桃園天皇
(ももぞのてんのう 1741年4月14日~1762年8月31日)とは、第116代天皇である。諱は「遐仁(とおひと)」。
概要
1741年に桜町天皇と藤原貞子の間に第一皇子として誕生した。
1747年に立太子され、同年に実父の桜町天皇の譲位をうけて即位した。
1758年に、尊王論者が弾圧された宝暦事件が発生した際に、幼いころからの近習であった徳大寺公城・正親町三条公積・烏丸光胤・坊城俊逸・中院通雅・西洞院時名・高野隆古らを遠ざけられてしまった為、幕府に告訴し江戸幕府による弾圧に協力した関白一条道香ら摂関家と対立した。
1762年に22歳の若さでお隠れになられた。
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関連項目
115代 | 116代 | 117代 |
桜町天皇(さくらまちてんのう) 1735~1747 |
桃園天皇(ももぞのてんのう) 1747~1762 |
後桜町天皇(ごさくらまちてんのう) 1762~1770 |
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