松竹芸能単語

ショウチクゲイノウ

松竹芸能株式会社とは、大阪府大阪市に本社を置く芸事務所である。

概要

1958年、新生プロダクションと上方演芸という2つの芸プロダクションが合併し誕生した会社。この際に、映画演劇歌舞伎などを手がける松竹の資本参加を得て、社名を「松竹新演芸」とした。後に現在の「松竹芸能」と社名をめる。

吉本興業と並び、関西お笑いタレントを多く有している事で有名。また歌手俳優子役等、お笑い以外のタレントも所属している。
かつては吉本興業よりも盛を極めた時代もあったが、1970年代1980年代に笑福亭仁桂文枝横山やすし・西川きよし明石家さんまダウンタウンといったスターを数々輩出することに成功した吉本興業に大きく差を付けられてしまった。後に笑福亭鶴瓶を中心に、ますだおかだら当時の若手の台頭により若干盛り返したが、資本ベースによる会社規模から見れば約80倍近い差(吉本125億円、松竹=1.6億円)をつけられている(ただし松竹芸能の親会社であり、松竹芸能の連結決算を組む松竹吉本よりもっと大きく、資本、年間連結売上高とも吉本の2倍前後の規模である)。

吉本興業との関係

1960年代頭まで吉本興業と松竹芸能の間で所属芸人の引き抜きが頻繁に行われ、これに怒った正之助(当時の吉本興業監督社長)が松竹に対し脅迫事件を起こすなど問題となった。このため両社間で「所属芸人理矢理引き抜かない」「両社の所属芸人を同じ番組(特に在阪局製作番組)で共演させない」という協定が結ばれ、1990年代後半までこの状態が実質的に続いていた(ただし上岡龍太郎や、やしきたかじんら一部の有な中立の計らいで吉本松竹芸人を同じ番組で共演させるケースはあったほか、笑福亭鶴瓶だけは桂三枝に気に入られて三枝自身が会を務める吉本制作の番組に呼ばれるなど、当時から別格扱いされていたと言われる)。

 後に経営者の代替わり(特に正之助(1991年没)の影が大きかったとされる。)によってこの協定は大幅に緩和される。まず1990年代後半から大阪本社のが及びにくい東京方面での共演が増え始め、1998年10月に放送を開始した「いろもん2」(日本テレビMC笑福亭鶴瓶今田耕司東野幸治)では遂にスタッフロールに「制作:松竹芸能 吉本興業」と両社の社名が併記されるまでになった。関西圏においても、「ざこば鶴瓶らくごのご」(19921998年放送)では番組末期亭八方やきん枝といった吉本所属の落語ゲスト出演が実現している。

2000年代に入ると前述の協定は事実くなり、過去イメージから「仲が悪い」という印が残っているだけに等しい状況となる。吉本催の「M-1グランプリ」におけるますだおかだアメリカザリガニの活躍を機に、吉本興業ホームグラウンドであるなんばグランド花月に松竹芸能所属の芸人が出演したり、吉本興業所属タレントと松竹芸能所属のタレントが番組で共演するのがしくなくなっていく。

そして、対立の終焉の決定打となる出来事が2000年代半ばに相次いで起こる。2004年正之助との対立相手であった松竹芸能の勝忠雄社長が代表から退き会長に就任、翌年には吉本興業も創業者系の裕章社長が急死し、元ザ・ぼんちのマネージャーで非創業者系の吉野伊佐男が社長に就任したのである。吉本はこれ以降創業者一族が代表の座に座ることがなくなっており、創業者経営に事実上の終止符が打たれている状況にある。そして翌2006年には、松竹芸能の会長職に退いていた勝が死去する。

これら一連の動きによって、過去の遺恨は全に存在意義を失い、また東京方面のお笑いプロダクションをつけてきたこともあって、両社は協調路線を取る方向へと急速に転換していったのである。

現在では吉本制作する番組にも「松竹ゲスト」が設けられる機会が多くなっている反面、両社とも新宿道頓堀に劇場を設けるなどポジティブな意味の競争を繰り広げている。また、吉本興業制作の番組に松竹芸能所属の芸人が出演した際に事務所の規模の違いなどを自嘲気味に化す、などといったもしばしばみられるようになった。

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松竹芸能

1
2009/04/16(木) 04:10:09 ID: f1a14IJ64L
あのプロダクションとあの団体が危ないってことだけです。