柴田直人とはヘヴィメタル界の大山の父でありカレー番長である。
概要
1958年5月10日北海道出身。
大の巨人党であり野球少年だった柴田が音楽に興味を持ったきっかけは姉のフォークギターを触れた事であった。
中学生くらいまではギターを弾いていたが、ディープ・パープルの『カリフォルニア・ジャム』のフィルムコンサートで
グレン・ヒュースの姿を見てからベースに転向。
高校卒業後に上京。
格好だけで演奏力の無い連中とバンドを組む日々が続いてたが、1979年にプログレッシブロックバンド『ブラックホール』に加入。
数々のオーディションで高評価を得るも、レコード会社からのオファーが全く来なかった事にメンバー全員のテンションが下がり解散。
1981年、趣味と言う名目でANTHEMを結成。
結成当初はコピーバンドでスタートし、ライブを重ねるにつれ、気がつけばバンドのリーダーとなる。
1992年にANTHEMが解散。
ヘヴィメタルを取り巻く世界に嫌気がさし、一時ポップスの世界で作曲家として活動。
その間にコナミの『パーフェクト・セレクションシリーズ』に「柴田直人プロジェクト」名義で参加。
1995年にLOUDNESSに加入。
2000年にLOUDNESSがオリジナルメンバーで再結成が発表されたのを機に脱退。
人物像
- 日本のヘヴィメタル界でも一切の妥協を許さない厳しさで知られており、一部の音楽雑誌に加入したくないバンド第1位に選ばれる。
但し、メンバー曰くオフになると物凄くいい加減な男に変貌するらしい。 - 柴田のサウンドの特徴として、1台は歪ませ、もう1台はクリーンにして両方鳴らすと言う手法を使っている。
その為、柴田がベースで参加している楽曲はほぼバキバキした音が鳴っている。
使用アンプは時代によって様々なアンプを使用しているが、ANTHEM再結成後は8年近くHUGHES&KETTNERを使用しており、柴田も製作に関った「QUANTUM BASS」などがある。2009年よりMARK BASSに変更している。 - 使用ベースはANTHEM結成当時はFENDER社のプレジション・ベース、デビュー直後にESP社と契約し様々な柴田直人モデルを製作、LOUDNESS加入後辺りからG&Lを使用し、2006年からシェクターを使用している。
- 上記に書いてある通り大の読売ジャイアンツファンである。
インタビュー中でも自分たちのバンドのポテンシャルを歴代に巨人の選手で例える事がある。 - 作曲家として活動していた頃の楽曲には「みちのくプロレス」のスペル・デルフィンの入場テーマ曲や、中原茂が歌うガンダムWのキャラクターソング等も手がけている。
- 基本的にアナログ人間の為か、PCは持っていてもANTHEM関係者で唯一HPを持っていない。
携帯電話も初めて持ったのが2004年頃であり、購入当時は頻繁にメンバーにいたずらメールを送っていた。
現在はiphoneを使用している。 - さかもとえいぞうにとって人生で自分に最も影響を与えた人物に柴田の名を挙げている。
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関連項目
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