橋本崇載とは、1983年生まれの将棋棋士(引退)である。棋士番号239、剱持松二門下。
出身は石川県で、男性棋士としては現在もただ一人である(それゆえ、地元の期待は高く、九谷焼の名工で知られる人間国宝、徳田八十吉翁主宰の後援会もある)。だが、生まれてすぐに大阪に転出したため、実際の育ちは大阪であり、石川のことはあまり知らないとのこと。
概要
ふてぶてしい見た目に反して謙虚で礼儀正しい性質だったことと、また棋力も確かで将来を期待された新人であったため、「ハッシー」という愛称で、お茶の間の将棋ファンは勿論、ニコニコ動画ユーザーからも親しまれる存在であった。とりわけ、2004年のNHK杯将棋トーナメントにおける対松尾歩戦にて紫シャツ・金髪パンチパーマというファッション・パフォーマンスで対局室に挑んだことは鮮明に記憶に残っている者も少なくなく、お茶の間を仰天させたことは有名。この奇抜ななりは俄然、将棋ファン以外からも注目を浴びることになった。
有名人となった2005年1月に放映されたNHK杯では羽生善治と対局、視聴率が通常の3倍になったなど、様々な伝説を残す。それ以後はパフォーマーとしても存在感を見せ付け、佐藤紳哉の持ちネタをパクるカバーする、名人戦の解説で相方の佐藤紳哉のカツラネタをいじるなど、何かしらのネタを盛り込むようになった。それゆえ、何もしなかった2012年のNHK杯宮田敦史戦では、解説の渡辺明に「何か普通でしたね」と拍子抜けされてしまう始末である。
2013年には当時ヒットした朝ドラの「あまちゃん」をリスペクトした一発ネタをやらかすが、思いっきり滑り、少しばかり騒ぎにもなっている。また、棋戦初優勝に意気込んでいた2015年NHK杯トーナメントでの準決勝第2局(対行方尚史)において、無念の二歩の反則負けを喫したことも記憶に新しい。
第77期(2018年度)B級1組順位戦は3勝9敗の成績で、B級2組へ降級が決まった。
2020年10月から半年間休場した。その後、2021年4月2日付で引退届を提出し、連盟が受理して現役引退となった。
棋風と実績
居飛車、振り飛車を数多くこなすオールラウンダー。じっくり受けつつ攻める手厚い棋風に定評があり、燻し銀と評価する棋士も。2009年4月からNHK教育テレビの番組「橋本崇載の受けのテクニック教えます」で講師を務める。一方、才気煥発の傾向もあり、流行りの棋戦研究などはあまり行わない無頼派の一面も見せる。
2011年3月にB級2組で9勝1敗の成績を残しB級1組への昇級を決め、2012年2月3日の順位戦で松尾歩に勝利、B級1組で昇級を争っていた木村一基と山崎隆之が同日に敗れたため、深浦康市と共にA級・八段への昇級を決める。しかし、翌年の2012年度は不調に終わり、A級をたった1期で陥落。2013年度は前半戦こそは昇格レースにいたものの後半で連敗を重ね、タイに終わる。2014年度は勝ち越し、健在さを見せ付けた。2017年度はA級再昇級まであと一歩まで漕ぎ着けた。
一方で、タイトル戦など棋戦にはかなり弱く、一般棋戦も含め優勝経験がない(タイトル戦は挑戦者決定戦が最高である。また、一般棋戦なら銀河戦など決勝まで進んだことはある)。
残念四天王
第77期順位戦C級1組 藤井聡太七段 vs 都成竜馬五段で解説として登場した際に、
山崎隆之、阿久津主税、橋本崇載、松尾歩の自身を含む同世代四人を指して「残念四天王」と称した(他の3人の承認を得ているかは定かではない)。
とはいっても勘違いしてはいけないのは、4人共かなりの実績を誇っている強豪棋士であり、狭間の世代といわれた中では大健闘を続けている。しかし、A級経験者がそのうち2人しかなく、4人合わせたA級での勝数は2(橋本は1期で1勝、阿久津は通算2期で1勝で、2勝25敗)しかなく、タイトル戦挑戦も山崎が経験あるだけ(しかもタイトル戦勝数は0)、松尾、橋本は挑戦者決定戦止まりであり、阿久津に至っては挑戦者決定戦進出すらない。一方、全員30代前半で八段になっており、竜王戦も1組か2組と常に高いこと、順位戦もB級1組前後で高い勝率を誇っていること(松尾、山崎とも頭ハネ経験あり)など、実力は確かなのだが…。
なお、4人の中でも山崎隆之は勝率の高さ、一般棋戦優勝回数の多さ、さらにタイトル挑戦経験1回と棋力的には1歩抜けている印象を受けるが、彼の色々なエピソードを知るとなんとなく納得できてしまう。
なお、この世代には他に四天王に準ずる飯島栄治七段らがおり、彼も竜王戦1組に5期在籍し、序列3位まで上り詰めたこともあるのにかかわらず、順位戦では苦戦続きでB級1組1期である。なお、渡辺明三冠は彼らより年下ではあるが、次の佐藤天彦らの世代と比較すると、この世代に含むことがある。
普及活動
将棋の普及を目的として、池袋に将棋を指しながら酒が飲めるバー"SHOGI-BAR"を2009年12月1日にオープンし経営していたが、2011年4月30日をもって無期限休業とし、場所を移して開店する予定だったが、2011年11月12日に同地においてリニューアルオープンし、現在もオーナーを兼業していた。2015年には歌舞伎町に移転したが、将棋に専念するためか、色々あった末に店を畳んだ。
