植民地とは、領土・国家・地域を支配する形態の一種である。「入植地」「居住地」「開拓地」などとも。
自国以外の地域を新たに管理下におくことを「植民地化」と呼ぶが、その土地に先住者がいる場合、その先住者も含めて管理下におく事を「植民地支配」と呼ぶ。
概要
「植民」の名のとおり、一般的には「人がやって来て開拓して住み始めた土地」のことを植民地/入植地と定義できる。新しい土地にやって来て自分の家や畑などを作り住むことによって所有権が生まれる。その土地が良い場所だったりすると、その場所に他の人なども住み始めて村や町が形成されていくようになり、最終的にそれが発展して国となったりもする。村や町を形成するでもなく単独でその土地を開墾し自分の土地としているところもある。
ただ、古い時代から領土問題とそれに関わる争いはすでに存在しており、入植した先が誰も住んでいない土地であればラッキーだが、先の入植者あるいは古くから自分の土地として住んでいた先住民がいた場合、新入植者とそれらの先住者とのあいだで争いが起きる事もある。[1]
国際的には、「国家として自国民を入植・移住させるために支配・管理下に置いている土地や地域」のことをそう呼ぶ。現在もっとも一般的とされるのは、15世紀ごろ(俗にいう"大航海時代")から始まった、西洋国家の海外進出によって発生した海外領土のことであると思われる。
勢力範囲の拡張、黄金や香辛料などの資源獲得、布教競争、文明化など、植民地化される理由は様々にあるが、植民地化された地域において抑圧された人間は多く、旧支配国・旧被支配国の間における歴史が現代での関係に影響していることもある。[2]
第二次世界大戦以降は各地域で独立運動が盛んになり、国連で世界人権宣言(1948)をふまえて1960年に可決された「植民地独立付与宣言」により植民地が国際的に否定されるようになった。これにより被支配から脱却できた地域は多い。
しかし、現在でも植民地とやっていることが変わらないというところや、経済関係を基とした実質的な植民地状態(新植民地主義)は残っている。
統治の種類
植民地となった地域の統治タイプは複数ある。
植民地にはだいたい現地住民・旧国民(被支配民)がいるものだが、この扱いも支配レベルによって違いがある。
支配国によって植民地に対する思想がやや異なるようだが、基本的には本国民とは異なる地位(二等国民)や法律が適用され、本国民より一段低い地位におかれていることが多かったとされる。
タイプ | 内容 |
---|---|
直接 (直接統治) |
行政機関を新たに設立し、総督・長官職などを任命して支配する。 人員なども本国から派遣してくる。 |
間接 (間接統治) |
現地の人員を徴用し、行政機関の設立や首長を任命して統治を任せる。 現地に既存の行政機関がある場合はそれをそのまま運用にあてる。 |
保護 (保護領) |
行政は既存の現地行政機関が行う。 軍事権・外交権は本国が持ち、軍は現地に駐留している場合が多い。
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租借 |
一定期間、他の国から一定のエリアを借り受ける。 借りられた地域は都市のままであったり、国家として独立することもある。
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併合 | 植民地とした国家や地域を統合し、支配国と同一の国家として扱う。 |
先住民・被支配国民の扱い
- 内側(自治)は約束されるが外側(外交・軍事・国権)は本国が持つケース
- 外地であっても本国と同様に選挙できるケース
- 「二等国民」「準国民」と本国に比べ待遇の落ちるケース
- 本国から入植者がやってきて現地民は奴隷・迫害されているケース
- 入植者のための土地確保に旧国民を淘汰・虐殺しているケース
併合の実態
併合とは植民地とした国家を侵略した国家が編入して同一国家として扱うようになることである。よく併合される国が未開の途上国で、併合してやることで『やったあ!これで一等国の仲間入りだ!』と喜んでいるかのような描写が出ることがあるが、もちろんこれは植民地支配する側のプロパガンダである。
そもそも『併合』という言葉自体が日本の明治政府が朝鮮を植民地化する際に欧米列強国向けに発表した造語であり、その際にも大韓帝国(朝鮮のこと)を大日本帝国のなかに組み入れて一つの国になるというものであった。本国と同等の扱いを受けられて幸せだと外向けには宣伝されるが、一方では本国に編入されることで自分の元あった国は地図から消え、国家の行政運営は支配国が設置した総督府が行い、その総督府には本国から派遣されてきた総督によって支配される実質の直接統治であり、支配される国は主権を失う。
支配された国は主権を失うことで行政機構は本国の人間に都合の良いように政策がすすめられていき、特に教育や文化といった民族的な風土は本国に近いものになっていくように染められていき、消えていく。しかし実際にはそうなる前に自分の民族が政治的に迫害されて消されて行くことに危機感を感じて民族意識が強まり、本国の政策に対して抵抗をするようになるのが歴史の常であり、それが認められたのが第1次世界大戦後に国際的に認知される民族自決なのである。
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関連項目
関連リンク
脚注
- *アメリカでは開拓地として入植してきたが、インディアン(アメリカ先住民)や様々な動物がいたため、開拓者らは自衛や排除を行うため銃などで武装していた。これが今日の自衛のための権利(銃を持つ権利)につながっている。
- *支配側と被支配側における、文化や習慣、観点や認識などといった違いのこと。支配側は「教育してあげた」「解放してあげた」「神に許された」「正統な権利」など支配行為を肯定する主張が多いが、逆に被支配側は「侵略された」「奪われた」「押し付けられた」「不当」「頼んでいない」といった支配行為を否定する主張が多い。
双方の主張が完全に違うため、認識のすり合わせや賠償をはじめとする贖罪方法の決定など、解決などには時間を要する。そのため、問題を棚上げすることで実質的な封印をはかる国もある。
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