森雞二(もり けいじ)とは、将棋棋士である。1946年4月6日生まれ。高知県出身。大友昇九段門下。棋士番号100。
昭和後期に活躍した強豪棋士のひとり。タイトル戦登場8回、獲得2期(王位1期、棋聖1期)。竜王戦1組通算5期、順位戦A級通算10期。
※「雞」という字はJIS第3規格のため、閲覧環境によっては表示できないことがある。そのため、“森けい二”と表記されることが多い。ちなみに「雞」とは鶏の同字ではあるものの、間違って森鶏二と誤植されることがある。
棋歴
将棋を覚えたのが16歳とかなり遅く、四段昇段(プロデビュー)は21歳。1978年に名人戦で中原誠名人に挑戦するも、2勝4敗で敗退。1982年に棋聖戦で、1988年には王位戦でそれぞれタイトルを獲得した。1988年度の早指し選手権も優勝。
タイトル戦に最後に登場したのは1995年の王座戦で、羽生善治に敗れた。2006年には59歳でB級1組復帰を果たしたこともあるなど、桐山清澄とともに60歳手前まで上位棋士と渡り合っていた。2009年に通算800勝を達成。2017年引退。
棋風・人物
若い頃は甘いマスクで知られる二枚目棋士でもあった。だが、性格はかなり尖っており棋界きってのビッグマウスとしても知られた。中原誠との名人戦では「中原は強くない。俺の方が強い」と発言し、その第1局は剃髪して挑んだ。王位戦挑戦時には対局相手の谷川浩司に対し 「身体でしみついた将棋を教えてやる」と挑発し、有言実行でタイトルを奪取している。
桐山清澄や森安秀光らと並ぶ振り飛車党の第一人者でもあり、ひねり飛車や三間飛車、中飛車などの空中戦法を得意とした。また、終盤が滅法強く、序盤がぞんざいでも力戦にねじ込み相手をねじ伏せていたことから、“終盤の魔術師”が二つ名として知られるようになり、当時は「終盤は森に訊け」とまで言われたほどである。この愛称は本人も気に入っていたようで、スーツに蝶ネクタイというさながら奇術師のような格好をしてNHK杯の解説に何度も顔を出している。
1995年に王座戦で羽生善治に敗れたとき、「終盤の魔術師が本物の魔術師に敗れた」と発言。これ以降、彼は羽生の才能に惚れ込み、羽生に対する様々な著書を記すようになっている。
昭和最後の真剣師、小池重明と3番勝負を行ない、そして全敗したことでも知られる(そのうち一局は平手である)。これは時の会長・大山康晴の逆鱗に触れ、多額の罰金が課されたという。また、奨励会時代には、後の女流棋士のパイオニア、蛸島彰子に破れたこともあるなど、ポカもけっこう多かった。
対局で不利になると控室へ足を運び、モニター越しの対局相手に「間違えろ~、悪手を指せ!」と念力をかけることで知られている。それが成功すると満面の笑みを浮かべて控室から去っていくのだという。
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関連項目
外部リンク
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