略歴
1992年にテクモに入社。96年からはデッドオアアライブシリーズを手がけ、またTeamNINJAを率いて忍者龍剣伝シリーズをNINJA GAIDENシリーズとして復活させ、高い評価を得た。
2008年にテクモを退社後、ともに退社したTeamNINJAのメンバーらとヴァルハラゲームスタジオを立ち上げた(ちなみにテクモに残ったTeamNINJAのメンバーは、現在任天堂と提携している)。
2020年に「板垣ゲームズ」というゲームスタジオを設立していたがこれは解散、2010年に設立していた「株式会社板垣プロダクション」が2024年9月に「株式会社板垣ゲームズ」に商号を変更している。[1]
人物
長髪と黒いサングラスがトレードマーク。歯に衣着せぬ…というか何かと問題発言の多い人物で、
「嫌いなゲームは鉄拳」「デッドオアアライブが無ければ格闘ゲームは終わっていた」「他のゲーム開発者が我々のゲームを見たら、やる気をなくすだろう」
などなど。また神谷英樹氏のアンチとしても有名で、たびたび批判を述べている。
近年、神谷氏と談笑、また鉄拳の原田プロデューサーや、カプコンの小林プロデューサーとファミ通xbox360にて対談し、海外プレスに炊きつけられたプロレスであったことを明かした。
下記の裁判の件も含めて「問題児」という印象が強いが、ゲームを作る腕は確かでDOA・ニンジャガイデンシリーズは海外を中心に非常に評価が高く、熱心なファンがいる。
また写真好きで、テクモを退社した後は写真家になろうと思っていたという。鉄道ファンでもある。
訴訟
2006年、女性社員に対してセクハラを行ったとして訴訟を起こされる。結局この訴訟は「セクハラを行ったと言う事実は無い」として棄却されるのだが、同時にテクモは「職場で社会通念上、容認し難い行為が行なわれていた」とも発表した。
その後板垣が報酬の未払いがあったとしてテクモを提訴したため、テクモは板垣を2008年6月18日付で解雇。板垣はこれを不当解雇として賠償請求金額を引き上げるなどの応酬が交わされたが、2010年2月26日にようやく和解が成立した。
これらの訴訟は不可解な点が多く、当時さまざまな憶測が飛び交った。
参考(海外サイト)
主な作品
- デッドオアアライブシリーズ
- NINJA GAIDEN
- NINJA GAIDEN BLACK
- NINJA GAIDEN Dragon Sword
- NINJA GAIDEN 2
- Devil's Third(2015年8月4日発売)
関連動画
関連リンク
関連項目
脚注
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