2012年1月31日にTwitterを開始し、同時にニコニコミュニティにコミュ作成。定期的にユーザー生放送を行っていたが諸般の事情で閉鎖。
また、二歩騒動がきっかけで名が売れたので、芸能活動もしていた時期もあったが、それも引退している。
ダークサイド
先崎学や松尾歩など若い頃は尖っていた棋士が丸くなることは多かれ、彼は歳を重ねていくにつれて、態度が横柄になっていき、特に舌禍発言が多々聞かれるようになった。
- B2級の順位戦予想で自身を挙げるも負け越しの大苦戦。その言い訳として「弱い相手では本気を出せないんですよ」と発言。若かりし先崎学C2時代の舌禍に負けないぐらいひどい捨て台詞である(だが、その後に連続昇級でA級にまで登りつめたことからも、相当秘めたる悔しさがあったのだろうとは推測されるのだが…)
- 2011年度のNHK杯戦で例の佐藤紳哉六段を真似した発言の後、将棋ファンから「羽生を侮辱してる」と多数クレームがNHKに届く(信者、アンチの工作とも)。これに対して「お前ら何様だよ」などとかなり逆切れ発言、ここから経営のBARを畳み、ブログを閉鎖したりするなど、かなり雲行きが怪しくなる。佐藤紳哉はネタにされ、豊島将之ファンは別に怒らなかったことを思えば、確かにかなり不公平だとは思うが…。
- 翌年のNHK杯戦で、例のあまちゃんをリスペクトした発言をし、お茶の間を凍り付かせる。肝心の対局も中田宏樹八段から、巧妙な頓死筋を喰らい緒戦敗局、「コメントも将棋も駄目でした」というような反省の気持ちがTweetされた。そこまではまだ良かったが、某関西所属棋士がTwitterで彼を煽るような発言。それに対して「弱い奴ほどよく吠えるって法則か」とTweetを返してしまう。また、関西支部を馴れ合い体質などと批判していたこともある。
- 電王戦など故米長邦雄前連盟会長の方針を批判(後述)。また、上層部ともかなり衝突しており、連盟側が橋本のメディア露出に対し、「将棋棋士たちの品位を下げている」などと苦言を呈していたのに対し、「他にもっと大きな問題があるやろ」と喧嘩腰に反発。他の先輩棋士たちとの間に溝を生む。
- 三浦九段休場騒動の際に、自身のツイッターにて「奴は1億%クロ、二度と戦う気はしない」と発信。この件は、後に自分の非を認め謝罪している。そして、そこから色々とバー経営や芸能活動などをやめ、将棋に専念するようになった。
などなど、先人棋士の無頼漢ぶりにでも憧れているのかというぐらい、本当に色々やらかしてくれており、まさしく将棋界の中村紀洋である。だが、実力は確かなのだから、将棋ファンとしてはもっと将棋で楽しませて欲しい所なのだが…彼が真っ当に戻る日は来るのか、と思っていたが、下記あたりからだんだんニコニコ生放送に対しても雪解けを見せる気配を見せ、得意のエスプリの利いた解説やトークを楽しめせてくれるようになった。
その他
2005年に飯田弘之六段が開発したTACOSに辛勝した。この事態を異常と見た連盟は非公式によるコンピュータとの対局禁止を通達するなど、かなりの騒動になっている。この頃の苦い経験もあるためか、「プロ棋士の存在意義を問われる」など、電王戦のような人とコンピュータの対戦にはかなり否定的な見解を持っている。現在も、対人戦ならではの微妙な駆け引きができなくなるという理由で、若手棋士のコンピュータ将棋依存に疑問を唱えている部分はある。
インタビューの記事を読むに、今までの様々な出来事や自分のキャラ付けに疲れてしまったようで、全体的なメディア露出が減っている。
上記の影響か、ここ数年はニコニコ生放送で解説やイベントの出演を行っていなかったが、
久しぶりに第四期叡王戦の情報番組「叡王戦パラダイス3月号」でニコニコ生放送に解説として出演、
さらに直後の順位戦C級1組最終戦の解説を行った。
この解説が好評だったこともあり、以後は何回かゲストにも呼ばれるようになり、色々と自分のことを話すようになった。それによると、着付けの先生だった祖母の影響で和服を着こなし、着付けも自分でできるなど、かなり和服に詳しい。また、愛犬家であり、家にミニチュアダックスを飼っている。また、渡辺明に次ぐぬいぐるみ好きの一面もあり、ディズニー系、特にオラフ推しらしい。
成績
昇段履歴
- 6級(1994年)…奨励会入会
- 初段(1996年)
- 四段(2001年04月01日…三段リーグ2位による昇段
- 五段(2005年02月24日)…勝数規定
- 六段(2006年04月01日…竜王戦2組昇級
- 七段(2006年09月22日)…竜王戦1組昇級
- 八段(2012年02月03日…順位戦A級昇級
- ※引退(2021年4月2日)
叡王戦戦績
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関連項目
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