梅小路単語

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ウメコウジ
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梅小路とは、地名・苗字の1つである。

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概要

地名

平安京の通りの名前を由来とする地名。名を冠する要施設については以下を参照。

通りの名

平安京京都の東西の通りの1つ。読みは「うめのこうじ」とも。小路(小路通)と八条大路(八条通)の間にある。平安京が造営された時から置かれていたが、戦乱などを経て荒した。

江戸時代ごろには既にわずかな部分が残る形となっていた。現在、梅小路があった場所はJRの線路用地になっている箇所もある。京都駅プラットホームの一部もかつての梅小路にあたる。

現在残る梅小路通は、大宮通(梅小路公園東)から堀川通の間をつなぐ、JRの線路の北にある350mほどの「タキイ種苗」・「リーガロイヤルホテル京都」の前の小のみとされている。

その通りから西の延長線上の、JR嵯峨野線の西にも道路が作られており、西大路通をえて西高瀬まで続いているが、そこには梅小路通の標識は見られない。明治時代ごろの地図では、ここには描かれておらず水田となっている(参考exit)。1920年代後半ごろから、新たにかつての梅小路に近い場所にが作られたようだ。

地域の名

遅くとも江戸時代ごろには現在京都鉄道博物館の西、かつての梅小路通より少し南の場所に「梅小路」ができていた。安倍晴明の末裔である陰陽師土御門はここに邸宅を構えた。

当時は農だったが、1918年に京都市区に編入され、以降は住宅が増加するようになった。現在は「京都市区梅小路本町」などの地域となっている。

また、周辺に梅小路公園や梅小路機関区、京都鉄道博物館京都水族館梅小路京都西駅などが置かれ、京都市の中では較的知られた地名となった。

苗字

もとは公家苗字。通りの名前を由来とする、藤原勧修寺流の公家江戸時代初期に清閑寺共房の三男である定矩が「梅小路定矩」を名乗ったのが始まりとされている。子孫の梅小路定行は貴族院子爵議員となっている。

創作物でも人物の名に採用されることがある。

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