枢軸国単語

スウジクコク

枢軸国とは、第二次世界大戦中に連合と戦ったの事である。Axis Powers(アクシズパワーズ)とも。

概要

枢軸の由来は、1936年にイタリア首相ムッソリーニが出した「ローマベルリンを結ぶ線は、協調と平和の意志を持つヨーロッパ々がその周りを回る事が出来る枢軸である」という明から。要するにローマベルリンの線を枢軸にヨーロッパが回るという意味である。この頃はドイツイタリア際的に孤立し、互いの距離が接近していた。やがて両軍事同盟を結んだ。

第一次世界大戦で敗戦国になったドイツなど)、もしくは戦勝だが恩恵をあまり受けられなかったイタリアなど)は、自前のだけでは世界恐慌の大不気を防げなかった。このため武で諸外を侵攻し、強引にを高めようとした。これらの行為を行った日本ドイツイタリア社会の非難を浴びて際連盟から離脱。孤立した三は次第に緊密な関係となっていき、枢軸国の子が作られた。1936年には先述のローマベルリンの線は枢軸明の他に日独防共協定(反共産主義・対ソ連想定の盟約)が結ばれ、翌年にはイタリアも加入している。

ドイツは第一次大戦で奪われた領土を奪還するべく、民族義を掲げオーストリアチェコスロバキア等を併合。更には、破綻確定の謀な経済政策を将来の戦争を前提に推し進め、一方で民には危機的財政を隠蔽した挙げ句に虚偽の気回復を演出・喧伝し人心を握。暴走を始めていく。

第二次世界大戦

ドイツポーランドダンツィヒ(現グダニスク)の返還を要した。ダンツィヒはドイツにとって本と飛び地の東プロイセンを陸続きに繋げる上で必須の土地であった。しかしポーランドは返還を拒否したため、1939年9月1日ドイツポーランド宣戦布告し侵攻を開始。するとイギリスおよびフランスポーランド側に立ち、ドイツ宣戦布告9月3日)。これが第二次世界大戦の始まりである。

電撃戦・破竹の快進撃

当時、イタリアは参戦しておらず枢軸国はドイツとその影下にあったスロバキアのみであった。しかしドイツは既にソ連と不可侵条約を結び、更に9月17日にはそのソ連もまたポーランドへ侵攻、ドイツ軍事は凄まじく、ダンツィヒの返還に応じなかったポーランド10月7日には全土がドイツソ連に占領されてしまった。ポーランド降伏後、ドイツは対戦国となった英と睨み合いとなったが大きな戦いは生起しなかった。

1940年に入ると、アルトマルク事件が発生。これに伴ってドイツノルウェーデンマーク電撃的侵攻を開始し、デンマークを降伏させる。そして5月フランスへの侵攻も開始し、通りとなったオランダベルギー、ルクセンブルグにも宣戦布告、降伏させ、その2週間後にはフランスをも降伏させる。続いて抵抗を続けていたノルウェーを下し、残っていたイギリス軍がドイツ軍の追撃を受けてベルギー都市ダンケルクから撤退。ヨーロッパから連合軍が一掃される。フランスは連合軍についた自由フランスと、親独のヴィシー政権に分かれた。

6月ドイツによるフランスに対する電撃完全勝利を受け、勝ちに乗るためイタリアが枢軸国側として参戦。物資や軍の配置などが明らかに準備不足な中、ムッソリーニが軍部の強い反対を押し切って、強引に開戦させたという。続いてイタリア傀儡のアルバニアも枢軸国として参戦する。これにより安全とされていた地中海方面にも戦線が構築され、イタリア軍イギリス軍の戦いが始まった。イタリア軍は北アフリカギリシャに侵攻。北アフリカ戦線も生起した。

さらに8月にはドイツルーマニアに進駐し、11月ルーマニアハンガリーが枢軸国となった。ちなみに日独軍事同盟が締結されたものの、この時はまだ日本は枢軸国ではなかった。
準備不足で強引に参戦したシワ寄せか、地中海ではイタリア軍が敗退を重ねていた。ヘタリア……。地中海イギリスの手に落ちる事を懸念したドイツ軍が同方面に介入。軍とロンメル率いるドイツアフリカ軍団を派遣し、北アフリカイギリス軍を追い込んだ。

