植物ホルモンとは、植物が作り出すホルモンである。
すなわち、『植物体内の内分泌系で生産される、ごく微量で何らかの生長に対して影響を与える』物質のことである。
概要
大本のホルモンという言葉は『動物体内の内分泌系で生産され、ごく微量で標的器官に対し影響を与える』物質のことであり、植物についての定義はなされていなかった。しかし、植物に関しての生理的な研究が進むにつれて、植物体内でも動物ホルモンと同じような働きをする物質が複数発見された。
そのため、発見された当初は『植物ホルモン=動物ホルモンの植物版』という定義がなされていた。現在では、さらなる研究の進展により、動物ホルモンとの差異が多数発見され、かつて一般的であった定義はほとんどなかったことになっている。
植物ホルモンにはそれぞれ名前が付いているが、それは総称であり、植物ホルモンの名前がその物質の名前だというわけではない。詳しくは後述するが、ある植物ホルモンAがあるとして、その正体はB、C、Dと言う物質であり、それが全てAという植物ホルモンというくくりに入るわけである。わかりやすく喩えるならば、植物ホルモンの名前Aを『ゲーム機』とすると、その正体であるB、C、Dは『スーパーファミコン』 『プレイステーション』 『セガサターン』という感じとなる。
では、実際の植物ホルモンについて見ていくこととしよう。
植物ホルモン~古典的植物ホルモン~
『古典的』とあるように、1970年台までの植物ホルモン研究は主に以下に記す5つのホルモンを中心に行われていた。
1:オーキシン
植物ホルモンとして最も早くに見つけられた物質である。
1928年に、ウェントという科学者が植物の光屈性について研究していた際にこの物質の存在を示唆し、彼はそれをオーキシンと名づけた。それからしばらく経った1931年に、ケーグルという科学者によってインドール-3-酢酸(IAA)が単離され、オーキシンはIAAだということが決定された。
発見まで~光屈性の実験
ここで、そもそもの発見の発端となった光屈性について軽く説明する。
光屈性とは、植物に一方向からだけ光を当てると植物がその方向に曲がっていくもので、1880年にダーウィンが実験を行って以降、主にマカラスムギ(アベナ)という植物の幼葉鞘という器官を用いて研究が進められていた。
ダーウィンが行った実験では、まず幼葉鞘の先端部がないものは成長も屈曲もしないが、後から切り取った先端部を元に戻すと成長が再開するということが示されている。更には、先端部を金属の箔で覆うと、いくら光を当てても屈曲しないということが示された。すなわち、植物を屈曲させる『何か(=後のオーキシン)』は、植物の先端で作られているということが発見されたのである。
それから30年経った1910年に、ポイセン=イェンセンによってこのような実験がなされている。
結果としては、上の実験では何事もなかったかのようにアベナの幼葉鞘が曲がったのに対し、下の実験では、光の当たらない側に雲母片を刺した時のみ、曲がりが発生しないというものとなった。
このことから、ダーウィンが発見した『何か』は、先端部から光の当たらない側を、ゼラチンを通りぬけて下へと移動していくということが発見されたのである。
そして、実際にオーキシンと名付けるに至ったウェントの実験(1928年)へと時間は進んでいく。彼は、アベナの先端を切り取り、それを至って普通の寒天片の上に載せたのである。そして、この寒天片を先端部を切り取ったアベナ幼葉鞘に載せると、ダーウィンの実験と同様の結果が得られることを確認した。そして、ダーウィン以来不明となっていた『何か』にオーキシンという命名をしたのである。
生理的特性
主に植物の成長を司る。ごく微量の存在により、植物細胞の伸長を促す効果がある。ただし、だからといって濃度が高ければすごく成長する…というわけではなく、成長させたい器官によって最適な濃度が存在する。もちろんその濃度よりも薄すぎれば成長は順調とは行かず、濃度が濃すぎても却って成長を抑制してしまう。
一般的に、最適な濃度は根で10-10mol/L、芽及び側芽で10-9mol/L、茎及び頂芽で10-5mol/Lと言われている。
他にも、細胞分裂を促進させたり、根の伸長及び発根を促進させたりする。加えて、上記の濃度が高すぎる状態を植物が意図的に作る場合もある。言い換えれば、植物にとって成長してほしくない部分、例えば離層(葉や実などが茎から外れる場所)などで濃度を上昇させ、その部分の成長を抑制するといった応答も見られるのである。
