反は「今日は茶が飲みたい」という暗号
- 自慢の茶釜に火薬を詰め込んで自爆というファンサービス
忠臣久秀
主家をのっとって裏切りを繰り返した悪逆非道下剋上の梟雄ギリワンとされてきた松永久秀だが、近年、三好家を専門とする歴史学者の天野忠幸らの研究により、「実は三好長慶と三好義継に最後まで忠義を尽くした人物だった」と言う事が明らかになってきているという逆転現象が起こっている。
元々、松永久秀は、三好長慶の右筆から一軍を率いる身となり、軍を率いて大和国の三好家に敵対する勢力を掃討してそのまま領地として任されるという有能な人物なうえ、室町幕府において足利将軍に直接謁見できる立場にまで昇進している。
また前述の通り武野紹鴎に師事した茶人である久秀は、茶会や連歌会を開くなど高い教養を持ち、背丈も180cm程と藤堂高虎レベルではないが戦国時代当時としては十分に高身長で、当時の公家の日記には、立ち振る舞いに優れた風流人である事が記録されていると言う一流の文化人でもある。
※ちなみに、松永久秀とされる肖像画・木像の類は現在のところ発見されておらず、江戸時代以降の絵巻物に描かれた白髪の悪漢な姿などは、前述のギリワンなエピソードから想像したものである。
そんな彼がしでかしたとされる事柄については、近年の研究により、
- 東大寺の大仏焼き討ちは、そもそもそんなところを戦場にした三好三人衆のせいであると言え、しかも失火については宣教師が三好軍にいた信徒の功績だと記録を残しているなど久秀が全ての責任を負うものではない。
- 足利義輝暗殺については、久秀は大和国にいて襲撃に参加しておらず、主犯は三好三人衆である(息子の松永久通は参加していたが)。そもそも最近の研究では、足利義輝は剣聖将軍という字面にあわない事をやらかしていて当時の公家には不人気だった為、暗殺された際も「されて当然だってね」的な話が記録に残っている。
- 三好長慶の後継者と期待されていた若武者三好義興を主家簒奪の為に毒殺したと言う話も一次史料が存在せず、逆に、主家と同じく室町幕府将軍に直接謁見できるまでになった久秀を妬んだ者達がばらまいた根拠の無い事だとしている史料もある。
- 三好長慶の後を継いだ三好義継と敵対した件も、確固たる基盤がないまま三好家の当主となった義継は家政を仕切る三好三人衆らの傀儡と化していた為で、後に三好三人衆に嫌気がさした義継は久秀のもとへと逃げ込み、以降は久秀とともに三好三人衆と戦っている。織田信長が足利義昭を奉じて上洛してきた際も、三好義継は久秀と共に織田信長と足利義昭を向かいいれ、信長の前に四国へと逃亡した三好三人衆が再上陸してきた際にこれを迎撃・撃退し、義継が信長包囲網に参加して信長に敗れて自刃するまで共に行動している。
など、これまでの定説とは真逆であった事が発表されてきており、信長には二度反逆したものの、本来の主君である三好長慶・三好義興・三好義継に対して不審な行動をとった事を証明する記録も存在していない。
とこのように実は誠実だったのではないかと思える行動も取っており謎の多い人物である。
補足
自爆イベントの歴史は古く、武将風雲録から存在する。ただし毎回恒例という訳でもない。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 76 | 政治 | 86 | 魅力 | 54 | 野望 | 90 | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 71 | 政治 | 83 | 魅力 | 79 | 野望 | 93 | 教養 | 82 | ||||||
覇王伝 | 采配 | 74 | 戦闘 | 71 | 智謀 | 99 | 政治 | 87 | 野望 | 97 | ||||||
天翔記 | 戦才 | 144(B) | 智才 | 194(A) | 政才 | 180(A) | 魅力 | 74 | 野望 | 93 | ||||||
将星録 | 戦闘 | 57 | 智謀 | 98 | 政治 | 94 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 81 | 戦闘 | 55 | 智謀 | 99 | 政治 | 88 | ||||||||
嵐世記 | 采配 | 68 | 智謀 | 93 | 政治 | 91 | 野望 | 98 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 61 | 知略 | 89 | 政治 | 87 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 63 | 知略 | 89 | 政治 | 85 | 教養 | 77 | ||||||||
革新 | 統率 | 81 | 武勇 | 62 | 知略 | 100 | 政治 | 95 | ||||||||
天道 | 統率 | 81 | 武勇 | 62 | 知略 | 98 | 政治 | 86 | ||||||||
創造 | 統率 | 82 | 武勇 | 67 | 知略 | 93 | 政治 | 90 | ||||||||
大志 | 統率 | 87 | 武勇 | 75 | 知略 | 93 | 内政 | 92 | 外政 | 91 |
- 義理は「戦国群雄伝」4、「武将風雲録」「覇王伝」「天翔記」「将星録」0、「烈風伝」25、「嵐世記」30、「蒼天録」「天下創世」「革新」「天道」1。蒼天録以降はまさに世界のギリワン。
- 「創造」では義理が廃止され、代わりに「必要忠誠」値が登場(野心みたいなもの)。低いほど義理堅い性格で、補正無しの忠誠値は10なのだが、彼の必要忠誠はもちろん最高値の15。家宝とかで徹底的にテコ入れしないと常に寝返りの危険がある。
- 30って嵐世記おかしいだろ、と思われるかもしれないが、嵐世記の義理は30が最低値である。流石。
- しかしギリワンどころかギリゼロの時期もあったのか……。野望も高いし。
戦国無双
悪党を気取るふてぶてしい性格ではあるが、芸術もたしなんでおり自分の才能に自信を持っている。自分の運命を他人に左右されるのを何より嫌う性格で、桶狭間の戦いを陰から見て興味を持った信長に対し、臣下に加わる一方で三好三人衆や浅井長政を陰でたきつける黒幕の役を演じようとするも、全て見透かされたうえで手もとにおかれ続けていることに不満を募らせていく。
戦国大戦
「ククク…いい気分だ」
戦国大戦の彼はその他大勢である他軍に属している。武力8統率9という双方ともに高い文武両道のスペックに伏兵・制圧・魅力と特技を3つ持っているというチートスペック。他家で数少ない他軍と比較しても遜色ない能力の持ち主である。
計略の「平蜘蛛の釜」は、自爆して城に張り付いた敵武将を焼き払ってダメージを与えるという計略。例外的に城の中から唯一撃てる計略となっている。まさにボンバーマン。
戦国数奇としても登場しており他家で数少ない気合持ちの槍足軽である。他は剣豪将軍しか持っていない。
計略は同じ。絵師はからくりサーカスで有名な藤田和日郎氏である。
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