1941年3月ドイツブルガリアを枢軸国にしユーゴスラビアにも侵攻。ユーゴスラビアは枢軸国軍に占領され、同からクロアチア独立国セルビア政府モンテネグロが枢軸国(いずれも傀儡)として立された。ギリシャもまた4月には枢軸国の侵攻を受け降伏、枢軸国の傀儡国家ギリシャとなった。

6月にはドイツが不可侵条約を結び、しかもドイツ最大の物資・燃料資輸入元であったはずのソ連に対し宣戦布告独ソ戦が始まり、枢軸国もソ連に次々と宣戦布告ソ連に侵攻されたフィンランドもまた宣戦布告をしたがドイツと同盟を結んでいなかったため厳密には枢軸国ではない。当時のソ連は大粛清弱体化していた上、不可侵条約締結かつ燃料の生命線たる自ドイツが攻めるはずはないと油断していたため、精強なドイツ軍麗な電撃戦によって、ソ連軍は連戦連敗を喫し、数万の捕虜を出す結果となった。

そして12月8日日本東南アジアの資地帯の確保・大東亜共栄圏を的として、同地に植民地を持つアメリカイギリスオランダに対し宣戦布告日本軍事同盟を結んでいたドイツイタリアアメリカ宣戦布告し、他の枢軸国もそれに続いた。戦場太平洋にも広がり、名実ともに世界規模の戦争となった。皇軍日本軍)は真珠湾攻撃と同時にマレーに上陸し、現地のイギリス軍と交戦。

1942年1月8日日本タイ王国が攻守同盟を結んだ事によりアメリカ軍イギリス軍がタイに侵攻。25日、タイアメリカイギリスに対し宣戦布告した。
軍は破の快進撃を見せ、東南アジアの連合軍を次々に撃破。東洋のジブラルタルと呼ばれた英シンガポール要塞を陥落せしめ、資地帯の確保に成功。フィリピンインドネシアなどを占領するに至った。また、セイロンに撤退したイギリス東洋艦隊を追撃し半壊させた事で、イギリス軍は戦争末期になるまで本格的な反攻に出られなくなった。この結果は北アフリカ戦線にも少なからず影を与えたようである。

連合国の反攻

しかし1942年6月に生起したミッドウェー海戦と、8月から始まったガダルカナル争奪戦により、日本は徐々に出血を強いられるようになる。
ドイツ側も、ソビエトの物量と土の広大さ・寒さ・そして地形や厳しいインフラ事情に苦戦。12月から開始されたスターリングラード攻防戦で多大な損を負い撤退、敗北へのを転げ落ち始める。かくして枢軸国の鮮やかなまでの快進撃は鳴りを潜め、失速していく。

1943年頃から枢軸国側が押されるようになる。スターリングラード攻防戦での敗退以来、独ソ両軍で消耗戦が始まる。この頃に至り、ソ連軍は大粛清ドイツからの不意打ち宣戦の衝撃から全に立ち直り、前線から離れた安全地帯であるウラル山脈へ疎開させていた工業が発揮され始め、加えてイランに進駐したイギリスアメリカから大量の武器弾薬の供給(レンリース)を受けたことで、歩兵はもちろん、戦車を中心とする機甲師団も充実していった。戦争初期には弱体であったソ連軍は文字通り覚醒し、質・量共に世界最強の戦へと化けていった。

日本もまたガダルカナル争奪戦で多数の駆逐艦兵士を失い、撤退。5月には北アフリカ戦線が枢軸軍の敗北で終結。眼前に敵が迫ったイタリアは本土防衛戦の準備を始めるが、民の間では厭戦気分が広がっていた。7月クーデタームッソリーニが監禁される。しかしドイツ軍コマンド部隊によって救出され、イタリア北部へ退避。9月にはイタリアが降伏するも、助け出されたムッソリーニによってドイツの影下にある北イタリアイタリア社会共和立。連合に下った南イタリア戦争をする内戦状態になった。10月日本支援自由インド仮政府立。インド植民地として治めていたイギリスに対し戦闘を行った。

1944年6月イギリス軍とアメリカ軍フランス北方のノルマンディーに上陸し本格的な大規模反攻作戦が始まった。今まで後方に過ぎなかったフランス方面に西部戦線が構築され、ドイツは東と西と南から同時に攻められる事になった。同時に、立ち直り強大化していたソ連軍の猛反撃によりドイツ軍東部戦線が崩壊。8月26日パリが奪還されドイツ傀儡のヴィシー政権が崩壊、フランス本土は連合側の自由フランスのものとなった。