さらに、オーキシンの特徴的な特性として、極性移動と頂芽優勢というものがある。
極性移動とは、オーキシンは必ず植物体の先端から下に向かって進むというものである。先ほどの実験の応用例として、マカラスムギの幼葉鞘の中間部を切り取り、その上下を逆にして接着させる、というものがある。すると、光を当てているにもかかわらず幼葉鞘の成長は止まり、なおかつ屈曲すらもしなくなったのである。このことから、オーキシンはどんな状況であっても植物体の上から下に行こうとするということが示されている。
一方の頂芽優勢とは、植物の一番てっぺんの芽(頂芽という)が成長している時、それ以外の芽(側芽という) の成長が抑制されるというものである。ちなみに、頂芽を切断するとオーキシンの濃度が低下するため、側芽の成長は促進されていく。
オーキシン:その種類
最初の項目で言ったように、オーキシンとは必ずIAAのことを指すわけではなく、他にもオーキシンとして働く別の物質が多数存在する。このうち、IAAなどの天然オーキシンは植物体外で不安定であり、すぐに分解して別の物質になってしまうため、実際に使用する際には安定的な人工オーキシンが使われていた。
ここで作られていたのが、いわゆる2,4-Dや2,4,5-Tと呼ばれる物質である。かつてこれらの物質は、その生理的な特性から除草剤として使われていた。具体的には、植物に異常成長を引き起こさせ、それによって枯死させるというものである。しかし、作る過程でダイオキシンが発生して環境的に悪影響があること。そして、ベトナム戦争において枯草剤として使われ、人体に悪影響が出たことから発売中止となり、日本ではほとんど使われることはなくなっている。
2:ジベレリン
植物ホルモンの中で、唯一日本人が発見し、構造を決定したもの。1926年、当時台湾総督府の農事試験場に勤務していた黒澤栄一により、カビが寄生することによって稲の植物体を徒長・枯死させる馬鹿苗病の原因毒素として報告された。なお、この時点ではジベレリンという命名はなされておらず、1935年に東京帝国大学教授、薮田貞治郎によって馬鹿苗病の完全世代(学名Gibberella fujikuroi)から単離された際に、ジベレリンと命名された。
生理的特性
ジベレリンもまた、オーキシン同様に植物の成長を促進するものである。ただし、オーキシンとは特性が異なるため、オーキシンとジベレリンが内含する物質が重なることはない。
まず特徴的な特性として、単為結実を促すというものがある。単為結実とは、未受精の果実が生育するというもので、例えば種なしのブドウを作る時などに、このジベレリン溶液が使われている。具体的には、まず花が開く前に種子の発達を抑制するため、一回ジベレリン液に浸漬する。なお、ジベレリン自体は無色であることから、処理が終わったかどうかを明確にするため食紅などで色を付けておく。その後、葡萄の花が満開になった頃に、2回めのジベレリン溶液処理を行う。こうすることで、種以外の部分の成長が促進され、種なしのブドウを作ることができる。ちなみに、もちろんブドウの種類によって種なしにしやすい種類がある。日本では、1950年台後半に岸光夫によって行われたデラウェアの果粒膨張実験中にこの現象が発見されたことで、種無しブドウ生産が実用化されたという歴史がある。
また、有胚乳種子(主にイネ科など)の発芽を促進する効果もある。
流れとしては、種子の吸水によって胚でジベレリンが合成され、その働きによって種の中の糊粉層という部分でアミラーゼが合成される。そのアミラーゼが胚乳にあるデンプンをグルコースなどに分解し、そのエネルギーで胚が成長して発芽するというものである。いわゆる休眠打破というものであり、農作物の種子発芽において、ジベレリンは広く使われている。
ジベレリン:その種類
ジベレリンは現在も発見が続いている植物ホルモンであり、その数は100を超えている。発見された順番にGAxと命名されており、このxの部分には数字が入る。なお、現代社会において、生産的・消費的に最も広く普及しているジベレリンはGA3であり、時に『ジベラ』という農薬として流通している。化学式はC19H22O6。
3:サイトカイニン
植物ホルモンとしては早くに見つかっていたものの、生合成などの分野で研究が進展し始めたのは21世紀に入ってからという、かなり難解な物質。
