概要
1945年10月5日、宮崎県北諸県郡三股村(現:三股町)の農家兼生産牧場に次男として生まれる。地方の馬主でもあった祖父の影響を受け、馬と競馬の好きな子供だったが、家族からは「競馬の世界には入るな」と言われていた。テレビの普及していなかった当時、宮崎で見られるのは地元の粗末な競馬場とニュース映画、雑誌『優駿』ぐらいのもので、中央競馬に現実的な憧れを抱くこともなく大学へ進む。
しかし大学生となって中央の小倉競馬場を初めて見て、地元の草競馬とは比べ物にならない華やかさに「競馬の世界に入りたい」と思い、大学卒業とともに親からの了承を得、佐賀競馬場に送られる実家の生産馬の馬運車に乗りこんで入厩先の厩舎に押しかけて弟子入り、1年の修行を経て佐賀競馬場の騎手となった。
騎手としては通算12勝を挙げたが、減量に苦しみ、僅か1年でステッキを置く。栗東トレセンの厩務員になっていた兄を頼って、1971年から栗東・吉永猛厩舎の厩務員に転身。厩務員時代にはハクサンホマレという馬でクラシック出走、重賞勝利(1975年の金杯(西))を経験した。
1975年にシンザンの担当厩務員・中尾謙太郎が厩務員として初めて調教師試験に合格したことに刺激を受けて本格的に調教師を目指しはじめ、1977年から調教師試験に挑戦。1980年、4回目の挑戦で合格し、1982年から厩舎を開業した。このときの開業メンバーの調教助手に、後に調教師としてヴァーミリアンやジェンティルドンナを手掛けた石坂正がいる。
地方騎手上がりという異色の経歴ゆえに有名馬主とのコネもなく、開業当初は少ない馬房を埋めるのにも四苦八苦するようなスタートだったが、3年目の1984年にカルストンダンサーが京都牝馬特別(GⅢ)を勝利して重賞初制覇。
当時、短距離で重賞2勝を挙げたセントシーザーはそのシルコレぶりで厩舎の台所事情を大いに助け、厩舎の功労馬として1987年阪急杯(GⅢ)勝利のゴール写真は厩舎の応接間に長く飾られていたそうな。またセントシーザーが出走した1985年のニュージーランドトロフィー4歳Sの翌日、日本ダービーを現地で見たことで、その特別な雰囲気に強い衝撃を受け、以降日本ダービーを強く意識するようになる。
1985年の暮れ、栗東トレセンに坂路が新設されると、他厩舎に先駆けて坂路調教を積極的に取り入れる。これがみるみる効果を上げて勝利数をどんどん伸ばしていき、1990年には全国リーディングに輝いた。この年、同郷の馬主・「ツルマル」冠の鶴田任男の所有するツルマルミマタオーで日本ダービーに初出走を果たす(4着)。
1992年、レッツゴーターキンで天皇賞(秋)を勝ち、GⅠ初制覇。これで社台グループからの信頼を勝ち取り、社台から期待馬を預けられるようになる。1996年の日本ダービーではダンスインザダークを絶対の自信とともに送り出したが、フサイチコンコルドの音速の末脚に敗れ、レース後の橋口は完全に魂が抜けてしまっていたそうである。
以後もダンスインザダーク産駒のザッツザプレンティやツルマルボーイでGⅠを制覇。2005年有馬記念ではハーツクライでディープインパクトを撃破し、翌年のドバイミーティングでは交流GⅠ4勝のユートピアと2頭出しでどちらも勝利するという快挙を達成するなど、栗東の名門として数々の活躍馬を手掛けた。
しかしその一方で、悲願の日本ダービーはダンスインザダークの2着がケチのつけ始めになってしまったのか、ザッツザプレンティ(2003年3着)、ハーツクライ(2004年2着)、リーチザクラウン(2009年2着)、ローズキングダム(2010年2着)とあと一歩のところで勝てないレースが続き、「ダービーのシルバーコレクター」なんて言われたりしていた。
定年を2年後に控えた2014年、のべ20頭目の挑戦となったワンアンドオンリーで悲願の日本ダービー制覇を果たし、2016年2月に定年により調教師を引退。この年、史上10人目の調教師としてのJRA顕彰者に選出された。生涯JRA成績は8645戦991勝、重賞96勝、うちGⅠ10勝。地方・海外を含めると通算1000勝を達成している。
引退後は特に公的な活動はしていないが、息子の橋口慎介が厩舎を引き継ぐ形で調教師として開業。グレイスフルリープ、セイウンハーデス、アーテルアストレア、パンジャタワーなどを手掛けている。
当時八百長疑惑をかけられて干されていた大崎昭一にレッツゴーターキンの主戦を任せて天皇賞(秋)勝利に繋げ、眼病に苦しんでいた上村洋行にスリープレスナイトで涙のGⅠ初制覇(スプリンターズS)を贈るなど、人情味のある騎手起用のエピソードでも知られる。また地方出身のよしみなのか、安藤勝己や小牧太も重用した。その一方、厩舎で弟子として育てた騎手は高橋亮ただひとりである。
大百科に記事のある管理馬
- セントシーザー(1987年阪急杯・CBC賞)
- レッツゴーターキン(1992年天皇賞(秋)、1991年小倉大賞典・中京記念)
- ダイタクテイオー(1995年毎日杯)
- ダンスインザダーク(1996年菊花賞・弥生賞・京都新聞杯)
- ダイタクリーヴァ(2000年スプリングS・シンザン記念・鳴尾記念、2001年・2002年京都金杯)
- ローズバド(2001年フィリーズレビュー、2003年マーメイドS)
- ツルマルボーイ(2004年安田記念、2002年金鯱賞・中京記念)
- ザッツザプレンティ(2003年菊花賞、2002年ラジオたんぱ杯2歳S)
- ユートピア(2002年全日本2歳優駿、2003年ダービーグランプリ、2004年・2005年マイルチャンピオンシップ南部杯、2003年ユニコーンS、2006年ゴドルフィンマイル)
- ハーツクライ(2005年有馬記念、2006年ドバイシーマクラシック、2004年京都新聞杯)
- ロジック(2006年NHKマイルカップ)
- スリープレスナイト(2008年スプリンターズS・CBC賞・北九州記念)
- カノヤザクラ(2008年セントウルS、2008年・2009年アイビスサマーダッシュ)
- リーチザクラウン(2009年きさらぎ賞、2010年マイラーズカップ)
- ローズキングダム(2009年朝日杯FS、2010年ジャパンカップ、2009年東京スポーツ杯2歳S、2010年神戸新聞杯、2011年京都大賞典)
- ワンアンドオンリー(2014年東京優駿・神戸新聞杯、2013年ラジオNIKKEI杯2歳S)
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関連項目
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