クーデタールーマニアが連合に寝返り、ブルガリアクーデターで寝返りドイツ宣戦布告を行った。ハンガリーソ連と休戦しようとしたがドイツ軍クーデターが入り、枢軸国側に留まった。9月に入ると、追い詰められたフィンランドソ連と休戦。講和の条件であるドイツ軍の追い出しを図った(ラップランド戦争)。10月にはギリシャが失陥し連合側となった。

地球の反対側では日本も押されており、太平洋々では玉砕が相次いだ。6月マリア戦、10月レイテ沖海戦により帝國海軍事実上壊滅。散発的な抵抗しか出来なくなる。それでもフィリピンの防衛を的とした輸送部隊を送ったが、アメリカ海軍により撃滅されている。レイテの敗北により本土と南方の資地帯は遮断され、補給路は途絶えた。

敗戦

1945年は枢軸国にとって終末の年と言えた。アメリカイギリスの圧で、中立を保っていた々が一斉に日独への宣戦布告を始めた。その様相は全世界を敵に回しているかのようだった。

3月日本フランスインドシナベトナム帝国ラオスカンボジア王国独立させて傀儡政権を立した。一方で欧州の枢軸国では消滅や寝返りが相次ぎ、既に満身創痍だった。4月にはムッソリーニ逮捕・処刑でイタリア社会共和が、5月には枢軸国の盟ドイツが降伏し、とうとう枢軸国は日本一のみになってしまった。東南アジアに残されていたドイツイタリア潜水艦を接収し、抵抗の姿勢を見せたが、連日しい爆撃と攻撃を受けて反攻など夢のまた夢だった。帝國海軍徴だった戦艦大和は撃沈され、硫黄島沖縄は陥落。そして9月、最後に残った日本も降伏し第二次世界大戦が終結。枢軸国は全に消滅する事になった。

枢軸国一覧

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枢軸国

17 ななしのよっしん
2015/03/29(日) 00:16:12 ID: MGfVIHhpzT
>>14
WW1時は中立保持したままで大戦終結まで過ごせたのよ
WW2でもオランダはそれを望んでたんだけど、1940年のノルウェーでの戦争で英独のどこも中立の立場を一切斟酌しない方針だというのが露呈したのな
で、独からしてみたらオランダを英から占領してドイツへの攻撃頭堡にする危険を考え(逆に英への攻撃の起点にもなるし)オランダ宣戦布告、そんでもって都市攻撃で脅迫したのでオランダ政府海外逃亡した……って流れ
18 ななしのよっしん
2015/06/10(水) 20:16:35 ID: 3SGEld9Pdb
結局最期まで降伏しなかったハンガリー
降伏どころか1950年代まで残党が戦っていたクロアチア
19 ななしのよっしん
2015/12/09(水) 06:03:46 ID: IpsIZU4/zs
親独的なファシスト政権が誕生していたのに何故か侵略されたギリシャ
20 ななしのよっしん
2015/12/30(水) 23:43:37 ID: ujksNWqfy0
枢軸国艦隊これくしょん
21 ななしのよっしん
2016/06/10(金) 04:23:07 ID: xjpavT3ZNl
独立ロバニアってスロバキア共和国のことですよね?
22 ななしのよっしん
2016/06/24(金) 18:48:37 ID: Ll0flWUMus
枢軸国って名前のき格好いいよね
23 ななしのよっしん
2016/06/24(金) 18:57:13 ID: cVRhNPU9m2
ファシズムも枢軸もイタリア発祥だったのか
24 ななしのよっしん
2018/07/18(水) 21:13:33 ID: PodK8tEhNC
>>21
スロベニアのことかと思ったけど,1939年枢軸国だとスロバキアしか該当しない.
Wikipediaによると「独立〜」の表記は,当時の対立する政治組織でそれぞれ決めた名の違い問題を回避する,便宜上の表記らしい.
25 ななしのよっしん
2019/09/27(金) 18:50:56 ID: 55zpwW+km2
戦後一番扱いの良かったは何処なんだ?
案外日本か?
26 ななしのよっしん
2019/09/27(金) 20:39:10 ID: IpsIZU4/zs
>>25
うまく立ち回って一カだけ敵国条項から逃れたタイ
戦中も戦後内をされる事自由民主主義をずっと維持できたフィンランド
連合枢軸国どっちが勝っても戦勝フランス

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