サイトカイニンの研究で最も古いものは、1913年にハーバーランドがジャガイモの師管液に細胞分裂を誘導し、その傷口にカルス(未分化組織片)を形成させる作用があることを発見した研究である。そこから時は流れ、1955年に、スクーグ研究室にいたミラーにより、ニシンの精子由来のDNAからとある物質が単離された。これが俗にいうカイネチンであり、サイトカイニンの一種である。なお、この頃にはまだサイトカイニンという名称は存在しておらず、初めてサイトカイニンという名称が世界に登場したのは、1965年のことである。この前年、サイトカイニンの命名者となるリーサムによって、未熟なトウモロコシ種子からゼアチンという物質が発見された。これが世界初の天然サイトカイニンである。彼は、ゼアチンやカイネチンといった、細胞分裂を促進する物質を、細胞質分裂の英語名『Cytokinesis』から『サイトカイニン(Cytokinin)』と名づけたのである。
生理的特性
サイトカイニンは、オーキシンと協働して細胞分裂を促進することが知られている。この時、オーキシンとサイトカイニンの濃度を様々に組み合わせて組織を処理すると、その濃度に応じて別の組織へと分化する。以下は、人参で行われた例。
- オーキシン:3mg/L + サイトカイニン:0.2mg/L = 未分化組織(カルス)
- オーキシン:3mg/L + サイトカイニン:0.02mg/L = 根
- オーキシン:0.03mg/L + サイトカイニン:1mg/L = 葉
- オーキシン:0mg/L + サイトカイニン:0.2mg/L = 成長なし
このようになる。なお、オーキシンがない場合には、どんな濃度であってもサイトカイニンは働かない。
また、サイトカイニンにはオーキシンによる頂芽優勢を解除し、側芽の成長を促進する効果がある。
これが顕著に現れるのがいわゆる天狗巣病であり、天狗巣病菌という最近が植物体に感染することによってサイトカイニンが大量放出され、これによって頂芽優勢の解除が発生し、側枝がやたらめったらに成長するために発生する形態異常の一種だとされている。
他にも、植物体老化の抑制や、クロロフィルの合成促進と言った効果もある。
注意点として、動物のホルモンにサイトカインというものが存在する。語源はどちらもCytokinesisで同様だが、全く別の物質である。
利用方法
主に、クローンやウイルスフリーの組織を培養する際に用いられる。また、最もこの物質が使われている舞台は、ワタの収穫直前に葉を落とす用途である。
ちなみに、天然のサイトカイニンであるゼアチンは高級品であるため、一般的には人工合成物であるベンジルアデニンやチジアズロンが使われている。
4:アブシシン酸
オーキシンが発見されたのち、そのオーキシンを阻害する物質があることがわかっていた。
その物質は一体何なのか。世界中の学者がこぞって研究を続けた結果、まず1961年にワタの葉柄から一つの物質が単離された。発見者らは、それを葉などが植物から離脱するという意味のabscissionからアブシシンと名づけた。その2年後の1963年には、日本の研究者である大熊和彦によって、ワタの未熟な果実から同様な物質が単離された。大熊はこれをアブシシンⅡと名づけた。更に同年、別の研究者によってドルミンという物質も単離されている。
ちなみにこれらの物質はどれも同じものであり、混同を避けるために、1967年に行われた第6回国際植物生長物質会議においてmこの化合物名は『アブシシン酸』であり、略称は『ABA』だと決定されている。つまるところ、まとめると『アブシシン』=『アブシシンⅡ』=『ドルミン』 → 『アブシシン酸』である。
※正確な日本語表記は『アブシシン酸』だとされているが、『アブシジン酸』や『アブサイジン酸』と言う表記も依然として残っているそうだ。
生理的特性
これまでの3つの物質とは異なり、主に成長を阻害する方向に働く物質である。
ただし、必ずしもそれが良くない方向に働くかといえばそういうわけでもない。
例えば植物表面に存在する気孔を閉鎖し、乾燥耐性の獲得をもたらしたり、ジベレリン阻害による種子の発芽抑制によって、悪所における発芽を抑制することができる。
オーキシンの項目では離層の成長を抑制する効果があることを述べたが、この物質は逆に離層を形成し、離層の成長を促す効果がある。なお、この効果についてはアブシシン酸単体の効果というわけではなく、後に述べるエチレンの効果を活性化させるものである。
5:エチレン
