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森本稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日-)とは、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)である。現在は北海道日本ハムファイターズのコーチを務める。
概要
北海道日本ハムファイターズ #80 一軍外野守備走塁コーチ |
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森本稀哲 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都荒川区 |
生年月日 | 1981年1月31日 |
身長 体重 |
184cm 81kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 1998年ドラフト4位 |
引退 | 2015年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
帝京高等学校時代は3年夏に甲子園に出場し和田毅から本塁打を打ったりした。
1998年ドラフト4位で日本ハムファイターズに入団した。背番号は53。
日本ハム時代
1999年は一軍出場がなく、2000年に背番号を46に変更。
一軍半の守備・代走要員としての期間が長かったが、2006年途中から1番レフトとしてレギュラーに定着。SHINJO(新庄剛志)、稲葉篤紀と鉄壁の外野陣を形勢、日本ハムの日本一に大きく貢献した。
特に新庄からは弟分として可愛がられ、新庄の引退後は背番号1の後継者に指名される。1番センターとしてレギュラーを務めると共に、数々のパフォーマンスでファンを沸かせた新庄に倣って、自らも積極的にパフォーマンスを敢行。しかし天性のスター気質だった新庄と違い、どこか一所懸命な感が漂うあたりが微笑ましさでもある。
2008年に死球による骨折で戦線離脱して以降は成績が下降気味となり、レギュラーの座も危うくなったことでパフォーマンスを見せることは少なくなった。
2009年からは糸井嘉男の台頭でレフトに回り、2番・レフトとして2年連続の最多犠打を記録、打線の繋ぎ役に徹した。
横浜・DeNA時代
2010年オフにFA宣言し、横浜ベイスターズに移籍。入団会見では横浜中華街にラーメンマンのコスプレで現れるなど、横浜でもパフォーマンスは継続した。
2011年は5月に扁桃腺炎、7月に自打球を当てるなど、故障に泣かされたシーズンとなった。
2012年も開幕戦に6番左翼手で出場、しばらく打撃好調を維持するが、アレックス・ラミレスの加入で左翼手は固定、更に荒波翔の台頭によりスタメン出場が漸減、主に守備固めでの途中出場がメインになった。シーズン終盤に左手有鈎骨骨折で離脱するが最終的に108試合に出場、その堅守でチームを支えた。雨天中断時にパフォーマンスを披露したりホームランを打った際に全力疾走したりと持ち前の明るさも発揮した。
2013年は一軍での出場機会がなかなか与えられず二軍生活が続く。7月に一軍に上がるも代打で結果が残せず再び二軍へ。10月4日に戦力外通告を受けた。10月8日のシーズン最終戦では2番ライトで出場するも、2打席ともノーヒットで内村賢介と途中交代となり結局今シーズンは無安打に終った。10月4日に戦力外通告を受けた。
西武時代
2013年オフに埼玉西武ライオンズの秋季キャンプに参加し、11月19日に入団が発表され、12月4日に入団会見が行われた。残念ながらコスプレは行われなかった。背番号は0。
2014年は代打、守備固めとして開幕からシーズン終了まで一軍に帯同。出場機会を増やすために一塁手も守った。
2015年はヒットを1本も打てないまま、シーズンの大半を二軍で過ごし、9月21日に現役引退を表明。9月27日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では8回表から守備固めで出場。8回裏、森本の打順は7番で攻撃は1番秋山翔吾から始まり、打席に立つには4人が出塁しなければならない厳しい状況だった。そんな中、ナインが「稀哲さんまで回せ!」と声を上げていた。秋山翔吾が二塁打、渡辺直人が死球、浅村栄斗が内野安打、中村剛也が犠牲フライを打ってワンアウト。5番エルネスト・メヒアがサードゴロでツーアウトを取られたが全力で走り、栗山巧が粘って四球で出塁した後、涙をこらえながら最終打席を迎える。最終打席はサードゴロに倒れ、現役生活を終えた。引退セレモニーではかつてのチームメイトの新庄剛志からメッセージを寄せられ、稲葉篤紀からは花束を受け取った。
引退後
一般企業に就職…したが、その後フリーの解説者として活動している他、リアル野球BANの「石橋JAPAN・帝京チーム」の打者だったりする。
2023年からは北海道日本ハムファイターズの一軍外野守備走塁コーチを務める。
人物・その他
- スキンヘッドがトレードマーク。俊足と鉄砲肩で、球界屈指の守備力を誇る外野の名手でもある。ファンからは苗字より名前で呼ばれることが多い。父が在日韓国人(本人は日本国籍)で、名前の読みは「稀哲」の韓国語読みにちなむ。
- ファンサービスに熱心で、横浜DeNAベイスターズファンや古巣の北海道日本ハムファイターズファンのみならず、球界全体で人気がある。
- 日本ハム時代、同時期に二軍生活をしていた小谷野栄一と仲が良い。
- 日本ハム時代から外国人とコミュニケーションを取ることを大事としていた。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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日本ハム | 応援歌のピコカキコ一覧#1077 | 12354 | |
