SURFACE時代
同じ高校の後輩である永谷喬夫と在学中に知り合いバンドを結成し、
1998年5月27日に1stシングル「それじゃあバイバイ」を発売してプロデビューした。
その後勢いを増し続け、「さぁ」や「ゴーイング my 上へ」など、椎名ならではの歌詞と永谷の親しみやすいメロディーを武器に数々のヒット曲を発表する。
入院
しかし2ndアルバム『Fate』制作終了後、喉に異常が見られる。7thシングル「ヌイテル?」あたりからすでに症状が見られ、次回作のカップリング曲に「samurai mania」というインスト曲が入るほど。薬でごまかしながら何とかやってきたらしい。
ただ薬だけではさすがに無理があり、ついに入院を余儀なくされた。声帯を切る、もう元の声を出せないなどという
リスクを背負いながらも点滴や注射で治療を続けていた。そして「喋れない」というクリップボードを首から下げながらの筆談であったらしい。
当時の椎名の心境は9thシングル「ボクハミタサレル」の歌詞で垣間見れるという。
それは「無性に独りが怖く」、「二人でいる喜びを知ったから」、「君がいる寂しさと 君がいない淋しさ」などのフレーズ。
声帯が悪化しSURFACEとして永谷やスタッフらと活動出来ない君がいる寂しさ、喉の病気と独りで闘う君がいない淋しさの両方を表していたのではなかろうか。
その後は声も元のままで無事に回復し10thシングルではまたSURFACEらしいファンキーな曲をリリース。
楽曲スタイルも少し変化が付いてきたらしい。
移籍~解散
2005年にはユニバーサルミュージックからソニー・ミュージックレコーズに移籍、ユニット名表記も「SURFACE」から「surface」へと改名した。
知名度がやや低くなりつつも、移籍・改名以降もセンスが生かされた楽曲をリリースし続けるが、2010年2月14日のファンクラブイベントで年内をもって解散する事を発表。またユニット名表記を小文字から大文字へと改めて改名。
その言葉通り、2010年4月28日にはSURFACEにとって最後の作品、今まで発表されたシングル全て+新曲4曲を収録したCOMPLETE BEST ALBUM『Last Attraction』をリリース。そして約1ヵ月半後の6月13日に解散ライブを行い、このライブを最後にSURFACEは解散した。
椎名慶治としてのソロ活動
解散ライブでは、相方(ギター)の永谷は落涙する場面も見られたが、一方の椎名はほぼ何も考えず悲しみなどあまり感じなかった。しかし翌日起床した瞬間、虚無感などに襲われ全てを失ったような感覚がしたとの事。ソロとして新たに活動するまでは何をしていいか分からなかったらしいが、知り合いのミュージシャン、磯貝サイモンや山口寛夫らの誘いでソロデビューが決まったのであった。
そして解散から約4ヶ月後の11月10日にはミニアルバム「I」でソロアーティスト、椎名慶治としてデビュー。
彼の第二のアーティスト活動が幕を開けた。
2011年9月から放送された『仮面ライダーフォーゼ』では、May'nとのデュオ「Astronauts」として挿入歌を担当。
2013年10月には、SURFACEでのデビューから15年を迎えることから、1stアルバム『Phase』の全曲セルフカバーに挑んだ。
またソロ活動後にはUstreamなどで配信を行い、最近ではニコニコ生放送でもUstreamと同時に配信をおこなっている。
人物
- 仮面ライダーシリーズが好き。
幼少期のヒーローはスーパー1だが、夜更かしついでにたまたま見たディケイドで熱が再燃したという。 - イチゴが好物。
- ゲームも好きで2台持っている機器もあるらしい。
- 少々卑猥な発言をするとよく「いやら椎名」と言われる。(小学生時代でもそう呼ばれた時期があった)
- 時折ナルシストを思わせる言動を見せる。
- SURFACE時代は主に作詞を担当していたが、中学生の頃からMSXのシーケンスソフトに触れるなど、作曲の方が興味があったらしい。ただしギターは出来ない。「それじゃあバイバイ」のギターが難しくて挫折、それ以来ギターを持たないスタイルが確立されたとのこと。
作曲の際は、適当にコードをかき鳴らしたりもする。 - 全体的に砕けた表現、季節感にとらわれない詞が多く、季節を感じさせる曲といえば卒業ソング「だいじなもん」や「冬の終わり」ぐらいだという。
また応援歌も人気で、ニコニコでは「人生の応援歌」というタグがよくつけられる。 - B'zの作詞者・稲葉浩志の影響が強いと言われる一方でTM NETWORKマニアでもあり、TMNのメンバー、木根尚登に、忘れてほしいこともあると言わしめたレベル。
- アメーバピグでブログはもちろん配信も行ったりする。
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関連項目
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