そもそもエチレン自体は気体であり、植物ホルモンとしての定量実験が進んでいったのは定量技術が進んだ1960年台以降である。発見の元になったのは、100年前の電灯がガス灯であり、そのガス灯の近くにあった街路樹の葉がガス灯の遠くにあった葉よりも早く落葉したことからであった。
生理的特性
こちらもアブシシン酸同様にマイナスの方向、いわゆる阻害方向に働く物質であるが、どちらかと言うと成長の異常促進による老化の急激進行と言った面が強い。ただし、植物種によって個体差はあり、パイナップルなどは花芽形成が促進する場合もあるのに対し、ジャガイモだと萠芽が抑制されるといった違いがある。
さらに、エチレンガスを充満させたビニール袋の中に未成熟の果物を入れると、短期間で熟するといった効果もある。これはエチレンガスが果実の色づきや軟化と言った部分に働きかけるためである。具体的には、細胞壁の主成分であるセルロースを破壊するセルラーゼに働きかけ、細胞壁の組織破壊が進行するからである。
なお、エチレンは気体であり、古典的な植物ホルモンの中では、他の4種と違って周囲の個体にも影響を与えるといった点に特徴がある。
新たなるホルモン~そして、幻とされたホルモン
こうした5つのホルモン研究を中心とした研究の中で、更に新たなホルモンが次々と見つかっていく。
1979年、健康ブームによってアブラナの花粉が大量に出回ったことにより、かつてアブラナ体内で見つかっていながらごく微量であったために検出ができなかった『ブラッシン』という物質の化学構造が決定され、ブラシノステロイドと命名された。現在では、ステロイドの骨格を持つ植物ホルモンを総称した呼称となっている。
このホルモン自体は、他のホルモンと特性が類似しており、根や茎の伸長促進、細胞分裂促進、葉の拡大、老化促進、ストレス耐性と言った働きが知られている。
また、植物が様々なストレスを受けた際に放出するジャスモン酸についても、植物ホルモンとして認められている。この物質はいわば、ファンタジー小説などの喋る木を彷彿とさせるもので、とある場所で昆虫などによる食害を受けた際、それをジャスモン酸を介して他の植物や同じ植物の別の場所に伝え、防御を発動させるというものである。
こうした植物ホルモンの研究が発展していく中で、提唱以降依然として謎のままだった幻のホルモンがあった。
1920年に行われた実験において、花の形成は日長に支配されるという報告がある。その後、チャイラヒャンという研究者によって、1937年には日長を感知する植物器官は葉であることが示されている。そして、花が作られるのは基本的に茎のてっぺんである。このことから、チャイラヒャンは葉から茎のてっぺんまで、何らかの情報伝達が行われていると考えた。そして、それはホルモンであると提唱し、花成ホルモン(フロリゲン)と名をつけた。
しかし、その後様々な実験が行われるものの、結果は師管を通って行くこと、どんな植物でも普遍的に存在することなどの、存在が裏付けられる実証が得られるだけであり、フロリゲンというものが一体何なのかということについては足踏みが続いていた。
そんな中、1999年に京都大学の荒木崇らによって、 FT遺伝子というものが発見される。これはシロイヌナズナという植物から発見された遺伝子であり、フロリゲンの候補として有力なものであった。その後の研究により、2007年に『フロリゲンはFT遺伝子の産物である、つまりFTタンパク質がフロリゲンの正体なのではないか』という結果が示された。
こうして、 提唱から70年以上の時を超えて、初めてフロリゲンというものの存在が確認されたのである。
ホルモンの新たな姿~ペプチドホルモン
近年、100アミノ酸以下の比較的小さな分泌型ペプチドが細胞間の情報伝達に関与していることが明らかになっている。それらを総称して植物ペプチドホルモンと呼び、植物ホルモン様物質として、植物ホルモンの一種とみなされている。
このような物質が知られている。
学校教育における植物ホルモン
古典的植物ホルモンである5つのホルモンについて、生物Ⅰの授業で大きく扱われる。センター試験にも頻出の問題であり、さらには大学に入ってからも生物系の学部では植物生理学分野で取り扱われる分野である。
幸いなことにそこまで覚える量が多いというわけでもないため、早めに覚えておいて損はない部分であるといえる。
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