横浜 DeNA |
応援歌のピコカキコ一覧#251 | 9091 | |
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#1260 | 13377 | |
西武 (旧西日本) |
応援歌のピコカキコ一覧#1050 | 12274 |
横浜移籍後の応援歌はスーパードンキーコングのオープニング曲に歌詞を付けたものである(関連動画0:35~、およびピコカキコを参照)。単曲はこちら。
西武の西日本では徹子の部屋のテーマをベースにした稀哲の部屋が流されていたが、本人が嫌がったために封印となった。2015年に新しい応援歌が作られた。
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2000年 | 日本ハム | 7 | 16 | 13 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | .154 | .313 |
2001年 | 65 | 148 | 133 | 16 | 33 | 4 | 2 | 1 | 9 | 11 | 3 | 1 | 9 | 2 | 35 | 2 | .248 | .303 | |
2002年 | 66 | 66 | 60 | 6 | 10 | 3 | 0 | 1 | 5 | 5 | 1 | 1 | 1 | 3 | 16 | 0 | .167 | .215 | |
2003年 | 61 | 151 | 133 | 21 | 26 | 2 | 1 | 4 | 16 | 3 | 3 | 0 | 14 | 1 | 48 | 2 | .195 | .277 | |
2004年 | 78 | 71 | 58 | 19 | 11 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 12 | 1 | 24 | 3 | .190 | .338 | |
2005年 | 103 | 325 | 295 | 48 | 78 | 10 | 3 | 7 | 25 | 9 | 5 | 1 | 22 | 2 | 82 | 3 | .264 | .319 | |
2006年 | 134 | 595 | 520 | 84 | 148 | 28 | 6 | 9 | 42 | 13 | 21 | 5 | 46 | 3 | 103 | 4 | .285 | .343 | |
2007年 | 144 | 660 | 584 | 91 | 175 | 27 | 3 | 3 | 44 | 31 | 17 | 6 | 47 | 6 | 111 | 6 | .300 | .355 | |
2008年 | 121 | 549 | 478 | 66 | 121 | 15 | 1 | 0 | 21 | 12 | 17 | 1 | 49 | 4 | 81 | 5 | .253 | .327 | |
2009年 | 107 | 404 | 316 | 50 | 78 | 14 | 4 | 1 | 29 | 9 | 43 | 0 | 43 | 2 | 52 | 2 | .247 | .341 | |
2010年 | 115 | 505 | 408 | 65 | 111 | 11 | 3 | 2 | 30 | 10 | 55 | 1 | 36 | 5 | 71 | 12 | .272 | .338 | |
2011年 | 横浜 DeNA |
48 | 153 | 134 | 13 | 25 | 3 | 1 | 1 | 9 | 0 | 9 | 1 | 8 | 1 | 42 | 4 | .187 | .236 |
2012年 | 108 | 230 | 201 | 20 | 49 | 5 | 1 | 3 | 18 | 0 | 4 | 1 | 20 | 3 | 44 | 6 | .244 | .320 | |
2013年 | 4 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | |
2014年 | 西武 | 99 | 173 | 147 | 19 | 37 | 8 | 3 | 0 | 13 | 2 | 9 | 0 | 16 | 1 | 42 | 0 | .252 | .329 |
2015年 | 12 | 15 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | .000 | .143 | |
NPB:15年 | 1272 | 4066 | 3497 | 521 | 904 | 133 | 28 | 33 | 254 | 106 | 188 | 18 | 326 | 34 | 760 | 50 | .259 | .327 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
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NPB | 外野手 | 1144 | 1183 | 64 | 18 | 9 | .991 |
一塁手 | 50 | 225 | 9 | 1 | 18 | .996 |
表彰
表彰 | ||
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ゴールデングラブ賞 | 3回 | 2006年-2008年 |
ベストナイン | 1回 | 2007年 |
札幌ドームMVP | 1回 | 2006年 |
JA全農Go・Go賞 | 2回 | 2007年9月、2010年9月 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
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