松永幹夫とは、日本中央競馬会(JRA)の調教師、元騎手である。
現役時代は甘いマスクと優しき心を持ち、「ミッキー」の愛称で親しまれた元祖イケメンジョッキー。デビュー直後から多くの女性ファンがついた。調教師になってもその甘いマスクは変わらない。
騎手時代
松永幹夫 まつなが みきお |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本![]() |
性別 | 男性 |
出身地 | 熊本県合志郡西合志町 |
生年月日 | 1967年4月10日 |
身長/体重 | 162cm/49kg |
所属 | 日本中央競馬会(JRA) |
栗東T.C. | |
初免許年 | 1986年 |
免許区分 | 平地 |
引退日 | 2006年2月28日 |
重賞勝利 | 69勝(うち地方15勝) |
GI級勝利 | 11勝(うち地方5勝) |
通算成績 | 12,607戦1,432勝 |
調教師情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 | 栗東T.C. (2007.3-) |
初免許年 | 2006年(16年目) |
重賞勝利 | 37勝/GI級7勝 |
通算成績 | 4,290戦465勝 (2022年8月現在) |
騎手・調教師テンプレート |
JRA競馬学校の第2期生。同期は横山典弘、熊沢重文などが居る。1986年にデビューし、引退まで山本正司厩舎に所属した。
初騎乗は1986年3月1日、初勝利は同年3月23日(いずれも阪神競馬場)。1988年の函館3歳ステークス(現・函館2歳ステークス)でサザンビーナスに騎乗し重賞初勝利、1991年の優駿牝馬(オークス)で、「裸足のシンデレラ」ことイソノルーブルとのコンビでG1初勝利を挙げた。
1996年、調教中に落馬し肝臓を摘出する事故を負ったが、後に復帰し翌1997年には自己最多の101勝を挙げるにまで回復した。
2005年にはヘヴンリーロマンスに騎乗し天皇賞(秋)を制覇。所属の山本厩舎のJRAG1初勝利、エアグルーヴ以来の牝馬での優勝、3連単の配当が100万円を超える、天覧競馬での勝利など記録づくめとなった。
翌2006年に調教師試験に合格、38歳で鞭を置く事になった。同年の阪急杯、ブルーショットガンを15頭立て11番人気で制し、続く最終レースもフィールドルージュで勝利、この勝利がJRA通算1400勝、有終の美を飾った。
調教師時代
恩師の山本正司の後を継ぎ、2007年3月1日に松永厩舎を開業。初勝利は中京競馬第7競走のアグネススピリッツで、ジョッキーは同期の横山典弘だった。2009年、ダンスアジョイで小倉記念を制し馬共々重賞初勝利、同年の秋華賞、レッドディザイアでG1初勝利を飾った。調教師になっても「牝馬のミッキー」は健在!
2017年は騎手時代唯一獲れなかった牝馬G1:阪神JFを制し、2018年クラシックで後に九冠馬となるアーモンドアイの前に後塵を屈するもエリザベス女王杯を連覇と大阪杯を制したラッキーライラックを輩出。
2019年には青葉賞を制した後にかつての同期:横山典弘の息子(武司)を背に2019年日本ダービーを大逃げで湧かし、セントライト記念を制したリオンリオンがいる。
競馬の神様に愛された男
上記の落馬事故からの復帰後、第1回の秋華賞をファビラスラフインとのコンビで勝利。1997年にはキョウエイマーチで桜花賞制覇。後に牝馬二冠を達成するメジロドーベルを制しての勝利だった。2000年にはチアズグレイスで桜花賞を、ファレノプシスでエリザベス女王杯を制した。このように牝馬限定戦で活躍する事が多かった為「牝馬の松永(ミキオ、ミッキー)」と呼ばれた。
ヘヴンリーロマンスでの天皇賞(秋)制覇は、松永自身、牝馬限定戦以外の牝馬でのG1勝利である。初の天覧競馬となった同レースだが、メインスタンドの来賓席で観戦していた天皇・皇后両陛下に馬上からヘルメットを脱いで敬礼した。レース後、「天皇賞も牝馬で勝ったのが自分らしい」とコメントした。
騎手時代は小倉競馬場以外で重賞を制覇している。騎手時代に勝利できなかった小倉競馬場での重賞を調教師になってからダンスアジョイで制した。エース格のレッドディザイアも、ライバルのブエナビスタを前に、桜花賞、オークスとあと一歩の所で勝てなかった。しかし、秋華賞ではブエナビスタに競り勝ちG1初勝利。騎手時代にファビラスラフインで制した同じレースであり、レッドディザイアとしても前哨戦のローズステークスではブロードストリートに負けて「ブエナビスタが居なくても2着」と言われていただけに嬉しい勝利となった。レッドディザイアはその後ドバイのマクトゥームチャレンジラウンド3(G2)を日本馬として初めて制している。
とにかく競馬に関しては色々持っていると言えよう。マスコミやファンは、上記のエピソード等から彼を「競馬の神様に愛された男」と呼ぶ。そしてそれが絵になるからミッキーはかっこいい。
その他
- 実際に騎乗、勝利して「この馬はG1を勝てる」と思ったのはタマモクロス。しかし、主戦騎手は南井克己であった為諦めたとの事。
- 逃げ、先行が得意。しかし持病の腰痛もあり追込は苦手としていた。メジロブライトはその典型で、クラシック戦線を盛り上げながらも皐月賞、ダービー、菊花賞は単勝人気を下回る着順であった。
- 1997年に元モデルの女性と結婚。長らく武豊と「子供が生まれない(種なし)」夫婦として知られていたが、2005年に双子が誕生し晴れてパパとなった。
- 調教師試験は超難関(実際に何度も試験を受けている者もいる)だが、一発で合格した。「若くて元気がある内に調教師になりたかった」との事だが、所属する山本正司調教師が定年により厩舎の解散が決まっていたので、その事も大きな要因の一つであったとも言える。
- 後輩の幸英明は、武豊TV!の2011年ジョッキー新年会で「松永幹夫さんは本物」と評している。
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関連項目
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