- プロ野球選手一覧 > 松浦宏明
松浦宏明(まつうら ひろあき)とは、元プロ野球選手である。
概要
OB | |
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松浦宏明 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県船橋市 |
生年月日 | 1966年5月19日 |
身長 体重 |
178cm 77kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト外 |
引退 | 1995年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高校は船橋法典高等学校に進学。入学時は外野手だったが2年時に投手に転向するとエースとして活躍。甲子園大会出場は無かったものの、県内屈指の本格派投手、高校通算46本塁打の打者として投打で注目を集めた。
卒業後、複数の社会人野球チームや大学野球部から声がかかったものの、日本ハムファイターズから「練習生の形で獲りたい」と打診があり承諾。前日には球団からドラフト5位で指名すると約束されたが、事情が変わり当日は指名されなかった。松浦はショックを受け気持ちが折れてしまったが、父からの説得や、たまたまつけていたテレビのドラフト特集番組で王貞治氏が「高校でプロ入りできるチャンスがあるなら入りなさい。大学や社会人で怪我をしてしまったらタイミングを逃してしまう。」と応えていたことで気持ちが傾き、ドラフト外で日本ハムへの入団を決意した。
1985年、同期の誰よりも早く一軍デビューを果たし、同年は8試合に登板した。
1986年、一軍ではリリーフでプロ入り初勝利を挙げた1試合の登板に終わったが、二軍では11勝を挙げイースタン・リーグ最多勝を獲得。
1987年、主にビハインドの場面で起用される。5月にビハインドの場面で登板しその後チームが逆転勝ちを挙げると、その後5試合連続でリリーフ登板後にチームが逆転し勝利投手となるなど「松浦が投げると負けない」という不敗神話が誕生するなどブレークを果たす。同年は48試合に登板し8勝5敗8セーブ、防御率3.54と好成績を残した。
1988年、開幕からしばらくは抑え投手を任されたが、シーズン途中から先発投手に転向し覚醒。同僚の西崎幸広とともにエース格といて活躍し、15勝5敗4セーブ、防御率2.76の成績を残し、西崎や西武ライオンズの渡辺久信とともに最多勝のタイトルを獲得した。
1989年は故障のため1勝止まりだったが、1990年は復調し11勝、1991年は9勝をマークしている。
しかし1992年以降は低迷。1995年シーズン途中に岡本透とのトレードで横浜ベイスターズへ移籍したものの9試合の登板で1勝1敗、防御率7.31とパッとせず、シーズン終了後自由契約に。
その後、中日ドラゴンズの入団テストを受験し合格したが、打撃投手としての採用に変更と電話があり、心が折れた松浦は結局入団せず、そのまま現役を引退した。
引退後、資格を取得し接骨院を開業。治療だけでなく怪我をしないための指導や相談、更には研究にも取り組み、イップスの克服を探るなど患者にも評判の良い接骨院であったという。
2013年、新たな刺激を求め中国へ渡り、中国野球リーグの上海ゴールデンイーグルスの投手コーチに就任。2014年からは同リーグの江蘇ペガサスへ移籍。5人もの故障者を復活させ、2015年には全国優勝に大きく貢献。
その後日本に帰国し、2015年末に学生野球指導資格を回復。2016年には千葉県中学女子野球選抜チーム 千葉マリーンズのアドバイザー兼コーチを務めた。
2017年からはコミュニティスクールの教員として教育現場に携わっている。
人物・エピソード
多彩な変化球と強気に攻める気持ちを武器に打者を打ち取っていった右腕。
87年にはビハインドの場面でリリーフ登板すると、とたんに打線が勢いづきチームが逆転勝ちするということが続いたことから「逆転のマツ」と呼ばれた。
背番号「0」を使用した珍しい投手でもあり、「ゼロ戦のマツ」と呼ばれることもあった。
通算成績
投手成績
通算:11年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 230 | 24 | 4 | 54 | 46 | 14 | --- | .540 | 765.0 | 393 | 585 | 407 | 367 | 4.32 |
獲得タイトル・表彰
関連動画
関連項目
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