概要
天保元年(1830年)、薩摩藩家老島津久風の五男に生まれる。長兄は薩摩藩主席家老の島津久徴(ひさなる)、次兄はお由羅騒動で自害した赤山靭負。別名右衛門など。
安政4年1857年)から藩に出仕し、造士館演武係方などを務める。
文久元年(1861年)、長兄久徴の家老辞任の煽りを受け、奄美大島に転じられる。この時西郷隆盛と知り合い、国事を談じ合う同志になる。
元治元年(1864年)、大目付に任じられ、西郷、大久保利通、小松帯刀らに協力。
同年12月に上京し、慶応2年(1866年)1月、薩長同盟締結に立ち会う。2月末、坂本龍馬、西郷、小松らと鹿児島に帰還し、藩論を倒幕路線にまとめるため尽力。翌慶応3年(1867年)、西郷と協力して四侯会議を実現させる。
10月、討幕の密勅が下されると藩内の佐幕派を抑え、西郷の出兵を支援した。
維新後鹿児島藩参政、都城県参事、豊岡県権令を歴任したが病気により辞任。鹿児島に戻り鉱山開発などを行った。
明治10年(1877年)、西南戦争が勃発すると、西郷出陣の際に別れを告げるために訪れたがそのまま参戦し、大小二荷駄隊長を務める。
9月24日、西郷らと共に城山まで敗走し、西郷以下数十名と最後の進撃中に戦死。享年48。
桂の記した『桂久武日記』は幕末維新史の重要な史料の一つとして知られている。
関連項目
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